2016/8/31

「モンスター」@  教育・学校・教師


 人はどのようにして犯罪に至るのか――そういうことに興味があります。
 
 松本清張の小説のいくつかは市井の人々が殺人者となって行く過程を丁寧に描いていて、「ああこれだと確かに人殺しにもなるかもしれない」と思わせるリアリティがあります。それが松本清張の魅力ですが、現実世界はむしろ「いくら何でも殺すことはないだろう」と思わせる事例ばかりです。例えば先日の埼玉県東松山市16歳殺害事件など「うそをついたり、電話やメールを無視したりしたから殺した」。しかしそれが殺人の理由になるとしたら、世の中、人殺しだらけになってしまいます。
 殺人という重大な結果に対して、原因があまりにも貧弱――こうした結果と原因の非対称が謎のひとつです。

 もうひとつの謎は“その犯罪によって得ようとしたものと失うものとの非対称”です。
 例えば定年間近の教員のつまらない万引きや盗撮――わずか数百円の食品や女子高生の下着画像と引き換えに、職も家族も友人も退職金も失う。その愚かさを理解するのは困難です。
「気持ちとしては理解できる、見つからなければいいやという感じ方は分かる」
という人もいますが私には無理です。そもそも犯罪を犯しても見つからないだろうと想像すること自体ができません。
 もっとも「気持ちとしては理解できる」という人たちだって普通は行動に移したりしません。

 つまらない理由で犯罪を起こす、つまらない欲望のために大切なものを賭ける、なぜそういうことができるのか――私はそこに病的なものを感じざるを得ないのです。正確に言えば感じざるをえないというより、他のものを想定できないのです。

 それは例えば“軽く見られた”と思うとまったく抑制の利かなくなる感情の歪みです。
 欲しいものがあるとそれ以外が見えなくなる性向というのもあります。いい女がいると思うとホテルの部屋に引きずり込むことをためらわない心の偏向です。
 そうした心の歪みは本格的に生活に支障をきたし始めると“人格障害”等の名前がつきますが、その一歩手前の人々は本人が苦労したり周りが迷惑したりしながらなんとかこの世の中に生きています。

 一方、ストレスによる判断力の減衰、判断の遅れというものがあると私は信じています。自分のやっていることの意味を知りながら、実感がない。誰かほかの人がやっている感じで止められない、そもそも止めるということが思いつかない、そんな感じです。コンビニで菓子パンを手にしてそれをバッグに入れ、そのまま出てきてしまうような心の空白。店員の目は気にしても防犯カメラは気にならない心の落ち。そもそも菓子パンが欲しかったかどうかもわからないような上の空。そういうものがあるように思うのです。

 さて、上の二つについてはこれまでも何回か考えてきました。
 もちろん、だから罪を軽減せよと言うつもりはありませんし、実際の裁判でもそのために刑が軽くなった例はないと思います。しかし予防や教育・指導の観点から、原因を考えることは重要だと思ったからです。

 しかし今、困っているのはまったく別のものです。
 それは決してありふれたものではなく、極めて稀なのにそう考えて放置することもできないものです。

                                    (この稿、続く)


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2016/8/30

「謝罪の話」  政治・社会


 2002年から始まった映画「スパイダーマン」シリーズの第一作で、主人公のピーター・パーカーは老齢の伯父と伯母によって育てられていました。ところが映画序盤でタクシー・ドライバーをしていた伯父はピーターが見逃した強盗によって殺され、これによってピーターは正義の味方スパイダーマンとして生きる決意をします。
 ピーターは亡くなった伯父の連れ合い(伯母)に対して二重の負債を負っています。育ててもらったことと、それにもかかわらず防げた伯父の死を防がなかったという負債です。しかしそれにもかかわらず、2年後の「スパイダーマン2」で、ピーターは家を出て伯母にひとり暮らしをさせているのです。映画はそれをごく自然に描いていますから、2年たっても同居しているとしたらその方がよほど妙なのかもしれません。
 高校を出た子どもは独立しなければならない、親は老後を子どもに頼ってはいけない、というアメリカの掟は知っています。しかしここまで冷酷なものとは思いませんでした。

 さて、先週の高畑裕太強姦致傷事件について、母親が記者会見を開いたことで様々な議論が生まれています。そのひとつは「成年となった子どもの不祥事についても、親は謝罪しなければならないのか」というものです。しかしこれ、そんなに厄介な問題でしょうか?

