2016/10/31

「ハロウィンって何だったっけ?」  歴史・歳時・記念日


 今夜はハロウィンです。
 とは言っても今朝あたり子どもたちに聞けば「昨日やったよ」とか「土曜日にやっちゃった」といったふうに、仮装してあちこち歩き回る行事の大部分は土日のうちに済んでしまっているのかもしれません。
 ハロウィンは10月31日の夜なのだから日を変えてはだめだ、といった杓子定規はこの国には通用しません。必要ならクリスマス・イブだって誕生日(パーティー)だって変更してしまいますからハロウィンなんて軽いものです。そもそも全国一斉コスプレ・パーティくらいにしか考えていないこの行事を、10月31日に限定すること自体が無理なのです。

 さて、私は長くこの「ハロウィン」を万聖節の前夜祭だと思い込んでいました。英語の「ハロウィン」は『万聖節の夜』を意味する "All-hallow Evening" の短縮形を語源とすると聞いていたからです。
 もっともこの段階ですでに厄介な問題があり、「万聖節(今は「諸聖人の日」と言うそうですが)は11月1日なのに「万聖節(諸聖人の日)の夜=All-hallow Evening」が10月31日の夜なのは何故なのか」というところから調べなおさなければなりません。
 それはクリスマス・イブも同じで、子どものころ「イブというのは『前夜祭』という意味です」とか教えられてすっかりその気になっていたのですが、”Evening”はやはり”Evening”、つまり「当夜」でしょう。
 そのからくりは古代において、「一日の終わりは日没」というルールがあったことによります。つまりキリストの誕生日である12月25日は前日(24日)の日没から始まっていますから、「クリスマスの夜(クリスマス・イブ)」は現代の24日夜に祝わなくてはならないのです。
「諸聖人の日」も同じで、10月31日の日が没した瞬間から11月1日は始まっていますから、「諸聖人の日の夜(ハロウィン)」の祝いも、現代の10月31日夜にやらなくてはならないのです。(*注)

 私はついさっき『長くこの「ハロウィン」を万聖節の前夜祭だと思い込んでいました』と書きましたが、ここまでの話だと「万聖節(諸聖人の日)の前夜祭」という考え方は間違っていないことになります。
 確かに言葉の説明としてはそれで正しいのですが、私たちの知っているすべてハロウィン行事――お化けの仮装だとか、ジャック=オー=ランタンだとか、トリック・オア・トリートだとかは全部「諸聖人の日」と関係なく、それどころかキリスト教徒の中では「批判するか容認するか」といったレベルのものらしいのです。
 それらすべては古代ケルト人、つまり異教徒の行事で、彼らをカトリックに改宗させる際、ケルトの収穫祭に合わせて「諸聖人の日」を移動したために二つの行事が混同されたのであり、キリスト教会の立場からするとハロウィンはおよそキリスト教的ではないということで一致しているのだそうです。

 ハロウィンはアメリカで独自の発達をしてジャック=オー=ランタンもカブからオレンジカボチャに変わり、子どもによるお菓子強要行事も入って、収穫祭だの季節の変わり目だのといった感じも亡くなってしまいました。
 それがさらに日本に定着して、ケルトもキリストなく、カボチャはカキに変えようと画策され、仮装もお化けや魔女だけではなくポケモンからアイドル・人気キャラまで――こうなるともうすっかり日本の行事です。
 二の四の言わず日本の景気刺激の一助くらいに思って、みんなで盛大に祝おうじゃありませんか。

 ハッピー・ハロウィン!!


(*注)
江戸時代の日本は古代ヨーロッパと反対で、日の出をもって一日の始まりとしました。ですから元禄15年12月14日の赤穂浪士の討ち入りは、現代では15日早朝の事件です。また「日の出が一日の始まり」なので正月の「二年参り」も、日の昇る前に神社仏閣へ行き、日が昇ってから帰ってくればいいことになります。現代の「二年参り」に比べたらずっと楽な行事だったはずです。
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2016/10/28

