2016/9/30

「アメリカ人は肩がこらない」  知識


 知り合いがひどい肩こりになったという話を聞いてふと「ストレスで肩こりってことあったかな?」と思い、検索にかけたら思わぬ情報が出てきました。それは「アメリカ人は肩がこらない」というものです。

 それによると、
@さまざまな調査によって外国人は肩こりを感じないことがわかっている。
Aその中には日本人と同じアジア系である中国人や韓国人も含まれる。
Bそもそも外国には「肩こり」という言葉自体が存在していない。
Cだから、もし肩の周りの筋肉が張っていたとしても、自分の肩がこっていることに気付いていないケースが多い。
Dただし、外国人が日本にきて「肩こり」という言葉を知ると、その瞬間から感じ始める。
E肩こりは一種の「気づき」による精神的な疾患なのかもしれない。
F実は日本人もこの「気づき」によって肩こりを獲得してしまった。
G夏目漱石が「門」において「指で圧してみると、頸と肩の継目の少し背中へ寄った局部が、石のように凝っていた」と書いた一行によって、私たちは肩が「凝る」ことに気づき、以後肩こりに苦労するようになった。夏目漱石は絶大な人気作家だったから一気に広まった。
H漱石以前に「肩こり」という言葉はない。
I日本人が肩こりに気づきやすかったのは、低い位置で食事をしたりする生活習慣とのかかわりがあるのかもしれない。

 目からウロコ、耳から垢。

 何だ「肩こり」なんてほぼ100%精神性じゃないかと、さっそく困っている知り合いにメールし、このブログでも紹介しようと文章を書きかけ、そのうち初老性健忘症のために漱石の作品が「門」だったのか「それから」だったのか分からなくなって再検索。そのときたぶん、検索ワードを前と違うものにしてしまったのです。その結果出てきたのは、これ。

「肩こりは日本人特有の症状である!という定説の真偽について」

 え? あの話、ウソなの?

 結論から言うと、嘘ではないが間違い、誤りと偶然が重なってそうなったのです。
外国人に「肩こり」はないが「首こり」や「背中最上部こり」はある、英語で言えば、“Stiff shoulder”はないが “stiff neck”や “stiff upper back”はある、ということです。
 考えてみると、そもそも私たちが「肩こり」と呼んでいるのは腕の付け根(肩)の疾患じゃない。首、もしくは背中最上部の筋肉の“こり”です。だから“stiff neck”とか“stiff upper back”といえば外国人もわかるのに直訳して“Stiff shoulder”なんて言ったりするから「知らない」「聞いたことがない」ということになってしまったのです。
日本人だって「腕のつけ根のところ、こったことある?」と訊けば「そんなのないよなあ」となるでしょう。

 考えてみると最初、「外国人に肩こりはない」という話の最中に頭の隅をよぎったものがあったのです。何か微かに引っかかるもの――それは映画「座頭市」(北野武主演ではなくずっと昔の勝新太郎のもの)一場面です。その中で主人公の市はしょっちゅう他人の肩(腕の付け根から首にかけて)を揉んでいるのです。
 時代考証が甘い可能性もありますが、まさか按摩という職業自体がなかったということはないでしょう。江戸時代の日本人だって肩はこったのです。
 その場面にこだわっていれば、まんまと騙されることはありませんでした。

 上記のサイトによれば、
 肩がこるという表現は、文豪・夏目漱石が最初とされていますが、それよりも前から、肩が凝る、張るという表現は使われていたという記録は残っております。夏目漱石の作品が、肩こりという言葉を広めたというのは事実と思われます。それ以前の江戸時代には、肩こりに該当する言葉として、けんぺき(痃癖/肩癖)と呼ばれていたようですが、一般的ではなかったようです。
だそうです。

