2016/11/8

「ブログを如何にせん」A  


 何かずいぶん後ろ向きの記事を書いたら、何人かの方から励ましをいただき、少し元気が出ました。

 さて、娘のシーナのブログが一日平均900アクセスで、それでもシーナ自身はまったく多いとは思っていないというお話をしました。
「もっとすごい人、いっぱいいるよ」
 そう言われて心折れたものの、さて、芸能人でも著名人でもない、一般の人々のブログで「アクセス数が多い」というのはどの程度のことなのか、ふと調べてみる気になりました。単純にあちこちのブログランキングの上位を開いてみたわけです。
 そして驚いたのは、ほとんどのブログでアクセス数の表示が行われていないということです。私は毎日けっこうたくさんのブログやサイトに目を通すのですが、そのことに初めて気がつきました。
 個人のwebサイトを見てもカウンタはほとんどない。置いているのは概して私のような年寄りのブログか、あるいは古くから続いている個人のwebサイトだけです。アクセスカウンタというのはそれくらい信じられていないのです。
 考えてみればそもそも初期値がいじれる。その気になれば毎日毎日、管理画面から自分で数字を書き換えることもできる――“そんなものをサイトやブログのトップに置いておくのは極めて恥ずかしい”ということなのかもしれません。
世の中がそんなふうになっているとは全く気づきませんでした。

 しかしアクセスカウンタがないとなると、これでは各ブログがどれほど人を集めているのか分かりません。
 そこで「日本ブログ村」「人気ブログランキング」といったランキングサイトそのものを調べるのですが、そこで計られているのはそれぞれのバナーを押した人数だけです。

 さらに“それでは”と、今度はそれぞれのブログサービスのランキングを調べに行くのですがそこでも状況は似たようなもので、例えば「Hatenaブログ」の場合は「ブックマーク」というボタンを押した人数で人気を計っています。
つまりどうやっても『一般の人々のブログで「アクセス数が多い」というのはどの程度のことなのか』を知ることはできないのです(シーナは何をもって「もっとすごい人、いっぱいいるよ」と言ったのだろう?)。

 しかし類推することはできます。例えば一日平均900アクセスを誇るシーナのブログで、「アクセスランキング」のバナーを押してくれるのはおおよそ一日平均9人です。つまり100人にひとり程度がわざわざランクを押し上げてくれるのです。私のブログの「拍手」も平均すれば100人にひとりですから、そのあたりが妥当な数字なのでしょう。逆にいうと、バナーのカウントが100もあると閲覧者は1万人近くいると類推できるわけで、それはもう「もっとすごい人」の部類に入ることになります。ただし中を見て、記事は面白いかというとそうでもないのでこの世界は胡乱です。

 相互クリックみたいな技でもあるのか、リアルな仲間に依頼するのか、はたまたプログラムに直接働きかけるのか、ポイントの伸びが不自然なものも少なくないのです。
 もうそうなると何が何だかわかりません。

 日本語というのはネット社会で最も多く使われている言語です。実数では英語・中国語・スペイン語・アラビア語・ポルトガル語に続いて第6位ですが、それぞれの言語を使う人々の中でネットを使う人口(日本語を例にすれば《ネットで日本語を使う人口》/《日本語を使う人数》)は90.6%で世界一です(インターネットで使われている言語の普及率をグラフ化してみる(2016年) )。

 また、古い数字で申し訳ないのですが(新しいのが見つからなかった)、2008年の段階で「ブログは世界に約7000万あり、使用言語別では日本語が約37%と、2位の英語約36%、3位の中国語約8%を抑えてトップ」(ブログは世界に約7000万あり、使用言語別では日本語が約37%と、トップなのは何故か?

