2016/6/30

「米の話」d  知識


 さて「たてやん」さんのご指摘の通り、私の記した「日本人はほとんど米だけで民族をつないできた」は言いすぎで、「江戸時代の人々の食生活」とひとことで言っても武士と町人・農民とでは食事の内容がだいぶ異なりますし、都市部と農村部、山国と海浜部など様々に異なっていたはずです。
 また五公五民だの四公六民だのといった重税でも(ほんとうにさんな重税があったとは思えませんが)母数が大きければ豊かな暮らしができますし米の収穫高の極めて少ない地域では税率2割でもきついことになります。その意味では大穀倉地帯である美濃の農民と常に冷害に怯えなければならなかった東北地方の農民とでは生活の質が違ったはずです。

 紹介していただいた資料を見ると確かに一汁一菜(米と味噌汁と香の物)とはだいぶ異なります。もちろん「米3分の大根飯に稗を入れて」というのが貧しい食事なのか(米3分の大根飯でも大量に食えば十分なたんぱく質源・エネルギー源になる)とか、大豆や大麦、稗や粟、大根だの栗だの多様な食材を4回食で食べるのと一汁一菜ドカ食いのどちらが健康的か、幸かといったこともありますが、米の比重がものすごく低いのは明らかです。
 私が子どもの教えられた「江戸時代の農民はほとんど米を食べられなかった」を裏付けるような資料で本当は嫌なのですが受け入れざるをえません。私の祖先はこんな食べ物に耐えていたのか――と。

 さらにがっかりするのは、調べると資料に出てくる栗矢村・川内村・上穂村(ともに現在の長野県南部、現在は合併によって村名はなくなっている)はすべて幕府領なのですね。
 幕府は地味の良い土地を幕府領として残りを大名領にしましたから、幕府領の農民はそもそもが豊かなのです。さらに領主(徳川家・旗本など)は直接領地に行ったりせず現地に代官を立てたり送ったりしましたが、配下はせいぜいが10名程度。時代劇では悪行し放題の代官ですが、実際には強圧的なことをすればあっという間に殺されるか領主に訴えられてクビですから税率も極めて低く抑えられます(私の知る例では13%程度でした)。
 地味が良くて税率も低いのですから栗矢村や川内村・上穂村の農民は周辺の村々よりずっと豊かな暮らしをしていたはずです。それなのにこの程度。だとすると周辺の大名領ではどんな暮らしをしていたのか、思いやられます。

 しかしそれにしても私の持つ先祖のイメージ――江戸時代の農民はそれなりに食えていた、飢饉でもない限り腹いっぱい食べて栄養的にも問題なかった(必ずしも毎食おいしいとは言わないが)――とは合いません。もしかしたら信濃は特別貧しかったのかもしれません。

 実はそれを裏付ける証拠を、私はいくつか持っているのです。ひとつは江戸川柳です。

 江戸川柳では、信濃(長野県)出身者と相模(神奈川県)出身の女性は揶揄されることのツートップです。前者は大食い後者は好色でそれだけで江戸川柳集の一項目ができるほどなのです。

信濃者 三杯目から 噛んで食い (一杯目、二杯目は飲み込んでしまう)
さあ食って来るぞと 信濃の家を出て(出稼ぎに出るのも、とりあえず自分が食うため)
といった有様です。
 江戸市民から見ると笑ってしまうほど良く食べる、がっついているのが”信濃者”なのです。

 もうひとつは棚田。
 信濃といえば姥捨伝説の姨捨山が有名ですが、この山は「田毎(たごと)の月」と言って棚田に映る月も有名です。その棚田を見て、民俗学者の柳田国男は泣いたと言います。
「信州(信濃)の人たちは、こんな場所にも田をつくらなければならないほど苦しかった・・・」

 能登の有名な「白米千枚田」、三重県の「丸山千枚田」、和歌山県「あらぎ島」など「日本の棚田百選」に出てくるような地域はみな特別に貧しいのです。段々畑と違い棚田は水が入りますから一枚一枚細かく計算して水平につくらなければなりません。傾斜が急であればあるほど一枚一枚の田は面積が小さく、形も複雑になっていきます。姥捨山の棚田もそんなふうにつくられました。まさに口減らしのために老人が捨てられる伝説にふさわしい土地だったのです。

