2016/7/29

「ポケモンGO!」2〜「真田 de GO!」  政治・社会


 結局やってみて分かったことは「ポケモンGO」も多くの人にとっては他のブーム同様、一過性で終わるだろうということです。

 50代、60代、70代でも皆夢中になってポケモンを追いかけているといったアメリカ発のニュースも、最初の2週間について語られたものであってあと一か月もすれば跡形もないのかもしれません(ということは「私たち老人も『ポケモンGO』のおかげでみんな元気になって国の医療費問題もなくなるのではないか」といった私の予想も外れることになりますが)。
とりあえずポケモンを見つけて「ゲット!」するのは面白いのですが、私のような初心者には発展性がないのです。
 この世界に慣れた息子たちならポケモンの(格というかレベルというか要するに)希少性が理解できますから何かすごいヤツが出てきたら夢中になって追いかけそうなものですが、私などはネズミとカメとヒトデの区別もつかない。やっているうちにどうやら「ネズミはやたらあちこちにいる価値の低いヤツらしい」ということになってくるのですが、ピカチュウは別として、絶滅危惧種並みの希少ポケモンに出会っても分かりません。だから本気で追いかけることもない。夢中になるツボがない。
 そしておそらくポケモンなら何でもよかった幸せな季節は終わり、しかし何を捕まえたら幸せなのか分からないからやがて飽きます。

 しかしさりとて図鑑を全部埋めようというモチベーションもない。図鑑を完成させることの意味や価値が分からない。
 だったら男子に生まれた者として“闘争心”を活用し、「ジム」で敵と対戦して名乗りを上げ、そこに喜びを見つければいいようなものですがルールがわからない。
 だからすぐに負ける。言わばマーシャル・アーツだとかサンボだとか、名前しか聞いたことのない格闘技のリングに上げられ、「どうするの?」「蹴ってもいいの?」「ねじ伏せるのは?」と質問しているうちに殴り倒されているようなものです。さっぱり面白くない。だからと言ってルールを調べるほどのモチベーションもない。

 というわけで私のような老人初心者ポケモン・トレーナー(ゲームのプレイヤーはそう呼ばれるのだそうです)は、おそらく2〜3週間死ぬほど歩き回ってそれでやめます。田舎ではポケモンの出る場所も少なく、したがってすぐに飽きてしまうのです。
 若いトレーナーだって10年20年と続ける人はいないでしょう。

 ただしGPSとスマホの撮影機能を利用した屋外ゲームというのは新しい展開ですから、この分野のゲームは今後もつくられ続けます。昨日も申し上げた通り「ポケモンGO」は大都市ほど有利ですから、これにヒントを得た後続ゲームもすべて大都市有利に傾きかねません。このままだと田舎人はいつまでたっても同じです。
 そこで今評判の「真田丸」からヒントを得た「真田 de GO」。地方は地方にしかないもので勝負をするしかないのです

 テレビを見て信州上田に遊びに来た観光客は市の入り口で上田市のホームページから「真田 de GO」をダウンロードして登録します。
 初めて来た人は道路不案内ですので基本的に「徳川軍」を、リピーターや上田市民は現地をよく知っている「真田軍」を選択します(もちろん別の選択をしてもかまいません)。
 対戦ゲームの得手不得手を自己申告します。
「とにかく電子ゲームなどしたことはない」という人はジャンケン・モードを、それ以外に人は5級から1級までを選択し、レベルに応じた兵力を与えられます。5級なら5千人、1級なら千人というわけです。
 一通り登録が済んだら徳川軍の観光客は上田城に攻めあがり、「真田軍」は防衛に回ります。

 市内全域が戦場ですからそれぞれの辻や広場などあちこちで対戦が行われます。真田軍は徳川軍のいそうなところへ走り、徳川軍はそれをやり過ごそうとしたりします。街角でばったり出会い、双方リアルな参加者なら互いに申し込んで対戦ゲームを行います。週日や悪天候で観光客などが少ない場合はコンピュータが“敵”を自動発生してくれるのでそれと戦います。
 ところどころにある「サナストップ」では槍や刀、弓矢などを無料で手に入れることができます。
 各戦闘で勝てば先に進みます(徳川軍は上田城に向かって。真田軍は新たな敵を求めて)。負ければその時点その人にとってのゲームは中断です。
 そのままゲームをやめてあとは普通の観光に切り替えてもかまいません。ただし30分待てば同じ場所から同じ条件でゲームを再開することもできます。その30分間は土産物屋に入ったり喫茶店で休んだりするしかありません(そして地元に金が落ちる)。子どもの戦争ごっこで殺されたら十数えて生き返るのと同じ要領で、30分経ったら再び「真田 de GO」です。

