2016/11/15

「家族葬という形式」A〜やったこと、困ったこと  政治・社会


 義母の死は半ば予告されたものでしたので一応の下準備はできていました。
 私も駆り出されてシニア・カレッジ「家族葬講座」などといったものにも出席してきましたが、そこで聞いた話も義姉たちの聞いてきたものとほぼ同じでした。

 葬祭センターとしてはお寺と喧嘩したくないのです。
 住職の意に添わぬことをして臍を曲げられたら、その寺の檀家の葬儀は一切できなくなります。ですから
「当方はどんな形式の葬儀にも対応しますが、どんな形でやるにしろ、菩提寺のある場合は必ず住職に連絡をして許可を得てください」
ということになります。
 檀家制度もどんどん廃れて田舎でなくても寺院経営は火の車です。そこでお寺に相談すれば当然「ウチでやれ」ということになります。そういうものでしょう。

 通夜については、マンションやアパートで遺体を入れにくいとか、(最近は多いようなのですが)家に畳の部屋がなく遺体を床に置くのは(もちろん布団は敷くにしても)忍びないといった場合でもない限り、自宅でやってあげるのが良いというのがセンター・住職の一致した考えでした。そこでそれも飲むことにしました。

 やり方も場所も決まって、今度は誰を呼ぶのか(誰に知らせるのか)を確認します。
 三人の娘に、私を含むその連れ合い、孫がちょうど二人ずつで6人。ウチのアキュラを除く全員が結婚してますからその配偶者が5人。ひ孫がハーヴを含めて8名。それだけでなんと25名。当初思い描いていたのとは違ってそれだけでもけっこうな数です。
 さらに義母の兄弟と14年前に亡くなった義父の兄弟、親友のような付き合いをしてきた人、と数えて行ったらあっという間に40人を越えてしまいました。
 広いホールに15名の寒々としたお葬式――を恐れての家族葬だったのにずいぶん賑やかなことです。
(前もって数えてみればよかった――。)

 困ったのはご近所です。家で通夜をする以上ご近所に内緒というわけにもいきません。また仮に葬祭センターやお寺でやるにしても、ご近所にまったく内緒というわけにもいかないでしょう。
「最近、お祖母ちゃんの姿、見えないねえ」
「そういえば以前は介護で外出もできないと言っていた娘さんたち、最近はよく外出しているみたいだだよねェ・・・さっぱりした顔をして」
てなことになると困ります。
 そこで組長さんにお願いして通知してもらい、その際、「告別式は家族葬ですのでご遠慮ください」との話もしていただきます。また同じ内容のことを紙に書いて、玄関先にも張り出しました。
 以後、葬祭センターの担当者の指示に従って、すべては滞りなく行われました。私が車をぶつけたこと以外は(しつこい)。

 ただし困ったことも出てきました。そのひとつは家族葬だからと説明して告別式は遠慮してもらったとしても、通夜は押しとどめられないということです。そこに思いもよらなかった人たちが香典を持って現れます。
 まずはご近所さん、そして従兄たち。故人の兄弟姉妹は当然考えていましたが、その子どもたちも続々と来るとは考えていませんでした。もちろん丁寧に香典も置いていきます。
 さらに告別式も予定外の人が来ます。
 今日の人間では考えられないことですが、故人の自宅の電話番号は知らないが菩提寺は知っているという変な人、というか“昔は普通の人”がいて、直接お寺に問い合わせて駆け付けて来るのです。もちろん香典を置いていきます。

 問題は香典返しです。
 一般葬ならそうした人々も計算に入れて引き出物も余計に準備をするのですが、家族葬にはその用意がない。つまり後で配ることになるのです。それが日曜日と月曜日の大仕事でした。
 こんなことなら一般葬でバーッとやってしまえばよかった・・・・。

 それで思い出したのが30年近く前の私自身の結婚です。
 当初私たちは「式も披露宴もやらない」という方向でことを進めようとしたのです。私はともかく妻はそういう開明的(というかケチ)な人です。
 ところがその話を聞いた先輩のたった一言のアドバイスで、私たちは一切を諦めます。

「お前ナ、せめて披露宴くらい普通にやっておけ。
一生、親戚ともご近所とも付き合わないつもりならいいが、そうでなければこの後、誰かに会うたびにいつまでも挨拶していかなくちゃいけない。一軒一軒回って紹介しなくちゃいけない親戚もあるだろうしご近所も顔を合わせるたびに紹介しなくちゃいけないことになる。そのうち誰に紹介して誰にしなかったのかもわからなくなる。
 そんなんだったら一時に一か所に集めて、バーンと紹介して、それでおしまいにしてしまう、その方がよっぽど楽だって!
 金もかからんぞ」

