2017/5/31

「現代のジョニーはいかにして戦争に行ったのか」  政治・社会

        〜現代の「テロリスト群像」

 ドルトン・トランボ監督の「ジョニーは戦場へ行った」は私がこれまで見た中で最も後味の悪い映画のひとつです。
クリックすると元のサイズで表示します 作品のできがよくないのではなく、最高級の反戦映画なのですが、多くの名作が心に切々と訴えて来るのに対し、「ジョニーは〜」はじかに内臓に訴えて来る、というか、“はらわた”を直接揺さぶって不快感を与える、そんな感じなのです。
 その不快感こそ戦争に対する嫌悪、人間が無残にそして無意味に殺されていくことへの耐えがたい吐き気なのです。


【映画「ジョニーは戦場へ行った」】
 語り手であり主人公でもあるジョニーは徴兵によって恋人を田舎に残し、第一次世界大戦に出征します。
 しかし最前線でいきなり敵の砲弾を受け、顔の半分を吹き飛ばされて視覚・聴覚・嗅覚を失い、声も出せない状態になって母国に戻ってきます。そのうえ壊疽(えそ)して機能しない両手両足も切断され、わずかに首だけが動かせる肉の塊となってベッドに横たわっているのです。

 医師も看護師も軍の関係者も、ジョニーには感情も思考もないと考えて実験材料のように放置したままにします。しかし音のまったくない暗闇の世界で、彼は生きていたのです。

 たくさんの思い出を頭によぎらせながら、ジョニーは外界とのコミュニケーションを考え始めます。担当の看護師との間には不思議な心のつながりができていたのですが、それ以上は進みません。やがてジョニーは首を動かすという手段でモールス信号を送ることを思いつきます。

 激しく首を動かす異状に気づいた看護は軍の医師団を呼び、軍医のうちの一人がそれをモールス信号と理解して・・・。ほんとうに陰惨なのはこの先ですが、これ以上のネタばらしはなしでしょう。


【現実「彼は平和な街を戦場にした」】
 私がこの映画を思い出したのは、先日のマンチェスターおけるテロ事件の、犯人とされるサルマン・アベディ容疑者ことを考えていた時です。22歳のリビア系イギリス人青年です。
 彼は最後の瞬間、何を考えていたのだろうかということです。

 「ジョニーは戦場へ行った」の原題は「ジョニーは銃を取った(Jonny Got Hiz Gun)」で、これは第一次世界大戦中の志願兵募集の宣伝文句「ジョニーよ銃を取れ(Jonny Get Your Gun)」に対する痛烈な皮肉だそうです。呼びかけに応じた結果はあまりにも悲惨だった、それが物語の発端です。
 ただし実際のジョニーは呼びかけに応じたのではありません。徴兵によってほとんど何も考えず戦場に向かった青年で、戦場の圧倒的な現実によって初めて目を覚ました(と同時に失明した)人間です。

 それに対して、いちおう平和なイギリスのマンチェスターに生まれ育ったサルマン・アベディは、戦場でない場所を戦場にして、自ら自爆装置のスイッチを入れたのです。周辺にはたくさんの若者と子どもがいました。

 彼らを巻き添えすることは明らかです。そもそもの目的が“巻き添えにすること”でしたからスイッチを押した次の瞬間に起こることははっきりと予見できたはずです。
 その若者や子どもにも、自分と同じように平和な家族がいることも当然理解できていた。けれど彼は、スイッチを押した。


【子どもを殺すことの重さ】
 サヴィンコフの「テロリスト群像」にはロシア総督の馬車に爆弾を投げようとして思いとどまるテロリストの話が出てきます。カリャーエフという男です(のちに総督暗殺に成功。死刑になります)。
 第一回の襲撃で、彼は爆弾を投げようとする瞬間、馬車の中に子どもたちがいるのを見てしまったのです。だから思いとどまる。
彼はアジトに帰って来ても激しく動揺します。
「ぼくの行動は正しかったと思う。子供を殺すことができるだろうか……?」
 それが普通の人間です。躊躇するのが当たり前です。