 上田は小さな町ですから「真田 de GO」は初心者向きと言えます。これが「長篠GO」だったり「関ケ原GO」だったりすると歩く距離が半端ではありませんからかなりの上級者(歩くのが)でないと参加できません。「大阪GO」などは夏冬1年がかりですから気合も入ります。それぞれ豊臣軍に入ってうっかり勝ってしまうと2年がかり3年がかりということも考えなくてはなりません。
 もっとも大阪は大都市ですから「ポケモンGO」をやっている人を火縄銃で攻撃したり、逆に相手からモンスターボールで攻撃されたりしないよう気をつけることも重要です。「サナストップ」と「ポケストップ」を間違えて変なものをもらわないように。
・・・・・・・と書きながら、しかし私も、案外自分で思っているよりは暇なのかもしれないと考えたりもしています。

 しかしそれにしてもだれか、「ポケモンGO」に代わる、地方でしかできない屋外型スマホゲームを開発し、それで地方再生をしてくれないものか――これだけは本気で思います。



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2016/7/28

「ポケモンGO!」1〜ピカチュウは我々田舎人に何をもたらすか  政治・社会


「ポケモンGO」
――配信開始から1週間がたとうとしていますが、相変わらず「困った」「困った」で建設的な意見が出てきません。例えば広島市が祈念公園や原爆資料館をポケストップやジムから外せというのは分かるような気もしますが、最高裁までもが全国の裁判所も外せというのは理解できません。
 確かに最高裁は国権の最高機関のひとつであり、私も中に入ったことがありますが“権威”というのはこういうものなのかと感心するほど豪華で、ある意味“空虚”な空間でした。そんなところにポケモンがひょこひょこ出てきては困ります。それは分かります。しかし高裁や地裁は違うでしょう。厳かな場所で大切にしなくてはなりませんが、
「裁判所のところにポケモン、たくさんいたよ」
「裁判所ってどこよ」
「え? 裁判所どこか知らんの?」
といった会話から始まって司法が身近になるのは悪いことではないように思うのです。自分の街に裁判所があるかどうかまったく知らない人も多いのです。
 今後もあちこちから指定を解除してほしいという話が持ち上がってくると思いますが単なる流行です。何十年も続くものではありませんからよくよく考えた上で対応していただきたいものです。

 さて先週の土曜日、休日は更新しないという原則を破って「『ポケモンGO』〜ピカチュウは医療費問題と引きこもりを救う(かもしれない)」という記事を書きました。このゲームのおかげで人々は健康になり、不登校・ひきこもりも減るのかもしれないというものです。早く書いておかないと同じ内容を他の人が発表してしまうのではないかと急いだのです。
 案の定、翌日曜日の夕方、NHK「これでわかった!“世界のいま”」では「ポケモンGO」の数少ない長所として、みんなが歩くようになって健康になるのかもしれないという話と、アメリカで不登校が減ったという話題をやっていました。前もって書いておいたおかげでパクリだと疑われずに済みます(それがどれほど大事なのかという問題は別として)。
 その後ネット上に「アメリカのミシェル・オバマ大統領夫人が5年間悪戦苦闘した子どもの肥満問題を、ポケモンGOが5日で解決してしまった」といった話題が出たり、「ポケノミー」「ポケモミックス」(「ポケモンGO」による経済効果、景気浮上といった意味)といいった言葉も見られるようになってきました。
「困った」「困った」というだけでなく、ブームをどう利用するか前向きに考えようという空気も、徐々ではありますが出てきたのかもしれません。