「大川小学校の悲劇は防げたか」  教育・学校・教師


 東日本大震災の津波で児童74人と教職員10人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校を巡り、児童23人の遺族が市と県を相手取り23億円の損害賠償を求めた訴訟で、仙台地裁(高宮健二裁判長)は26日、市と県に約14億円の支払いを命じた。
 判決で高宮裁判長は、震災発生後、市広報車が学校周辺で津波が迫っていることを告げていたことから、「呼びかけを聞いた後では、大規模な津波の襲来は予見したと認められる」と認定。学校の裏山に避難させず、結果回避義務違反の過失があると判断した。

10月26日毎日新聞

 つい最近も書きましたが、(9月28日「後世に伝えたいこと」)東日本大震災という大変な災厄の中で、しかし日本人がその実力を明らかにし、世界に発信するとともに翻って自分たち自身がこの国に誇りを持つことができるようになった――そういう意味で、幸いな面もなかったわけではありません。
 特に学校教育のもつ計り知れない実力は、この災害の中でもいかんなく発揮されたといえます。「釜石の奇跡」の例を持ち出すまでもなく、東北各地の学校ではすべて的確な避難が行われ、避難所が開設すると同時に多くの教職員が優秀なスタッフとして運営に当たりました。すべてはマニュアルのない中で、あるいはあっても役に立たない状況で、児童も生徒も教職員も粛々と活動したのです。ただひとつ、石巻市立大川小学校の場合を除いて・・・。

 2011年の3月、私はまず、大川小の被災が報道の俎上に上がってくる遅さに驚きました。
 一校で90名近い児童教職員が死者・行方不明者になっているというのに、そのニュースが取り上げられるようになるのは震災後五日ほど経ってからのことだったからです。
 いかに全体として死者・行方不明者が1万8千人を越え、東日本全域に及ぶ大災害の最中であったとしても、そして、同時に福島第一原発の重大事故が発生していたという事実があったとしても、それはあまりにも遅い動きでした。
なぜそうなったのか。

 第二の疑問は、――これは保護者が問題とし、今回の裁判でも中心的なテーマとなったものですが――、なぜ教職員・児童は地震発生後50分間に渡ってその場に留まり続けたのかということです。これが全く解せない。

 公務員、殊に教員は基本的に臆病ですから、手を打たずに事態を放置するということが苦手なのです。子どもを前に置くとさらにその傾向は助長されます。“このあたりでいい”ということがない。十二分に手を尽くさないと気が済まない、できもしないことまでやろうとする、それが教員です。にもかかわらず大川小学校では最低限の対応しかとらなかった。

 2011年3月11日午後2時46分、巨大地震が石巻を襲って全員が校庭に避難したとき、当然人員点呼を行ってその場にしゃがませた。そのあと大川小学校教職員は何をしたのか。
 教頭がラジオで情報を確認していたという話もあります。しかし教頭だけではないでしょう。教職員の誰かがスマートフォンや携帯をネットにつなげて情報を取ろうとします。ワンセグ対応の場合はニュースを見ようとあれこれします。
 やがて地域の人々もひとりふたりと避難してきます。その人たちとも情報交換をし相談します。ほとんどの場合、教職員は地元の人間ではありませんから地域のことは地域の人に聞くしかありません。このままでいいのか、さらに別の方向へ避難すべきか。そんなふうに話を聞きながら判断します。当然、広報車のラウドスピーカから流れる話にも耳を傾けたはずです。
 津波は確実に来る、しかもかなり大きな津波が………しかし彼らは動かなかった。

 考えられる可能性のひとつは、現場にいた教職員が独自の判断で動くことを許さない有形無形の圧力があった可能性です。
 その日たまたま不在だった校長や市教委の指示がなければ何もできない、何かをしてはいけない雰囲気、あるいは常に地域や保護者と相談しなければ何も決定できない慣習、教職員同士の不和による方針の不統一、そうした可能性はいくらでも考えられます。
 そのほかにも、その日の実質的最高責任者である教頭の無能、校庭に避難してきた地区住民の誰ひとり二次避難場所を考えて移動することがなかったというその場の雰囲気なども可能性のひとつと言えます。
 しかし今となってはすべては闇の中、関係者の大半が亡くなってしまった状況で、掘り起こせることには限りがあります。