 アメリカのように親子であっても個人主義が徹底している社会ならともかく、この日本では成年であろうと子どもが子どもである限り、親が謝罪するのは当然です。
 もちろん60歳の息子の不祥事に90歳の母親も出て行けとは言いません。「子どもが子どもである限り」というのは、「社会的に一人前でない間は」という意味で、きちんとした職業について家庭も営んでいる子どもなら、それがたとえ18歳でも敢えて親が出ていく必要はないでしょう。逆に30代だって、親がかりで自立していないとしたら親が出ていかなくてはならないのです。

 話が強姦致傷だの記者会見だのといった大きなことなので混乱するだけで、例えば交通事故で入院するほどのケガをさせた場合、親は子どもとともにお詫びに行きませんか? 両親ともにいないとかかなりの遠方で容易に来れないということならまだしも、親がそばにいながら22歳のガキが一人で詫びに来たとしたら、被害者はそれで納得するでしょうか? ずいぶん軽く見られたもんだと気分を悪くしませんか?
 いや、法的に親には責任はないはずだなどといった筋論は通用しません。そもそも謝罪というのは心の問題ですからそんなところに筋論を持ち込んでもこじれるだけです。

 子どもが被害を与えたら親も一緒に謝りに行く、夫が事故を起こしたら妻も一緒に頭を下げる、80歳過ぎの年寄りが誰かに被害を与えたら子もともに謝りに行く、そうしないと日本人は納得しないのです。被害者にとって理由なく心身を傷つけられるのは大ごとで、それにもかかわらず加害者家族にとっては重大事ではない――本人ひとりが謝りに行けばいい、その程度の小さなできごとだった――それでは被害者は我慢ならないのです。

 そうした感じ方・考え方は一個人・家族に限りません。
 企業が何らかの不祥事を起こしたとき、担当は課長だから課長ひとりで記者会見に臨めばいいと考えるような役員はひとりもいないでしょう。最終責任は社長にあるのだから社長一人でいいという話にもなりません。そこで私たちの良く知った風景にります。
 主だった役員が雁首を揃えて45度に上体を傾けて45秒。
 会社全体で責任を痛感している、社員すべてが心を痛めている――そういったことを示さないと社会は容赦しません。

 もちろん“社会が容赦しない”は家族や役員がそろって陳謝する第一の理由ではありません。
 普通の日本人は身内が加害者であることに、家族も企業の責任ある人たちも、背を向けていられないのです。心苦しいのです。誰かに謝らせてそれで済ませることができないからそうするのです。それが人情というものです。

 テレビのニュースショウを見ながら、どうして“専門家”たちがそうした話をしないのかいつも不思議に思います。もっとも“当然のこと”しか話さないとしたら“専門家”としての仕事がなくなってしまうからかもしれません。



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2016/8/29

「その対極に想定するもの」〜日本の○○はダメだ  政治・社会


 日曜日の朝7時からフジテレビで放送している「ボクらの時代」、妻が好きでよく見ています。ちょうど朝食と重なることもあって、私も(例によって)見るともなく見ているのですが、昨日の放送は前半が蜷川幸雄・小栗旬・綾野剛、後半が前田武彦・小沢昭一・大橋巨泉という今年亡くなった芸能界の巨星を中心とした再放送(追悼番組でした)。
 その広範の方で、テレビが堕落したという話の最中に大橋巨泉が「日本の政治が本当に良くないというのは、つまりは国民のレベル、民度が低いからであって・・・」というような言い方をして私は思わず箸を止めました。
 私はこの国とこの国の国民を、生身の人間の生きる世界としては世界最高水準、歴史的にも頂点に近いところにいる存在だと信じていますから、「日本の〜はダメだ」という話を聞くと本能的に戦闘モードに入るようになっているのです。