 ところで、前述の「これでわかった!“世界のいま”」では健康問題と不登校問題以外に、地方経済が潤うという話も出てきました。私にはなかった視点です。
 ただし例として出てきたのは韓国の東北部にある束草(ソクチョ)という小さな町で、「ポケモンGO」が配信されない韓国なのになぜかそこでは可能なことがわかり、観光客が殺到しているというのです。韓国は安全保障上の理由から正確な地図を公開できず、そのために「ポケモンGO」の配信の予定がないのです。
 けれどソウルはともかくプサン辺りだったらソクチョよりも日本に渡った方がはるかに早く、もしかしたら同じく安全保障上の理由から正確な地図を出せない中国とともに、「ポケモンGOをするためだけに訪れる観光客が爆発的に増加する可能性もあります。旅行会社などはもう本格的にツアーの企画を始めているのかもしれません。下火になったという爆買いに代わる新たな流れになるかもしれません。ちょっと楽しみですね。

 けれどそれで潤うのは大都市だけで、私の住んでいるような田舎町ではそうはいきません。
私の家など徒歩3分で広大な野菜畑に出てしまいポケモンなんかめったにいません。出るのはタヌキやキツネ、運が悪ければクマと出会うだけです(しかもリアルモード。モンスターボールは使えない)。では私たち田舎人には「ポケモンGO」から利益を得る方法はないのか。

 そこで私は考えました。「真田 de GO!」の試みです。
                                                                         (この稿、続く)

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2016/7/27

「狂気のラスコーリニコフ」  政治・社会


 ドストエフスキーの小説「罪と罰」の主人公ラスコーリニコフは奇妙な論理に捉われます。それは、
“世の中にはナポレオンのような偉大な人間と、強欲な金貸しババアのようにくだらない人間との二種類がいる”
“選ばれた非凡な人間は、新たな世の中の成長のためなら社会道徳を踏み外す権利を持っている”
“ひとつの微細な罪悪は百の善行に償われるはずである”

そういったものです。そして自らがその“選ばれた非凡な人間”であることを証明するかのように金貸しの老婆を殺して金を奪い、その金で生計をたてなおすことを考えるのです。将来人類に役立つ偉大な仕事をするために、それはぜひとも必要なことでした。
 しかし決行の日、首尾よく老婆を殺したところに偶然、老婆の“天使のようにやさしい妹”が現れ、ラスコーリニコフは思わずこれも殺してしまいます。物語はそこから本格的に始まるのです。
 第一の殺人はともかく第二の殺人は激しく彼を動揺させます。それよって彼自身が“選ばれた非凡な人間”でないことが明らかになってしまったからです。

 昨日、神奈川県の相模原市で残虐で不幸な事件が起きました。その凶行の容疑者も独特の論理を持っていました。
 重度の障害者がこの世からなくなれば、日本及び世界は救われるというものです。そのほうが本人及び家族はもちろん、世界人類の幸福に資すると考えたのです。

“誰もがそれを知りながら行動に動き出さない、だからまず自分が動いて先鞭をつけるから、あとはよろしく”
 容疑者が2月に大島衆議院議長に渡したとされる「手紙」から読み取れるのはそういうことです。中でも恐ろしいのは次の部分です。
 作戦を実行するに私からはいくつかのご要望がございます。
 逮捕後の監禁は最長で2年までとし、その後は自由な人生を送らせてください。心神喪失による無罪。
 新しい名前(伊黒崇)本籍、運転免許証等の生活に必要な書類。
 美容整形にによる一般社会への擬態。
 金銭的支援5億円。
 これらを確約していただければと考えております。
 ご決断いただければ、いつでも作戦を実行いたします。

 彼は大島衆議院議長がまったく同じ思想を持っていて、自分のような先兵の出てくるのを切望していると信じて疑わないのです。安倍総理とも相談してくれと言っていますから政府全体が支持して5億円でも10億円でも出してくれるだろうと本気で思っています。その点でラスコーリニコフとは全く違います。
 ラスコーリニコフは歪んだ性格と歪んだ思想を持っていましたが、凶行の後、自分が凡人であることを知って苦悩します。しかし相模原事件の容疑者はどこにも疑いを持っていません。世界が(密かに)支持するはずの信念に基づいて、彼は一度も躊躇せず、ひとりひとりを丁寧に殺傷していったのです。狂気に裏打ちされ、誤った信念に基づいた特殊な犯罪だと考えなければ、理解できるものではありません。

