2017/1/31

「真実はネットの中にある」A  教育・学校・教師


「週刊現代」今週号の新聞広告を見ていたら、見出しに、
「こいつ、本物のバカかもしれない トランプの日本口撃が怖すぎる」
というのがあってちょっと笑ってしまいました。週刊誌には新聞やテレビより自由なところがあって一歩踏み込んだ報道をします。とりあえず週刊誌レベルでは私と同じような見方をする人が堂々と発言できるまで事態は醸成したのかもしれません。ただし新聞やテレビがトランプはほんとうにおかしいと本気で言い出すには、もう少し時間がかかりそうです。
 さて、

【ネットの中に仲間がいる】
「ネットの中じゃずっと前からトランプはバカだって言ってるわよ。ツイッターでウケを狙っているうちに大統領になっちゃったって」
というシーナの言葉を確認しようとしばらくあちこち探してみたのですが、うまくアクセスできていません。
 しかし「(トランプは)ツイッターでウケを狙っているうちに大統領になっちゃった」と考えている人間が相当数いるのは確実です。なぜならこの国だけでも1億2700万人もの人間がいるからです。

 私の考え方がとんでもなく特殊で、仮に1万人に1人しか持たないようなものだったとしても、人口が1億2700万人の日本には同じ考えを持つ人が1万2700人もいるわけです。赤ん坊も含めての数字ですからさらにその中の1%だけが意味ある発言者だとします。それでも127人が私に与してくれる――。
 ネット時代以前にはその“1万人に1人の声”を聞く機会はほとんどありませんでしたが、今やネット社会、彼らはいくらでも声を上げられます。ひとりが一言ではなく、たくさん叫びますから、見かけは無数の声というふうになります。


【ネットの中には何でもある】
ネット社会は内容的にも多岐にわたります。
 今となってはかなりマイナーな話題――例えば“NASAによる月面着陸は嘘だ”という話についてグーグル検索するとなんと約144,000件もヒットします。
1947年に米軍がUFOを回収したと言われる“ロズウェル事件”については約110,000件、もっと胡散臭い“上杉謙信は実は女だった”というような話についても約400,000件もヒットするのです。

“フランスの片田舎のルルドに聖母マリアが出現した”という“ルルドの奇跡”については約346,000件。聖母出現を信じる人はその中から肯定的な記事だけを手繰っていけばそれだけで“奇跡”は現実のものとなります。逆に信じない人は否定的な記事ばかりを紡ぎ出せば強固な否定論ができあがります。

 しかしこれらについて新聞やテレビで調べようとしたらたいへんなことになります。「上杉謙信は女だった」などまず出てこない。
 ほしい情報はネットに行って探してくるしかありません。そして行けばほぼ確実にあるのです。


【私もネットの中に“真実”を置いてきた】
 考えてみると18年前、私が自分のウェブサイトを立ち上げたのは、マスメディアの垂れ流す教育情報がウソだらけだと憤ったからでした。
「不登校は学校の厳しい生徒管理と受験競争が原因」
「日本の子どもの学力はアジアで最下位」
「すべての子どもがいじめの被害者にも加害者にもなりうる」
「良い子が危ない」
「ゆとり教育が日本をダメにした」

・・・・・・・・・
 それに対して、時には学校現場の実情を話し、あるいは事態を解釈しなおして説明し、数値やグラフで示したり、生の声を取り上げたりと、あの手この手でマス・メディアやそこで発言する“識者”“専門家”の間違いを指摘し続ける、それが私のやりたかったことで、実際にしてきたことです。
 まさに「真実はネットの中にこそある」という立場で行ってきたわけです。

 しかしそうでありながら、一方で教育以外の部分では、案外素直にマス・メディア情報に従ってきた面があります。マスメディアを批判しながら、しかし大枠ではむしろ信じてきた。

 それはどうしてなのでしょう?

                             (この稿、続く)


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2017/1/30

「真実はネットの中にある」@  政治・社会


「オマエら馬鹿? こんなこともわからんのか?」
 そんな調子の文章、昔のネットにはかなりあったと思うのですが最近は見かけなくなりました。拾い上げられて素人のサイトやブログが大炎上、ということが少なからずあったからかもしれません。またサイト運営者やブロガーが賢くなったということもあるのでしょう。
 もちろん私もそうした言い方はしませんしそもそも心に思ったりもしませんが、時折、自分にとっては至極当然なことを、周囲の誰も言わなかったり考えていないように見えたりすると本当に当惑します。なぜ誰も同じことを言ってくれないのだろう?
 例えばドナルド・トランプの評価です。