 東日本大震災の津波で児童74人と教職員10人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校をめぐり、児童23人の遺族が市と県を相手取り
とあるように今回の裁判には参加しなかった遺族が多くあります。不参加の理由は様々ですが、裁判にするほどのことはないと考えたから不参加なのでしょう。その点では一致しています。
 そうした遺族がある以上、裏を返せばこの件は全く裁判にならなかった可能性もあるといえます。学校も10名の教職員を失ったのです。その人たちも家族がいます。ともに大切な人を失った悲しみを共有するという道もあったはずです。しかし提訴した遺族たちは市と県を許さなかった。裁判を起こして明らかければならないことがあると信じた――なぜそうなったのか。

 そこには無能で無責任なひとりの管理職の迷走があったと私は感じています。
言うまでもなく地震は防げなかった、津波の発生も防げなかった、結果的に84名も尊い命を失ってしまった、しかしそのあとからでもしなければならないことはあったのです。

 詳しくは「毒書収監」→「あのとき、大川小学校で何が起きたのか」
 またそれに続く「学校を災害が襲うとき〜教師たちの3・11」
も合わせて読んでいただけるとありがたいと思います。



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2016/10/27

「これも人の子」B  教育・学校・教師

         〜元ヤンの娘

 息子のアキュラが生まれたとき、二人部屋で妻の隣にいた人は二十歳そこそこの元ヤンみたいな女性でした。当時の田舎としては珍しい完全な金髪で、目にも鋭い光がありました。
 ただ、妻とは気が合ったみたいで、様々に話をしたようです。
「十代の恋は死ぬか孕むか」という言葉を教えくれたのもこの人です。

 妻とは一まわり以上も違うのに二人とも二度目の出産で、三歳くらいの女の子が毎日見舞いに来るのも同じです。ただしその子を連れてくるのはいつもお祖母ちゃんで、赤ん坊の父親にあたる人が来たのは退院のわずか二日前のことでした。
 後で聞くと、その日、隣りの女性は妻が聞こえないように押し殺した声で(しかし全部聞こえた)、夫にあたる人にこう言ったそうです。
「ふざけるなよ。てめェ!ぜってぇ忘れねぇからな」

 私の方はアキュラが生まれたその朝にはシーナと一緒に赤ん坊の顔を見に行っていますから、隣りの女性もたまらなかったのかもしれません。仮に仕事が忙しかったにしても五日に渡って顔を見せないというのもおかしな話です。今と違って携帯もメールもない時代ですから呼ばれないのをいいことに、毎日遊び歩いていたのかもしれません。
「てめェ!ぜってぇ忘れねぇからな」と言った若い母親の気持ちの方がむしろ理解できます。

「ただねぇ」と妻は言います。
「あの子(隣りの母親のこと)、あんなしゃべり方をするいかにも元ヤンだけど、赤ちゃんのあつかい、ほんとうに丁寧なのよ。授乳の時間にはオッパイをあげる前と後で必ず体重を測って記録に取ってるし、しょっちゅう話しかけてる・・・」
 ウチはやってねえのか、オイ? とツッコミたくなるような話ですが、こちらの方は三十半ばを過ぎてかなり図太くなった母親で、同じ二人目とはいえ、若い母親とはものの感じ方も考え方も違うのかもしれません。

 当時教えていた子どもたちと大差ない年ごろのその母親を見て、私は、そんな男と一緒で大丈夫だろうかと心配しながら、むしろ男なしの方がこの子はうまくやっていけるのかもしれないと思ったりもしました。

 その母子とはその後一度も会うことはありませんでした。
 同じ朝に生まれた子(あちらは女の子)ですからもう23歳。母親がその子を産んだ年を越えてしまったことになります。どんな育ちをしているかわかりませんが、二人目であるにも関わらず、あんなに丁寧にあつかってもらった子です。おそらく幸せに暮らしているのではないでしょうか。

 教師として長い間にたくさんの子どもたちを見てきて、しばしばこの子には我慢ならないと感じることがありました。
 コツコツと一緒に積み上げてきたことを一瞬のちゃぶ台返しで台無しにしたり、教師に当たればいいものを同級生につらく当たったり、懇切丁寧に話し指導したその夜に非行事実をつくったりと、そのたびに口惜しい思いをしたりホゾを噛んだりしましたが、その腹立たしい子も、また人の子なのです。
 私もたびたびそのことを忘れ、悪態をつくことも少なくありませんでした。しかしそれでもやはり子供たちの元へ戻っていかなくてはならないのです。