 私はときどきこんなふうにまんまと騙されることがあります。

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2016/9/29

「アメリカ大統領選挙の憂鬱」  政治・社会・文化


 多くの人がそうだと思いますが、今回ほどアメリカ大統領選挙に注目したことはありません。
 27日に開かれたテレビ討論会は、リアルタイムで見たわけではありませんがおよそ半日、チャンネエルをバシャバシャ変えながら各局の評価・解説を見たりしていました。
 CNNの直後の調査ではクリントンの勝利と回答した人が62%、トランプと答えた人が27%だそうですが、それがそのまま票に繋がるというものではありません。

 2000年のブッシュ対ゴアではテレビ討論で圧倒的な力を見せたゴアが選挙本番で敗れています。「討論の最中のゴアの冷笑的な態度が票を落とした」と今は説明されますが、どうでしょう? ブッシュの発言は明らかにトンチンカンでレベルが低く、テレビのこちら側でため息をついたり口元をゆがめた人も少なくなかったのです。ゴアの反応は何も特別なものではなかったのです。
 それにもかかわらずブッシュが勝利したのは結局、新大統領が決まったあと、毎朝テレビで見なければならないとしたらどちらが良いか――ひょうきんでヤンチャなブッシュと厳めしく退屈なゴアとどちらがいいのか、というのが判断基準となったからだ、当時はそう説明されました。理解できるところです。
 おそらく識字障害もあってブッシュは言葉をよく間違える、愛読書は「はらぺこ あおむしくん」だなどと言って周囲を呆れさせる、特に略称に弱く、IAEAなどはすぐに忘れて妙なことを言う。ところがそれを逆手にとってパーティーの余興ではそっくりさんと並んでわざと「EIEIO(イー・アイ・イー・アイ・オー)」と間違えて笑いを取る、そういう可愛いヤツなのです。

 もしそうした判断基準が現在も生きているとしたらヒラリーではなくドナルドです。こちらの方が圧倒的に面白そうなのは間違いありません。毎日なにか面白いことを面白い言い方で行ってくれます。
 トム・ソーヤー、アナキン・スカイウォーカー、ハリー・ポッター。アメリカ人が好きなのはたいてい自制心に欠け、無鉄砲で他を省みないガキです。鉄腕アトムとドラえもんとサザエさんとちびまる子ちゃんのわが国とは違います。

 クリントンであろうとトランプであろうと大統領になれば対日政策はあまり変わりないだろうとう評論家もいます(そう言えば反ユダヤ・軍国主義・拡張主義を掲げたアドルフ・ヒトラーが政権に就いた時も、専門家たちは“大したことはできない(はず)”と言っていました)。。しかし私はとりあえず、トランプの顔を見るのが嫌なのです。今後4年間アメリカに関わるニュースを見るたびにあの男が出てくるなんてまっぴらなのです。
 他人を小馬鹿にし、嘘とはったりと勢いだけで生きるような生き方は、教育関係者として許せないのです。
 ヒラリー、どうか頑張ってください。アメリカ国民の皆さん、どうせ4年間我慢するなら取らんうよりヒラリーです。


 ところで今回のアメリカ大統領選挙を見て、改めてつくづく思うのは直接選挙というのはどうしようもなくダメなものだということです。ド素人がアメリカ大統領になってしまうかもしれないからです。
 世界の命運が素人に任される、核のボタンが激情家が握られる、イスラム教徒を追い出せメキシコ国境に壁を造れ、日本や韓国が核兵器を持っても構わない、といった荒唐無稽がまかり通るかもしれないのです。
 アメリカ以外に目を移せば、ロシアでは元KGBの親玉が大統領となって人気を博しています。フィリピンでは暴力団の組長みたいな人が本当にボスになってしまいました(ただし私はドゥテルテには少し同情的なところがあります)。

 もっともその点では日本だって偉そうには言えないのであって、かつて東の東京知事が青島幸男、西の大阪府知事が横山ノックという時代がありました。東京は以来、石原慎太郎、猪瀬直樹、舛添要一、小池百合子です。知事としての手腕は別として、取りあえずテレビで顔を売って都知事選に出た人たちです。そうでないと選挙に勝てないのかもしれません。