 最近の数字でいうと、昨年(2015年)、ツイッター上で使われた言語を種類別にすると日本語は第2位なのです(2015年 ツイッターの使用言語ランキング 1位英語、2位日本語、3位スペイン語、4位はなんと!
 いかに日本人がネット上で文章を書くことが好きかわかろうというものです。

 そんな広大な世界で、あくせくとアクセス数を気にするのは、やはりばかげていると思ってきました。
 頑張りましょう。

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2016/11/7

「ブログを如何にせん」  


 娘のシーナが子育て記録というか、子育てを通しての自分の成長記録というか、そんな感じのブログをやっていて、それが先日一周年になったそうです。
 本人に言わせると、
「つい先日、ひっそりと開設一周年を迎えました」
 しかしその下に書いてあった数字を見て、私はぶっ飛びました。
 
 投稿数 135、総アクセス数326,340(本日まで)

 私のブログは、先週末で
 投稿数2,468 総アクセス数341,579
 まもなく10周年を迎えます(ブログは10周年、文章自体は11年7か月)。
 シーナの10倍の歳月と18.3倍に及ぶ投稿数で築き上げてきた34万アクセスという数字を、二十歳そこそこのガキ娘(と言ってももう26歳ですが)が軽々と抜き去ろうとしているのです(もしかしたらもう抜かれている)。

 もちろん相手は子育てブログなので、「読者の多くは産育休中で日長一日いつでもPCやスマホを開ける人たちだから」とか、「少子化の日本で子育ても一人目か二人目、お互いに情報を求めてネット社会を駆け回っているからだ」とか、「目隠ししていないハーヴの写真をそこそこ載せていて、それがドラえもんやミッキーマウスのような“ちょっといいキャラ”になっているからだ」とか、いろいろ難癖はつけられるのですが、
「一日のアクセスは900くらい。いい記事を書くと1,300とか1,500近くになることもある」
などと平然と言われると息を飲みます。しかもシーナはその数を多いとも思っていないのです。私のブログでは見たこともない数字なのに。

 もとを質せば学校で若い先生たちに語りかけるために書いた文章を、ネットに上げるようになっただけのものです。この世界で力を示そうというつもりはありません。
 それ以前のサイト中心時代も、結局は自分の思考の整理とか鍛錬とか、あるいは知識の記録庫として運営していたもので、アクセス・カウンタにはさほど興味もなかったのです。宣伝のための営業に出たこともありません。

 一度浮気をしてブログ・ランキングに登録してみたのですが、あれは結局自分のブログのカウンタを上げたい人の集会所ですから、他人のアクセス数を増やすために頑張ってくれたりはしません。それに小さなカテゴリに登録したらあっという間に1位になってしまい、それにしてもすごすぎるなと思ったら大半が――というより9割がた休眠状態なので1位になるのも難しくはなかったのです。それでやめました。

 そんなこんなしながら、しかし今も毎日100人を越える人が来てくれるからいいやと、至極満足していたのです。ところが娘の「一日平均900人」を聞いて、驚くことに何か心折れた感じになってしまったのです。
 何のために続けているのか。

 ブログをこれから如何にせん、サイトを如何にせん、自分自身を如何にせん――しかし何の妙案も浮かんでこないのです。

 ハァ。
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2016/11/4

「絵画鑑賞の喜び」B〜ピカソは何をしたのか  芸術


 三十代も半ばを過ぎてスキーを始めました。
 娘が生まれて、いつかこの子にスキーを教え一緒に滑りたい――が表向きの理由ですが、腹の底には別の思いもあったのかもしれません。というのも、あとで気づくとそのしばらく前に映画「私をスキーに連れてって」が大ヒットし、ゲレンデに松任谷由実の「BLIZZARD」がガンガン流れる、つまり空前のスキーブームの真っただ中だったのです。

 つまり私はもっともブームに乗りやすいタイプというか、他人が楽しんでいるものが我慢できない性質なかもしれないのです。量子力学だの現象学などは分からなくても苦になりませんが、普通の人がちょっと頑張って楽しんでいるスキーだとかダンスだとかロックだとか、さらに頑張ってクラシック音楽だとか芸術だとかは、できなかったり分からなかったりするのが嫌なのです。嫉妬深いのか、さもしいのか。

