2017/6/30

「ビートルズがやってきた!」  歴史・歳時・記念日

     〜ヤァ!ヤァ!ヤァ!

 今日6月30日は51年前、ビートルズが最初で最後の来日をし、第一回の日本公演を行った日です(6/30・7/1・7/2の3日5公演)。

クリックすると元のサイズで表示します

 記録によるとブルーコメッツやブルージーンズが前座を務めたのはいいとしても、ザ・ドリフターズも出演したということになっていますから何が起きたのかは「?」です。

 今でこそ当たり前の「武道館コンサート」。実はこれが初めて。当時は「畳の上でやるのか?」と首を傾げたものです。
 そもそも360°すべてに観客を配置できる場所でロックグループガーー、というのも全くイメージがわかない。スピーカーはどっちに向けるんだ? と盛んに気をもんだものです(結局普通にステージをつくって演奏者の真後ろには観客を入れないという常識的なものでした)。

 私はまだ中学校に入ったばかりのぺーぺーの田舎少年で、ビートルズが何者かもよく分かっておらず、テレビで見ても、
「何かおかっぱ頭のお兄さんたちがギターでガンガンやっていて、日本のお姉さんたちがキャーキャー叫んでいるうちにあっという間に終わった謎のコンサート」
という感じで、ほとんど記憶に残っていません。おかげで後年、テレビ中継をあまり熱心に見ていなかったことを痛烈に後悔することになります。


【 ロスト・ビートルズの世代 】
 来日したビートルズを見て、それで夢中になり、以後ファンになったというような単純な話ではありません。
 ビートルズは翌年、「サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド’」を発表して私の手の届かないところに行ってしまったからです。とんでもなく素晴らしいアルバムで、世界の音楽を根底から変化させ成長させたものですが、いかんせん普通の中学生には難しかった…。
 一方国内ではビートルズに影響されたはずのグループサウンズがやたらマイナーで寂しい曲ばかりを歌っていて、続いてフォークソング・ブーム。こちらの方が私には馴染みました。
 あとから考えると、私の音楽体験はビートルズも含めて、あの爆発的にエネルギッシュで勢いのある「団塊の世代」に振り回されていたようなものなのです。それらは全部「団塊の世代」のものであって私たちのものではない。

 そう言えばビートルズが話題になり始めた頃、ど田舎の私の近所にも「マッシュルーム・カット」のお兄ちゃんが出現したりします。もちろん「団塊の世代」です。
 その頭を見た母が「あの子、親はいるのかしら?」と毒づいてわずか数年後、母はその「親のなさそうな子」の親になっています。東京に出た私はマッシュルームどころか胸にまで届く長い髪をしていましたし、ロックミュージシャンというよりはむしろ浮浪者といった体でしたので、「母のいない感」はハンパではありません。
 それも「団塊」のマネでした。
「遅れて来た少年」はどれもこれも乗り遅れたまま、気がつくとビートルズもわすれてしまっていたのです。


【そして後に繋げる】
 私が本格的にビートルズにのめり込んだのは20代 後半のころ、解散からすでに10年以上たってからのことです。おそらく何回目かのリバイバル・ブームに乗せられたのでしょう。

 教員になってすぐくらいの時期にCDプレーヤーというものが売り出され、ビートルズは早い段階で焼き直されてましたから手にいれやすかったという事情もあったと思います。
 アルバムを順次買い集め、そればかり聴いていました。そして何かの折に、生徒たちにも話して聞かせたのだと思います。

 私にビートルズを教えてもらったという子が少なからずいます。
 現在の学校ではなかなかそういう時間も持てませんが、当時はなんとなく気持ちに余裕があって、何かのおりに好きな音楽の話だとか映画の話だとか、いくらでもすることができた(ような気がする)のです。

 そしてそんな子の中から、バンドを生涯の楽しみにするヤツが出て、あるいは熱烈なビートルズファンになってポール・マッカートニーのコンサートにも行くヤツが出て、彼らが順次SNSにアップして来たりする。

 それもまた教師冥利に尽きるではありませんか。

  
1

2017/6/30

「更新しました」  教育・学校・教師


「キース・アウト」


2017.06.29
沖縄県内教員、非正規16% 公立小中校全国ワースト 文科省調査



1

2017/6/29

「ボケたのかもしれない」  人生

           〜自分のありか

 一か月ほど前、少し風邪っぽいこともあって近くの開業医にかかりました。いわば私の主治医のような医者です。
 毎回のことですが「ついでに血圧もみましょう」と言うので台(注射台というのだそうです)の上に腕を載せると医者が怪訝な表情をします。
 なんのことか分からないのでそのままにしていたら聴診器の先を胸ポケットにしまい、私のシャツの手首のボタンを外し始めたのです。申し訳ないことをしました。
「横柄なジジイだ」と思われたかもしれません。

