2017/4/30

「更新しました」  教育・学校・教師



「キース・アウト」


2017.04.30
教員悲鳴「休みがない」 中学の6割「過労死ライン」超




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2017/4/28

「カッシーニ」  知識

      〜土星探査機の話

 アメリカの土星探査機カッシーニが最後のミッションに入り、まもなくその役割を終えるそうです。1997年に打ち上げられ、20年に渡って活動してきた探査機ですが、燃料切れの日が近いのです。

 最後のミッションというのは土星の輪に対して縦に周回しながら22回に渡って繰り返し北極から侵入し、輪の内側からの観測結果を送ってくるというのです。大量のチリや氷の中を高速で飛行するため、盾がわりに太陽電池をかざすのだそうですが、要するにもう破壊されても構わない段階に入ったということです。なにか日本のハヤブサが、真っ赤に燃えながらイトカワの石の入ったカプセルを届けた状況を思い出します。

 カッシーニの上げた成果は大変なものでした。

・探査機ホイヘンスプローブを土星の惑星タイタンに着陸させた。そこからタイタンに地球のような雨や川、湖、海あることが発見された。
・別の惑星エンケラドゥスは海の上に氷が厚く堆積した星で、その割れ目から間欠泉のように水が吹き出ていることを発見した。
・土星のリングが非常に活動的であることを明らかにした。
・2010〜2011年にかけて土星の北側で起きた大規模な嵐を調査した。
・リングの構造を明らかにする写真の撮影に成功
・土星の縞が北極で六角形になっている様子を初めて完全に撮影。
・土星両極の巨大なハリケーンを発見
等々。

 全ての探査を終えたカッシーニは9月15日、土星本体に吸い寄せられていきそこで燃え尽きます。
 長い宇宙の旅の間に機体に着いたかもしれない微生物などを消去し、自らも危険な宇宙ゴミとならないためです。そんなところにもハヤブサとよく似た潔さ、矜持を感じます。

【子どもたちに伝えること】
 科学にさほど詳しいわけではありませんが、子どもに自然科学や宇宙工学の話をするのが好きでした。得意でない分、調べながら苦労して文章を綴るので、かえって分かりやすく、良い話ができることの多かった気がします。自分自身、何も分からないところから好奇心に引きずられて手探りで進むので、聞き手の歩調と合うのでしょう。

 また、ひとつのテーマに対してどんな切り口から話すのがよいのか、それを考えるのも楽しいことでした。専門家でないので科学者とは違った目で話しのできる場合だってあるのです。

 土星探査について言えば、もちろんカッシーニがこれまで果たして業績について語るのが王道です。また、今始まろうとする最終ミッションについて話すのも面白いかもしれません。

 その前に、「土星」というのが何なのか、そこから調べて話せば話題は十分に広がります。
 なぜサタンなどという不吉な名前がついているのか、あの“輪っか”は何なのか、本体や輪の美し縞模様は何なのか。
 土星の衛星たち、タイタンとかレアとかはどんな星なのか、微生物の住む可能性があるエンケラドゥスとはどんな星なのか、そんなことも話してみたい気もします。

 カッシーニは土星に到達するの7年もの歳月をかけています。時速12万キロメートル(1時間に地球3周分)というとんでもない速さで向かってもそれだけの時間がかかる、つまり太陽系はそのくらい大きいということ。その大きさを、子どもに、実感をもって感じさせる――それだけでも大仕事で、やりがいのある話になりそうです。

 その猛スピードを生み出し維持するために、カッシーニはスウィング・バイという方法を使っています。これは重力ターンとも呼ばれるもので、いわばある星に向かって飛んで行ったところその星の腕(重力)につかまれ、勢いでくるっと回ってハンマー投げのように元来た方角に投げ出される、そんなやり方で速度を上げていく方法です。
 カッシーニは金星を使って2回、地球と木星の重力を使ってそれぞれ1回、合わせて4回のスウィング・バイを行って土星まで飛んでいきました。それを例えば、カッシーニに見立てた小柄な生徒と、金星や土星に見立てた大柄な生徒を使って、演じて見させればいいのです。あまり本気でやると危険ですが、カッシーニ役の子がどんどんスピードを増す様子ははっきりとわかるでしょう。