 サルマン・アベディには果たしてそいう逡巡はなかったのか。
たくさんの子どもが自分の手にかかって死ぬということに現実的なイメージは湧かなかったのだろうか、その血、その骨、そのひしゃげた身体・・・。
 またその若い両親や兄弟姉妹の絶望・悲しみ、それらに対する想像力はまったく働かなかったのだろうか。
 あるいはその子が死なず、手足をもがれ、心身を傷害し、ベッドの中のジョニーのように一生を苦しみの中に過ごすということに対する心の痛みはなかったのか。
 それらを克服しても決行しなければならない大義、情熱、意志とは何なのか。

 人の命に軽重はないと言いますが、私は子どもを殺すことには特別の意味があると考えています。
 私くらいの歳になれば(死に値するかどうかは別として)罪のひとつやふたつは背負っているものです。それを理由に殺害を正当化する人がいてもやむを得ないかもしれません。しかし子どもはそうではありません。よくも悪しくも子どもは無垢なのです。その無垢なるものを殺すことができるということについて、私の理解は届いて行きません。

 ニュースの動向を見ながら、しばらくこの問題について考えて行きたいと思います。


*おりしも「狭山女児虐待死」と呼ばれる事件の裁判が行われようとしています。これもずっと気にしてきた事件です。




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2017/5/30

「それぞれの生き方」  人生

   〜人は定年を迎えるとどうなるのか

 昨日の続きです。

 50年近くも続いた仲と言っても男同士です。互いのことを細かく詮索したり家族の話を聞いたりいったことはめったにありません。
 私は昔、この人たちは私が困っていても助けてくれないんじゃないかと思ったことがあります。“助けて”と言えば絶対に助けてくれるけど、そう言わない限り困っていると分かっていても向こうから手を出すことはない――今もそう思っています。
 それが男の仁義ということもありますが、そうして節度を守ることで長く続いてきたという側面は確実にあります。

 そういう訳で定年退職後のこの人たちがどんな暮らしをしているのかはあまり知らないのですが、分かる限りで記してみます。これから定年を迎えようという人には、役に立つかもしれないからです。


【さまざまな人生】
 まず今回参加できなかった3人はいずれもフルタイムの現役です。
 ひとりは医者ですので仕事はいくらでもあります。
 もうひとりは薬剤師で、60歳までは大学病院に勤めていましたが退職後は薬局チェーンの雇われ店長になっています。以前は奥さんが自宅で薬店を開いていたのですが、病気をされたときに閉じてしまった経緯があって、その店を再開してもよかったのですが面倒だったのでしょうね、今さら商売で儲けようという年齢ではありませんから雇われで気楽にやっていこうという腹のようです。
 来られなかった三人の最後のひとりは、東京在住なので正直言って何をしているのか分かりません。

 現役で働いている仲間は参加組にもふたりいて、ふたりとも重役でしたのでそのまま“監査役”みたいな形で残っているようです。さらに“監査役”はもうひとりいて、こちらの方はフルタイムではなく、月一回の出勤で多少の給与がもらえるということなので要するにそういう計らいなのでしょう。
 
 今回わざわざ東京から参加してくれた仲間がいます。大学4年生の時に公認会計士の試験に受かった当時の出世頭ですが、今は事務所を辞め、スポーツジムとゴルフ場通い、そして区民農園の抽選に当たったので “3坪農地の小作人”(本人の弁)を生業にしているそうです。
 ナスのつくりかただとか連作障害の回避の仕方だの、やたら聞かれました。

 彼も週に一度は事務所に行ってハンコを押すだけの仕事をしているようですが、若いころに二日のアルバイト(他の事務所に応援に行った)だけで30万円もらったという男なので、「ハンコひとつで10万円か? 10万、10万、10万・・・」と押印の仕草でからかわれていました。
「そんなバカなことあるか!」
と本人は言っていましたが、そこまではいかなくてもそこそこの収入にはなっていることでしょう。ただし一般の“そこそこ”とは格が違うと思いますが。

 残りの4人はこれが生粋の無職で、この人たちが日々どのように暮らしているのかは聞きにくく、したがってよく分からないところです。

 特に私以外の3人は奥さんが専業主婦に近い生活をしていましたから、彼らが家に戻ってもやる仕事がたくさんあるわけではありません。町会の役がたくさん来ていて大変だといったことを漏らした仲間もいましたが、私のように妻がフルタイムでガンガン働くため、炊事・洗濯・庭仕事のほとんど回ってきてとても忙しい、といったふうにはなっていないはずです。