 しかし病院は久しぶりですし、家で計るときは袖をまくり上げたりしないのです。だから気がつかなかった――と言い訳をしておいて、けれどこの程度だと、まださほど不安でもありません。


【耳鼻科にて】
クリックすると元のサイズで表示します

 2週間ほどして、今度はアレルギー性鼻炎の関係で耳鼻科に受診しました。
 だいぶ待たされた後で診察室に入ると、若い医師がちょうど席をたつところで、何か用事があったのでしょう、
「すみませんが、座ってしばらくお待ちください」
そう言って席を外しました。
 私は言われた通り座って待っていました。
 ほどなく医者は戻ってきて、私の横に、困ったような顔で立ちます。気がつかなかったのですが、私は医者の席で「座って待っていた」のです。

 これが内科や外科の話だったら問題は少ないと言えます。医者も患者も似たような椅子に座っているのですから(そう言えば患者側には背もたれはないなあ)。しかし耳鼻科や眼科、歯科では、患者の席はとんでもなく違うでしょ?  なんでそこに座らなかったのか?

 言い訳を考えると、その病院は診察室に入ると医者が向こうを向いている(その先で患者がこちらを向く)構造になっていて、普通の病院とは逆なのです。しかし半年ぶりとは言え何度も行ったことのある耳鼻科ですから、基本、ボケたとしか思えません。

【薬が難しい】
 そこで薬をもらってきました。
 朝・昼・晩と三回、食事のあとで飲む単純な薬です。ところがこれが呆れるほど難しい。

 薬を飲み忘れるなんてことは昔からやっていることですから苦にしませんが、食事前に薬袋を横に置き、食べ終わってしばらく休み、台所に食器を片付けて席に戻ると、ハテ、薬は飲んだのか飲まなかったのか――、分からない。
 ゴミ箱を漁ってカバーの破片を探しても、袋の中の薬の数を数えても、いずれにしろ飲んだか飲まなかったのかの答えは出るのですが、さすがに今までそういうことはなかったので何か不安になってきたりします。


【ワイセツではなくボケです】
 若いころは数年に一回という頻度でしか起こらなかった“ズボンのチャックの閉め忘れ”を、一年に二度もやったことがあります。
 もっとも齢が齢ですからワイセツ犯と疑われるよりも、ボケ老人と判定される可能性の方が高くなっていますから、その点は安心です。

 いずれにしろ、ひとつ、ひとつ、できないこと、覚えていられないことが増えていくわけです。
 そのことに慣れ、そのことに親しんでいくしかないんでしょうね。
 忘れて便利なことだってたくさんあるはずです(ハハ)。



1

2017/6/28

「更新しました」  教育・学校・教師


「キース・アウト」


2017.06.28
   非正規の小中教員、4万人…担任や部活を指導諭




1

2017/6/28

「昭和のサニブラウンは何をしていたのか」  政治・社会

〜混血のスーパーアスリートはなぜ今日まで出なかったのだろう

 昔、東南アジアのある国を旅行した際、ホテルの近くのコンビニに出かけて買い物をした帰り道で、現地の人にあいさつをされたことがあります。
「おはようございます」
 それがあまりにも流暢な日本語だったので思わず、
「おはようございます」
と返すとがっかりした様子で、
「なんだ、やっぱり日本人かァ」
(オマエ、一体オレを何だと思って、何をしたかったワケ? 日本人だとなんでガックリするんだ?)

 別の時、私は国内旅行をまるまる全部、中国人のフリをしてやってみようという計画を立ててそれらしい上着を購入したことがあります。ところがこれがさっぱり似合わない。それらしくない。
 どうみても“シンガポールの華僑のフリをした東南アジア人”という感じで、偽物臭プンプンなのです。
 もしかしたら私の祖先には東南アジア系の血が濃く入っていて、中国系は薄いのかもしれません。 

クリックすると元のサイズで表示します



【意味ある血】

 例えば60世代(1800年)を遡っても外国人の血は一滴も入っていないという人はそうはいないでしょう。ですから日本人のほとんどは純粋種ではありません。それにそこまで行くと“純粋種”という概念すら意味がなくなってしまいます。

 ではずっと手前の話として――両親のいずれかが外国人の場合はハーフ、これはいいでしょう。祖父母のうちのひとりが外国人の場合はクウォーター、これも日常の用法としたら(たぶん)問題ないと思います。
 では曾祖父母のうちのひとり、高祖父母のうちのひとりが外国人という場合は、なんというのでしょう。
 英語で1/8はワンエイス(one eighth)1/16はワンシクスティーンス(one sixteenth)と言うのだということは調べて分かりましたが、それで「1/8混血(ミックス)」「1/16混血(ミックス)」も表せるのでしょうか。

