2016/11/30

「恋愛フォビアと結婚願望」B〜結婚 ノ ススメ  教育・学校・教師


 私は34歳と11か月12日、つまりあと20日足らずで35歳になるというときに結婚しました。当時としてはそこそこ遅い結婚でした。なぜそんなに遅れたかというと、モテなかったからと言えばそれまでですが結婚したい気持ちがなく、寂しくもなく、不便もなく――要するに意欲も必然性も必要性もなかったからです。
その私が35歳を目前になぜ結婚の意志を固めたかというと、ある日突然、電撃のように気づいたのです。
 10年たっても20年たっても、30年たっても何も変わらないだろうということをです。
 教職というやりがいのある仕事について年々スキルを上げ、多少自信もつき、不安なく日々を送る、私生活では映画や読書や音楽や、好きな時に好きなものを楽しみ、自分の稼いだ金を好きなように使う、しかしそれは10年たっても20年たっても30年たっても同じだろう、同じ程度の楽しみと同じくらいの満足、喜び、豊かさがあるものの、すべてその程度。将来が何もかも見通せる。そしてそのことに恐怖を覚えたのです。

 結婚が人生を変える手段になるというのは、悪くない判断でした。
 お互い我の強い者どおしの結婚でしたから一筋縄ではいかないものがあり、なかなか大変でした(今も大変)が、人生は確実に変わりました。
 さらに子どもが生まれると、生活の変化、生き方の更新というは必然的で、定期的なものとなってきます。
 そのあたりの事情は最近、「花嫁になる若き女性への手紙」(2016.07.01)という題名でこのブログにも書きましたが、要するに乳幼児の親であることと小学校低学年の子の親であることと、高学年の子、中学生の子、高校生の子の親であることとはすべて違うのです。そのたびにこちらが成長・脱皮し、他の人間に生まれ変わって対応しなくてはなりません。

 結婚というのはつまり“生まれ変わり”“甦り”であって、結婚生活はそれが繰り返されることに他なりません。

 私はずいぶん以前からそれを知っていたはずなのに、なぜ若い人たちにそう言って結婚を勧めてこなかったのかとても不思議です。

 結婚ってどうですか?――ウン、大変だよ。
 結婚生活を維持する秘訣は?――ただ耐えるのみ。

 どうしてそんな答え方をしてきてしまったのだろう?

 それらはもちろん嘘ではないけれど、サッカー選手が「練習は大変でしょ?」と聞かれたり、プログラマーが「プログラミングって神経使うでしょ?」と聞かれるのと同じで、夫婦生活はたしかに“大変”で“気を遣うもの”で、“忍耐の連続”で“楽しいばかりじゃない”ですが、しかしそう簡単に手放せられない何かしらがあるのです。
 サッカー選手が競技にこだわり、プログラマーがプログラミングをやめないように、私に結婚生活を解消する気が全くない以上、そこに見出している意味や価値を、言葉にして若い人たちに伝えていく必要があるはずです。

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2016/11/29

「恋愛フォビアと結婚願望」A〜こうなったら相手はだれでもいい  教育・学校・教師


 恋愛をして相手を十分理解したうえで結婚しても、それで幸せが保障されるわけではない。現代の若者たちが無意識に親から学んだのはそういうことです。もちろん親から学んだかどうかは別にしても、それは真理です。そこから恋愛なんて必要ないという考え方が出て来ます。

 考えてみれば恋愛結婚の方がはるかに歴史が浅いのであって、日本人は(というか多くの民族が)昔から親兄弟や近隣の人たちの善意や利害によって結婚相手を決められ、それでさして問題はなかったのです。また恋愛結婚が主流になって夫婦の関係が格段に良くなったというわけではありません。そうなると人生にとっても人類にとっても恋愛は必須ではないことになり、独身男性の約7割、女性の約6割に交際相手がおらず、独身男女の4割に性経験がないことは、むしろ当然の帰結ということになります。
 性的な問題はネットで解消し、恋愛圧力も受けていない――現代の若者にとって、恋愛という複雑な感情のやり取りは、ひたすら面倒臭いものなのです。