 音楽について言えばモーツアルト、文学ならドストエフスキーなどには狂信的な信奉者がいます。美術で言えばもちろんピカソです。

 幸いドストエフスキーは「罪と罰」から入ったので、とっつきの悪い「カラマーゾフの兄弟」も難なく通過して人気の理由も理解できるまでになりました。しかしモーツアルトとピカソはハードルが高すぎた――。
 モーツアルトは聞いても苦にならない心地よさはありますが、さっぱりいいように思えない。ブラームスやベートーベンのような重々しさとか荘厳さとか、奥行きの深さとかがなく、ひたすら軽くて鬱陶しいのです。
 映画「アマデウス」の中で、モーツアルトにイチャモンをつけようとする皇帝が、表現に困って苦しんでいると横合いからお付きの音楽家が耳打ちをする場面がありました。「音が多すぎる」と言うのです。まったくその通りだと思いました。ウザイのです。
 ただしこの問題、「レクイエム」を繰り返し聞いて、「アヴェ・ヴェルヌ・コルプス」など合唱曲に移り、さらに交響曲に戻っていくうちに、何となく解消されてきたのです。モーツアルトはやはりすごい!

 ところがピカソばかりはニッチもサッチもいきません。「ゲルニカ」や「泣く女」でどう心を動かしたらいいのかまるで分らないのです。

 ただしこれも大規模なピカソ展を観に行くとすぐに分かることです。

 多くの場合、芸術家には制作のピークというものがあります。
 デビューの時点にそれがあって後は鳴かず飛ばずという人もいますが、多くの作家は人生の後期にそれを持ちます。最晩年にもっともすぐれた作品を生み出すという人も少なくありません。
 いったん急速に上がった作品のレベルがそのままいつまでも続いき、いわば高原みたいな感じになって継続する人もいます。いつまでも同じレベルの作品を、次々と生み出すような芸術家たちです。安定しているといえば安定していますが、つまらないといえばつまらない作家です。
 しかしたいていの芸術家は人生に2〜3回のピークがあって、それぞれの時期に素晴らしい作品を何点も生み出しています。一昨日までにお話ししたダリやモネも、もちろんそうした偉大な芸術家のひとりです。
 ただしピカソは違います。彼はピークが何度も何度も繰り返される、いわば連山のような巨匠なのです。

クリックすると元のサイズで表示します  Wikipediaに要領よくまとめてありますが、彼の作品は、
「青の時代」(1901年〜1904年)
「ばら色の時代」(1904年〜1907年)
「アフリカ彫刻の時代」(1907年〜1908年)
「セザンヌ的キュビスムの時代」(1909年)
「分析的キュビスムの時代」(1909年〜1912年)
「総合的キュビスムの時代」(1912年〜1918年)
「新古典主義の時代(1918年〜1925年)
「シュルレアリスム(超現実主義)の時代」(1925年〜1936年)
「ゲルニカの時代」(1937年)
「晩年の時代」(1968年〜1973年)
と呼ばれるいくつものグループに分けられ、それぞれの時代で色調も作風も全く異なってます。そしてそれは画家の成長の過程ではなく、それぞれが独立して意味ある一群なのです。

 ピカソの本名はのもすごく長いことで知られ、、
 パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・ネポムセーノ・マリーア・デ・ロス・レメディオス・シプリアノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード (Pablo Diego José Francisco de Paula Juan Nepomuceno María de los Remedios Cipriano de la Santísima Trinidad)
と言いますが、その名前の数だけピカソがいて、それぞれ全く違った作風の絵を描き彫刻を残しているのです。
 その作品数およそ15万点(油絵と素描1万3500点、版画10万点、挿絵3万4000点、彫刻と陶器300点など)。
 それにもかかわらず1937年の2作品(「ゲルニカ」「泣く女」)だけを見せて何か感じろと言われても、そもそもが無理なのです。

 ピカソの絵がたっぷり見られるサイト(「MUSEY」)を見つけましたので、ぜひともご覧になってください。
 ネットで観るのは本道ではありませんが、それだけで理解できることもたくさんあります。