 確かにその放送分が撮影された2010年5月は民主党鳩山政権の再末期(翌6月2日に「国民が聞く耳を持たなくなった」という有名な談話を残して辞職表明)ですから「日本の政治が良くない」のは事実だったかもしれません。しかしだからと言って国民のレベルを云々されてもかないません。たとえ鳩山政権を生み出したのが私たち選挙民だったとしてもです。

 こんなときは最も有効な方法を使って反撃しておく必要があります。
 こう言えばいいのです。
「日本の政治がだめでそれが国民のレベルを反映したものであるとして、では国民のレベルが高く優れた政治を送っている国はあるのか、それはどこか?日本と日本人が目指すべき手本はどこにあるのか」
 ということです。

 ここでいきなりブータンなどと言われても困ります。国民の97%が「自分は幸福だ」と答えるまさに“幸福の国”ですが、経済規模も人口も違いすぎます。極度に工業化された1億2600万人をブータン的な政府がコントロールできるはずもないからです。
 ここはどうしてもG20あたりから探してもらわなくてはなりませんが、ほんとうにそんな国はあるのでしょうか。
 とりあえずオバマ政権はダメだということになっていますからアメリカは除外しましょう。EU離脱でブレまくっているイギリスも除外です。
 ドイツ・フランス――常にEUの中心にいた両国は可能性がありますから保留にします。
 PIGS(ポルトガル・イタリア・ギリシャ・スペイン)はもちろん除外、EUは総じてドイツ・フランス以外は見るべきがありません。

 大統領不在でオリンピックを開かなければならなかったブラジルはもちろん除外。インドネシア・アルゼンチンなどニュースも十分にありませんから手本にするのは難しいところです。
 南アフリカ共和国やサウジアラビアまで話を進めると、そもそも大統領制なのか議院内閣制なのかもよくわかりません。インドやメキシコは今、どうなっているのでしょう?
 ――と、そんなふうに見ていくとやがて、確かに有能で力強く、国民からも人気・支持のある強力な政治家によって指導される国が複数存在することに気づきます。
 外交的にもまったくブレず、決断は速く、諸外国の圧力にも決して怯みません。その発言は明瞭で、口にしたことは必ず実現させます。
――言うまでもなくロシアのプーチンと中国の習近平です。経済規模や人口ではずっと小さくなりますが北朝鮮の金正恩も似たような政治家と言えるでしょう。
そして優れた政治家を生み出す国民こそ民度が高いとしたら、ロシア・中国・北朝鮮こそ私たちが目指す国家・国民、社会ということになります。
(確かに、これらに比べると日本やアメリカの政治はほんとうにオタオタしただらしないものだという気がしてきます。ものごとがすんなり決まることもありません)

 以上、いつも通りの堪え性のない、しょうもない話です。しかしあながち無茶苦茶な話とも言えないでしょう。
 日本の○○はダメだというとき(例えば教育、例えば若者)、その対極に何が想定されているか考えるとその先にあるものは、決して私たちが望むことのないもの、絶対に手に入れてはいけないもの、ということは往々にしてあることです。

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2016/8/27

「芸能人の値段」C  教育・学校・教師


 高畑裕太が芸能界に与えた経済的損失は数千万円から1億円と言われていましたが一日経って数億円という数字も出てきました。
 私の息子のアキュラは容疑者とほぼ同年齢ですが、交通事故や器物損壊によって直接的に数億円の被害を与えることはできても、その存在が社会から隔離される(留置所や拘置所に入る、社会的活動が禁じられる)ことによって失われる価値は1万円にもならないでしょう。普通の22歳は他人に迷惑をかけるにしてもその程度です。しかし高畑裕太は“普通の22歳”ではありませんでした。
 今後請求されるかも知れない数億円の損失は、裕太一人ではとても担いきれるものではありません。当然高畑家として背負っていくべき負債となりますが、困ったことに母親も今後は今と同じペースで仕事を続けていくことはできないでしょう。大変な未来です。
 芸能人として高額の収入を獲得し、周囲からちやほやされる代償として彼が背負っていたのはそういうものでした。もちろん彼は気づいていなかったでしょうが。