【マス・メディアは真実を語らない】
「トランプは深謀遠慮や計略のあるような人ではない。見た通りの人。息をするようにウソをつき、重戦車のように踏み潰す、噛みつかれたら倍返し、自己中心的で言いたいことは言うが聞かれたことには答えない、それだけの人」
 それが私の見立てです。そんなことは当たり前だと思っています。
だから1年近く前からこのブログで問い直し(2016/3/30「トランプ・マジックの話」他)、怯え(2016/5/10「現在のところ可能性は極めて低いのですが・・・」他)、うろたえてきた(2016/11/9「アメリカ大統領選挙の憂鬱」A〜子どもに説明できない、他)のです。

 しかしその間日本のマスメディアは「トランプが共和党候補になるはずがない」→「本選挙で勝つはずがない」→「トランプもヒラリーよりはましだ」→「大統領になれば現実的な政策をとるに違いない」と終始楽観的でした。
 そして目下の流れは、
「トランプ大統領は政治経験がないので事態が分かっていない。事実を理解すればきっとわかってくれるはずだ」
「トランプは有能なビジネスマンだからバランス・シートを示し、きちんと損得を計算させれば必ず妥当な線で落ち着くはずだ」

 しかしそもそも彼が有能なビジネスマンだったかどうかさえ分からない。金持ちは確かかもしれないしトランプタワーも立派かもしれない。でも我が国の指定暴力団の組長自宅だって立派です。やり口もそっくりです。
 ビジネスはgive & takeが基本ですが、暴力団は脅して収奪するだけ。今日までの様子を見る限り、トランプが何かを差し出した様子はありません。奪おうとするだけです。

【あれはヤクザのやり方だ】
 私は「不当要求防止責任者講習」修了者という一種の資格を持っています。なぜそんな資格を持つことになったかということについては以前書きましたが(2005/7/8「暴力団と勝負をしよう!」2014/2/4「矢面に立つ」)、その講習の中で、暴力団と対抗する際のいくつかの注意事項を学びました。
 いくつか拾い上げると、
「毅然として引かない」「筋を通す」「対応には脅迫者より多い人数であたる」「最高の意思決定者が出て行って言質を取られると動きが取れなくなるので、その機関のトップを出さない。NO2位かで対応する」
 すると暴力団の方はこれと逆のことをすればいいのです。
「『毅然として筋を通し引かない』タイプの人間を相手にしない」→ツイッターで言い放ち記者会見でも質問や非難を受け付けない。
「相手の人数を自分と同数、もしくは少なく絞る」「その機構のトップを出させる」→外交は二国間協議のみで同時に多数を相手にしない。できるだけ記者会見もしない。いきなり各国首長に電話会談を申し込んで1対1で言質を取ろうとする。
 ほら、まるっきり暴力団と一緒じゃないですか。
 しかし今日まで、テレビや新聞の中でトランプ流を“やくざなやり方だ”と言った“識者”“専門家”は1人もいません。少なくとも私の耳には届いてこない。
 有能なビジネスマンだから“話せばわかる”と思っているようなのです。

【真実はネットの中にこそある】
 誰も賛同してくれないので先日、たまたま孫と一緒に帰省していた娘のシーナにボヤいたら、一刀両断、こんな答えが返ってきました。
「なに言ってるのよ、お父さん。ネットの中じゃずっと前からトランプはバカだってことになってるわよ。ツイッターでウケを狙っているうちに大統領になっちゃったって。それネットの世界の常識!」

 え?

                            (この稿、続く)


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2017/1/27

「学校給食の話」C(最終)  教育・学校・教師

   〜給食はなくならない

 1歳7か月になった孫のハーヴを見ていてつくづく思うのは、この時期の子どもはまだやっていることは三つだけだということです。
 寝て、食べて、遊ぶ。
 だからしつけもこの三点に絞られるのが普通です(英語を教えるなんてことをやっていれば別ですが)。
 
 そうなると小学校に上がってもなお好き嫌いが山ほどある子というのは、きちんとしたしつけを受けてこなかったのではないかと疑いたくなったりします。
 もちろん発達障害のある子の一部にはひどい偏食のあることがあり、あるいは母親に料理のスキルが全くないという場合もどうしても好き嫌いの多い子は育ってしまいます。しかし普通は何らかの工夫をしてくるものです。