 ではそこまで恋愛への意欲が衰えた若者たちは、結婚に対する興味も失ってしまったのかというとそれがそうでもないのです。実際には結婚への意欲はさほど衰えていない、いや、むしろ高まってきている――それが先週木曜日の「クローズアップ現代+」のもう一つの論点、
 一方、恋愛プロセスを飛ばして「いきなり結婚」を目指す若者もいる
という部分です。

 例示されたのはまず、ブログで結婚相手を募集した女性。結婚したい理由は子どもが欲しいから、したがって相手の年齢、年収、見た目などの条件は問わないというのが特徴。
クリックすると元のサイズで表示します  第二に「大手結婚相談所3社で20代の利用者が増加中」というグラフ。中には大学生のうちに登録する人もいて、年齢層がどんどん若くなっているんだとか。
 三番目がスマホの無料婚活アプリで相手を探す26歳の女性。
 最期が、現在ヒット中のテレビドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」の原作マンガで契約結婚について描いた海野つなみさんの証言。
「なんでみんな結婚したがるのかと考えたときに、安心したいのかなと思って。婚活疲れた、就職活動疲れた、仕事疲れた、逃げたい。『契約結婚でいい』そういう感じは(読者の)感想を見て思います。」

 三番目の、無料婚活アプリに登録した26歳の女性の例は特に深刻でした。
 彼女の結婚理由は生活苦。年収が200万円しかなく、家計の負担をシェアすることで生活を安定させたいというのが結婚したい理由。これではもう昭和初期か大正です。
「ひとり口は食えないが、ふたり口は食える」
というように、年収200万円の一人暮らしは苦しくても、年収400万円の二人暮らしはまだ楽なのです。住宅も冷蔵庫も電気炊飯器も洗濯機も一つで足ります。ひとり暮らしでは半分も捨ててしまっていたキャベツも、ふたりなら食べ切ることができます。光熱費も水道料も2倍ということはなく、せいぜいが1.5倍です。
 昔のひとの結婚理由も多くはこれで、だから相手の顔も見ずに結婚できたのです。それと同じことが、今、起ころうとしています。
 

 番組では取扱いませんでしたが、女性側には結婚を急ぐ理由がもうひとつあって、それは昨今言われる「卵子の老化」ではないかと私は思っています。
「結婚適齢期なんてない、そのひとの気持ちが整ったときが適齢期」
――つい最近までそんなふうに言われ、結婚なんていつしてもいい、場合によってはしなくてもいい。本人がその気になったら結婚して、子どもを儲け普通の家庭を築けばいい、そんなふうに思われていたのです。
 ところが昨今の「卵子の老化」報道により、結婚には適齢期はなくても妊娠・出産には適齢期があって、限界もあるということが広く知られるようになってきました。すると、妊娠・出産を視野に入れる限り、結婚にも臨界点のあることが分かってきます。もちろん凍結卵子というのもありますが、それとて45歳を過ぎると受精卵が作製できても母体に戻せなくなる――。 
 そうなると凍結によって若い卵子を確保するより、そもそも自分も卵子も若いうちに子どもだけでも確保しておいた方がいいのではないか、そういった考え方も出て来ます。こうなったらもう、相手は誰でもいい――。
 どうせ恋愛や婚活で、努力して相手を選んでも、実際に結婚してみなければ本当のところは分からない、だとしたら、まず結婚して子どもを儲け、相手のことはそれからじっくり考えたって遅くない。大恋愛で結婚した父母たちだってあとで考え直しているんだから、どっちみち同じじゃない?ーーそんなふうに考える子が出てきても、それはそれで筋の通った話です。

 そしてようやく、ここにきて私は理解するのです。恋愛や結婚や子どものいる生活について、もっと子どもたちと話しておくべきだった、と。

                               (この稿、続く)



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2016/11/28

「恋愛フォビアと結婚願望」@  教育・学校・教師


 先週木曜日(11月24日)のNHK「クローズアップ現代+」は「恋人いらないってホント?出現!“いきなり結婚族”」という題名で、今日の若者の恋愛・結婚事情について、新たな観点からルポルタージュしたものでした。
サイトの紹介によると、

