2017/6/19

「バベル」  芸術・音楽

 〜東京都美術館『ブリューゲル「バベルの塔」展』 
 
 東京都美術館にブリューゲルの「バベルの塔」を見に行ってきました。

クリックすると元のサイズで表示します この絵自体は子どものころから知っていて、当時は画集か何かでドキドキしてみたものですが、大人になってからは印象派以降の絵画に心惹かれるところがあって、ルネッサンスだのバロックだのといった古い時代の絵画にはさっぱり心が動かなくなったのです。そこで東京都美術館で「バベルの塔」展をやっていることは知っていたのですが行こうという気になれないでいました。

 ところが二週間ほど前、E-テレ「日曜美術館」で特集があり、例えば塔が上に行くにしたがって赤くなるのは、上部がまだ建設中の新しいレンガだからだとか、塔の左の方で縦に白く流れた感じになっているのは資材である漆喰を持ち上げるコースになっているためだとか、さらにその左の赤い流れはそこがレンガを持ち上げる箇所で、落ちて砕けたものが壁を汚してるのだとか、そういった説明を聞いているうちに何かウキウキと浮かれた感じになってきたのです。
 さらにその漆喰やレンガくずの汚れは、一見道理にかなっているように見えて詳細に検討すると実はずれている――もし立体で左にずれてのぞき込めるとしたら、汚れは縦につながっていないのです。

 ブリューゲルは実際の「バベルの塔」を見て描いているわけでも、とりあえず模型を作って検討したわけではないので、構造物としては不正確なのです。例えば正円に見える土台部分も、中央やや左側が手前に突き出た、ゆがんだ円です。
――と、そうした知識を与えられるとやはり本物を見たくなります。
 そこで先週金曜日、他の用事ができたこともあってついでに上野まで足を運んでみたのです。


【ブリューゲルの「バベルの塔」】
 結論から言えば、行って本当に良かった。やはりどんな場合も本物を見ることは大切です。

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 まず重要な点は59・9cm×74・6cmという絵の小ささ。描かれている人の数はおよそ1400人と言いますからそのほとんどは1mmサイズで、一刷毛か二刷毛で描かれています。
 背景の農家や木々、右手前の港に停泊する船の数々も人間に対応してまるっきりの細密画です。あんな小さな画面なのに恐ろしく稠密なのです。
 油彩というのはよくできた画材で400年以上前の作品なのに今日描かれたかのような美しいい光彩を放っています。そのためひとりひとりの人物の、細部まで描き切るブリューゲルの天才と集中力はひしひしと私たちの心に伝わってきます。

 展覧会の仕掛け自体もユニークなものでした。
「バベルの塔」が飾られている最後の展示室は、入るとまず一面の巨大な複製画(「バベルの塔」の下層部分)が架けられていて、その大きさは塔の一階が大人の背丈ほどもあるのです。したがって1mmサイズの人間も5cmほどに拡大されていて、それがどんなふうに描かれているのかはっきりと分かります。
 また東京芸大等のプロジェクトが作成した300%の拡大「バベルの塔」によって細部を検討したり、漫画家の大友克洋(『童夢』『AKIRA』など)が個人的に作成した「INSIDE BABEL」(ブリューゲルの「バベルの塔」の内部を想像して描き込んだもの)2点を見ながら一緒に構造を考えたり、さらに問う虚と美術館から少し離れた東京芸大では高さ3mの「立体『バベルの塔』」まで展示されているのでそこで新たな発見をしたりと、ほんとうに盛りだくさんで堪能しました。


【聖書の「バベルの塔」】
 ところで、そもそも「バベルの塔」というのは何なんでしょう。
 確認してみると聖書の創世記11章1-9節に次のようにあります。

 全ての地は、同じ言葉と同じ言語を用いていた。東の方から移動した人々は、シンアルの地の平原に至り、そこに住みついた。そして、「さあ、煉瓦を作ろう。火で焼こう」と言い合った。彼らは石の代わりに煉瓦を、漆喰の代わりにアスファルトを用いた。そして、言った、「さあ、我々の街と塔を作ろう。塔の先が天に届くほどの。あらゆる地に散って、消え去ることのないように、我々の為に名をあげよう」。主は、人の子らが作ろうとしていた街と塔とを見ようとしてお下りになり、そして仰せられた、「なるほど、彼らは一つの民で、同じ言葉を話している。彼らはすでにこの事をしはじめた。彼らがしようとする事は、もはや何事もとどめ得ないであろう。さあ、われわれは下って行って、そこで彼らの言葉を乱し、互に言葉が通じないようにしよう」。これによってその町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を乱されたからである。主はそこから彼らを全地のおもてに散らされた。

 ここでもやはり本物を見ることの大切さを感じます。
 私は「バベルの塔」について、
 傲慢な人間たちが天にも届く塔を造って神を凌駕しようとしたところ、怒った神は人々の言葉を乱し、ために塔は破壊された。以後この塔は「バベル(混乱)の塔」と呼ばれるようになった。
というふうに覚えていました。
 しかし聖書に記述を読むと、確かに「天まで届く塔をつくって我々の名を世界に知らしめよう」とうのは傲慢と言えば傲慢ですが、決して神を意識してそれを乗り越えようといったものではないことが分かります。また神にも「傲慢な人類に鉄槌を振るった」という感じではなく、何かの理由でそれを嫌った、ただそれだけという印象です。

 更にそれよりも目を引くのは、
 そして、「さあ、煉瓦を作ろう。火で焼こう」と言い合った。彼らは石の代わりに煉瓦を、漆喰の代わりにアスファルトを用いた。そして、言った、「さあ、我々の街と塔を作ろう。塔の先が天に届くほどの。
という部分で、ここから感じられるのは人間の技術革新に対する自信と喜び、それを使って何かを成し遂げたいという純粋な意欲です。


【現代の「バベルの塔」】
 人類は「バベルの塔」以降も同じようなことを続けてました。
 例えば「1960年代の終わりまでには月面に人類を送る」というアポロ計画は、副産物として多くの収穫をもたらしましたが、「月に行く」こと自体に何らかの意図があったわけではありません。基本は「誇り」です。

 2020年の東京オリンピックに向けて今日もしのぎを削っているアスリートたちは、金メダルが金(かね)になるから頑張っているわけではありません。
自分が持っているものを試したいのです。それがどこまで伸びるのか、世界を相手にどれだけ通用するのか、どれだけ長く歴史に留められるのか――。

 考えてみると「バベルの塔」もその時は建設を断念され街自体が放棄されますが、それ以降の人類が巨大都市と天まで届く塔の建設を諦めたわけではありませんでした。
 日本だけを考えても、東京は23区だけで人口920万人の巨大都市です。そこに立つスカイツリーは634m、ブリューゲルの「バベルの塔」の推定510mをはるかにしのぐ高さです。世界に目を転じればさらにすごい建造物が目白押し。

 彼らはすでにこの事をしはじめた。彼らがしようとする事は、もはや何事もとどめ得ないであろう。

 結局神は諦めたのかもしれません。もっとも神様ですからその程度を大目に見ても、神たる基盤にいささかの傷もつかないと感じたのでしょうね。

*東京都美術館 『ボイマンス美術館所蔵 ブリューゲル「バベルの塔」展 16世紀ネーデルラントの至宝−ボスを超えて−』 は7月2日(日)までです




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