 以前、週に3日給食、2日は弁当という変則給食の保育園の園長さんに聞いたのですが、ブロッコリを全く受け付けない子がいて、
「食べられるようになるといいですね」
と連絡帳に書いたら、次のお弁当の日、巨大なブロッコリにマヨネーズをかけたものがドンと入っていて、
「食べさせられるもんなら、やって見な!」
と言わんばかりだったそうです。・・・親の苦労も分からないわけではないですが、任せられる保育園もたまったものではありません。


【スカ弁の話】
 息子のアキュラが子どものころボーイスカウトに入っていて、そこで覚えたのが「スカウト弁当(通称:スカ弁)」です。
 どういうものかというと要するにおにぎりのみ、おかずは持ってきてはいけないというものです(ただし中には何を詰めてもよい)。保護者の負担をできるだけ軽くするという意味もあったのでしょう、たいていの場合「集会の持ち物」には「スカ弁」の一語がありました。なかなか便利なものです。

 それにヒントを得て私が学校で始めたのが、当時勤務していた小学校の名前を取った「田中(もちろん偽名)弁当」、おにぎりのみ(おかずは持ってきてはいけない)です。
 遠足のように楽しい行事ならいいのですが、社会見学や観察会などだったりするとゆっくり弁当を開く時間も場所もなかったりするので、できるだけ簡便にということで提案したのです。
 ところがこれが保護者から大絶賛!
 あるお母さんなどは私の顔を見るなり、
「先生! すごい! いい仕事したね!」
と上から誉めてくれたりします。
「あれ、ほんとうに助かります」
「子どももすごく喜んでます(ホントかよ?)」
 と評価の嵐です。
 長い教員生活で一番讃えられた仕事だったのかもしれません(情けない)。
 親の手抜きに手を貸すと本当に誉められます。

 ところでこれだけ負担を軽くしてあげたのに、
「田中弁当ってどこに売っていますか?」
という問い合わせがあったのには驚きました。
「学年だより」くらいしっかり読んでくださいよね、といった話なのですが・・・。


【かようにお母さんたちは弁当が嫌い】
 全国的に見ると学校給食の実施率は小学校で99.1%(内、完全給食は98.5%)、中学校で88.1%(内、完全給食82.6%)ということになっています(H27年度:文科省学校給食実施状況等調査)。つまり小学校ではほとんどで行われているのに対し、中学校では5校に1校の割で完全給食を行っていないことになります。私の住む地域では国立大学の付属中学校がそれにあたります。

 都会の付属と異なり、田舎はそれほど人気があるものではありません。交通の便もよくないし、何となく「勉強のできる子だけが行く学校」という雰囲気で敷居も高く、何十年も前からずっと定員割れが続いていたのです。

 10年ほど前、当時勤めていた小学校で深刻なじめ=不登校問題があり(いじめが深刻だったというのではなく児童・保護者と学校の関係が深刻という意味)、打つ手がないまま6年生の秋まで進んでしまったことがありました。問題解決の糸口も見えずこのまま進学させても地元の中学校に通い続けられる気もしません――そこで思いついたのが付属中学への進学です。

 どうせ定員割れです。多少成績が低くとも滑り込まないとも限りません、というかほぼ入れる――話をすると保護者も本人も大乗り気でそれで明るい希望が見えてきたような気がしました。
 ところが――、
 ふたを開けたら応募者が例年の2.5倍、競争率およそ2.4倍にもなっていたのです。私の知る限り40年に渡って定員割れしていた学校がですよ!
 おかげでその子は不合格。「中学校落ちた、付属死ね!」みたいな話です。

 何があったのかと言うと、その年から募集要項に「希望者には弁当を斡旋します」の一文が加わったのです。それを読んで、
「あら、お弁当を作らないでいいならやりたいワ」
と考えたお母さんがいっぱいいたのです(たぶん)。

 かようにお母さんたちは弁当が嫌いです。
「朝夕二回の食事だけでも大変なのに、お弁当のことまで考えるなんて絶対にイヤ!」
「だってお弁当は入れられるものに制限があるじゃない、焼きそばなんて持たせられないでしょ?」
「他の人と比べられるなんてまっぴら!料理下手がばれる」
「キャラ弁みたいなのを毎日作れる人だっているじゃない。そういう人と一緒にしないで!」