 ただし私はここではむしろ、10年先・20年先を見越して行う科学者の仕事、それに対する情熱といったものに焦点を当てて話をつくりたい気がします。
 個人的な話ですがこのカッシーニの打ち上げられた1997年は私が大きな手術をした年です。その時、娘は7歳、息子はまだ4歳になったばかりで海のものとも山のものともつかない状態でした。
 そのあと私や私の家族にはさまざまな出来事があり、事件があり、喜びや楽しみや、わずかな苦しみやにがにがしさがあり、そして今日に至っています。娘はお母さんになり、私はお祖父ちゃんです。
 その同じ20年を、カッシーニは着々と冷徹に仕事をし続けてきたのです。しかもその冷徹の背後には、計画を計画通りに行おうとする科学者たちのたゆまぬ情熱がありました。

 1997年の時点ではアメリカの学者たちも今日の世界を想像できなかったはずです。アメリカ同時多発テロもアラブの春も、東日本大震災もEUの危機も、そしてでドナルド・トランプという不思議な大統領の出現も、全く想像できなかった――にもかかわらずカッシーニの動き・働きは細部まで予想できてそれを果たした、その凄さを物語にしてみたいのです。

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                 NASAのサイトより
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2017/4/27

「人生の再構成」  人生

 ある画家に、
「一流の画家になる方法は何ですか?」
と尋ねたところ、
「長生きすることだ。
 長生きしていると過去の作品が何度も持ち込まれて『これは先生の作品ですか?』ということになる。そこで絵を見て、いい絵だったら『自分のものだ』と答え、まずかったらたとえ自分の作品でも『俺のものじゃない』と答えて捨ててしまう。するとよい作品だけが残って悪い奴は抹殺できる。それで一流の画家さ」

 それが単なる創作小話だったのか、実在の画家の冗談なのか、ありは実在の画家のかなり本気の話だったのか記憶にありません。しかしたしかにそんなことはありそうだなと思ったことは覚えています。

 ところで画家や作曲家のような「作品」と呼べるモノのない人間、つまり私のように市井に生きる、記憶以外に残るもののない人間は、その“記憶”をどう整理して生きているのでしょう。
 私は無意識のうちに嫌な記憶ばかりを選択的に残す性分らしく、ほんとうに嫌なのです。特に教員時代のことを振り返ると“嫌なこと”しか思い出さない――。

 嫌なことと言っても正確に言うと、「人に嫌な思いをさせたこと」「非難されたこと」「怒られたこと」、そんなことばかりを思い出すのです。


【我が人生に、悔いあり】

 言いたくはありませんが(本当は言いたい)、私だって“いいこと”もしているのです。

 社会科教師として、誰も取り上げたことのなかった地元の歴史を古文書のレベルから解き起こして授業に乗せたことがあります。
 部活顧問として本当に弱かったチームを一年で上の大会まで引き上げたこともあります。
 誰が考えてもこの上なく難しい女の子を、崖っぷち支えきり、曲がりなりにもまっとうな人間として生きる道筋をつけました。
 ひとりでやった仕事ではありませんが、管理職として、本当にメチャクチャだった学校を一年で立て直しました。

 しかし、ボーっとしていて何の気なしに思い出すのは、そうした素敵な自分ではなく、前述した“悪い出来事”ばかりなのです。

 担任したクラスの中で、最も大切にしてやらなければならない子を一番大事な時に忘れた(思い出すと死にたくななります)。
 会計の仕事に失敗して収支が分からなくなり、安月給の頃なのに数万円を補填した(今なら補填したこと自体が懲戒対象です)。
 教員として、解決すべき問題を解決できなかった(半分近くは問題から逃げていた)。
 後ろめたいことがあり、だからこそ接会って話すべき相手に、気弱になってメールで済ませたばかりに激怒された。
――言い出せば切りがありません。
 
 私は過去を振り返ってクヨクヨするタイプではありません。
 潔いというより昨日のことを覚えている記憶力に問題があるのです。
 したがって気分の切り替えは速く前日を引きずるということはないのですが、数年まとめて思い出すと悪いことしか出てきません。
 どうしてでしょう。
このまま思い出すことを拒否していると、いいことから忘れてしまいそうです。

 皆さまはどうしているのかしら。
 


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2017/4/26

「委員長!その頭、変ですよ」  政治・社会

 北朝鮮に関するニュース番組を見るたびに思うのは、金委員長のあの髪型はやはり変だということです。
 世界中であんな髪型をしている人はたぶん一人しかいないし、誰も真似をしない。昔ビートルズがマッシュルーム・カットを始めたときはやはり変でしたが良いものは良い、あっという間に世界に広がりました。日本でも“聖子ちゃんカット”は一世を風靡し、右も左も、似合う人も似合わない人も、女子高生もオバチャンも、みんな“聖子ちゃん”でした。
 それなのに金氏の「覇気ヘア」を誰も真似しないのはやはりそれが“カッコ悪い”からで、誰かが教えてやらないと気の毒です。あんな変な頭のままで世界のメディアにのっかっているのですから。