 けれどそれが江戸時代の農民の平均的な姿であったわけではありません。全体とすればほんとうに苦しかったのは大飢饉のときと幕末の一時期だけで、江戸時代、私たちの祖先はけっこう豊かに、面白おかしく、そしてしたたかに生きていたはずです。そう私は信じます。


1

2016/6/29

「米の話」c  歴史・歳時・記念日


「米の話」は先週24日で終わりのつもりでしたが23日の分にコメントを頂いてありました。コメントをいただくなんてめったにないことなので見落としていました。申し訳ありません。そしてありがとうございました。

2016/6/23 11:54
投稿者:たてやん
昔の日本人はどれくらいの米飯を食べたのかについてですが、江戸時代に
関して江戸では一日5合食べていたかもしれませんが農村部では大分違う
ようです。江戸時代の人口分布と農村部の食生活に関する資料を張ってお
きます。

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/7240.html
http://history-nanokaichiba.life.coocan.jp/edosyoku1.html

 この日のブログ記事で、江戸時代の庶民があたかも飽食状態だったかのような書き方をしたので、このコメントはそれをやんわりとご指摘いただいたのだと思います。その通りです。
 
 私が小中学生のころ日本史はまだ封建制度全否定の時代で、例えば人々に自由はまったくなく、農民は奴隷のごとく虐げられていたといった学習をしていました。よく引き合いに出されたのが徳川家康の「百姓は死なぬように生きぬように」という言葉です。私は農民の子孫として非常に恥ずかしいというか不快でした。自分の祖先が地に這いつくばるだけのダメ人間のように思えたからです。しかもそれを子々孫々代々続けてきたのですから。
私の体の中にもその血が流れています。
 ところがひとつの言葉が励みになって、ある時期から自分の中に流れる百姓の血を誇りに思うようになりました。それは、「年貢の納め時」という言葉です。
 
 もうここまで来たら見切りをつけすべてを諦めるときだという意味で、結婚を決断するときに使ったりします。元は悪事を働いた人間が刑に服することをいったようですがどうでしょう。よく見ると語の本来の意味は、
「いろいろ頑張ってきたがもう限界である、そろそろ諦めて年貢を納めよう」
ということです。
「年貢には納め時があって唯々諾々と払っていいものではない、とにかく頑張るだけ頑張ってみようとここまで来たがこれ以上やると城主(代官)も見過ごせなくなる、まあしゃあない。あとあと面倒なことになるのでこのあたりで払ってやろうか」
ということ、つまり年貢は一方的に奪われるものではなく百姓は領主と十二分に勝負しているたということです。

 毎年毎年、誤魔化したり隠したり、頭を下げたりぐずぐずしたり、慇懃だったり無礼だったりしながら、最後の最後まで直接交渉する。どこに今年の「年貢の納め時」があるのか、必死で探りながら領主と妥協点を探していくのです。何と誇らしい姿でしょう。それでこそ我が祖先、私の中に濃く流れる百姓の血の成せるワザです。

 それ以来私は、江戸時代の百姓は十分に食っていた、あるいは飽食なほど食っていたという方向で資料を探し、授業をするようにしてきました。
 例えば「農民に『生かさぬよう、殺さぬよう』といったギリギリの生活を強いて、果たして農業生産が上がっていくものか。それよりも農民に腹一杯食わせてそのぶん働いてもらう方がいいのではないか、そう考える領主はいなかったのか」とか、「およそ2500万人の農民が生産した3000万石の米を五公五民で半分取り上げた場合の税収は1500万石。それを500万人の武士・町人・その他が消費する。1500万人分の米を500万人が受け取ったらどうなる?」
といったことです。
 いわば江戸時代のグローバル経済についてグイグイ押していくわけでそうなると地方と都市、大名領と幕府領といった繊細な問題は忘れられてしまいます。
もちろん忘れていい話ではないのですが――。

                              (この稿、続く)

2

2016/6/28

「ポピュリストたちの宴」b〜日本の甘い罠  政治・社会


 なにもポピュリストは英米の専売特許ではありません。日本の政治家だってできもしない甘い話をいくらでもします。現在の自民党政権だってかなりいい加減ですがほんとうにひどかったのは2009年の民主党でした。
 自民党のばらまき政策を批判したマニュフェスト(この英語も気に入らない)のスローガン「コンクリートから人へ」は方向を変えただけのばらまき計画で、しかもそのやり方が尋常ではなかった――。
「子ども手当の創設」「高校授業料の無償化」「高速道路無料化」「農家の戸別保障」「暫定税率の廃止」「消費税は4年間議論さえしない」・・・
 税は減らす、歳出は増やす。財源はどうするのかと問うと当時の鳩山由紀夫代表はいつもイライラした様子で答えました。
「財源はあるんです。事業仕分けと埋蔵金の掘り出しで、必ず出てきます」
 国民に何の負担もかけずにバラ色の夢を実現します――ここにポピュリストの罠があります。オレオレ詐欺だの振り込め詐欺だのといった特殊詐欺も同じで、何の努力もなしで大きな成果が手に入ると謳っているものはすべて怪しいのです。