 たぶんそうはならないでしょうね。欧米で例えば「16人の高祖父母のうち一人だけがフランス人であとは全員がイングランド人」といったことはほとんどなさそうですし、仮にあっても主張することに意味があるとは思えないからです。
 
 その理屈を援用するとハーフやクウォーターあたりまでは意味はあるが、それ以上になるとあえて主張することにあまり意味はない、だから私も中国人のは混じっていなさそうだとがっかりすることもなければ、東南アジア人の血統に関りがあるかもしれないと誇ることも、どちらもないというところに落ち着きそうです。

 遺伝子レベルの話としても、1/8や1/16程度の形質ではたいして役にも立たないのでしょう。やはりハーフかせめてクウォーターでないと、優れたものも意味をなさないのかもしれません。

*「ハーフ」や「クウォーター」「ダブル」「混血(ミックス)」「純血」と言った言葉をここでは無頓着に使いますが、これらのうちどれが差別語でどれが許されるのかといった話はかなり厄介ですので、特に意識せず、先に進ませていただきます。


【幻のアスリートはどこに行ったのか】
 芸能界ではかなり以前からハーフやクウォーターの子が活躍し注目されています。
 私たちはもう彼らが混血(ミックス)であるというだけで差別することも羨むことも特別視することもありません。それぞれ芸能人として美しかったり達者だったりすればいいだけのことです。
 ところがそれ以外の場となると、あまりにも活躍の様子が見えない。当然いていいはずの場所にいない。

 それを改めて思い知らされたのは、先日の日本陸上競技選手権の男子100mの決勝です。そこで入賞した上位3名のうち、二人までもが混血の選手だった(サニブラウン・アブデル・ハキームとケンブリッジ・飛鳥)のです。しかしなぜこれまでこうならなかったのでしょう?

 芸能界にあれほど多くの混血(ミックス)がいるのスポーツ界にはあまりにもいない。戦争直後のアメリカ軍駐留時代にまで遡って70年くらいを考えても、思い浮かぶアスリートといえば野球の鉄人衣笠とハンマー投げの室伏くらいなものです(ほかにもいると思うけど、あまりにも少ない)。

 半分だけだとしてもアフリカや中南米の強靭なバネ、あるいはオランダや北欧の高身長を兼ね備えた超人の卵は、いくらでもいたはずです。
 サニブラウンやケンブリッジが64年東京オリンピックころから活躍していたら、日本のメダル数は(1.5倍とは言いませんが)1.2倍くらいにはなっていたでしょう。

 小学校の運動会や中学校のクラスマッチで、とんでもなく足が速くやたら目立った肌の浅黒い少年少女はいなかったのか、バスケやバレーで異常に背の高い、肌が白く目の色の薄いすばらしい選手はいなかったのか。
 いたとして、彼らはなぜ全国大会のひのき舞台で活躍することができなかったのか? 差別があったのか? それともサニブラウンやケンブリッジの例が稀なのであって、バネだのスピードだのにハーフだのクウォーターだのはあまり関係のないのか?
 ぜひ調べてみたいことです。


 
0

2017/6/27

「独りぼっちの魔女」  人生

     〜二人の女性の幸福と孤独A

 高速道路でハンドルを5度傾けたまま走れば、いくらも進まないうちにガードレールか側壁にぶつかってしまいます。5度が3度でも、1度でも結果は同じです。わずかその程度の傾きでも大きな事故につながってしまうのです。

 人間の性格とかこだわり・思い込みといったわずかな傾きも、生きる道にそって修正されなければいつか破綻をきたします。特に全力疾走で駆けている人は、周囲の景色を見落とさぬよう、高い緊張感をもってその変化を見つづけなくてはなりません。

クリックすると元のサイズで表示します

【豊田真由子という女性】
 豊田真由子という代議士はほんとうによく働く頑張り屋さんだったようです(国会議員の“よく働く”という意味がいまひとつ分からないのですが)。
 それはもちろんそうでしょう。
 小学校時代から友だちと遊ぶこともせず勉強ばかりしていた――それが楽しめるだけの優秀な頭脳と良く努力できる強靭な神経が兼ね備えられていたのでしょうね。
 その天分をもって桜蔭中学校、桜蔭高等学校へ進学し、東京大学から厚生省へ、そして政治家としての道を歩み続けてきました。