――とテレビを見るたびに毎日のように言っていたら、妻がうるさがって、
「じゃあ、あなたが言いに行ってあげたら?」
 今は物入りでお金がないので行けませんが、余裕ができたらそうしたいと思います。
「委員長!その頭、変ですよ」
(もちろん冗談です。行きはしません)


【王様は裸だ】
 しかし私が恐れるのは、それと同じように、ありとあらゆる正しい情報・判断が金氏のところに上がっていないのではないのかという可能性です。
 昔ルーマニアの独裁者チャウシェスクは、革命裁判で銃殺刑になるまで自分が偉大な指導者で、国民を豊かにしすべての人々から敬愛されていると信じて疑いませんでした。気に入らない人間は片っぱし粛清してしましたから、苦言を言う人も悪い情報を伝える人もいなかったのです。彼の訪れる場所は常に物資と人々の笑顔に満ち満ちていましたが、それは役人たちが必死になってかき集めたからです。本当は悲惨な経済状態だった――。

 もしかしたら金委員長や外国メディアがナマズの養殖場を訪れる時、北朝鮮のすべてのナマズがピョンヤンに召集されているのかもしれません。高層アパート街「黎明通り」では委員長が視察した部屋以外はすべて“もぬけの殻”なのかもしれない。そして現在の危機に際しても、委員長や大半の国民は本気でアメリカと互角に戦えると信じているのかもしれないのです。72年前の私の母が、東京大空襲を知りながら “それは米軍を引き寄せて一気に殲滅するための作戦だ”と信じて疑わなかったように。
 

【それでも核開発は続ける】
 テレビでは各局のニュースコメンテーターたちが、
「対話と圧力によって、北朝鮮を思いとどまらせるべきだ。核とミサイル開発をやめ、北朝鮮がある程度民主的な国家に生まれ変わることが世界、特に日韓米中の共通の利益だ」
とか言っていますが、私にはよくわかりません。
 
 核開発の放棄と民主化は金政権の一番やりたくないことですよね。そのために何年も頑張ってきた。
 厳しい経済制裁に耐え国民を飢えさせ、大量の同胞を粛清し厳しい監視社会をつくってきた、その上で膨大なエネルギーと時間を核ミサイルにつぎ込んできた――そして今、まさにアメリカに届く核ミサイルが完成しようという矢先に、何が悲しくて放棄しなければならないのか――。
 私が北朝鮮中枢の人間ならそう考えます。

 中国が貿易を制限したり石油を絞ったりしてもどうせ本気ではありません。多少制限されて不自由になってもその分はロシアに補ってもらえばいい(こういうときロシアは必ず助けてくれます。アメリカや中国に協力して、北朝鮮に冷たくするするなんてことは絶対にありません)。それでも不足の部分は他の友好国との間で補えばいい、マレーシアでやったように。

 アメリカが攻撃してきたら――口ではソウルを火の海にするとか言っていますが――これはじっと我慢していればいい話です。どうせピンポイントですから施設から離れていれば人間は助かります。施設は作り直せばいい。
(まったく反撃しないのはカッコウ悪いので、人の住んでいない韓国の島嶼や山中を攻撃して国民には「敵の地下基地を粉砕した」とか言っておく。それとは別に「アメリカの攻撃でケガをした子ども」の動画《なければつくる》を繰り返し放送して国民の怒りを煽っておく)
 そしてアメリカの攻撃が止んだらまた核ミサイルの開発を始めればいい。
 遠からずアメリカ本土に届く核ミサイルは完成します。そうしさえすれば世界と対等の話ができる――対話の席に着くのはそのあとで十分です。
 
 私ならそう考えますが、コメンテーターたちは北朝鮮が自殺的大反撃をする可能性しか話しません。それを避けるために武力行使をしないで経済制裁で締め上げ、北朝鮮を対話のテーブルに着かせる、その理屈が分からないわけではありませんが、その席で何を話すのでしょう?
 経済制裁を緩める(あるいは経済支援までする)から核開発を凍結しろ――そう言えば相手も引くかもしれません。けれどその話、デジャブーの感じがしません?