 子どもがウカウカと派手な世界を目指さないように、今回の事件は一緒に注目しておくのもよいかもしれません。ただし金で解決することは大した問題ではないとも言えます。ここ一年余りの間に、そう思い知らされる事件がいくつかありました。

 ひとつは5月の末に東京都小金井市で起きたアイドル刺傷事件です。これについては5月26日・27日に「距離の問題」という表題で記事にしました。厄介なことに芸能人(アイドル)との距離がファンの恣意に任されるようになったというお話です。
 ファンがその気になれば京都と東京という地理的距離も、アイドルと一般人という関係性の距離も、簡単に飛び越えることができます。
「腕時計をプレゼントする意味を知っていますか?」
と訊ねられたアイドルは、問いに正しく答えなければなりません。なぜなら二人は一心同体で分からないはずはないからです(と彼は考える)。それにもかかわらず答えないというのは分からないフリをしているだけ。それは誠意に対する重大な裏切りで、裏切り者は償わなくてはならない――と、そんなふうに彼は畳みかけてきます。

 かつて成功した芸能人はスターと呼ばれました。それは文字通り天空に輝く星で私たちには手の届かないものでした。しかし今やそれは地上に降りてきて私たちの隣にいる――そうした擬制を取っています。取らざるをえないからです。
街に出ると四方八方から見知らぬ人々が声をかけ、何のためらいもなく近づいてくる――芸能界に生きるというのは今日そういう意味であること、子どもたちも知っておく必要があります。

 ところで今月初め、歌舞伎俳優の市川海老蔵がある女性週刊誌を名指しで、何度目かの自粛要請をしました。それによって図らずも記事の内容にお墨付きを与えてしまったともいえます。しかし本当は、認めたくない深刻なものでした。
 私が子どものころは政界や芸能界の大物が、自分に都合の悪い記事の載る週刊誌を買い占めたといった噂がたびたび流されました。あるいは特定の誰かに見られたくない週刊誌を、家族が必死に身近な場所から回収しまくったといった話もありました。しかし今日そんな試みをする人はいません。
 週刊誌など、買い占めたり回収したりしても意味がないからです。記事の内容はあっという間にネットに引用され、拡散してしまうからです。その情報を“隠したい誰か”が見てしまいます。
 
 市川家について言えば入院中の麻央さんに関するありとあらゆる情報がネット内にあり、それを麻央さんがいつでも見ることができるのです。嘘もまことも、隠しておきたいこともそうでないことも、一切合切がそこにある――市川家の側に立って考えればこれほど恐ろしいことはありません。
 現在のところ上のお嬢さんが5歳、下の勸玄君は3歳ですから問題となりませんが、数年先には相手が子どもでも真実を伝えなればならなくなります。そうしないと偽情報に踊らされてしまうからです。
 けれど家庭内には子どもが知らなくても良いことはいくらでもあります。知らせることがその子のためにならないことだってたくさんあるのです。それも隠し通せない。

 ネットが登場してから、芸能人であることがほんとうに危険な時代になりました。簡単にアイドルを夢見るというわけにはいきません。そのことも子どもに教えてあげなくてはなりません。

 私のところは娘も息子も大学は軽音楽部でバンドに参加していました。ですから少し心配でしたが、幸いなことに二人ともその道に進むことはありませんでした。ほんとうに親孝行な子たちです(「芸能界を目指すほどの容姿にも能力にも恵まれなかった、私の子だから」という事実は別にしておきます)。


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2016/8/26

「芸能人の値段」B  教育・学校・教師


 収入がその人の労働の価値を決めるとしたら、最終年の私と比較して十数倍の年収を得る小島よしおは私の十数倍の価値を持つことになります(今の私と比較すれば、私はほとんど塵芥です)。
 しかしいくら何でも毎日手かえ品かえあれこれ工夫をしながら授業をし、生徒の万引き指導から不登校までさまざまな生徒指導に腐心して、なおかつ部活に膨大な時間を費やす教員の仕事が、「そんなの関係ねぇ!」と叫びながら地面を殴りつける動作の10分の1、20分の1の価値しかないなどということはありえません。あってはならないことです。