 ほんとうに何をやって暮らしているのだろう――ここはやはり一度聞いてみなくてはなりませんね。


【まあいいけど少し引っかかる】
 こうしてみると仕業・師業(公認会計士・医師・薬剤師)は60歳を過ぎてもそこそこの収入が得られそうです(ただし“教師”はだめです。同じ“師”でも看護師・保健師は仕事がありそうですから“教師”だけがダメなのでしょう)。

 サラリーマンも、重役まで進めば定年退職後も何らかの恩恵に浴する場合があるみたいです。ただし“何もしていない”仲間のひとりは最終が「子会社への出向社長」でしたから重役の定年退職にもさまざまなものがありそうです。

 メンバーの全員が社会人としては大過なくひと段落着きました。生活不安を抱えているような人は見受けられません。
 おそらく生涯収入としては下から1番2番を争う私も、自分自身の頑固な吝嗇傾向とその2倍もケチな妻のおかげで、この先も困ることはなさそうです。

 ただし現在の境遇やかつての年収・退職金などを漏れ聞くと、多少の動揺を感じないわけでもありません。収入や待遇は一面“評価”の意味も持つからです。
 教員としてやりがいのある生活が送れましたし、もともとが金銭度外視でやってきたことなので悔いはないのですが、少しだけ心が動きます。

 確かにアイツは頭もいいし弁も立つ、困ったことに人柄もいい、けれど私がアイツの“半分以下”ということはないだろう、少なくとも働いた時間だけで言えば、私は仲間内でもっとも多かったひとりであるのは間違いないのだから――そういった思いです。

 しかしそれとても、今となってはつまらない愚痴です。

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2017/5/29

「昭和は遠く・・・」  政治・社会

        〜年寄話と昔のこと

 先週の土曜日(5月27日)、古い仲間との飲み会がありました。高校時代の同級生を中心に、もう50年近く付き合っている仲間です。
 構成メンバーは11名。一か月おきに飲み会を開いてい、年に一回は小旅行をしたりしてきましたが、子どもが大きくなってしまったこともあって旅行の方は最近すっかりご無沙汰になっています。
 先週集まったのはそのうちの8人、ただし夫人をともなってきたのが二人いましたので総勢10人の会となりました。10人集まるのは(定例の忘年会)以外では珍しいことで、月によっては3人しか来ないといったこともあり、しかしその緩さのために長く続いている、といった感じもあります。


【年寄りの話はこうなる】
 飲みながらどんな話をしているのかというと、基本的には翌日ほとんどが思い出せないようなどうでもいいことで、先週の場合はアニキサスがどうのこうの、友人が罹った網膜剥離の手術がどうのこうの、高校時代の隣のクラスの男が大企業の社長になっていて驚いた、どうのこうの、といった他愛なく果てしない話です。
 そのうちひとりが、
「あれ? オレ、(高校)1年のとき何組だったっけ?」
と言い出し、別のひとりが、
「おい、おい、おーい。自分のクラスさえ危ういのにお前のクラスなんて覚えているわけないだろう」
という話になり、さらに別のひとりが、
「オレたちが一緒になった(2・3年生の)クラスは3組だったよな」
と言うと、
「バカ!! 2組じゃないか!」

 年寄りの記憶は遠いほど確かで近くが不安(昨日のことが思い出せない)といいますが、遠くは遠くなりに思い出しにくいものです。
 先ほどの「大企業の社長」にしても、話を持ち込んだ男が、
「ホラ、隣のクラスにいた○○、覚えていない?」
と言っても誰も返事をしない。誰も思い出せないのです。


【忘れ去られる昭和】

 記憶だけでなく、年月がたつと様々なものが忘れられます。
 先週の月曜日深夜(23時59分〜)日本テレビ「月曜から夜ふかし」では、『一昔前の常識を若者に教えてあげたい件』というコーナーがあり、そこで紹介されたのはまず、
@ 昔はグレープフルーツに○○をかけて食べた。
A 昔は麦茶に○○を入れて飲んだ。
 答えはもちろん“砂糖”。そして実際に食べたり飲んだりしてみると、みんな飛び上がって喜ぶのです。さらに“砂糖入り麦茶に牛乳を入れるとコーヒー牛乳のような味になる”という“昔の常識”は、若者を感動すらさせます。