 そして実際、費用の上でも普通の結婚式の方が楽だったのです。葬儀も同じです。

                             (この稿、続く)
 

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2016/11/14

「家族葬という形式」@  政治・社会


 義母の葬儀も無事終わりました。
 無事と言っても細かなことを言えばかなりの不手際があったのですが、みな、無視できる範囲と言えます。
 葬儀の当事者になるということは、そうたびたびあっていいものではありません。みな初心者で不慣れであることの方が幸せですから、多少の不手際は笑って済まされるべきです(ただし私は火葬場で縁石に自家用車をひっかけてしまい、車体に大きな傷をつけてしまったので笑って済ませるわけにはいきませんが)。

 さて、今回の葬儀に際し、喪主となる義姉夫婦が心砕いたことがひとつありました。それは義母にとって惨めな葬儀にはしたくないというものです。
 最近、近所であった話ですが、普通に会場を押さえ、普通に葬儀をしたつもりが、なんと会葬者が15名しかいなかったというのです。200人も入るホールに15人では何とも惨めです。
 ふつう口にはしませんが、大雑把に、会葬者の数はその人の人徳や交友関係の豊かさ、権力などを示すと考えられがちです。
 義母は94歳の大往生なので、そこまで長生きすると多く年長者だけでなく、同輩や後輩までもが物故者です。一般広告してさて、何人集まるのか――。

 そこから出て来るのが「家族葬」という考えです。どうせ当てにしても大して期待できない参会者なら、最初から切ってしまって家族だけで温かく送り出してやろう――家族葬が何なのかはよくわかりませんが、それはそれで理解できるものです。
 義姉たちの頭の中には、葬祭センターの小さな部屋で、20人程度の親族だけを集め、菩提寺の和尚さんに来ていただいて儀式を行い、簡単な会食をして火葬、散会といったものがあったようです。
 ところがいよいよ義母が危ないとなって葬祭センターに相談に行くと、
「当方はどんな形式の葬儀にも対応しますが、どんな形でやるにしろ、菩提寺のある場合は必ず住職に連絡をして許可を得てください」とのこと。
 そこで菩提寺に行って住職に話すと、
「そんな葬祭センターなど使わず、ウチでやれ」とのお話。
「まあ、当然そういうことになるわナ」と義兄。
 それで結局、通夜は自宅、告別式は菩提寺という一般的なやり方に落ち着きました。

「家族葬」について、葬祭センターや和尚さんから言われたのは次のようなことです。
1 家族葬という特別な形式はない。
2 通夜も告別式もすべて一般葬と同じにやる。
3 違うのは事前の連絡で、一般葬が新聞などを通して広く広告しご近所にも会葬を依頼するのに対し家族葬は知らせる相手を厳しく限定し、ご近所にも参列を遠慮していただく。
4 知らせる相手は家族に限定するのではなく、特に親しい知人・友人がいれば知らせる。
5 ただしのちに事情を知って自宅に香典を届ける人もいるので、そういう人は無碍に断らない。お返し等もきちんと対応する。

 なにか思っていたのとは違うような感じもしました。


                              (この稿、続く)
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2016/11/14

「更新しました」  教育・学校・教師



「キース・アウト」

2016.11.14
マンション住人同士「あいさつ禁止」 神戸新聞投書が大波紋



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2016/11/11

「白鳥の歌」〜義母の指  人生


 妻の母が亡くなりました。94歳の大往生ですがここ10年余りは認知症も進み、寝ている時間の方が圧倒的に長い生活でした。
 私はこの義母がとても好きで、マスオさん状態で一緒に過ごした3年間に、さまざまな話を聞きました。その一つひとつは実に味わい深いものでした。

 百姓家の娘ですが幼いころ母を亡くし、父子家庭の家事の担い手として、幼い弟の面倒もよく見たようです。働くことを厭わず、愚痴も少ない人でした。
 ある意味、私にとって妻よりも尊敬できる人でしたが、その話をすると「ちょっと印象が違うかな?」と妻は言います。
 考えてみると妻は三女でしかも当時としては晩婚な方だったので、私があったときは義母もけっこうな齢になっていたはず。妻の知っている生臭さはすっかり抜け、すでに枯れて老齢の域に入ろうとしていたのかもしれません。
 人生経験をたっぷり積んで苦労を重ねた人が、そうした生々しい感情を洗い落として語る話には、独特な雰囲気と数々の蘊蓄がありました。