「恋愛が面倒」「セックスを嫌悪している」。そうした若者が急増している。9月に発表された国の調査でも、独身男性の約7割、女性の約6割に交際相手がおらず、独身男女の4割に性経験がないことが明らかになった。一方、恋愛プロセスを飛ばして「いきなり結婚」を目指す若者もいるという。一体、何が起きているのか。番組では若者800人にアンケートを実施。先進国でも異例とされる“恋愛無用社会”の深層に迫る。
 我が家にはアキュラという独身息子(まだ学生ですが)がいますので興味深く見させていただきました。

 そのアキュラですが、父親である私の目から見ても何とも掴みどころのない子で、恋愛事情についても見えてきません。現在、特定の彼女がいないことは確かのようですが、過去はどうだったのかというとそれも分からないのです。
 私よりも多少くわしい姉のシーナに言わせると、
「アキュラはこれまでいい恋愛をしてこなかったから、悪い女に騙されるんじゃないかと思ってそれが心配」
ということになります。しかし親としては、“悪い女”さえ近づいてこないんじゃないかと、さらに深刻な気持ちです。

 私に似て小さい子は好きなので結婚する気はあるらしいのですが、
「子どもは欲しいんだけど、妻ってのはいらないよね」
などと平気で言いますし、特にオタクとも思いませんが、
「三次元の女は苦手だなあ」
とか言って積極的に女性に関わって行く様子も見られません。そうした姿は二十歳前後だった頃の私とは全く違ったものです。

 私も二十歳前後のころは「いい恋愛をしてこなかった」状態でしたが、頭の中は三次元の女でいっぱいでした。『セックスを嫌悪している』など周囲のどこを見回してもあり得ない話で、頭の中は妄想でいっぱいです。
 インターネットの普及した今日だとありとあらゆる性情報が画像でも動画でもテキストでもバンバン入ってきまが、当時は生々しいものはほとんどありませんでしたから、知識の空隙を妄想が埋めたのです。そして妄想は揮発性が強く、すぐに膨らんで圧力を高め、いつでも爆発しそうなほどのパンパン状況になります。

 それだけではありません。一方で肉体的な欲求に悩まされながら、他方では社会的な意味でも異性に向かっていく必然性があったのです。
 それは、今から考えると恋愛至上命令みたいなもので、
「恋をして、燃えるような情熱の中で結婚しなくちゃ人間じゃない」
といった雰囲気です。

 テレビでは(今は千葉県知事に身をやつした)森田健作くんが剣道部のキャプテンをしながら恋にスポーツに邁進し、映画館では加山雄三さんがありとあらゆるスポーツで優勝しながら、常に恋の勝者となっていた、そういう時代です(ただし彼らは勉強はしなかった)。青春とはそういうものでなければならなかったのです。

 もちろんそれにはわけがあります。恋とスポーツは新時代の青春のシンボルで、それこそが戦前・戦中派と私たちを分ける明確な指標だからです。
 私たちの親世代は戦争を挟んで青春時代を送った人たちですから、恋だの愛だのはほとんどありません。唯々諾々と周囲に従い、黙って歴史に流されるしかなかった、そういう主体性のない人々です(と、当時の私は思っていた)。
 私の同級生の両親などは仲人夫婦が、「いくら何でも結婚式当日の初顔合わせじゃ気の毒だから」と式の前日、新郎は仲人に、新婦は仲人の妻に連れられて路上ですれ違ってお互いを確認したといいます。そんな例は山ほどです。
「恋をして、燃えるような情熱の中で結婚しなくちゃ人間じゃない」 
はそうした親世代に対する激しい抵抗で、“見合い結婚に追い込まれたら、それだけで旧世代人の仲間入り”といった感じがあったのです。相手を十分知らないで結婚するなんて、そんな前時代的で封建的で愚かなことは絶対にしたくない! それは普通でも正しくもない行為だ!
 そうやってさらに異性にのめり込んでいったのです。
 ところがアキュラたちは――。