「普天間の移設先は最低でも県外。私には腹案があります」
 前政権だって官僚だってバカではないのです。事業仕分けと埋蔵金だけで財源が確保されるようならすでに行っています。沖縄県外に適切な米軍移設地があるならすでに決めています。みんな国民に対していい顔はしたいのですから。それをあたかも、
「みんなバカだからできなかったが私たちならできる」
というドヤ顔で登場した人々が政権を取ったのですから、私たちがそのポピュリズムに乗った、少なくともその胡散臭さに気づかなかったということです。

 1960年にケネディは就任演説で「同胞であるアメリカ市民の皆さん、国があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたが国のために何ができるかを考えようではありませんか」と迫り、2001年の第151回国会の内閣総理大臣所信表明演説で小泉純一郎は「今の痛みに耐えて明日を良くしようという『米百俵の精神』こそ、改革を進めようとする今日の我々に必要ではないでしょうか」と声高に叫びました。
 その内容が正しかったかどうかは別ですが、ふたりとも無責任な夢物語はしなかったのです。
 EU離脱には猛烈な痛みが伴う、アメリカを再び世界強国にしたいのなら血と汗を流さなければならない日本を再び日の昇る国にしたいなら相応の犠牲が必要だ――そう言わない政治家はみんな嘘つきなのです。

 さて、昨日はイギリスのEU離脱とトランプ大統領候補の話をし、今日は2009年の民主党について話しました。そして最後に私にとって一番関心のある養育と教育のポピュリズムについて話すつもりでいました。
 例えば今帰省中のシーナが1歳になったばかりのハーヴの歯磨きについて苦労していること、
 嫌がる子には無理強いをするよりも、楽しく歯磨きできるように根気強く促しましょう。お気に入りのキャラクターがはいった歯ブラシを使ったり、歯磨きが楽しくなるような動画や音楽を使ったりしてみてください。
といったネット上の甘いアドバイスを片っ端試した後で、結局押さえつけて嫌がるハーブの口を開けさせていること。

「そのままのキミでいいんだよ」という言葉が拡大解釈されて、そのままでは困るような子がそのままでいること。
 先日取り上げたダイエット器具と同じように、ほとんど苦労せずに英語が身に着いたり成績が上がったりと平気で宣伝する教材や教具が繰り返し売り出されていること。
 同様に子どもたちが小指の先ほどの努力をしなくても学力を伸ばし人間性を高める、それが学校の教師の仕事だ――煎じ詰めればそうした話をして親を煽る教育評論家がたくさんいること。
 さらに最後に、学校の持っていた教育資産・指導資産を片っぱし否定して潰し、その上で「学校は果たすべき仕事をしていない」と糾弾して喝采を浴びるふざけた“専門家”たちがいること。
 つまり総じて国民や保護者においしいことを言って学校を追い詰め、その印税や出演料や講演料で口に糊している連中が平気で世の中を闊歩している、といった話をするつもりだったのです。

 しかしEUだのアメリカ大統領選だの民主党政権だのといった派手な前置きのあとでは、あまりにもショボイ話なのでそれらはひとことも言わずに終わらせようと思います。



4

2016/6/27

「ポピュリストたちの宴」a〜イギリスEU離脱の衝撃  政治・社会


 先週の金曜日、私は朝からNHKテレビを見ながら、昼過ぎまでイライラを募らせていました。画面の下にイギリスのEU離脱の是非を問う国民投票の集計状況が出ていたからです。
 イギリスがどうなろうと私には関係ありませんが息子のアキュラは現在就活中。「イギリスのEU離脱」→「ポンド・ユーロ安、円高」→「リーマンショック以来の不況」→「新卒大学生の内定取り消し」→「アキュラに行くところがない」ということできわめて個人的なレベルで不安だったのです。
 結果はご承知の通り。午後0時40分ごろ、BBCが速報を出して離脱派の勝利でした。アキュラにラインのトークで絶望を送ると、「今、買っておくべきはドルなの? ポンドなの? ユーロなの? 円なの?」という頓珍漢な答え、もう一度絶望の淵まで歩いて行ってきました。