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2016/11/2

「絵画鑑賞の喜び」A〜モネ  芸術


 三十数年前、私は十年以上住んだ東京を離れ、田舎に帰る決心をしました。それなりに傷ついた帰還でした。
 その最後の年は“とにかく遊ぼう、東京を満喫しよう、学校や職場とアパートを往復するだけの生活を見直し、ここでなければできないことをしよう”と頑張った1年でした。具体的に言えば、演劇を見て音楽を聴いて、絵画を見るということです。そのひとつが国立西洋美術館で開かれた「モネ展」です。

 有名な「睡蓮」のシリーズはもちろんのこと、日本の浮世絵の影響をはっきりと示す「ラ・ジャポネーズ」や「国会議事堂」、「ルーアン大聖堂」も出展される大掛かりなものでした。そもそも「印象派」というグループの名前の元となった「印象、日の出」も展示されていたのです。
 その後、何回か「モネ展」と称するものを見てきましたが、あれほど大規模な展覧会はなかったように思います。

 しかし初めてのモネは私にとってさほどのものではなかったのです。何がいいのかさっぱりわからない――。大学生だった弟と一緒に行ったのですが弟の方も首を傾げている。
 結局、1時間半ほどかけて全部を回り、最後の部屋を出ようとしてまだ未練があり、その部屋の出口で何の気なしに振り返ったのです。そして20mほどの先の正面の絵が、特別な意味をもって立ち現れたのです。
クリックすると元のサイズで表示します 「ルーアン大聖堂、朝」です。最初見たときは何が描いてあるのかも分からなかったのに20m離れると朝もやの中に立つ聖堂の姿が鮮やかに浮かんで見えるのです。私たちは驚いて館内を逆進し、最初の部屋に戻って一からやり直しです。 見方を変えると、すべてが了解できました。

 印象派は形にこだわりません。形が正確なことを求められると絵画は写真にかなわないからです。印象派が生まれたのはちょうどそういう時代でした。
 そのかわり光に対するこだわりは強く、ルネサンス以降ひたすら暗くなってしまった画面を日本の浮世絵のように明るくする方法が模索されます。そのひとつが色の視覚混合です。
 パレットの上で絵具を混合するのではなく、キャンバスの上に重ね塗ることで色をつくるでもなく、目の中で混ぜ合わせる――カラーテレビを例にするとわかりやすいのですが、極端に言えば光の三原色だけで描いても、離れて見ると色は混ざり合い、それぞれの色彩となって現れるのです。印象派の画家たちが真剣に求めたのがそれです。

 モネも晩年に近づくと形はどんどん失われ、ただ光への希求だけが見えてきます。ですから例えば「国会議事堂」などはほとんど形がなく、近くで見ると何が描いてあるかさえ分からないのです。カラーテレビをルーペで見るようなものですから。
 昨日お話した「モネは本物を見ないとわからないことが多い」というのはそういう意味です。
 よく絵画展の会場で、絵に近づいたり遠ざかったり何度も繰り返して見ている人がいますが、それはそういう意味なのです。遠く離れないと絵が見えない、近づかないと技法が見えない、だからそうなります。

 以来私は、大きな展覧会には必ず足を運ぼうという気持ちになりました。



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2016/11/1

「絵画鑑賞の喜び」@〜ダリ  芸術


クリックすると元のサイズで表示します 東京の国立新美術館に「ダリ展」を見に行ってきました。今回は娘夫婦と孫、息子、つまり勤務のある妻を除く家族全員が一緒です。
 「今回は」と書いたのは10年前、上野の森美術館で開かれた「ダリ回顧展 生誕100周年記念展示会」にも私は行っていて、いたく感動したのでどうしても息子のアキュラに見せておきたかったのです。さらに、せっかく東京まで出かけるのだからそのついでに娘のシーナのところにも寄って、孫のハーヴをかまって――とか考えていたら、たまたま振替休だった婿のエージュも行きたいとのことで一緒に来ることになりました。
 息子のアキュラは美術作品をとても丁寧に見る性質なので、一緒に歩くにはとても便利なのですがさてエージュは? と気にしていると、これも負けず劣らず丁寧な性質で付かず離れず、ちょうどいいあんばいで鑑賞できます。ただし1歳4か月のハーヴはさすがにダメで、1時間もするとじっとしていられなくなり、シーナは十分な鑑賞ができなかったようでした。