 それならなぜこれほどの差がつくのかというと、それは小島君の労働がそこに注ぎ込まれた時間やエネルギー、あるいは彼の生み出す価値によって測られるのではなく、需要と供給の関係によって測られるからです。
 つまりみんなが彼のオッパッピーを観たいのにそれが供給できるのは小島君ひとりという極端なアンバランスのためなのです。極めて希少性が高くだから高騰する。もちろんオッパッピーは私にだってできますし実際にやってもいいのですが、それでは何の需要も喚起できません。それではただのおバカな初老、もしくは早すぎる痴ほうです。

 年収1億円超というのは小島よしおの希少性についた値段であって、その芸術性だとか使用価値だとか交換価値といったものについたものではない、したがって需給のバランスが変化する――具体的には需要がなくなると、値段は一気に下がるはずです。そうやってあっという間に消えて行った“一発屋”は山ほどいます。
 しかし1億円超を数年続けられるのなら“一発屋”だって十分じゃないか――そう考える向きもあるでしょう。テレビや舞台に引っ張りだこ、万民から期待され、凄まじいスポットライト、有名人に囲まれて、美人美酒、高級車に高級マンション、そんな生活が2〜3年も続けばそれで人生十分じゃないか――。

 さて、ここでようやく問題です。
 進路に関わる話の中で、子どもや孫、生徒の口からそういう話が出てきたらどう答えたらいいのでしょう? 

「食えない芸人、生活できないミュージシャンはいくらでもいるよ、ずうっとアルバイトだけで生活している役者も山ほどいる」
ではだめでしょう。
 スギちゃんだって永野だって下積みはメチャクチャ長かったのです。それでも一発当てれば膨大なお釣りが来ます。役者の中にも遅咲きの人はいくらでもいて、遅咲きの方が長く重宝に使われている例が多いくらいです。

「ボクは芸人になって小島よしおを目指します」
「私は綾瀬はるかになりたい」
 そんな子どもの言い草にホイホイ乗ってはいけません。
 世の中、顔のいい子もおしゃべりのうまい子も、歌の上手な子も芝居のできる子も、人を笑わせることに長けた子も、いくらでもいるのです。そうした才能を持ったうえで尋常ではない努力ができる子だってゴマンといます。その中で“売れる”のは、“一握り”どころか“一つまみ”。真に才能のあふれた子か運のいい子だけです。
 もちろん目の前にいるその子(子や孫や生徒)が、才能や運の申し子ということもあります。しかし普通は、親や教師が最初の高いハードルとなって遮ってやらないと次のステップで小さな小石にも躓いてしまいます。

 けれどハードルになるのではなく、ともに走ってその都度その子を押し上げるというやり方もあります。今回のオリンピックでも親子鷹のように二人三脚でメダルに手を伸ばした選手もたくさんいました。
 しかしそうなると今度は親や教師の能力が問われます。
私たち全員が井村コーチやバドミントンの奥原希望、水泳の池江璃花子の親のようになれるわけではないのですから。

                                 (この稿、続く)

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2016/8/25

「芸能人の値段」A〜高畑淳子の憂鬱  教育・学校・教師


 芸能人の高すぎる収入と置かれている環境について書こうと思っていたら、とても興味深いニュースが入ってきました。“興味深い”は不謹慎ですが、他に言葉が見つからないのでそう書いておきますが、それは『高畑淳子さん長男逮捕「欲求が抑えきれなかった」』
という見出しで配信されたニュースです(毎日新聞)。

 記事によると
 前橋市内のホテルで女性従業員に暴行したとして、群馬県警は23日、俳優の高畑裕太容疑者(22)=東京都渋谷区大山町=を強姦(ごうかん)致傷容疑で逮捕した。
 容疑は、23日午前2時〜同25分ごろ、前橋市内のビジネスホテル客室内で、40代の女性従業員の手足を押さえつけて性的暴行を加え、右手首打撲などの軽傷を負わせたとしている。