 運動会や遠足も1日延期なら許しても2日延期は容赦してくれません。
「三日連続のもお弁当なんて、そんなのなくネ?」


【町長は殺された】

 平成4年埼玉県の庄和町(現在は春日部市に吸収合併)の町長が学校給食の廃止を打ち出し、全国を巻き込んだ大論争になったことがあります。表向きは学校と家庭の役割分担を明らかにし、子どもの食事には親が責任を持てということでしたが、おそらく財政難だったのでしょう、廃止によって浮いた予算で外国人英語指導助手を雇ったり子供会館を建設したりといったことを考えていたようです。ところが保護者の反発は想像を絶していました。
 おまけに全国から“識者”“専門家”が押し寄せて、「子どもの健康の責任をだれが取るのか」といったお門違いの突き上げが繰り返され、その騒動の中で町長が急死。
 給食廃止が立ち消えになったかと思ったら十数年後には町までなくなってしまい、この話は歴史の中に埋もれて行きました。

 学校の先生の中には同じ論理から給食を廃止した方がいいと思っている方もおられます。“メシの心配や栄養管理まで学校の世話になるな”と。
 給食がなければ給食指導もなく、児童生徒を叱ることもぐんと少なくなります。配膳下膳のないぶん時間的にも余裕が出て、子どもも遊んだり休んだり、教師もゆっくりとできます。そうした面から「給食はなくてもいいかな」と思っている先生もいます。
 外部には久しぶりに給食の様子を見て、皆がそろって同じものを食べる様子から刑務所や軍隊を連想する人もいます。これって、画一教育ですよね?
 自治体によっては調理場運営の負担に耐えがたい市町村もあるでしょう。

 しかし「給食廃止」と聞くだけで気絶しそうなお母さんが山ほどいる限り、学校給食は絶対になくなりません。
 ですよね?



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2017/1/26

「更新しました」  教育・学校・教師



「キース・アウト」

2017.01.26
男性保育士の女児着替えで大論争 「やっぱり抵抗が...」女性芸能人ら続々





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2017/1/26

「学校給食の話」B  教育・学校・教師

     〜食の道徳 、給食が不味いという子たち

 月曜日の「報道ステーション」の特別企画「全国学校給食甲子園、優勝は足寄町学校給食センター」は、元テニスプレーヤーの松岡修造さんが足寄町学校給食センターを訪ねるというものでしたが、その最後の場面で、スタジオのキャスターが、「これはまるで道徳教育ですね」といった話をしていました。私は少し喜び、やや苛立ちました。
 喜んだのは全国に語ってくれたこと、苛立ったのは「今頃そんなことを言っているのかよ」という気持ちからです。

【食の道徳】
 学校の教育活動のほとんどすべては道徳教育的です。週一回の「道徳」の時間はもちろんのこと、数学や英語といった教科教育の場でも「きちんとひとの話を聞きなさい」とか「順番を守りなさい」「発言者に敬意を払いなさい」といった調子で不断に道徳教育が行われています。
 さらに学習指導要領では年間35時間しかないことになっている特別活動の時間が道徳の実践教育の場として使われています。食育も当然道徳的になります。

 すべてのものに命が宿っているという立場から「(その命を)いただきます」と言わずにいられない心性、
 手前に置いた一膳の箸を結界として、その先にはすべての命の営みがあるということ、
 一回の食卓にどれほど多くの人々の努力と想いが込められているか、人々が「馳せ」「走り回って」用意してくれたものに「ご馳走様」と感謝せずにはいられない気持ち。

 それらは「三大栄養素はバランスよく摂りましょう」といった知識とともに、最優先で子どもに伝えられるべきものです。
 そのことも含めて、学校教育が道徳教育の塊だということについては、もっと宣伝されてしかるべきです。


【嫌いと言え!】
 さて、昨日紹介した昨年の週刊新潮(2016年7月14日号)に「ズワイガニから松阪牛まで! 豪華すぎる学校給食のメニュー一覧」は、驚いたことに全文がいまネット上で見られるのでぜひ参照していただきたいのですが(http://www.dailyshincho.jp/article/2016/08140551/)、 「劇的なまでに美味しくなっている」と新潮が絶賛する給食を、まったく評価しない人がたくさんいます。

 ひとつはさらにレベルを上げなくてはだめだと考える立場。週刊現代2016.09.28『「学校給食」の不都合な真実…こんなものを子供に与えていいわけない!』がその代表です。
 しかし最も多いのは子ども自身の声です。昨年のクリスマスの上毛新聞『給食「残す」前橋で4割 高崎では残飯処理費が年2600万円』はそのことを如実に語っています。