 NHKの「クローズアップ現代+」では、現代の若者たちの、恋愛における立ち位置ついてあざやかな説明がありました。それはコメンテーターの中大教授の言葉です。
親も、そこ(フリップボード)にセックスレス、離婚とあるように、恋愛結婚したはずの親があまりラブラブじゃないぞ。だったら、恋愛を省いちゃってもいいんじゃないの。
 確かにその通りです。
 私たちが親を見て「相手を十分知らずに結婚するとろくなことはない」と思ったように、現代の子どもたちは「相手を十分知ったつもりで結婚しても、どうということはない」とわかっているのです。

                                (この稿、続く)


1

2016/11/25

「教師の役得」〜かつて映画の招待券をもらっていたことがあるA  教育・学校・教師


 かつて映画館の招待券が学校に置いて行かれたことがあったというお話をしました。

 たいていの教員は年中忙しがっていますからその券も無駄になることが多かったのですが、私の数少ない趣味のひとつが映画鑑賞でしたから、けっこう便利に使わせていただいていました。それでトラブルになったことはありません。
 ところが教員になって10年以上たってから(ということは映画の招待券を便利に使わせていただくようになってからも10年以上)、突然、入場を断られたのです。

 息子が4〜5歳になったころだったと思うのですが、長期休業中のアニメ大会みたいなのが終わって、宇宙人だかロボットだかが出て来る、とにかく小さな男の子が好きそうな一般映画を、一緒に観ることにしたのです。
 チケット売り場で息子の券(たぶん1000円くらいだったと思う)だけを買い入場口を通ろうとしたら、モギリのおじさん(たぶん経営者)が、
「お客さん、この券(招待券)はアニメ大会に来てもらうために学校に持って行ったもので、他の映画で使われちゃ困るんだよ」
 今までそんなこと、言われたことがありません。そこで、
「そんなこと、どこにも書いてないじゃないですか」
ととりあえず言ってしばらくやり取りしたのですが、どんな偉そうなことを言っても要するに“タダで映画を見させろ”という話なので迫力がなく、すごすごと引き下がる羽目になりました。
「じゃあ、息子の分は払い戻させていただきます」
 そう言って千円札を受け取って帰ったのですが、うっかりしていたのが駐車料金。映画館の半券を見せれば無料になるという駐車場だったので何もせずに戻ってくると一銭の割引もなし。考えてみれば映画館までの往復のガソリン代だって損です。
 車に乗り込むとまた腹が立ってきて、
「だったら最初から『アニメ大会招待券』と書いておけばよかったんだ。招待券もらって申し訳ないと思うから児童にも割引券を配ったのに、いいように使われた。
 こんな映画館潰れればいいんだ!
 と悪態をつきながら帰ってきました。
 そしたらわずか半年後にその映画館が潰れてしまい、観られる映画の数も減って私が困りました。
 確かに、あんなセンスの悪い経営者では潰れもします。
 あの日、私たちを追い返したばかりに2席を空にして空気に映画を見せたのです。現金として息子分の1000円を取り損ねて、潜在的観客を数十人失いました。なぜなら私は招待券のないときはきちんと金を払って観に行っていましたし、私がしゃべれば結構な宣伝にもなったはずだからです。ガラガラの映画館よりも一人でも客が多くいれば、他の観客だって気が楽でしょう。

――と、それで急に思い出したことがあります。
 それは私が教員になったばかりの独身時代で、生徒に誘われて一緒に映画を見に行った時のことです。
 生徒が一人ずつ、「中学生1枚」「中学生1枚」・・・と入場券を買っている最中、突然、私は聞いたばかりのお笑いの一部を思い出したのです。
 それは、
「映画館で子どもたちが『高校生1枚』『高校生1枚』・・・そしたらそのあとに窓口に立ったお年寄りが、『農業1枚』・・・」
 というものです。
 これはいいことを思い出した、絶対ウケる――そう思って私の番が来たとき張り切って、言ったのです。
「教師1枚!」
 ところが周囲は全くの無反応。そして窓口の中からは、
「ハイ、750円です」
(え? 半額なの?)
 