 古いジョークに、
「ドーバー海峡霧深し、ついにヨーロッパは孤立した」
というのがあります。
 イギリス人の誇り高さを揶揄したものですが同時に“あいつらほんとうに分かっていない”という意味もあるのかもしれません。今回イギリスのEU離脱を見て、突然この話を思い出しました。
 しかしどうしてああも易々と騙されたのか。

 離脱して一時的には関係も冷え込むがヨーロッパがイギリスを無視できるはずがない、イギリス抜きでEUがやっていけるはずもない。すべてを自分たちで決定できるようになればイギリス経済は必ず復活し強い大英帝国が戻ってくる。この国のルールをつくるのはイギリス人だ。今日は独立記念日だ!

 イギリスが世界第5位のGDPを誇り、日本が1000を越える企業を進出させて中国が7兆円以上の投資をしたのも、すべてはイギリスがEUの加盟国であるからです。イギリスがEUの窓口となっているからであってEUでないイギリスなんてただの没落帝国です。

 早くも金曜日の午後にはスコットランドの独立運動が再燃し、昨日はロンドンが独立しようという話も出ています。ロンドンはともかく、今後スコットランドや北アイルランドの独立にはEUの後押しが期待されます。
 それにもかかわらず、イギリス人が“やっていける”と信じているのは「ブリテン・ファースト」とか言って扇動した恥知らずのポピュリストがいたからです。
 土曜日の朝、離脱派の重鎮ボリス・ジョンソンの家を取り囲んだ群衆から、「恥知らず」の怒声が飛び交ったのはそのためです。根拠のない甘言で人々を欺いたことに“恥じ入れ”という意味です。


 さて、恥知らずな扇動家といえばボリス・ジョンソンにそっくりな風貌の初老の男が、アメリカ合衆国では共和党の大統領候補となって人々を煽っています。日本や韓国から手を引き、強いアメリカを取り戻すとか言っていますがその論法が私にはわからない、世界から手を引いたアメリカなんて少しも偉大ではないと思うからです。
 アメリカが手を引けば東ヨーロッパはロシアに、アフリカおよび東アジア・東南アジアは中国に、中東はISにあっという間に席巻されてしまいます。そうなると合衆国なんてすぐにカナダ・オーストラリア程度(大きくて経済力もあるけどあまり畏れなくていい国)です。
 アメリカに手を引かれて困った日本・イスラエル・トルコなどは軍備を拡張し核武装して自国を守ろうとするかもしれません。北朝鮮に見るように“核”は最も安上がりな軍備ですから。

 しかしそうなったら新たな核保有国はアメリカやロシア・中国と対等ですからそう簡単には言いなりになったりしません。特に日本は何度もアメリカに煮え湯を飲まされていますから素直に従うはずもないのです。「Make America great again」など夢のまた夢、たくさんの国々がアメリカをバカにし始めます。

 それにもかかわらず、現在のアメリカではドナルド・トランプの妄言がまかり通ります。少なくとも共和党員の半数以上はアメリカが世界から手を引いて南に万里の長城を築き、それで偉大な国になると本気で思っています。

                                            (この稿、続く)
4

2016/6/24

「米の話」b    歴史・歳時・記念日


 政治家の鳩山邦夫さんが亡くなりました。
 夫人は結婚前の名前を高見エミリーという、当時はまだ珍しいハーフ・タレントで、彗星のごとく現れたかと思ったらそのままお嫁に行ってしまい、そのお相手が鳩山一族の息子というのでずいぶん驚きました。写真を見たら大した外見ではなく、「結局、金目当てかよ」と、ファンでもないのに舌打ちしたことを覚えています。ただし外見は大したことなくても中身はたいへんな人で、実母の安子さんの話だと「由紀夫は秀才、邦夫は天才」。ほんとうに頭がよくて高校時代は全国模試で1位、東大法学部を首席で卒業しています。
 そのころの東大法学部にはもう一人の天才がいて、常にトップを争っていたそうです。それが舛添要一。幸い(?)学科が違っていたので二人とも主席卒業となりました。