B 117に電話をすると何が起こるか。
 117で時報を聞くというのは“時計は狂うもの”という前提があってのこと。現代の電波時計は狂うということがありません(常に修正されている)。スマホも同じです。
 私自身最近時報を聞いたのは、壁掛け式の古い時計や以前妻からロレックス(手巻き式)を借りていた時期に、時刻を合わせた時だけです。現代の若者が知るはずもありません。

C ハエ取り紙と缶切り
 ハエ取り紙は、アフリカあたりの発展途上国で今でも人気の商品だと聞きます。
 これが人気であるためには「相当数のハエのがブンブン飛び回っている」「開放式の店舗で殺虫剤等が使えない」等の条件が必要ですが、今の日本で条件がそろうことは確かに稀でしょう。
 缶切りも、プルタブタイプの缶詰が中心の今は忘れ去られるべきものです。もっとも缶切りで切った缶の切断面や蓋は非常に危険でしたから、なくなるのはむしろ歓迎すべきことでしょう。
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 番組で紹介された昭和の常識はその程度でしたが、こうした“時代に取り残されたもの”は探してみればいくらでも出てきそうです。それらは私たちにとっては言わば「ああ、そう言えば最近見ないな」程度の話で、決して「懐かしい」といった深いレベルのものではありません。しかし若者にとってはずいぶんレトロな話で、新鮮で、「ヘェ」な話で「トレビア」なのでしょうね。
 しかしそれは、どんな感じなのでしょう――?


【若者に昔のことを話して聞かせるということ】
 私たちが高校時代を過ごしたのは昭和40年代前半、先ほども言ったように今から反半世紀近くも前のことです。その頃の話をしたら、今の若者の耳にはどんなふうに届くのか――。

 そこでふと思いついたのは、
「自分自身が高校生時代、お年寄りから50年前の話を聞かされたらどんなふうに感じたろうか」
という想定です。
 その場合お爺さんが話しているのは“昭和40年代の50年前”つまり大正時代の話なのです。
 確かにこれではとんでもない大昔です。

 自分の年寄加減に、本気で怖気づくような話でした。


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2017/5/26

「タバコとがんの話」  政治・社会

     〜楽観と悲観と懐疑の狭間で

 明日5月27日は、いわゆる「神戸連続児童殺傷事件」の三人目の被害者が、無残な遺体となって発見されて20年目にあたる日だそうです。
 この事件は少年法の問題や事件報道のあり方、目撃証言の信ぴょう性や専門家と称する人々のいい加減さなど、さまざまな点で勉強させられた、私にとってはとても思い出深いそして意義深い事件でした。

 おそらく当時教員をしていた人の中で、私はもっとも深く事件に関心を寄せ、リアルタイムで事件を追い、時には一緒に警察の誘導に引っかかって間違った方向に進んでしまった、そういう人間の一人です。なぜならそのころ、私は大都市のがんセンターで手術の準備をしながら、朝から晩までニュース番組を見ていたからです。メディアがどう間違ったもつぶさに見てきました。しかし今お話ししたいのはそれではありません。
「神戸事件」が20周年なら、私の病気も20周年ということです。20年もたてば再発を心配するより新しいがんのことを気にした方がいいでしょう。

【がん治療の現状】
 この20年の間に、がんに関わる環境は随分変わりました。
 感覚的にも統計的にもがんの罹患者や死亡者はやたら増えていますが、これは結核だとか脳血管疾患だとかで死ぬ人が少なくなり、しかもがんになりやすい高齢者の割合が増えたためで、統計を年齢調整するとガン死はむしろ少なくなっているのです。(下図)
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 私が手術を受けた病院でも、当時ステージ3Aの5年生存率(いちおう治ったと判断される割合)が25%、3Bが7%と言われたのが、今やそれぞれ40%、20%を越えるまでになっています。
 だからがんは「治らない病気」ではなくなっています。しかし「治る病気」になった訳でもありません。


【がん報道の気になるできごと】
 さて、歌舞伎役者の中村獅童さんが肺腺がんに罹り、来月手術を受けるという報道がありました(5月18日)。その中でいくつか気になったことがあったのでメモしておきます。

 ひとつはマスコミも混乱した「肺腺がんに罹った」という言い方です。
 多くの人がそうであるように、獅童さんもまたがん患者としては素人なのですね。ここは「肺がんが発見されました。がんの種類は肺腺がんです」という言い方をしておけば混乱も少なかったのです。普通、がんの部位(罹患した臓器や場所)は気にしても、がんの種類までは気にしませんからその程度で良かったのです。しかし「腺がん」と言ったことで余計な情報も入ってきます。

