2017/1/12

「チェーンソー男とツッパリ君」A  政治・社会・文化

〜ブログを休んでいる間にあったこと考えたこと

「おでんツンツン男」も「チェーンソー男」も「豊田商事会長刺殺事件犯人」も、本当は周囲の誰も思っていなかったのに、皆が「もっとやれ」「面白いものを見せろ」と煽っているような気になって事態をエスカレートしてしまったのだ、そんなふうに私は思うのです。そしてそれはかつてのツッパリ君たちにも顕著でした。

【ステージ上の借りてきた猫?】
 今は主として生徒指導上の理由からなくなってしまいましたが、かつてはすべての学校の中学3年生が一か所に集まって行う“卒業音楽会”というものがありました。全市の中学三年生です。
 もちろん全校同時となるとコンサートホールに入りきれませんから、3部構成にして一日の中のどこかで参加するわけです。
 私は担任教師として3年に一回、参加したわけですが、実はそれがとても楽しみでした。合唱が好きだったわけではありません。他校の生徒を見るのが面白かったのです。
 田舎の市町村ですからそんなに奇抜なツッパリ少年は多くなかったのですが、さすがに数校集まるとそこそこの数になる、それについて、事前に自分のクラスにこんな話をしておきます。

「会場についたらまず席を確認し、それからトイレに行っておきなさい。歌う前のステージ下での待機からステージを降りるまではけっこう長いから、その間に行きたくなっても困る。
 そしてトイレに行ったついでに、ロビーをのし歩いている他校のツッパリ君をできるだけたくさん覚えておくんだ。もちろんジロジロ見るのではなく、あくまでもさりげなく、見て覚えておきなさい。
そしてその学校が歌う番になったらそのツッパリ君を探してごらん。すごく面白いものが見られるから――」


 これには自信がありました。今でいう“鉄板ネタ”で、ステージ上のツッパリ君はほぼ100%、完全に下を向き、肩をすぼめ、全身を細くして、借りてきた猫でももう少し堂々としているんじゃないかと思う情けなさで佇んでいるのです。開演前の威勢のよさはどこへやら、ただひたすら耐えている。
(もちろんステージを降りて休憩時間になったりすると、再び学生服を着崩してロビーで肩で風切ってうろついたりするのですが――)

【ステージは降りられてもツッパリは降りられない】
 彼らはほんとうに困っていたのでしょうね。
 どうせ真面目に練習なんかしているはずもありませんから歌うに歌えない。もちろん口パクで凌ぐことだってできるはずですが、同じ学校の同級生の手前、“真面目にやってるボク”“普通の中学生みたいなボク”を見せるわけにはいかない、しかしだからといって数千人の聴衆を前に、学生服の前を開いて偉そうにして、衆目を集めて歌わない姿を曝す勇気もない・・・消えてしまいたい、いなくなってしまいたい、見えなくなってしまいたい・・・。
 なんやかや言っても教師の指導に従ってステージに上がるところまでは従ってしまう程度のツッパリですからそもそもが大したことはないのですが、それでも校内で作り上げた立場を降りることはできない。
 たくさんのプチ不良少年と付き合ってきて、最後に残るのがこの「真面目に戻れない」というハードルです。
 十分な時間をかけ、何回も話し合いを続け、ようやく信頼関係もできてさあこれから生き直そうという段になって、けれどもどうしても一歩踏み出せない、ツッパリを降りられない、やめられない、真面目になったと言われたくない、やっぱお前もフツーかよと蔑まれたくない・・・。

 子どもたちの世界はかなり冷淡でいい加減な側面を持ちます。友だちが悪くなっていくのを止めるよりも煽る方が圧倒的に多いのが普通なのです。一度“不良”の看板を背負ったら、二度と下ろせない(かもしれない)。

【デビューさせるな】

 降りるのが難しければ登るのを阻止するしかない――。
「デビューさせるな」というのは、そこから出てきた私たち(周辺)の合言葉です。したがって見栄えにこだわります。外見が“フツー”である限り、彼の言動は昂じませんし周囲も煽らないからです。
 もちろんその頃は「なんでそんな細かなことにこだわるのか」とか、「見かけで人は決まらない」とか「校則が細かすぎる」とか評判は惨憺たるものでしたが、今でもそれは間違っていなかったと思っています。

 ところでそんな昔のことを思い出して書いているうちに、私は妙な人のことを思い出しました。 最近、合衆国のバイデン副大統領に「ドナルド、大人になるんだ」とたしなめられたあの人です。
 彼は選挙前からあんな男だったのでしょうか?


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