 お前は本当に困ったヤツだ、自分で自分をコントロールできない。子どもだからな。
 オレもいいかげん呆れ、疲れ、うんざりして、投げ出したい気持ちだがお前も人の子、真剣にお前のことを見つめ、愛し、慈しんだ人がいる以上、もう一度オレもやってみようと思うよ。

                                      (この稿、終了)
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2016/10/26

「これも人の子」A  親子・家族

       〜親の願いを一身に背負った子たち

 シーナの出産の際、集中的にサイトやブログを調べたこともあって、以後、私は出産や乳幼児の養育・保育に関するネット上の記事を読むことが多くなっています。
 多くはハーヴと同じ年頃の子を持つ親のブログですが、子は同い年でも親の年齢にはかなりの開きがあります。二人目、三人目ということありますが初産の場合が圧倒的です。家に最初の子どもの写真が異常に多いのと、同じことが起こっているのかもしれません。
 子どもが双子あるいは障害を持っているといったブログも有意に多いように思います。あまり一般的でない場合、細かな点では情報も少ないですから、自ら情報を発信しながら必要な情報を集めて行こうとネットを有効に活用している様子がうかがえます。
 いわゆる“妊活”で大変な苦労をされた夫婦も少なくありません。流産を何回も繰り返した上でようやく子どもを得たという家庭もかなりあります。
 苦労された方には当たり前の知識だと思いますが、流産の確率は全妊娠の15%にも及ぶのだそうです。40代以上になるとそれが20〜25%にもなります。たまたま私の周辺にはそうしたことがなかったので、私はその点にまったく無知でした。

 そして運よく生まれたとしても、何らかの理由で生後まもなく死んでしまうことも少なくありません。

 ある夫婦は生後38日の娘さんを先天的な代謝異常によって失うのですが、あと十日ほどの命となったとき、医師と看護師に呼ばれ、子どもにしてあげたいことをできるだけたくさん挙げるよう依頼されます。
『子供さんにしてあげたいことを紙に書いてもらったら、できることをひとつずつ探していきます』
 夫婦は一生懸命考え、19のことがらを記録します。


 夫と一緒に、娘にしてあげたいことを考えた。

『してあげたいこと』というよりは、
『自分がしたいこと』になってしまった。
『赤ちゃんが生まれたら、することになること』すべてをしてあげたかった。

・抱っこしたい
・管をとりたい
・管をとって写真を撮りたい
・管をとった親子3人の写真を撮りたい
・ベビーカーでお散歩したい
・手型、足型をとりたい
・直接母乳をあげたい
・おふろにいれたい
・爪を切りたい
・髪の毛を切りたい
・笑顔が見たい                    
・耳掃除、鼻掃除をしたい
・同じ布団で一緒に寝たい
・服を着せたい
・絵本を読んであげたい
・ビデオを撮りたい
・おむつを替えたい
・ベビーマッサージをしたい
・チューしたい

 読んでいるだけで気持ちが沈んでいきます。

 しかし、実はこのできごとは9年前のことなのです。
 夫婦はそののち三度の妊娠を体験し、二度の出産を果たします。上のお子さんにはやはり先天的な代謝疾患があって今も苦労されていますが、二人とも元気の育っています。
 両親の願いを一身に背負った子どもたちなのです。

                            (この稿、続く)
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2016/10/25

「これも人の子」@  親子・家族

        〜「いのちのこと」現在

 しばらく以前、タレントの壇蜜さんが、
「嫌なことがあったときは、“これも人の子”と思うことにしています」
といった話をしておられました。
「どんな嫌な奴にも親はいるのだ。その人に免じて少し許してやろう」
 そんな意味かと思います。いい話だと思いました。