「人は病気や事故では死なない」
 私が大きな病気をしたとき言われた言葉で、
「人は病気や事故では死なない、寿命で死ぬのだ」
という意味です。
 どんなに重い病気や大きな事故でもその人に寿命が残っている限りは死なない。そのかわり寿命が来ればどんなにあがいても死ぬ、そこに死ぬ意味があるからだ――と、そんなふうにとらえました。
 私が大病をしたのは長野オリンピックの年で、そこでは里谷多英、清水宏保といった母子家庭のアスリートが最初の金メダリストで全国を沸かせていました。 それを見ながら、
「もし、私が死ぬとしたら、それは私がもっとも大切にしてきた二人の子どもにとって、私の死が意味あるものだからだ」
 そう思ったのです。。
 しかしどうやら寿命は来ていなかったらしく、私は生き残り、子どもたちはアスリートにならず、平凡な幸せをつかむに至っています。もちろんそれでよかったのです。


「ばあちゃん子は三文安い」
 年寄りというのは自分が寒いものだから、すぐに孫に服を着せてしまう、それで弱い子が育てしまう、そういう意味です。
 義母はそれを自戒の言葉としていたようで、孫(私の娘や息子)の養育については、私たちに意見したり、その意に沿わないことをしようとしたりすることはありませんでした。
 そばにいて、いつも静かに見守ってくれている、そんな感じでした。ありがたいことです。


「畑が洗われれば、三年、肥やしはいらない」
 洪水で畑が流されると作物は一瞬にして失われます。しかし上流から流されてきた、たっぷり腐葉土を含んだ豊かな土は、肥沃の土地を生み出します。
「今年は全滅だが、向こう三年は食っていけるぜ!」
 農民のしたたかさと、常に前向きに考えられる強さを教えてくれた話です。
 私は社会科教師として「江戸時代の農民の暮らし」とか「明治期の農民の生活」といった内容を教えるときは、心の隅にいつもそのことを置いておきました。
 私たちの祖先は、単に“弱っちい”、ダメな人たちではなかったのです。

その半面、
「だけどソバはやっぱり辛かった」
と言います。
 あれほど辛抱強く愚痴を言わない義母が、子ども時代のソバ作りだけは辛いこととして思い出すのです。ソバ作りと言っても製麺ではなく、その前の製粉のことです。
 それを20年ほど前にかなり詳しく聞いたはずなのですが、イメージがまったくわかなかったこともあって細かな点は覚えていません。ただソバの実は米より圧倒的に細かく、その細かな粒の皮を剥いて粉に挽くのは容易なことではなかったらしいのです。
 なぜその言葉を印象深く覚えているのかは分かりません。しかしあの人が辛かったというのだから、子どもには本当に辛く苦しい作業だったのだろうと、何となくそのことを思い遣りました。義母の少女時代はどんなふうだったのだろう。


 聞くところによると死亡診断書に「死因:老衰」と書くのはまれだそうです(かつて科学的でないと批判された)。義母の場合も死因は「摂食障害」――最後はほとんど食事も摂れなくなって亡くなりました。
 あれほどでっぷりとよく肥えていた義母も、最後は針金のように細くなって死んでいきました。ただしその手の指は、百姓家の娘らしく、太く、節くれだったままでした。


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2016/11/10

「アメリカ大統領選挙の憂鬱」B〜世界はどうなっていくのだろう  政治・社会


世界は変わってしまった
深い海の底で
地中、奥深くで
大気の中でそれを感じる
かつて存在したものは消え失せた
今は誰の記憶にも残っていない


 映画「ロード・オブ・ザ・リング」のオープニング・ナレーションです。

 今回のアメリカ大統領選挙、仮にクリントンが勝っていたとしても“世界は変わってしまった”状況に変わりはなかったのかもしれません。幻のクリントン政権も、それが明らかになるのを数年先延ばしにする程度の力しかありませんでした、たぶん。

 どう変わったかというと、建前の通用しない時代になった、もしくは戻ったということです。
 選挙期間中トランプ支持者の間で繰り返された「ポリティカル・コネクトス(political correctness)にはウンザリだ」について、トランプの熱烈な支持者であるオルトライト(新右翼?)の一人はNHKのインタビューに、こう答えています。
「男と女、同性愛者も美人も醜い人もぜんぶ平等だというのがポリティカル・コネクトスだ」
 それはまやかしだ、そんな馬鹿なことはないとみんな分かっていたのに、既存の政治家は誰ひとり口にしなかった。それをトランプは堂々と言い続けた、彼はウソの壁を突き破った、彼こそ正直な人、ホンネを語る人、というわけです。