 それは「喫煙との関係はない」というものです。
 女性の比率が高いことからそんな誤解が生じたのかもしれませんが、冗談ではありません。たばこを吸う人は吸わない人 に比べて、男性では2.8倍、女性では2.0倍、肺腺がんになりやすいのです(国立がん研究センター資料)。
 もちろん同じ肺がんでも扁平上皮がんや小細胞がんだと男性で12.7倍、女性では 17.5倍ということですからその違いは歴然としていますが、「関係ない」というのは言い過ぎですし「関係が薄い」と言っても不正確です。

 もうひとつ首を傾げたのは、
「今見つかったのが奇跡的と言われる程の早期発見で、この状況ですぐに手術をすれば完治するとの担当医師からのお言葉」
という表現です。
 医者はどういうつもりでこんな言質を与えてしまったのか。

「超早期の肺腺がんはほぼ100%治る」と書いたものを読んだこともありますが、ほぼ100%と100%では意味が違います。
 飛行機は99.99%安全だと言われても、残りの0.01%に当たった人には何の慰めにもなりません。0.01だから小指の先だけ傷めるという話ではないからです。

 私が気にするのは、やはりがんで現在闘病中の小林麻央さんのことで、そうしたおいしい話に次々とつられ、状況を悪化させてしまったのではないかとそんな気がするからです。
 もちろん市川家のかかる医者ですから一流に「超」のつくような名医ばかりでしょうが、それでも間違うことはあるということと同時に、病気に関して楽観的な要素と悲観的な要素の両方が出てきたら、悲観的な方に準拠して対応すべきだというのが危機管理の常道だと思うのです。それがそうならなかったのは、よほど医者が甘かったのか――。

 がんという病気はステージ1の早期でも悪化し死ぬこともあれば、ステージ4でも完治することのあるミステリアスな病気なのです。
 悲観も楽観もしてはいけないはずです。


【さて屋内禁煙をどうするか】
 今、国会では「原則屋内禁煙」の厚労省案をめぐって与野党が侃々諤々の大議論を行っています。一方に副流煙の1mgも吸わせないといった強硬な禁煙論者がいて、他方には店ごとの分煙でいいじゃないかといった曖昧派がいて、さっぱり納まりの付く様子が見られません。
 健康の危機管理の原則からすれば、当然全面禁煙がいいに決まっているのですが、この問題に関しては素直になれない事情があります。10年以上前、この国で最も早く屋内禁煙、敷地内禁煙が実施されたのが学校だったからです。
「できることから始めよう」と「弱いところをまず叩こう」が混同される場合がままあります。

 今回の「原則屋内禁煙」も小さなスナックや居酒屋から始めるのではなく、もっと先にやるべきところがあるように思うのです。
 国会議事堂および議員会館敷地内、迎賓館、一流ホテル敷地内、コンサート会場・劇場内の楽屋・控え室、高級料亭・・・いずれも私たちには縁のない場所ですがね。

 何かスッキリしない結論ですが、私は自分がとんでもない目に遭い、タバコは百害あって一利なしと十分知っているのに、医療費抑制や受動喫煙反対が振りかざされて、無抵抗の喫煙者が追い詰められて行くのをみると、何か素直になれません。

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2017/5/25

「車が突然、目の前に降ってきた」  知識

     〜あれほど言ったのに自分がコリジョン・コース現象にはまる
 
 常々「注意しましょう」と申し上げているにもかかわらず、畑のど真ん中の丁字路で車にぶつかりそうになりました。
 後部座席左に座っていた89歳の母が
「止まって! 止まって! 止まって!」
と叫んだので慌ててブレーキを踏んだのと、相手の車の運転者(女性)の停止も間に合ったので事故にはなりませんでしたが間一髪のところでした。

 母は「見えなかった?」と聞き私は「見えなかった」と答えましたが、本当に見えなかった、天から車が降ってきたか、地から湧き出てきたか、いずれにしろ突然目の前に降って湧いて出てきたのです。
 何が起きたのか。