 なんだかキツネにつままれたような気持になりながら千円札を出して250円のおつりと入場券を受け取りました。教員割引があったのです。
 その映画館は30年後の今も残っています。教員割引をやっているかどうかは知りませんが。
                             (この稿、終了)


2

2016/11/24

「教師の役得」〜かつて映画の招待券をもらっていたことがある@  教育・学校・教師


 11月も押し迫り、そろそろお歳暮のことを考えなくてはいけない時期になりました。我が家の場合はもう何年も前からミカンと決まっていて(別に産地ではないのですが)、「どうせ今年もSさんのウチから来るに違いない」とアテにして買わない家もあるとか――それはそれで期待される良いお歳暮だと悦に入っています。

 さて30年近く前、この時期に突然、都会に住む義理の姉から電話がかかって来て、
「ねえSさん、学校の先生って何を贈られたら喜ぶの?」
 とか聞かれます。
 何の話か分からないので聞き返すと、
「ホラ、お歳暮のシーズンでしょ。最初お酒とも考えたんだけど、なんか先生のところって酒屋さんが開けるくらいあるっていうし・・・」
 私はびっくりしました。そんな話、聞いたことがありません。
「いや、こちらの県では教師にお歳暮なんて聞いたことがない、私ももらったことがない、だから何がいいかと聞かれても答えようがない」
と返事をしました。
 義姉は何か不審めいた雰囲気でしぶしぶと引き下がり、電話を切ってくれましたが、私としてはただひたすら、彼我の違いに驚いただけでした。
“給料も待遇も数倍いい上に、さらにお歳暮かよ!”

 それが事実だったかどうかはついに確認しませんでしたが、今では都会だって担任教師に対するお歳暮などといったことはなくなっているに違いありません。公務員の役得に、世間はそんなに寛容ではないのです。
 そもそも担任教師にお歳暮と言うこと自体が特殊で、学校社会というのはもともとクリーンな社会で、最近では教材会社から預かった見本ですら丁寧に返還しなさいといったふうになっていますから、贈賄とか供応といったこととは縁がないのです。
(教材会社が検定中の教科書を見せて謝礼を払ったという件についても、贈収賄・供応に当たらないと以前お話ししました)

 それでは教員であることで何らかの役得はまったくなかったのかとよおく考えたら、ひとつ、それらしいものを思い出しました。映画の招待券です。

 今でこそシネマ・コンプレックスといった特殊な映画館があちこちにできて、しかもヒットが続いたこともで映画産業も多少の盛り返しを見せていますが、私が大人として生きてきた時代の大半は斜陽産業でした。地方の映画館など、どんどん廃業してしまう。
 そうした衰退の中で、学校の長期休業中に行われる子ども向けの映画特集は、地方の映画館にとってはドル箱でした。そこで教育委員会を通して、小中学校に割引券を持ち込んだのです。
 子どもが観に来るときは親も必ずついてきますから(「子どもだけで映画館や劇場に入ってはいけない」という校則は映画館のためにつくったのじゃないかと疑ったことがあります)、かなりの収入となったはずです。
 そんな民間企業に学校が協力する義理もないのですが、もともと配給会社の方で「文部省推薦」みたいなお墨付きをもらってあったり、衰退しつつある地域の振興という意味で自治体からも圧力がかかりますので、教委も断りにくくすんなりと学校に持ち込めるようになるのです。

 もっともそうは言っても担任の先生に人数分の割引券を配ってもらうわけですから映画館側もきまりが悪く、そこで館の無料招待券を数枚置いて行きます。そこには学校の先生なんて年中忙しがっているから配ったところで実際来たりする人は少ない、といった計算もあったのかもしれません。ところがその無料招待券を、私はけっこう熱心に使ったのです。
 映画が好きでしたし、観てきたものについては生徒にもよく話しましたから、
「私の話を聞いて生まれる映画ファンは10人、20人じゃ済まないから、映画産業に貢献しているようなものだ」
と、むしろ券を使うことに前向きだったりもしたのです。

 今ではとてもそんなことはできませんし、そもそも招待券自体が来なくなって久しいですから、すでに伝説みたいな話です。

                              (この稿、続く)
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2016/11/23

「更新しました」  教育・学校・教師


「キース・アウト」


2016.11.23
引きこもり仕組み、一端解明へ 京大教授らマウスの脳内変化確認


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