 この事件から学ぶことは何もありません。
 テレビで繰り返し放映された「津久井やまゆり園」の正面玄関の「ALSOK」のステッカーは、一見むなしいようにも思えますがそうではありません。警備というのはそういうもので、ある想定に基づいて行われます。「やまゆり園」の場合は「入所者が外に出る危険」を想定しましたが、今回のような「外部から確信的で保身を考えないテロリストの攻撃」は想定していません。それが普通でしょう。今回のことがあったからといって全国の福祉施設が警備の強化を図り、常時数名の警備員が巡回するようなことにならないよう希望します。そんな予算があるなら普通の職員を増やすべきです。

 障害をお持ちの方のご家族で、ウチの子も同じような目に合うのではないかとご心配の方――そんなことはありません。彼は特別です。
 容疑者と似たような考え・感じ方を持ち、自分もやがて同じような行動に出るかもしれないと不安な方――大丈夫です。彼は例外です。

 欧米では一気に数十人・数百人を死傷させるようなテロが起きています。しかしそれは一回の自爆スイッチ、数回の自動小銃の操作で行ったものです。瞬間的な怒りや激情があれば果たせることです。
 自分の足で歩きながら、数十分かけて、40数人を一人ずつ傷つけて回るような冷酷とは対照的なところにあります。後者は常人にできることではありません。

 2月に容疑者の手紙を受け取った衆議院議長公邸の担当者の対応は適切でしたし、連絡を受けた警視庁も神奈川県警の動きも的確でした。
 措置入院の2週間後「人を傷つける危険性はない」と判断して退院させた医者も、その時点の判断としては間違いのないものだったのでしょう。心の問題を完全に理解し判断することは不可能です。
 奇妙な思想を持った人、危険な考えに捉われた人を片っぱし捕らえて刑務所や病院に入れ続けることはできません。それが可能な国は国自体が危険です。

 今回の事件は不幸なできごとでしたが施設は今まで通り地域に開き、地域の協力を受けて運営されるべきだと思います。
 類似の事件は少なくとも20年は起きませんし(池田小学校の類似事件が20年起きていません)、仮に起きてもそうした確信的な攻撃者を完全に防ぐことはできないからです。



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2016/7/26

「完食はこうする」2〜学校給食の話e  教育・学校・教師


 昨日は、「二度目のクラスの学級担任になったとき、心の中に立てた誓いのひとつは『給食を残さないクラスをつくる』ということでした」と、書きました。しかしこれは驚くほど簡単なことでした。
 目標を達成するのに要した日数はゼロ。つまり初日からできたのです。
「すげえな、このクラス。残食がまったくで出ないや」
 ビックリして思わず感嘆の声を上げましたが、考えてみれば当たり前なのです。子どもたちは新しい学年、新しいクラスになって張り切っているのです。昨日会ったばかりの担任がどんな人間か分からないので警戒しているという事情もあります(ちなみに私は無意味なほど恐ろしい顔をしているのだそうです)。給食当番は汁の最後の一滴まで盛り付けようとし、食べる方は少しぐらい苦手なものがあっても頑張って食べきります。
 その姿は初めて担任した前のクラスの4月初頭にもあったはずですが、私は見逃がし、その重要性にも気づきませんでした。そもそも給食が学級経営の中核になるなど思ってもみなかったのです。
 しかし今度は違います。「給食を残さないクラスをつくる」と誓ってクラスを始め、いきなり残食率0%だったのです。見逃すはずはありません。大いに誉めます。