 ところで「米の話」の最中に鳩山氏の訃報を差し挟んだのは、今月16日発売の雑誌「フライデー」に『どうしたの? 鳩山邦夫代議士「激ヤセの真相」』というのがあって、事務所によるとその「激ヤセの真相」は今年2月ごろから「炭水化物抜きダイエット」にハマり、意図的に体重を落としたものだとされているからです。私が気にしている低糖質ダイエットと同じものです。

 公式の死亡原因は十二指腸潰瘍。一般には死に至らない病気で、2週間ほど前には兄の由紀夫さんが都知事選への立候補を打診したと言ってますから、やはり突発的に何かがあったのでしょう(ただし深刻な病気だったとしても「アニキだけには絶対言うな」と口止めしていた可能性は大いにあります)。もしかしたら今後死因が変更されるかも知れませんが、「炭水化物抜きダイエット」をほんとうにやっていたのか、やっていたとしたらそれがどう影響したのかも知りたいところです。

 一連の報道の中でもう一つ気になったのは「極端な炭水化物抜きダイエットは100%リバウンドする」という話です。たんぱく質や脂質を自由に摂りながら、炭水化物だけを極端に落とすといわば「炭水化物飢餓状態」になってしまい、普通の食生活に戻した瞬間に、猛烈な炭水化物の吸収が始まるからだと説明されます。
 それについては私にも知識があって、アスリートの中には試合当日に爆発的なエネルギーを出すため直前一か月ほどは炭水化物を抜き、試合の2〜3日前からドカ食いして体内にため込みそして燃やす、と聞いたことがあります。炭水化物の急激な吸収を促すために敢えて断っておくのです
 しかしそれは一流アスリートの話ですしライザップの場合は専門のトレーナーが個人指導に近いレベルで監視してくれる(そのための30万円?)からいいのであって、素人が手を出すのはやはり危険なのかもしれません。


 さて、昨日は昔の日本人が1年間に食う米の量は老若男女平均しておよそ1石、加賀百万石とかいう場合の石高はそれだけの人数を養うことのできる米が取れるという意味でその藩の経済力を表すというお話をしました。
 
 現在の日本人の米の年間消費量は56.9sという半端な数なのになぜ江戸時代の人間は1石などという切りの良い数字になったか、ちょっと不思議な気もしますが実はそう決めたからなのです。毎日3合ずつ食べるとして350日ほどだから「ああ我々は1年に1000合=1石食べるんだなあ」と思ったのではなく、平均的な日本人が1年間に食べる米の量を1石と決めて、その十分の一を「斗」、さらに十分の一を「升」、そのさらに十分の一を「合」と決めただけなのです。
「起きて半畳、寝て一畳」と人間の体の大きさで長さや面積が決まったように、度量衡というのはほとんどが人間の体格や能力を基礎としてつくられています(外国でもフィートなどはイギリスの王様のひざ下の長さだったという話を聞いたことがあります)。

 その1石の米の収穫できる田の広さを1反と言います(*)。そう決めたからです。
 古代において1反は360歩でしたが太閤検地の際300歩に改められます。1石の米を作るのに360歩もいらなくなった、つまり生産性が上がったからです。
 
 江戸時代の初め、1石の値段は1両でした。そう決めたからです。
 年ごとの収穫量や貨幣の改鋳(質を落としたり上げたり)によって米価は激しく変動しますが、基本的に江戸270年間の最後の30年を除くとずっと1両を挟んで上下に変動しているだけです。最後の30年間は上がりっぱなしになって、それで幕府は潰れます。

 1石=1反=1両 と覚えておけばいろいろと便利です。

 
 ついでですが、米俵1俵は4斗(*)です。なぜ4斗などという半端な数字にしたのかというとおそらく担ぐ人間の能力を考えてのことだと思います。1石(150s)では絶対担げませんし半分の5斗(75s)でも普通は担げません。かといって3斗(35kg)では仕事のハカが行きません。
 小判も枚数が多くなると白い紙で丁寧に包みます(これを“切り餅”といいます)。25枚で一包みにしますから時代劇で「ここに100両ある」と言ったら四つなくてはなりません。私もずっと注意して見ていますが、その部分で間違った例は見たことがありません。当然ですね。
 ところでなぜ25枚かというと、これも人間が手に持つのに都合のいい大きさだからではないかと私は思っています。
 すべて人間中心なのです。

*ほんとうは1反の田からとれる米は1石1斗、米俵に入る米は4斗1升です。これは籾米を玄米にするときの目減り分を含んでいるためであって、玄米すればそれぞれ1石、4升程度になるわけです。
 けれどそこまで詳しくやると混乱するので、中学校の授業ではそこまで細かな話はしませんでした。