 翻ってヨーロッパは、と見ると、最近安全宣言を出したというので初めて知ったのですが、パリ市長はアンヌ・イダルゴという55歳の美人です。
 今年の6月に選ばれたローマ市長ヴィルジニア・ラッジは言わずと知れた38歳の超美人。
 ヒラリー・クリントンも小池百合子も美人ですから美人じゃだめだと言うつもりはないのですが、なかなか素直になれないところです。

 その点、間接選挙だとイギリスのメイ首相やドイツのメルケル首相のような“それなりの”人が出てきて少し安心させられます(こちらの方がセクハラか?)。
 そんなふうに書いているうちに、今、日本で直接選挙による国家首脳の選挙が行われたら間違いなく村田蓮舫だろうなと思い当たって、また気が重くなりました。





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2016/9/28

「後世に伝えたいこと」  歴史・歳時・記念日


 最近まったく聞かれなくなった言葉に「戦前派」「戦中派」「戦後派」という言い方があります。第二次世界大戦を挟んで、青春時代をどこで過ごしたかで世代を分ける方法です。これがなくなったのはもちろん国民の大多数が「戦後派」になってしまったからですが、今後同じようにひとつのでき事を挟んで世代を分ける方法が出てくるかというと、私は東日本大震災とその復興期を挟んで、前か最中かその後かで分ける考え方が出てくるのではないかと思っています。いわば「震前派」「震中派」「震後派」です。

 東日本大震災は日本にとって大きな厄災でした。地震と津波だけならまだしも福島第一原発の事故も重なって日本のあり方を大きく変えてしまったのです。しかしどんな不幸の中にもポジティブな側面は必ずあり、震災について言えばそれは日本人が日本人を見直す契機になったということです。
 それまではテレビで本でも、日本や日本人の欠点・短所をあげつらうことが進歩的で正しいことだと思われていたのです。“専門家”や“コメンテーター”たちは、
「だから日本は世界からバカにされるのです」
「そういう点で日本は欧米から10年は遅れていると言えますね」
そう言っていれば仕事になりました。しかし東日本大震災以降、空気は一変します。

 震災報道の中で世界に発信された日本人の姿――略奪もなく暴動もなく奪い合うこともなく、困難に耐え他人を優先し、列をつくりものを分け合う。愚痴を言わず絶望もせず、明るく前向きに、互いに信じあって難局を乗り切ろうとする――その姿は海外の人々の評価を経てようやく私たちのもとに戻ってきました。
そうだ私たちはこんなにも素晴らしかったのだ!
 3・11を挟んでテレビの内容も一変します。
「日本人のここが素晴らしい」「外国人の憧れる国」「まだあった日本の美点」
 それはもうほとんどやりすぎとも言えますが悪いことではありません。ようやく胸を張って自分たちを語ることができるようになったのですから。

 しかし昔から日本人がそうであったように話すのは間違っています。百年も前からそうだったこともあれば、ここ数十年でようやく今のレベルに達したこともあります。
 例えば私が子どもの頃、道路にはタバコの吸い殻があちこちに落ちていて、ジュースの空き瓶やパンの袋やらがいつも散乱していました。都会の空気はどんよりと曇り、川も悪臭を放っていたのです。長距離列車に窓から乗り込む輩がいます。仲間と一緒に座るには並ぶより効率が良かったからです。車内では飲み食いしたものはすべて座席に下に押し込みました。

 つまり昔から日本人が立派だったわけではないのです。世界に評価される「素晴らしい日本」は最近ようやくできあがってきたもので、まだ幼く、危ういものなのです。

 私たち震前派がそれを生み出しました。けれどその幼いものを大切に育て、強靭な力にしていくのは次の世代――東日本大震災と復興を多感な青春時代に経験し、本気でこの国を建てなおささなければならないと考えた、つまり「震中震後派」世代なのです。

