2016/5/23

「どうしてあんなヤツに」  芸術


クリックすると元のサイズで表示します 散々迷ったカラヴァッジョ展、先週土曜日に息子のアキュラも誘って行ってきました。
 いくら何でも若冲展を上回って混むことはないだろう、2時間待ちくらいなら我慢しようと出かけたのですが、チケット購入に15分並んだだけであとはスイスイ入れました。中は混んでいる展示室もありましたが、大型展覧会の終盤だということを考えるとほぼ「こんなものかな」という感じ、さほど苦痛を感じることもなく約2時間の鑑賞を終えて出ました。

 しかし残念だったのはカラヴァッジョ自身の作品は11点しかなく、あとは彼の影響を受けた同時代の画家たち(カラヴァジェスキと言うらしい)の作品50点余りで、全体はいわば「カラヴァッジョと彼の影響を受けた画家たち展」ともいうべきものだったことです。それだとどうしてもカラヴァッジョ個人の雰囲気とか感じとかを嗅ぎ取ってくるところまでは行きません。よく見れば案内書に書いてあったのに、うっかり見落としました。

 私には「どんなに理解しがたい画家でも、その人の生涯に渡る変遷を本物の作品で見れば、必ず分かる」という確信があります。それはこれまでの経験から出たかなり強い信念です。
 ですからピカソだのゴーギャンなど私の感性ではうまくつかめない画家の展覧会には、むしろ積極的に参加しようとしてきたのです。今回のカラヴァッジョ展もその範疇にあって、バロック期やルネサンス期、あるいはそれ以前の絵画や彫刻というのはどうもしっくりとこない、よくわからないのです。

 もちろん知識として価値や芸術性を理解することはできます
「その革新性はなによりも、美術において初めて写実主義・自然主義を確立し、身近な静物を触れそうなほど本物そっくりに描き、聖書の物語を日常で起こりうる現実のドラマとして表現したことにあった。彼の出現によって、絵画は絵空事や理想世界を描くものではなく、見えるものをそのまま写し取る現実の鏡になったのである。それを可能にしたのは、彼の卓越した技術と、宗教への独自の理解であった」
なるほど、カラヴァッジョの描く果物や花はどれもこれも手を伸ばして取りたくなるほどみずみずしく鮮やかです。今回の展覧会の目玉である「法悦のマグラダのマリア」(世界初公開)の恍惚とした表情は、まさに日常起こりうる恍惚と同じものでしかも「法悦」名にふさわしい気高さをも持っています。不謹慎にもマグラダのマリアの生業を想起させ、しかしそれでいて卑猥ではない。それは誰も思いつかない発想で、しかも誰にも真似のできない技法で描かれている――そんなふうにひとつひとつに感心しながら、ひとつひとつ感心するからむしろ入ってこない、そんな感じです。
 基本的には勉強不足です。心に留め、時間をかけてこの時代の絵画に向き合っておこうと思いました。

 ところでカラヴァッジョ展を観に行きたいと思ったことには、作品の芸術的・歴史的価値以外に別の要素もありました。それはカラヴァッジョ自身の生き方です。
 彼は典型的な無頼漢、発火点が低くすぐに怒りに火の着く乱暴者で、手に負えない呑兵衛・チンピラです。一か月絵を描くと三か月飲んで暴れまわるという生活を続けていたようです。そのあげくにつまらない喧嘩で人を殺しローマを追われることになります。しばらくナポリに隠れて作品を描き続け、法王に一歩近づこうとマルタ騎士団に潜り込んだり、そこでまた喧嘩してナポリに戻ったりといった生活を続け、最後は法王の恩赦を求めてローマに向かう道すがら熱病のために亡くなります。38歳でした。彼が画家として活躍できたのはわずか17〜18年間ほどのことです。
 私はそうした無頼漢に心を寄せるタイプではありません。むしろ腹を立てる人間です。話を聞くだけでイライラします。

 映画「アマデウス」の中で主人公のひとりサリエリがモーツァルトを指して「神はなんであんな男に天才を与えたのか」と嘆く場面がありました。僭越ながら私も同じです。カラヴァッジョがもっとまともな人間だったら、私ももっと素直になれるのです。あんないい加減な男が天才で歴史に名を残し、私のようなまじめで誠実な人間が凡才で無名のまま終わる――もちろん本気でそう思っているわけでもありませんし、カラヴァッジョと並べて考えることすらおこがましい話ですが、それでも面白くない。
 最近では清原和博元プロ野球選手について、世の中には才能に欠けるために虚しく球界から消えていったプロ野球選手が山ほどいるのに、そして本人ですら「野球がなかったら極道になっていた」というような人間なのに、神様はなぜこんな男に才能を与えたのかと、イライラしました。考えてみれば野口英世だって太宰治だってみんなその部類の人間です。
 海外ではスティーブ・ジョブズやマーク・ザッカーバーグは天才でしょうがやはり面白くない、嫌な感じです。部下にもなりたくないし友だちにもなりたくない(お金持ちだから友だち付き合いくらいはしてもいいかな?)。

 私は神の微かなしかし確実な信仰者ですが、ときどきその思惑のわからなくなる時があります。


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