 そしてその翌日も残食率ゼロ。
「やっぱすげぇや、食べきれるんだ」
 二回目はかなり意図的です。三日目も四日目も――しかしさすがに第二週にはいるとアゴの出る子も出てきます。
 生徒たちもお互いの胃袋の実力を知りませんから公平に配膳してしまいます。そうなると大食いの子にとっては不足気味、小食の子にとっては過剰気味ということになります。二週目に入って多すぎる子たちの一部はそろそろ頑張り切れなくなるのです。ここからが担任の腕の見せ所です。
「そうか、大変だったね。でも今日までクラスとして米一粒残さず頑張ってきたんだ。申し訳ないけどもう一日、今日だけ頑張ってくれ、そうしたら明日から少しだけ少なく盛ってもらうようにするから。いいよなぁ、みんなぁ!」
 大声でクラスの承認を受けます。そうすることで“エコヒイキ”の誹りを受けることなくその子の給食を減らしてあげられます。“だってその子だって頑張ってきたのですから、そろそろ容赦してもいいじゃないか”がクラス共通の認識になるのです。
 また「『残食率ゼロ』はこのクラスがみんなで守らなければならない大きな価値だ」という気持ちも共有されるようになります。別に学級目標として決めたわけではないのに(これを学級目標にしようとすると大変な抵抗に合います)、知らず知らずのうちにみんなの大切な価値になってくるのです。

 もちろん高い緊張感をいつまでも持続することはできませんし、配膳の段階で量を減らしている子が出てくるので、そのころになると給食はどうしても余り気味になってきます。
 実際、例えば中学校1年生の場合、小学校時代と比べると1食の量もかなり多くなっているので無理もないのです。しかし「このクラス、スゲェな。残食がゼロだぜ!」も続けなくてはなりません。そこで詐術を使うのです。私が食べます。
 ちょっとお代わりをするふりをして大量に盛ります。それでも“お代わり”の子が少なくて食缶の中身が残るようなら「ああ、これほんとうにうめえなあ」とか言いながらさらにお代わりを続けます。大食いの子に手伝いを頼んだりもします。そして何とか食缶を空にするのです。

 毎回、ですから4月5月はどうしても太ります。体質的に太りにくい私が体重を増やすのですから「どれだけ頑張ってたべたんだ?」という話になります。
 そして私自身が限界だと感じたら、「6月からは絶対に元に戻すから」と給食室を拝み倒してクラス全体の量を減らしてもらうのです。実際、6月に入っても担任が頑張らなければならないということは小学校でも中学校でもまずありませんでした。
 2か月の間に誰を大盛りにして誰を少なくするのか、子どもたちもよく理解できるようになってきます。また2か月経てば2か月分の体の成長もあり、さほど頑張らなくても食べられるようになるのです。
 個人の食べる量に多い少ないはあります。しかしクラス全体では誰も苦しい思いをすることなく毎日残食率ゼロはできるのです。もともと小中学生がその年齢で食べきれるよう、クラスごと量を考えて配られているのですから。
 
 給食のように一人ひとりが違っているものをひとつにし、目標に向かってみんなで頑張れるクラスはクラスマッチでも合唱コンクールでも、そして高校受験でも圧倒的に強いのです。当たり前じゃないですか。

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2016/7/25

「完食はこうする」1〜学校給食の話d  教育・学校・教師


 現職時代、私は給食を食べさせるのがとても上手でした。私のクラスでは一年を通じて残食が出ることはありません。残食率0%です。
 ある時など昼休みにしなければならない仕事があったのでわずか数分で食事を終え、いったん教室を離れて後で戻ってきたところ、食缶の中にはアジフライのしっぽがひとつ、ポツンと入っていただけでした。犯人は分かっています、私です。
 しっぽの付け根のところには、硬い骨があって食べにくいものです。だから私は残しましたが子どもたちは当然食べるものだと思い込んで苦もなく平らげてしまったのです。
 私は深く反省させられました。そのくらいすごかったのです。

 もちろん子どもたちが毎日完食するからといっても それだけで“虐待”に当たることはないでしょう。怒鳴ったり脅したりして食べさせていたわけでもありませんから。それどころか、毎日誉めるだけでそれを果たしたのです。そうした意味では担任である私自身も誉めていただかなくてはなりません。
 ただし、最初からうまかったわけではないのです。

 教師になって初めて担任したクラスの給食事情はほんとうに惨めでした。
 食缶は持って来た時よりも返す時の方が重いのです。カレーライスのような単純で人気のあるメニューの時は別ですが、普段はとにかくガンガン捨てられる。クソミソ一緒という感じであらゆるものが投げ込まれたからです。うっかりしていると食缶には入れてはいけないパンまで投げ込まれていたりします。給食室からは再三クレームが入りますが、それを押しとどめることはできませんでした。給食のガンガン捨てられるようなクラスでは普通の指示だって通らないようになっているのですから。
 なぜそんなことになったのか――簡単です。私がそれを許したのです。