 昨日まで娘のシーナが孫を連れて帰省していました。昨年の6月に生まれたハーヴです。
 出産時にトラブルがあって、その経緯については前に書きました(「いのちのこと」@以降)が、以後大きな問題もないまま1歳4か月の今日を迎えています。
 とは言っても全く順調だったわけではなく、早い子だったら3〜4か月でできる寝返りが10か月になってもできず(結局、その五日後にできた)、ハイハイもちゃんとできるようになったのは1歳1か月。同じ月齢の中には高速ハイハイからさらに進んでほとんど走れるようになった子もいるわけで、その中で寝るか座るかしかできないハーヴとともに過ごしたシーナの心中は察するに余りあります。
 それが単なる遅れではなく、出産時のトラブルと関りがあるのかもしれないと考えると不安は高まります。しかし逆に“とにかく元気で生きてさえいてくれればいい”と思ったあの日があるから焦ったり落ち込んだりすることもむしろ少なかったのかもしれない――シーナはそんなふうにも言います。
 その慌てず騒がず、ハーヴがハーブらしく育てばいいと温かく見守っている姿は、わが子ながら立派だと感じています。

 最初の一週間を
 昨日は保育器に手を入れて赤ちゃんに触らせてもらった。
 今朝は時間外に哺乳の様子を見せてもらった。
 午後、保育器に手を入れて哺乳させてもらった。
 明日は調子が良ければ保育器から出して哺乳できるかもしない。

と、普通の出産だったら当たり前のことをいちいち喜んですごした時間は、今となればシーナが覚悟を決めるうえで、必要なものだったのかもしれません。
 今もめげそうになる時、ハーヴは常に「ボクは、ボクだよ」と語りかけてくるそうです。その言葉に励まされて、シーナも落ち着いて努力を重ねてきました。
1歳4か月を経て、この帰省中、ハーヴはようやく歩くような様子を見せています。来月にはもうハイハイもやめてしまうでしょう。それはそれで寂しいことです。
 そのゆったりとした静かな成長を、私たちも静かに見守っていきたいと思います。

 ところで、シーナの出産とハーヴの成長の日々は、私の生き方・考え方にも少なからぬ影響を与えました。
 当時私はこんなふうに書いています。
 シーナの妊娠と出産から、私は多くのことを学びました。(中略)それとともに妊娠・出産というものをあまりにも甘く見ていた自分を深く反省しました。シーナの母親が苦労しなかったことや肉体的に出産適齢期の娘が子を産むということで、私は全く油断していました。けれどそれは現代でも完全ではない、喜びと背中合わせで危険に満ちた重大な出来事なのです。簡単に「子どもを産もう」など言ってはならないことです
 そしてそれ以来、出産や乳幼児の子育てに関して、かなり積極的に、あちこち手を伸ばして調べるようになったのです。

                              (この稿、続く)

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2016/10/24

「映画の題名に関するちょとしたウンチク」  芸術


 先週話題にした10月7日のNHK「歴史ヒストリア(「"日本語"を切り開いた"マンネン"な人びと」)」は今年89歳になった私の母も見ていて、
「日本語を創った人たちがいたのには驚いた」
というような話になりました。
 そこで元社会科教師、ウンチクタレの私としては一通りの日本語統一に関する蘊蓄話をし、昔の日本人は安易に外国語を使わず日本語に変換するよう努力したものだ、といったことを偉そうに話して聞かせました。

 ゲーテ曰く「男が教え、女が学ぶとき、勉強ほど楽しいものはない」
 その関係は、卒寿の母と還暦を過ぎた息子との間でも変わりません。

 その話の最後に、母がこんなことを言い出しました。
「そういえば昔の映画には素晴らしい題名のものがいくつもあったけど、最近はとんとそういうものは聞かないねえ」
 そして二人で「望郷」「慕情」「カサブランカ」「アラビアのロレンス」「天井桟敷の人々」と、思いつく限り古い映画の題名を挙げたのですが、ハテ? その中で原題とかけ離れた名訳といっていい邦題はいくつあるのか――本当のところは詳しく知らないのです。
 そもそもが老々介護みたいな二人ヨタ話ですし、そのまま済ませてもよいことかもしれませんが、いい機会です、いずれ別のところで話題にすることもあるかもしれないということで少し調べてみることにしました。