 記事では子どもたちが給食を残す理由を
「好き嫌いや苦手」が49%で最も多く、「量が多い」15%、「食べる時間が足りない」14%、「おいしくない」6%と続いた。
と紹介しています。納得できる数字です。しかし困ったことに、子どもはしばしば嫌いな食べ物を「不味い」と表現したりします。
「どうして残すんだ?」
「だって不味いんだもん」
 こんな言い方です。
 そんなとき、私の場合は常に「不味いのか? 嫌いなのか?」と尋ねるようにしました。不味いという情報が広がって賛同者が2〜3人で来たりすると、何も考えずに食べていた子たちも「不味い」という方向で味を検証しなおしたりします。それでは困るのです。
「不味いのか? 嫌いなのか?」と訊くと子どもの方は(周囲においしそうに食べている子がたくさんいるわけですから不味いとは言えず)「嫌いです」と訂正してくれます。そこがつけ入る隙です。
「だったら不味いと言わず、嫌いと言え」
「それに嫌いなものを好きになれとは言わんが、出てきたものだ、せめて半分は食べろ」
と突き返します。たいていの場合は半分は食べられます。そしてほとんどの場合それは食わず嫌いですから“半分”食べているうちにいつか全部食べられるようになったりします。

 もっともそれが通用するのは小学校の中学年以上、1・2年生で好き嫌いが多い子となると簡単には食べてくれません。給食のある保育園や幼稚園だと、さらに難しいことになります。

                               (この稿、続く)

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2017/1/25

「学校給食の話」A  教育・学校・教師

     〜学校給食甲子園

 以前、私には強い予知能力があってこれから流行するものが分かると思っていたら、誰よりも早く踊らされていただけだったというお話をしました(2014/12/18「先見の迷」)。

 私はこのブログの記事を表記の前日の夜8時半までにアップすることにしています。それを終えてから今は一人暮らしさせている、今年90歳になる母の家に移動してそこに泊まらなければならないからです。一応介護みたいなものです。ですから昨日の「学校給食の話」@も一昨日の夕方までに書き上げ、アップしてから家を出たのです。
 多くの場合9時ごろに母の家に着いてNHKの「ニュース9」を見ながらその日一日の様子を聞き、必要な家事を行って母が寝室に送りだします。それから私はネットニュースをチェックしたり、良い企画があると「クローズアップ現代+」を、そうでないときは「報道ステーション」を見て寝るのです。一昨日はその「良い企画」のない方だったので(私にとって)「報道ステーション」を観たのですが、そこでなんと特別企画で「全国学校給食甲子園、優勝は足寄町学校給食センター」をやっていたのです。学校給食甲子園は今日の「学校給食の話」Aで取り上げようとしていたものです。

【地産地消給食等メニューコンテスト、学校給食甲子園】

 学校給食甲子園というのは在職中まったく知らなかったのですが、昨年の週刊新潮(2016年7月14日号)に「ズワイガニから松阪牛まで! 豪華すぎる学校給食のメニュー一覧」という記事があって、そこで、
 全国の学校給食は、このように底上げがめざましいのだが、それに一役買っているのが、農水省が平成20(2008)年からおこなっている「地産地消給食等メニューコンテスト」である
という一文とともに、
 ほかに、文科省や農水省が後援する「全国学校給食甲子園」と呼ばれるコンクールも、年々注目を集めるようになっている
 というのがあってそこで初めて知ったのです。ただし「地産地消給食等メニューコンテスト」も「全国学校給食甲子園」も学校現場では話に出たことがなく、それが給食の質の底上げをしたというのは少し違うような気がします。

【学校給食の成長】
 学校給食の質は戦後70年をかけてゆっくりと成長させてきたものです。
 脱脂粉乳が牛乳になり、コッペパンとともに食パンも出されるようになってついに昭和51(1976)年からは米飯給食も始まります。これによって給食の幅もぐんと広がりました。

 平成17(2005)年には食育基本法も成立して、給食は学校における重要な教育内容となります。報道ステーションでも紹介された「栄養教諭」が配置され(実際には多くの場合、職員数が増えるのではなく、普通の教員が任命されたり、自校給食で栄養士がいる場合はその人が兼任した)、給食の時間や特別活動の時間に“食”に関する教育が積極的に行われたりするようになりました。
 ただし「食育基本法」に記述されてる内容のほとんどは、すでに学校で行われていた教育を政府が拾い上げたものであって、テレビで紹介されたような「ジャガイモを自分で掘って調理して食べる」といった試みははるか昔からおこなわれています。
 報道ステーションでは「給食甲子園」で全国一位となった北海道足寄町の栄養教諭が「(自分の仕事は)農家さんの想いを児童に伝える橋渡しだ」と語る印象的な場面がありましたが、そうした指導もずっと前からおこなわれていたのです。

                                 (この稿続く)


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