 ここではもちろん、「みんながみんな差別主義者ではない。現に私は男女は平等であるべきだと思っているし同性愛者を差別する気持ちはない、人を美醜で分けたことはない」という反論もあり得ます。それこそが“私のホンネ”だという人も少なくないでしょう。
 けれど問題は、何がホンネかということではありません。ものごとを考える上で一応共通の基盤だった「人間はみん平等だ」とか「差別はいけない」とかいった価値が、相対化されてしまったということです。
 別な言い方をすれば「そういう考え方もあるね。そう考えるのは君の自由だよ」ということになったのです。

 確かにアメリカという国は昔から胡散臭い国でした。ハクトウワシが国鳥の肉食系です。しかし同時に“ええカッコしい”の国でもあり、“正義”を前面に出さなければ何もできない国だったのです。
 “リメンバー・パールハーバー”といった合言葉がなければ日本と戦争もできない、イラク戦争の際は手間暇かけて大量破壊兵器の存在をでっち上げて、それからやっと侵攻しました。
 私は若いころ、「アメリカ人と議論になって押し込まれそうになったら、とりあえず『フェアじゃないだろう』と言ってみろ。それでうまくいくとは限らないが、相手はいったんは立ち止まってくれる。怯んでくれる。その間に作戦を立て直せ」と教えられたものです(そこまで英語がうまくならなかったのこの助言は役立ちませんでしたが)。
 “フェア”という価値観はアメリカ人にとって共通で絶対的なものだということです。

 しかしそうした“ええカッコしい”の価値はここにきてすべて見直されることになります。「ポリティカル・コネクトス」だからです。
 アメリカ人と日本人、合衆国と日本国が平等だというのも日本人だけの幻想かもしれません。かつて “ジャップ”と呼び“イエローモンキー”と蔑んだ人間が、白人と同等であるはずがないじゃないかと考える人々が、ポリティカル・コネクトス蓋を外して現れてくるかもしれません。

 もしかしたら私たちは、植民以来この国が一貫してインデアンを弾圧・虐殺し、17世紀末には重大な魔女裁判事件を起こし、20世紀にはたった2発の原爆で数十万の民間人を殺し、戦後はマッカーシーズムで大量のリベラルを弾圧し、長く黒人差別と殺戮に余念なく、つい最近までKKKが公然と活動していた国だということを、思い出さなければならないのかもしれません。

 さて、北にロシアがいます。
 旧ソ連であっても第二次大戦後、“ハンガリー革命”を蹴散らし“プラハの春”を潰しアフガンに侵攻しても、これらの国の全部あるいは一部を併合することはありませんでした。しかしプーチンのロシアはクリミアを併合しウクライナに侵攻することをためらいませんでした。

 西に中国がいます。
 南シナ海にも東シナ海にも野望をもって臥薪嘗胆、爪を研ぎ牙を磨く日々を送っています。国民は習近平政府を煽ることしかしません。

 そして東にトランプのアメリカが生まれました。
 選挙中は多少遠慮しましたが、「イスラム教徒は出て行け」「メキシコ国境に壁を造って支払いをさせる」「金を払わないなら日本・韓国から米軍を引き上げる、そのために日韓が核武装してもかまわない」と言ってはばからない男です。そして合衆国全体が(彼らの言う)“ホンネ”で動く国になろうとしています。

 私たちは子どもたちに何と説明したら良いのでしょう。
 子や孫や教え子たちの生きる時代は、どうなっていくのでしょう。




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2016/11/9

「アメリカ大統領選挙の憂鬱」A〜子どもに説明できない  政治・社会


 この文章を書いている日本時間8日夕刻にはまだ投票すら始まっていませんが、アメリカ大統領選挙の帰趨を考えると心の底から憂鬱になります。
 24時間後の9日夕方にはすでに新大統領が決まっていて、その名がドナルド・トランプだっら本当に気が重い。今でも日本のテレビで一週間以上バラク・オバマの顔を見ないということはありませんから、トランプが当選すれば来年以降、私はあの金髪の大男の不愉快な顔を毎週見ることになります。それはやりきれないことです。