【そのとき何が起こったか】
 幸い私の車には車載カメラが乗っていたので、家に帰ってから改めて確認してみました。

@ この時点では相手の車は見えていません。
 風景としては右に野球場のフェンスがあったりその先にアパート群があったり、また、私は突き当りで右折するつもりでしたので、その点でも気持ちが右方向に重くかかっていたのかもしれません。
 実はその時、対象の車は左の農業用ハウスの陰にいたのです。
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A ハウスの陰から車が出てきました。
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B 1秒後、車はフロントガラスのほぼ同じ位置にいます。
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C さらに1秒後、車はむしろ左に下がります。
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D 車はフロントガラスの中で、さらに下がります。正面に一旦停止の標識があり、路面にも書いてあるのに、おそらく私は右方向に気を取られています。左には何の問題もないと思っているのです。
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E 車はさらに左に移動してピラーに近づきます。ただしもちろん近づいた分、車体は大きく見えるようになっています。
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F もうぶつかる直前ですが、私は気づきません。
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G 急ブレーキ!! 
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 センターラインを越えないところで停止しましたのでどっちみちぶつからなかったと思いますが、危機一髪でした。


【コリジョン・コース現象】
 このように、同じ交差点に直角方向のから、ほぼ同じ速度入ってくる車があると、それを見失ってしまう現象をコリジョン・コース現象というのだそうです。
 人間の目は“動いているものには反応しやすいが止まっているものは見落としやすい”という性質があり、上記の条件下では、一連の写真で見た通り、フロントガラスの中で車が止まってしまい見落としがちになるのです。

 これについては7年前に(2010/8/30)「コリジョン・コース現象」というタイトルで紹介し、つい先ごろ新しい知識とともに改めて記事にしました(2017/3/14)「激突!!」
 そして田舎道を走ることの多い私としては十分注意してきたはずのことです。

 今回それにもかかわらず事故直前までいってしまったのは、ひとつにはコリジョン・コース現象は十字路で起こるという思い込みがあって丁字路についてはまったく考えていなかったため。もうひとつは母の用事に付き合って慣れない道を通っていたいたことなどがあげられます。
 
 しかし実は、もうひとつ大きな要素があったのかもしれません。
 家に帰ったあと、母からこんな話があったのです。

「あの丁字路ね、私も昔そっくり同じ感じで飛び込んじゃって、車をぶつけちゃったことがあるのよ。それで運転をやめる気になったったんだけど、その時も軽トラが突然横に出てきた――」

 親子二代が30年近い年月を経て、同じ場所で同じようなことをやっていたのです。
 それは因縁などではなく、あの場所が特に事故を起こしやすい交差点だという証明なのかもしれません。そう言えば畑のど真ん中に一時停止の標識というのも贅沢です。コリジョン・コース現象を起こしやすい魔の丁字路なのかもしれませんね。

 皆さまもお気を付けください。

*このあと、フロントガラスの左隅を気にしながら運転してみたのですが、通常その部分はほとんど見えていないことに気づきました。火の手が上がるとか強いフラッシュ光があるといった特別なことのない限り、そこに意識が向かうことはないように思われます。
 やはり見晴らしがよく退屈な道でこそ、意図的にあちこち見ながら運転しなければならないということなのかもしれません。





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2017/5/24

「発達障害に関わる用語の問題」  知識

〜発達障害に関わる用語が定まらない件について
 
 昨日お話ししたNHK「発達障害〜解明される未知の世界」の中で、発達障害の説明として「ASD(自閉スペクトラム症)」「ADHD(注意欠陥・多動症)」「LD(学習障害)」と分類して下のように重なり部分も含めて図で示していました。

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 その中で問題になるのは「ASD(自閉スペクトラム症)」の部分です。ここの表記が安定しません。

 もちろんADHDも「注意欠陥多動性障害」「注意欠陥多動症候群」「注意欠陥多動症」等表記の振れはあるものの根幹の「注意欠陥多動」は変わりありません。LDについては「学習障害」以外の表現はないと思います。
 ところが図のASDの部分については、これが今回のように「自閉スペクトラム」だったり「自閉スペクトラム」だったり、「自閉スペクトラム症候群」だったり「高機能自閉」だったり、そもそも図のその位置にあるのがASDではなく「AS(アスペルガー症候群)」だったり「PDD(広汎性発達障害)」だったりと、まったく落ち着かないのです。