 新しいクラスが始まって間もないある日、ひとりの子が「これ、不味くて食べられない」と言ったのです。一度は「頑張りなさい」と返したものの再び現れたときは「いいから食缶に捨てて片付けなさい」そう答えてしまいました。忙しくてじっくり指導するのが面倒だったのです。それとともに、そんなことを許したら何が起こるか、経験不足の私は知らなかったのです。
 翌日、別の子が「これ食べられない」と言って私の前に立ちます。次の日は3人の子が私の前に立ちます。
 学校で最も大切なのは平等原則です。Aに許したことはBにも許さないわけにはいきません。それをしない教師は「えこひいき」をする教師――古今東西もっとも嫌われ疎まれる教師なのです。もちろん例外もあってひとりを特別扱いする場合がないわけでもありませんが、それは“食物アレルギー”だとか“その日限定の体調不良”だとか、皆で納得し合える具体的な理由がある場合だけです。それ以外のケース――「お腹がいっぱいだ」「食べられない」「苦手だ」「不味くて食べられない」を一度でも許したらクラスの大半が給食を捨て始める。それが現実なのです。

 結局次から次へと「食べれません」が来て、やがては許可をうけることもなく捨て始めます。食べるのに飽きたり嫌いなものだったり、がんばる気力がなかったり、あるいは本当は食べたいのに周囲に押されて捨てざるを得なかった子もいたようです。
 もちろん結果に驚いた私は指導のし直しをしましたが、一度堤防に空いた穴は広がる一方でした。

 二度目のクラスの学級担任になったとき、心の中に立てた誓いのひとつは「給食を残さないクラスをつくる」ということです。
 給食という生活の最も基本的なところでわがままが許され自由気ままにふるまうようなクラスは必ず崩壊します。逆に一人ひとりが協力して一口ずつ頑張るようなクラスは、別のところでも協力し合えるものだ――そんな思いがありました。生活の最も基本的な部分での協力なのですから。


                            (この稿、続く)

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2016/7/23

「『ポケモンGO』〜ピカチュウは医療費問題と引きこもりを救う(かもしれない)」  教育・学校・教師


 土日は原則的に更新しないつもりなのですが以前にも申し上げた通り、この国だけでも1憶2600万人もいるのです。私が考えそうなことは他の誰かも必ず考えてどこかで発表してしまうので、あとから書いてパクリだと思われるのもシャクだし、だからといって書かないと忘れてしまう(老化)ので土曜日ですが書き留めておきます。

 話題の「ポケモンGO」が配信され始めました。日本発祥のポケモンが日本で使えないというフラストレーションに晒された一週間、さぞかしイラついた人も多かったことでしょう。そのせいか海外からもたらされるニュースはやれ交通事故にあっただの崖から落ちただの、とどのつまりは勝手に写真を撮られたと勘違いした男に銃で撃たれたとか、とんでもない話ばかりです。
 しかし似たようなニュースばかりが掘り出されるのは結局メディアの担い手が働き盛りの報道マンばかりであって、普通の仕事についている人とか老人だとか、つまり一般に属する人々の感じ方・考え方を反映しないからなのかもしれません。
 とりあえず高齢者の入り口にいる私としては、“あんなものにとりつかれて10時間も屋外を歩かされたらかなわない”と思い、そのあと“案外、これいいかもしれない”と思い直したりもしています、寝たきり老人が減るかもしれないからです。

 10年近く以前、近隣で「寝たきり老人をなくす運動」というのが盛り上がって皮肉屋の私なのどは「年寄りを叩き起こすのかよォ」とか思っていたら本当に「叩き起こす運動」だったことにびっくりしたことがあります。
“寝たきり老人”にはもちろん病気で起きられない人もいれば全身が弱って体を起こせない人もいます、しかし多くは体がしんどいので起きるのを面倒くさがっているうちに起きなくなった人たちなのです。ですから彼らを叩き起こし、適切な運動をさせるとまた動けるようになったりします。それを促進しようというのです。