 その間、ボディコンと呼ばれる細身のワンピースを着てジュリアナ東京のお立ち台に上ったり、テレビのクイズ番組に出演して優勝して見せたり、厚生省に入省してからはハーバード大学大学院に国費留学して理学修士となり、結婚し、子どもも二人もうけ、官僚から政治家へと、貴から俗まで、難から易まで、あれもこれもできる、あれもこれも欲しいのだと、普通のひとなら何かを手に入れるために別の何かを諦めるところを、すべてを欲しがってすべて手に入れた、そんな半生のように見受けられます。

 もちろんそのために血の滲むような努力もし、睡眠時間も削って走り回っていたはずです。しかしそんな頭もよく努力もできる超人的な人であっても、ただひとつ乗り越えられないものがあります。
 1日24時間という時間はすべての人間に平等に与えられていて、しかも動物としての私たちは眠らなければならない。どんなに欲深い人間であっても、能力や努力だけでは絶対に越えられない、それが個人の限界です。
 ところが豊田真由子という女性は、とんでもないものを手に入れてしまった。
 それは“権力”という魔法です。


【魔法“権力”】
 “権力”を使えば時間の壁も突破できます。
 自分一人では時間内にできなかったことが、”権力“という魔法を使うとあっという間にできるのです。
 それは例えば、部下に向かって言う「明日までに○○を用意しておきなさい」といった呪文です。そのたった一言で、学生時代なら足を棒にして何日もかけて集めなければならなかった資料が、あっという間に目の前に揃ってくるのです。さらに“部下”もまた優秀な官僚ですから、時には望外なものが手に入ることもあります。
 そうなるとかつて眠らせた欲望も全開になります。時間がない、できないと諦めていたことがすべて可能になってくるーー。

 ただしこの愚かな魔女は重要な三つの原則を忘れていました。
 ひとつは「使える魔法は無限ではない」ということ。部下にも時間的・能力的制約はあります。
 二つ目は「魔法によって手に入れた新しい手足は、それでも本物の手や足ではない」ということ。きちんとした指示と十分な時間を与えないと、想像とはまったく違った結果に陥ることがあります。
 最後に「魔法の手足は裏切ることもある」。これについては説明の必要はないでしょう。

 愚かな魔女は魔法の三原則を忘れていました。だからミスが起こった時はほんとうに切なかったのです。優秀で努力家で本当に素晴らしかった自分が、こんな重大ミスを犯すなどということは、絶対にあってはならなかった、自分の手足はもっと正確に動かなければならない、それなのにこれまでだったら絶対にしなかったミスを、自分の手足がやってしまったーー。


【痛み】
「これ以上、私の支持者を怒らせるな! お前が叩くよりよっぽど痛いよ!!」
(毎日毎日2〜3時間の睡眠で、土日も休まずに働いてきたじゃない、子どもにも家族にも迷惑をかけてきたじゃない、すべて完ぺきだった私があちこち軋むのも我慢して打ち込んできたじゃない、それくらいがんばって支持者を大切にしてきたのに、それなのにオマエはバカみたいなミスでそれを粉々にしてしまった、その痛みは殴る蹴るの比じゃない!心がねじれるように痛いのだ!)
「叩かれる方がよっぽど楽だよ! 叩いていいよ私の事。だから頼むから支持者を怒らせるな!」
「お前が受けてる痛みがなんだ! アタシが受けてる痛みがどれくらいあるか、お前分かるかこの野郎!」

 まるで世界のすべてから切り離され、独りぼっちで責められているかのように、彼女は辛かったのです。

 バースデー・カードの宛名を間違えた程度のミスはいくらでも償うことができる、その程度のことで支援者は政治家を見捨てたりはしない――それが正常な判断です。しかし豊田議員はそんな当たり前のことから、ずいぶんと遠い地平に生きていました。

 ではどこに間違いがあったのか。
 それは遠い遠い昔、「才能と努力で、この世のすべてのものは手に入る」と思い込んだその時からです。
「そんなことはない。ひとは何かを手に入れるためには別の何かを諦めなくてはならない」
 そう教えてくれる人はたくさんいたはずですが、彼女は耳も貸さず、すべてを力で押し切ってきました。


【魔女の最後】
 高速道路でハンドルを5度傾けるだけで、車はガードレールにぶつかってしまうのです。周囲の見えない人は、そうした間違いにも気づく機会がなかったのかもしれません。
 あんな録音が出てきた以上、東大卒もハーバード大学院も、元官僚も国会議員もすべて悪名を飾る色褪せた装飾品にしかなりません。ただの小母さんにも戻れないのです。

 先週、「幸福の王女」はたくさん幸福を人々の心の中に残したまま、肉体的には滅びました。そして同じ時期、「独りぼっちの魔女」はすべてを失って社会的には死んでいったのです。

 二人を並べて考えるのは、どちらにとって気の毒なのか、よく分からない話になってしまいました。 (終わり)



2



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