 日曜日の放送でも、スタジオでは「自閉スペクトラム症」としているのに読者からの投書では「私は二十歳の時に広汎性発達障害と診断されました」といった形で出され、しかも何の説明もなく何の抵抗もないまま、ふたつは同じものとして通り過ぎてしまう――。
 司会の有働アナウンサーはこの問題で何度も番組をやっているので相当に詳しく、だから抵抗なく話を進め、ファックスを送った広汎性発達障害の当事者も本質的にこの問題のプロですからすんなりと通過してしまう。しかし初めて接する人たち、あるいは学習をしはじめたばかり人たちにとって、「自閉スペクトラム症」と「広汎性発達障害」が同じものとして語られるのは相当に抵抗ないしは混乱があるのではないでしょうか。少々心配になります。

 と言うのはかくいう私が、二十年ほど前にこれらの用語の分からず、無駄に時間を費やした経験があるからです。当時はこれに重ねて「高次高機能広汎性障害」だとか「微細脳障害」だとかいうのもあってほんとうに大変だったのです。
 そもそも「自閉症」というのからして分かりません。


【「自閉症」はなぜ「自閉」なのだろう】
「自閉症」という言葉を、私はおそらく高校生のころに聞き知ったと思います。そのころ芥川賞をとった古井由吉の「杳子(ようこ)」という小説の主人公が「自閉症的」と表現されたからです。
 のちに読み直すと、それはまさにアスペルガー症的で魅力的な少女なのですが、覚えたての「自閉症」という言葉はなぜかすぐに魅力的な主人公から離れ、うつ病的なものとして私の中に定着してしまったのです。なにしろ「自閉」ですから。
“自らに閉じこもってしまうような病気”という印象が勝ってしまうのです。

 教員になって初めて会った自閉症の子がギャーギャーと騒いでばかりいる子で、とても内に籠るタイプでなく、そこで改めて「自閉症」についてしっかりと勉強し直して理解したものの、“内に籠る”という印象を変えるのはなかなか時間のかかる作業でした。

 Wikipediaなんかを読むと、最初にこの障害の研究をはじめたレオ・カナーが、
「聡明な容貌・常同行動・高い記憶力・機械操作の愛好」などを特徴とする一群の幼児に対し、統合失調症(精神分裂病)の一症状を表す用語である「自閉」という言葉を用い、「自閉症」(オーティズム)と名づけた」
ということですが、「オーティズム: “autism”」の頭の部分“aut(o)”は『「みずから,自己,自動(的)」の意の結合辞』だそうで、おそらくautarchy(絶対主権・専制政治・自治)とかautomatic(自動・自動式の・機械的な・無意識的な)と繋がるものです。
 つまり完全に独立して周囲の影響から免れているといった共通性を持っているのです。
 これに「自閉症」という語を当てた人は、やはり特殊な印象に縛られていたのでしょう。
 大雑把に言って二つに一つなら、自閉症の人たちから多く感じるのは、内に籠る暗さよりも独立覇気といった一種の気高さです。「自閉」にはやはり無理があります。しかしだからと言って「孤高症」といった新たな名前をつけても、それでしっくりするような気もしないのですが。


【では、とりあえずどうしたらいいのか】
 私が正式に「アスペルガー症候群」と診断された子どもと出会ってから20年になります。その間ずっと自閉症に関わる用語は統一されずに来ました。それはこの分野の研究があまりにも若いからです。
 自閉症研究の創始者であるカナーとアスペルガーはともに1940年前後に主たる著書を出した人ですが、アスペルガーが再評価されてカナー型の自閉症と同じ脈絡で注目されたのはわずかここ30年余りのことです。つまり歴史の浅さのために、研究者の判断や分類がまだ定まっていないのです。
 まったくド素人の私でさえも、右から左に色合いを変える印象の「自閉スペクトラム」より、東西だけでなく南北方向にも多様性があるという印象の「自閉圏」という言い方を好みます。私を含めて、そうしたこだわりを持つ人がいなくなるまで、用語の問題は解決しないでしょう。

 しかたがないので近接の言葉はすべて覚え、何が出てきても対応できるようにしておくしかないのかもしれません。

 なお、
NHKスペシャル 発達障害 解明される未知の世界 5月21日
の動画がYoutubeにありましたのでリンクを張っておきます。興味のある方は、見てみてください。
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