【ついでに】
 じゃあ他にどういう落としどころがあるのかというと、一番簡単なのは金正恩兄妹を暗殺ないしは拉致してしまうことです。
 北朝鮮政府および国民はすべての責任を金一族に被せ、核とミサイルをさっさと放棄をして経済制裁を解いてもらい、中ロ程度の民主主義・資本主義経済の導入を図ればいいのです。
そんなことは多くの国々がやってきたことですから、心ある北朝鮮高官も考えてくれるでしょう。

 私が中国だったら、特殊部隊を送ることを考えます。
 北朝鮮がなくなるのも困るし今のままヤンチャなのも困ります。遠い将来を考えれば核ミサイルが北京に向かうことだって考えられます。それに北朝鮮国内での暗殺・拉致となるとできるのは中国くらいなものでしょ?

 それにしてもその前に、
「委員長! その頭、やっぱり変です!」


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2017/4/25

「“カオナシ”とコロンバイン」A  親子・家族

       〜コロンバイン事件から何を学ぶか

 教員という職業も一瞬先は闇、行事の引率に自動車が飛び込んできそうになったり、児童が信じられないような科学実験を自ら行ったり(例えばスプーンをコンセントに差し込む導体試験)、意味もなく高いところに上ったりとんでもなく危険な場所に行ったり――。
 時には児童生徒あるいは保護者から激しく挑発され、動けば余計なことをしたと言われじっとしていれば不作為の責任を問われ――。しかしそれらを恐れて細々とした点にまで気を配り始めると際限がありません。それこそ神経がもたない。
 そんなとき、私は心の中でいつもこんなふうに呟いて心を落ち着けました。

「子どもが死ななきゃ何でもアリ。後は何とでもなる」

 事故にしろ自殺にしろ、子どもが死ぬのが最悪であって、その点だけは確固として押さえ、後はある程度緩ませておかないと子どもも私たちも息が詰まってしまう、そういう意味です。

 しかし子どもが死ぬより、さらに悪いことが実際にはあるのです。
 1999年の4月20日、アメリカ合衆国コロラド州の平凡な母親、スー・クレボルトの身に起こったことがそれです。
 息子が大量の人殺しをした挙句自殺する――。


【スー・クレボルド: 息子はコロンバイン高校乱射犯――母として、私の伝えたいこと】
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 私はまず、犯罪者の肉親が公共の場に出てきて話をするということに驚かされます。
 日本でも加害者の肉親が突然の取材を受け、そこで思わずしゃべるとということはあります。しかし正式な講演会で、犯罪者の家族が事件を語るというのはちょっと例が思い浮かびません。

 個人主義のアメリカでは、日本よりも“個人と家族は別人格だ”と思ってもらえる可能性が高いような気がしますが、それでもこれほどの重大犯罪です。家族がいけしゃあしゃあと公衆の面前で事件を語るのは、容易なことではないでしょう。
 この講演でスー・クレボルトも三つの課題があると言っています。

 一つ目はその会場に事件の被害者やその家族がいるかもしれないということ。
 二つ目は息子の自殺を語ることで人々の理解ばかりか同情まで求めることになるかもしれないこと。
 そして三つ目は、語るべき結論が「あの時点で母親にできることは何もなかった」という、無責任とも自己弁護ともとれるものであること。
 以上です。
 それでもスー・クレボルトは語らなければならなかった――それがこの講演の耐えがたい重さです。

 私の姿を見て話を聞くことで、更に苦しみ、絶望し、怒り、悲しみ、憎み、呪う人がいるかもしれない、しかしだからこそ私はここに立って理解したことを語らなければならない――それがこの女性の贖罪なのです。


【コロンバイン高校乱射事件】
 コロンバイン高校乱射事件はスー・クレボルトの17歳の息子ディランと同い年のエリック・ハリスによって起こされた事件で、12名の生徒と1名の教師が無慈悲に殺されました。自殺した二人を含めると15人の死者です。
 重軽症者は24名。中には深刻な後遺症を残した人もいます。
 事件の概要についてはスー・クレボルトの講演を聴けば大方のことは分かりますが、いくつかの点で補足しておく必要があります。

 ひとつは、彼らが「トレンチコート・マフィア」と呼ばれるグループに属し、黒のトレンチコートを着て現場に向かったこと。
 最初報道されたときは一種の不良グループのように思わていましたが、実は “いじめられっ子”の自衛組織みたいなもので、彼らはそんなふうに守り合わなければならないほど執拗にいじめられていた、苦しい状況にあったのです。