2

2016/6/23

「米の話」a  歴史・歳時・記念日


 「ライザップに挑戦する」がうまく行かない、その理由のひとつは低糖質ダイエットができないこと、具体的には米飯がやめられないからです。単純に米の飯が好きということもありますが「米飯を辞めてしまうと日本人でなくなる」といった一種の信仰がブレーキとなっているのです。ある時期、日本人はほとんど米だけで民族をつないできたからです。

 一汁一菜という言葉がありますが、実際のところ江戸時代の庶民の食事には一菜といえるほどのものはなく、米飯に汁物、香の物で終わっていました。仏教の影響で肉食ができなかったため魚介を食べていた、という話もあってそれも間違いではないのですが、月に数回といった程度で実際には米のドカ食いで生きていたと言えるのです。米の場合それが可能なのです。

 中学校の社会科で弥生時代を扱う際、私は「スーパー食品・米」という題で授業を行いました。その直前の縄文時代は狩猟採集生活で、人々は動物や鳥の肉、魚介、ドングリなどの木の実、ワラビなど野草などを食べていました。肉はイノシシやシカ、鳥はキジ・ヤマドリ、魚はサケ・マス、木の実はトチだのクルミだの、ある意味とてもバリエーションに富んだ食事だったのです。それが稲作の流入とともに米一辺倒になってしまう、それはなぜか。実はそれは米がスーパー食品だからだ、そういう流れです。

 とにかく水と土さえあればできる、それも大量にできる、連作が可能である、長期保存ができる、とにかくおいしい、米だけでも食べられる、どんな食べ物と組み合わせが可能、栄養が豊か――そういった特色を押さえ、以後日本人が米を巡って歴史を織りなす学習の基礎とするわけです。それが理解できて初めて公地公民の意義や「一所懸命」の意味、太閤検地の歴史的意義もわかってきます。歴史を考える上での最重要な点なのです。
 ただしそのころ、私は「栄養豊か」のほんとうの意味を知りませんでした。

 もちろん炭水化物ですから強力なエネルギー源となりますが、それだけではありません。玄米で食べるとほとんどの栄養素を手に入れることができ、特に必須アミノ酸9種類が非常に良いバランスで含まれていて他の食品を必要としないのです。米を食べている限り肉や魚がなくても人間は生きていけます。
 ただしもちろん塩分は必要。また米飯だけだと必須アミノ酸のうちリジンが少々足りなくなるのでリジンを多く含む大豆も摂取したい――そう考えると味噌や漬物が欲しくなります。つまりご飯と味噌汁・香の物(簡易一汁一菜)で人間の必要なものはほぼすべてがそろうのです。
 もちろんビタミンB1が不足して脚気になる人が少なくなかったなど、問題がないわけではありません。米の場合、必須アミノ酸のバランスはいいものの含有量自体は少ないですからとにかく大量に摂取しなければなりません――つまりドカ食いも必要になります。ドカ食いすると当然エネルギー過剰になりますのでとにかくよく働く、そういったサイクルもできあがります。

 ところで昔の日本人はどれくらいの米飯を食べたのか。
 一説には一日5合、つまり二日で一升ずつ食べたと言われています。普通の家庭用炊飯器のほぼ最大ですから大変な量です。いかに米好きの私でも食べられる気がしません。しかし振り返って学生時代、5合の米を仲間と3人で一気に食べたことがありますから、二十歳前後の男性ならそれほど難しい量でもないかもしれません。けれどさすがに女こども・お年寄りはそんなに食べない。老若男女すべて合わせるとなると一般に言われるように1日3合というのが妥当な量でしょう(それにしたって現代では二人でも食べきれない)。

 一日3合、一年365日で1095合。厳密にはそういう計算になりますが大まかに言って、昔の日本人が1年間に食う米の量はざっと1000合(150kg)と考えられます。
 1000合=100升=10斗=1石です。

 俗に加賀百万石と言い実際には120万石だそうです。その数字が正しいとすると加賀藩には120万人が一年間暮らせるだけの米の収量があったことになります。
 税として取り上げられた米の大部分が大阪に送られて現金化されますので実際に加賀に120万人が暮らしていたわけではありませんが、石高にはそうした意味があって藩の経済力を示したのです。

                              (この稿、続く)
 
2



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