 さてその「ダリ展」ですが、さすが新美術館の企画展です、質量ともに充実していて3時間近く、たっぷり見ることができました。

 中でも「初期作品」「モダニズムの探求」と題された2室の作品は、若きダリが印象派はどうか、キュビズムはどうか、古典主義はどうかと、自分の可能性を探ってありとあらゆる技法を試している様子が見られ、またそれにも関わらず将来の“ダリ”がはっきりと見て取れる作品もあって面白いものでした。
 そして思ったのですが、ダリは印象派といってもキュビズムといっても、あるいはバロックだのロココだのといっても、すべてそれに合わせた一流の絵が描ける他人なのです。

 先に進んで「シュルレアリスム時代」や「原子力時代の芸術」といった部屋に行くと、そこには見慣れた、そしてとてつもなく優れた作品がふんだんに展開しています。
 「子ども、女への壮大な記念碑」「引出しのあるミロのヴィーナス」「素早く動いている静物」「ポルト・リガトの聖母」などはダリのファンでなくても一度は見たことのある(見たような気がする)作品かと思います。

 私がどうしてもアキュラに見せておきたかったのは、モネとピカソとダリだけは本物を見ないとわからないことが多いからです。
 もちろんほかの画家も本物を見るがいいに決まっていますし、いつも思うのですが、「どうもわからない」「何がいいのか理解できない」という芸術家でも、その人の個人展で本物をで観ると必ず理解できる、好きかどうかは別にしても、その絵や画家を崇拝したり愛したりする人がいるよくわかる、とそんなふうになれるものです。しかしそれとモネやピカソやダリを見るのとではまったく意味が違います。

 ダリについていうと、米粒にまで絵を描けそうなその超絶技巧と作品自体の大きさです。
 今回の作品で言えばポスターにも使われている「奇妙なものたち」はわずか40.5 × 50.0 cmです。今回は出品されていませんが、ダリと言えば必ず引き合いに出される「記憶の固執」(「溶ける時計」とか「柔らかい時計」とも呼ばれる)は、わずか24.1cm×33.0cmしかないのです。
 そんな小さなキャンバスに、細密描写をまったく厭わない(と思われる)ダリがたっぷり事物を書き込んでいくのです。ですから画集で見ると一辺が3mも4mもありそうなほど大きな表現ができるのです。
 また、今回の出品作で最大と思われる作品「テトゥアンの大会戦」(304.0 × 396.0 cm)も、作品はバカでかいのに、部を見ると信じられないくらい細かに描き込んでいる部分があったりして、そうした細工を探して歩くだけでも楽しい絵なのです。

 コンピュータ・グラフィックがありとあらゆる描写を可能とするまで、私にとってダリは唯一の不可能な視点から不可能なものを描き出せる人だったのです。なにしろ、ダリはたった数回、絵筆の先で数ミリの点と線を重ねるだけで人間を表現できる人なのです。

 
*ただし、今回非常にがっかりしたことが一つあります。それは音声ガイダンスです。
 私は大きな展覧会では必ず音声ガイダンスを借りることにしています。
 何の先入観もなく絵を観ることも大切かもしれませんが、私には十分な鑑賞眼がないので、様々に知識で補てんしながら鑑賞するのを常としてきました。
 しかし今回の「ダリ展」の音声ガイダンス。担当は竹中直人なのですが果たしてどこまで原稿があったのか――。
 なんだか好き勝手な自己の感想を交えているみたいで、すっかりうるさくなって途中から外してしまいました。

550円、ほんとうにもったいないことをしました。そんなの初めてです。


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