「ポケモンGO」が巷間言われるように「50代・60代・70代でもみんな夢中になる」ようなものだとしたら、半分寝たきりの老人に渡せば生き生きと歩き始めるかもしれません、そんなふうに思いません?いや、それ以前に60代・70代が毎日ポケモンを探して3時間も4時間も歩くとしたら、成人病の患者など飛躍的に減って「寝たきり」の可能性も極端に低くなるかもしれません。おまけにスマホを手にしてウロウロしているのは全員同好の士ですからちょっと声を掛け合えば会話も弾む――。そうなったら心の健康も取り戻せて医療費の問題も吹っ飛んでしまうかもしれません。まさに「ポケモンGO! ピンピンコロリ!」です。

 高齢者、寝たきり候補としては以上ですが、さらに元教員として思うことは、「ポケモンGO」が不登校や引きこもりを劇的に減らすのではないかということです。

 私たちが思う最悪の引きこもり――もう何年も部屋に籠ったきり一歩も外に出てこない、昼夜転倒して風呂にも入らず一日中ネットゲームに没頭して他に何もしていない(らしい)、家族との会話はメモのやり取りで済ませ、意に従わないと部屋を破壊し「火をつける」と脅す、だから家族は何も言えず、ただ尽くしている――そんな引きこもりが「ポケモンGO」に引きずり出されるわけです。今までは部屋に籠っているからゲームしかすることがなく、ゲームをしなければならないから部屋に籠っていた子どもが、初めて「ゲームをするには屋外に出なければならない事態」に直面するわけです。
 もちろん最初から日中の屋外へというわけにはいきませんから深夜の徘徊になります。皆が寝静まってから密かに家を出るわけです。ひとりでコソコソと歩み始めます。
 ところが困ったことに、一歩外に出ると「ポケモンのいるところに人間あり」なのです。ブームですから昼夜を問わずだれかが歩いています。同じ個所に集まってきます。そのうえ事情を知らない人が何の遠慮もなく声をかけてきたりします。
「なんか見つかった?」(以下、「ポケモンGO」をやったことがないのでそういう会話が成り立つかどうかははなはだ疑問なのですが)
「オレ、リザードン持ってるけど、何かと交換してくれない?」
「さっき、あそこにゼニガメがいたよ」
 それどころかまったく何も考えずに、「そこ曲がったところにフシギダネがいるって。一緒に探しに行こう!」とか言って手を掴んで走らせたりします。そうこうしているうちに気がつくと同好の仲間と一緒に歩いていたりする、ポツリポツリと会話らしいことも始まる。とにかく社会とつながってしまう・・・。
 ゲームには中毒性がありますから一度ハマったら簡単には止めることができません。夜じゅう走り回ってポケモンを探し、あたりが白々と明けてきたからといってドラキュラではありませんから慌ててねぐらに帰る必要もありません。ほんとうに疲れ果てるまで歩いてようやく帰宅です。そして目が覚めたら再び「ポケモンGO!」。

 歩くことと太陽の光を浴びることが体や心に悪いはずはありません。必ず全身に動物的な“生きる力”が甦ってきます。
 さらに彼に声をかけてくる人たちは全員「ポケモンGO」に夢中になっている人間ですから会話内容に困ることもない、彼を困らせることもない、こちらから話しかけてもスマホを手にしている者同士だと絶対に胡散臭がられたり怪訝そうな顔をされたりする心配もない。かくして彼は「ポケモンGO」を通して社会復帰の第一歩を踏み出し始める・・・・・・。

 そんなバカなと思うかもしれませんが不登校・引きこもりは160万人もいるといいます。その中で0.1%が私の予言通りになるとしたらそれだけでも1600人です。これまで1600人もの不登校・ひきこもりをほとんど同時に引きずり出した人も組織も装置もありません。
 期待して見ていきましょう。


*ただし、毎週末小学生の子どもにスマホを持ち出され、夕方まで戻ってこないという不都合にウンザリした保護者が、必要もないのに携帯を買い与えてしまう、そんな厄介な状況も目に浮かばないわけでもないのですが・・・・・・。

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