 それが私の「後世に伝えたいこと」です。


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2016/9/27

「おめでとう!イグ・ノーベル賞受賞」  政治・社会・文化


 6年前にNHKの「クローズアップ現代」で見て感激し、このブログで紹介したころはイグ・ノーベル賞もまだまだマイナーで知る人も多くありませんでした。ところが今や毎年必ずニュースになり、職場や学校で話題になることもたびたびです。日本人も大活躍で、今年で10年連続の受賞だそうです。もっとも過去26年間のイグ・ノーベル賞で、日本人が受賞できなかったのはたった7回だけですから、もはや常連と言うべきでしょう。

 今年の日本人受賞者は立命館大学の東山篤規教授と大阪大学の足立浩平教授。受賞理由は「『股のぞき』をすると物の大きさは実際よりも小さく、距離は近くに見え、奥行きがなくなったように感じることを実験によって確認した」ことだそうです。すべてのものが逆さに見えるいわゆる「逆さメガネ」をかけてもこの現象はおきないので、この特異な現象は視覚の問題ではなく体を逆さにする感覚的な部分から生じることも証明しました。しかしそれが何の役に立つのか――。
 そこに実はイグ・ノーベル賞の価値があるのです。

「ポリエステル・綿・ウールでできたズボンがそれぞれラットの性生活にどのような効果を与えるか」
「白い馬がもっともアブに刺されにくい馬である理由と、トンボが黒い墓石に引きつけられて激突死する理由

 あるいは、
「体の左側がかゆいとき、鏡を見て右側をかくとかゆみが治まることを発見」
「その時々にアナグマ、カワウソ、シカ、キツネ、鳥となって大自然で生活した」
「両手足に装着してヤギそっくりに歩くことのできる装具を製作して、ヤギの群れに交じって野山を放浪して過ごした」
(以上、いずれも今年の受賞者の受賞理由)
等々、どれも「何の役に立つのか」「どういう意味があるのか」と問いたくなるような内容ばかりですが、しかし「何の役に立つか」と聞いたら科学は発展しないという事例は山ほどあります。

 例えば、
「アンペア」で知られるフランスの物理学者アンドレ=マリ・アンペールは電流と磁場の関係を発見した夜、感激のあまり、もう眠っていた助手を叩き起こして現象を見せます。すると助手は「先生、確かにその現象は分かりました。でもそれが何の役に立つのですか?」と訊いて師匠から激怒されます。
「『何の役に立つのか』と聞いたら科学の発展はない!」
 言うまでもなくアンペールの発見がなければ人類の近現代社会はありません。

 何の役に立つのかわからないイグ・ノーベル賞に日本人受賞者が10年連続。
 主催者のひとりマーク・エイブラハムズ氏はこんなふうに言っているそうです。
「日本はイギリスと並んで、ほかの国だと排除されてしまうような、本当に突拍子もない研究が次々と出てくる国だと思う。ほかの人と全く異なる発想の研究を尊重する風土があるのではないか。これからも突飛な研究をどんどん生み出して欲しい」NHKニュース
 日本人が日本人について語るとき、常に言われるのはこれと反対のことです。
(日本人はひとと同じであることを好み異質を嫌う。少しでも自分たちと違うものは排斥しようとする)

 どちらが正しいのかわかりません。しかしこんなユニークな研究ができるのも日本らしさのひとつなのかもしれません。
 アメリカの産学共同体のように「企業が金を出し大学が研究する、研究成果は企業が吸い上げる」という方式を取るとどうしても短期的に収益を生み出す研究が中心になってしまいます。
「笑いを誘うとともに、考えさせられ、つい友だちに話したくなるイグ・ノーベル賞」にうつつを抜かしている日本――それがきっと日本の科学技術の奥深さをつくっているのです。

 ところでこのイグ・ノーベル賞と本家のノーベル賞、ふたつとも取った受賞者はいるのかというと実はひとりだけいるのです。
 ロシア生まれのオランダ人物理学者、アンドレ・ガイム博士は2000年に「カエルの磁気浮上」でイグ・ノーベル賞も受賞し、2010年に「炭素新素材グラフェンに関する革新的実験」でノーベル物理学賞を受賞しています。
 その点からしても、イグ・ノーベル賞が単なる“おふざけ”でないことは明らかです。


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