 なぜトランプではいけないのか。
 ここ一か月余り、日本の“識者”の中にも公然とトランプ支持を打ち出す人が出ていますが(お前らはヒラリーのズルさ汚さが分かっていない、バカ者どもが!)、私はとりあえず、あんな下品で厚顔無恥な男が世界のリーダーになるのがいやなのです。
"Make America Great Again"と言いながら具体的な政策は一切明かさない(たぶん“ない”)、人種差別・女性差別発言を繰り返し、人の悪口を言うことに終始するような男――。
 彼が当選したら、そんな男がアメリカ大統領であることを、子どもたちに説明させることがかなり難しいと思うのです。

 もちろん過去にも現在にも、内外に人格的に首を傾げるような政治リーダーはかなりいました。しかしベルルスコーニのイタリアもドゥテルテのフィリピンも世界を動かすような大国でありません。ましてや横山ノックの大阪も青島幸男の東京も、世界レベルで言えば大した影響力はありませんでした。しかしアメリカは違う。

 例えばアメリカ大統領が「日本の核武装も認める」と言えば国内に活気づく勢力はいくらでもいます。北朝鮮が着々と核大国の道を歩み、韓国にも核武装論が動き始める、それを抑えるはずの中国が北の核を黙認する状況で、アメリカの後押しを受ければあっという間に日本も核大国です(原料となるプルトニウムならいくらでもあります)。それだけの影響力のあるアメリカ大統領を、「やらせてみたら面白いかもしれない」といった程度の理由で選んでいいものか?

 トランプのあの極端な言動は選挙向けのものであって、いざ政権を取れば共和党から大量の人材が政府に入っていく、それに“二つの心臓”と言って合衆国はホワイトハウスと議会の両方が一致しないと何もできない、したがってトランプも大統領になればその言動もおのずと常識的な範囲に収まるはずだ――そういう説明もあります。
 しかし現在トランプがしゃべっていることはすべて公約となります。いかな現実主義のアメリカでも「公約の半分も守らなくていい」というわけではないでしょう。そしてトランプの言っていることは“話半分”でもたいへんなことです。

 政治の世界を侮ってはいけないことは、今から八十数年前、ドイツで背が低くて髪が薄い、そのくせ大仰な仕草と内容の演説で人を煽り立てるちょび髭の男が、政権を取った後どうしたか、それを思い出せばすぐに分かります。
 彼が選挙を通じて政権を取ったとき、ドイツ国民のかなりの人々と世界のほとんどが「結局ヤツは大したことはしないだろう、できはしない」と踏んだのです。
 彼は根っからの人種差別主義者で共産党嫌いでしたが、首相になったとき約束したのは、国際協調とワイマール憲法の遵守、そして共産党との共存でした。それらは全部のちに嘘だとわかります。
 しかしそれでも分かったのは“のち”のことだったのです。最初からウソが見え透いていたわけではありません。

 ところがトランプは選挙運動中に発言したことでも平気で「言っていない」と覆します。それが支持者には“剛毅”と映ります。
「地球温暖化はでっち上げだ」とか科学的根拠のないことも平気で言います。しかしそれも支持者にとっては見事に“看破”したことになります
 女性問題で次々と事実が出てきても「私ほど女性を尊敬している人間はいない」と平気で言い矛盾とも恥とも思っていません。支持者はそこにユーモアを感じます。
「メキシコ国境に壁をつくる」と言い「日本や韓国が金を払わないのなら米軍を引き上げる」と言い、「イスラム教徒は国内に入れない」と言いい――、それが可能なのか、それで世界に冠たるアメリカが成り立っていくのかと思うのですが、支持者にとっては「やっとホンネを言ってくれる大統領候補が出てきた」という話になります。

 さて、私はこれに続けて「やっとホンネを言ってくれる大統領候補が出てきた」ということと、ポリティカル・コネクトス(political correctness)についてまとめておこうと思いました。 
 今トランプ陣営ではやっている言葉が、
「ポリティカル・コネクトス( political correctness)にはウンザリだ」
 というものだと聞いたからです。しかし時間がなくなりました。

 私はこの続きを明日の夕方、書くつもりです。そのときそれを「トランプ新大統領誕生!」という歓喜の声の中で暗澹たる気持ちで書くのか、あるいは「ヒラリー新大統領誕生!」という歓声の中で、少しほっとしながら、しかしやはり明るくなれないまま書くのか――今は本当に憂鬱な気持ちでその様子を思い描いているのです。

                                 (この稿、続く)

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