 もうひとつは事件後エリックの遺体から大量の抗うつ薬が検出されたこと。つまり重大な精神不安を抱えていたこと、そしてその後、事件に関わって抗うつ薬と暴力性・衝動性の関連が疑われたことなどです。


【学ぶべき教訓】
 私たちはときに、安易に「子どもの犯罪(準備)に気がつかないはずがないじゃないか」とか「本当に子どものことを見てたのか?」とか、あるいは「愛情が足りなかったんじゃないのか」などと言ったり思ったりします。
 教師だと直接本人(保護者)に言いうる立場にいたりします。
 そんなときはこのスー・クレボルトの、落ち着いた、静かな、しかし救いのほとんどない講演を思い出すことが必要でしょう。

 是非とも見てください。

 スー・クレボルド: 息子はコロンバイン高校乱射犯――母として、私の伝えたいこと

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2017/4/24

「“カオナシ”とコロンバイン」@  政治・社会

   〜“カオナシ”から何も受け取ってはならない

 Yahooニュースがときどき取り上げているTED tolksの動画が好きです。
 TED(Technology Entertainment Design)はアメリカに本部のある非営利組織で、毎年カナダで大規模な講演会を主催する他、各地でさまざまな講演会活動をしています。それらを整理してネットで無料配信しているのが「TED tolks」です。内容的には科学・技術・エンターテインメント・国際問題など多岐にわたり、時間的にも数分から30分程度と気軽に閲覧で長さです。
 最近見た中で特に面白かったのはアダム・サヴェッジという人の「コスプレへの愛」


【“カオナシ”から何も受け取ってはならない】
 小さいころからの熱心なコスプレーヤーで、これまで取り組んだ手づくりのコスプレ写真を織り交ぜて、ユーモアたっぷりに語ります。作品の稚拙さあるいは巧みさで、いちいち笑わせるのです。
 最後に紹介したのは「千と千尋の神隠し」の“カオナシ”で、その扮装のまま参加したコミックマーケット(コミケ)ではある演出で大いに受けます。それは来場者との記念撮影の最中、隙を見てポケットからチョコレート金貨を取り出して相手に渡すというものです。 “カオナシ”から金をもらったと子どもたちは大喜びです。
 ところがしばらくすると、彼は渡したはずのチョコレートを手に押しつけて返す人がいることに気づきます。それも一人ではなく何人もいるのです。

 どんな人が返してよこすのか、“カオナシ”の扮装のために狭くなった視野を捻じ曲げて探すと、その人は、“ウンザリだ”といった仕草で背を向けて帰っていきます。そこでアダムは気づくのです。
 映画の中では“カオナシ”から金をもらった人はみんな不幸になる――。

 彼がコスプレですっかり“カオナシ”気分になっていたのと同じように、チョコレート金貨をもらった人の中にはすでに「千と千尋」の世界の入り込んでいた人が大勢いたのです。その人たちはもらってはいけないものをもらってしまったわけで、慌ててつき返しすのはそのためだった――と、それが落ちです。
 いい話でしょ?
 “千と千尋―”を見たことのない子どもはまだしも、コミケに来るような人の大部分はその世界に詳しく、また、同化しているということです。


【講演の適正時間】
 この講演の時間は13分7秒です。
 教員として最後の時期、私も児童生徒の前に立って話すことが多くなりました。そして与えられた15分という時間を守れないことで、多くの先生方に迷惑をかけ続けました。
 書いてきた原稿の内容を端折ることができないのです。それなりに一生懸命考えてきたすべてが大切に思え、割愛ということができない。原稿を作成する時点でかなり切ってきたのですからもうこれ以上切れない、そんな感じです。
 しかしTEDで15分前後の講演を聞くと、やはり人間が集中していられるのは15分が限度です。私の場合、最後はほとんど早口で済ませましたから、その意味でも分かりにくい話だった――。
 そのころTEDを知っていたらもっと勉強になったのに、と実に心残りなことです。

 さて長い前置きになってしまいました(と言ったらびっくりするだろうな)。

 実はTEDについて書きたいと思ったのは、「コスプレへの愛」のような楽しい講演会や自己反省のためではなく、もっと深刻な内容について思いがあったからです。
 それはアメリカ合衆国における学校襲撃事件の先駆けとなった「コロンバイン高校銃乱射事件」(1999年)の犯人の母親の講演です。
 
 今日は時間がなくなりました(15分は経っていないと思いますが)。
 続きは明日お話しします。

                                  (この稿続く)


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