 そのうえで分かったことは、昔の方が素晴らしかったというのは間違いで、必ずしもそうは言えないということです。
 原題がいいので邦題も素晴らしいといった例も少なくありません。「カサブランカ」は“Casablanca”、「アラビアのロレンス」も“Lawrence of Arabia”とそのままです。そのままでいい。
 「欲望という名の電車(A Streetcar Named Desire)」「ウエスト・サイド物語(West Side Story)」も同様です。
 しかし同じ直訳でも「第三の男」と“The Third Man”は同じニュアンスなのか、「裏窓」と“Rear Window”は同じなのかとなると少し微妙です。
両方ともかなりミステリアスな雰囲気のする日本語ですが、それもタマゴとニワトリで、「第三の男」や「裏窓」といった日本語にもともとミステリアスな雰囲気があったのか、、映画で使われたからそうなったのかはわからないところです。

 「天井桟敷の人々」はフランス語の原題で“Les enfants du Paradis(「天国の子供たち」)”。おそらくここで言う「天国」と「天井桟敷」は同じもので「子供たち」は「やんちゃな連中」といった意味なのでしょう。ただし題名としては「天井桟敷の人々」の方が圧倒的に良く、「天国の子供たち」では幼くしてなくした子どもたちへの追憶映画みたいなものしか想像できません。
 また「大人はわかってくれない」の原題は“Les Quatre Cents Coups”、意味は「400発の打撃」。これでは大人ばかりでなく子どももわかってくれません。もとはフランス語の慣用句に由来し「無分別、放埓な生活をおくる」といった意味のようです。

 母との話に出てきた「望郷」の原題は主人公の名前をそのまま記した“Pépé le Moko”。現代だったら「ペペ・ル・モコ」そのままで上映されたのかもしれません。
 「慕情」は主題歌が有名で原題と同じ“Love Is a Many Spendored Thing”。やはり直訳「愛は輝きに満ちたもの」では話になりません。
 よく似た「旅情」は“Summertime(サマータイム)”。だから何なん? といった話です。

 原題の方がはるかにつまらないと言えば「アパートの鍵貸します」の“The Apartment(アパートメント)”、あるいは「大いなる西部」の“The Big Country(大きな国)”――やはり昔の日本人は偉かったという気にもなってきます。

 比較的近いところでは「スタンド・バイ・ミー」。
 原題は“The Body(死体)”で、このまま邦題にしたら観客は来なかったでしょう。主題曲に使われたベン・E・キングのヒット曲は映画より四半世紀も前の曲ですが、映画の雰囲気にも趣旨にもピッタリで私は大好きです。

 「思い出の夏」は“The Summer of '42”。――ハァ、と力が抜けます
 名画「天使にラブソング」は“SISTER ACT(僧の出し物)”――アホでしょう?

 分かりやすいが映画の題名としていかがかと思うのは、
 「俺たちに明日はない」→“BONNE AND CLYDE(ボニーとグライド)”。
 「明日に向かって撃て!」→“Butch Cassidy and the Sundance Kid(ブッチ・キャシディーとサンダンス・キッド)”。
ともにアメリカでは有名人なのでしょうが、日本人には何のことかわかりません。

 「ランボー」の原題は“FIRST BLOOD(最初の血)”で、「どっちが先に手を出した?」みたいな意味らしいのですが、邦題に「ランボー」を持ってきたら本家のアメリカでも評判で、シリーズ化されてからは「ランボー」が共通して使われるようになりました。もっとも日本でヒットしたのには詩人のランボーがわが国で人気があったこととも関係しているようです。

 そのほか邦題の方が優れているものとして、
 「夜の大捜査線」→“In the Heat of the Night(夜の熱の中で)”
 「おしゃれ泥棒」→“How to Steal a Million(百万ドルの盗み方)”
 「愛と青春の旅だち」→“An Officer and A Gentleman(士官と紳士)”
 「華麗なる賭け」→“The Thomas Crown Affair(トーマス・クラウン事件)”
など、いくらでも見つかります。

 初めの方で「そこで分かったことは、昔の方が素晴らしかったというのは間違いで」と書きましたが、本当にそれを思い知らされたのは最近の二つのアニメーション映画のおかげです。

 「カールじいさんの空飛ぶ家」→“UP(上へ)”
 「アナと雪の女王」→“FROZEN(凍結)”

 ここまでくると「おい、アメリカ、しっかりしろ」と言いたくなる感じです。

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