 とのことですが、裕太容疑者は映画撮影のためにそのホテルに泊まっており、事件のあおりを受けて撮影もストップ、テレビドラマのいくつかは裕太容疑者の出演場面に代役を立てて撮りなおし、再放送ドラマは中止、CMのいくつかは差し替えとかで、経済的損失は数千万円から一億円にもなりそうだということです。

 バラエティ番組のコメンテータはその自覚のなさに呆れかえり、周りの人々の気持ちに思いの行かない愚かさに腹を立て、人格者で努力家の母親のために心配をし不安にもなっています。
 高畑淳子は私も好きな女優さんですから気の毒で、しかしコメンテータとは違った意味でも、不安になったり思い迷ったりしています。

 高畑裕太は、先日このブログで取り上げた2012年4月のNHK「土曜ドラマスペシャル〜あっこと僕らが生きた夏」でデビューした俳優で、昨年は朝の連ドラ「まれ」にも出演し、二世タレントとしては最も注目される一人でした。
 母親もこの子を売り出すのには非常に熱心で、トーク番組でも繰り返し息子について話題にし、「よろしくお願いします」と付け加えるのを忘れませんでした。けれど普通の母親がやるようにひたすら「お願いします」と頭を下げるのではなく、とても難しかった中学校時代の親子関係を語ったり親子そろっての変人ぶりを暴露したりして番組を盛り上げるとともに“こんな息子ですがどうかよろしく”と手の内を晒して他人に頼るふうも(今から思えば)あったような気がします。

 母親に言わせると、
「(裕太は)とても変わった子で、かなりすっとんきょう。将来どうするのかずっと心配でした」日刊スポーツ

「まれ」で共演した清水富美加は裕太がまったく苦手だったようで、母親の高畑淳子と共演したトーク番組の中でさえ、「リアルに共演NGです」と突き放し、「高畑くんは人との距離を測るメーターが壊れてますよね」「距離感が近い」と明け透けに言って高畑淳子をたじろがせたようです。(Daily suporys on line

 また母親の長年の友人である池畑慎之介(ピーター)は
 裕太容疑者が小学校4年生の頃、母親と一緒に舞台に出ていたピーターの楽屋を訪れ「ピーター、よかったよ」と、呼び捨てで肩をたたかれたエピソードを明かした。
(Daily suporys on line
と言います。

とても変わった子
人との距離を測るメーターが壊れてます
「ピーター、よかったよ」と、呼び捨てで肩をたたかれた


 こう並べた部分を見ると、教育の現場、特に小学校の現場で働く先生たちの中から、
「ああ、その子、私、知ってる」
と言い出す人がたくさん出てくるに違いありません。
 そうです。
 学校に来た業者さんなどの来客に何の脈絡もなくいきなり、
「おじさん面白い帽子かぶってるね、どこで買ったの?」
などと訊いて面食らわせる子。
 教室で作業中、ノリだとかマジックだとかが必要だと思うと人間がまったく見えなくなり、肩をぶつけながら友だちを押しのけて棚まで直進してしまう子、だから喧嘩の絶えない子、しょっちゅうあちこちにけがをしてくる子――。
 高畑裕太はそういう子です。

 トーク番組で繰り返し「息子をよろしく」と頼み、芸能界の仕事が増えたといって喜んだり心配したりする高畑淳子の姿も、そうした観点から見直すと別の姿が見えてきます。
 ほんとうに苦労したことでしょう。コメンテータの「甘やかしすぎましたかね?」はあまりにも気の毒です。

 裕太容疑者は日ごろから「自分は性欲が強い」と言っていたようですが普通の22歳はそんなものです。問題は「欲求が抑えきれなかった」――その衝動性です。
 だったら母親に何ができたのか。会社やマネージャはどうすればよかったのか。本人は?
 もちろん高畑裕太容疑者は今後被告として刑事罰を受け、芸能界には二度と戻れないという形で社会的制裁を受けます。それしかありませんし、それで構いません。
 けれど第二・第三の高畑淳子・裕太母子を出さないようにするにはどうしたらよいのか、それを考えるのは私たちの仕事です。


                                   (この稿、続く)
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