2016/2/22

「ココロの森の専門家」〜自分の目で見る  教育・学校・教師


 以前、中学校の免許しか持っていない私がどうしても小学生のことを知りたくて、通信教育で小学校免許を取って異動したというお話をしました。中学校に進学してくる子どもたちの95%は満足だったり我慢できる範囲にあるのに、残りの5%がどうしても分からない、なぜこんなに教育されていない幼い子たちが進学してくるのか実際に見てきたかったのです。
 最初は不慣れということもあって中学生に近い5・6年生の担任でしたが、そこから大抜擢されて小学校一年生の担任まで降ろさせてもらいそして分かったのです。
「一年生では遅すぎる」

 やはりそれよりもさらに下って子どもを見る必要があります。けれど40代もだいぶ過ぎて幼稚園教諭の免許を取るのも大変ですし、実際幼稚園への異動も考えにくい状況でしたので、とりあえず独学で児童心理学だの発達心理学だの、小さな子どもに関わる勉強をし始めたのです。そしてさらに分からなくなります。

 少しわき道に逸れますが、それまでも私は心の専門家と意見の合わないことが多かったのです。例えばそのころ不登校が喫緊の問題となっていて、私もクラスに登校しぶりの子を抱えていたのですが、その子を間において精神科医と合わない、私の方は登校を促したいのですが医者は、
「そうまでして学校に通わせることにどういう意味があるのですか?」などと聞いてくる。
 公立学校の教員ですので学校を否定されると瞬間的に戦闘モードに入ります。
“今の日本、学校にしがみついていればいつか埒が明くが、学校を見捨ててしまったらどこにも行くところがないじゃないか”
 そう思って話をするのですがまったく受け付けない。

 さらにうっかり「不登校の親の会」みたいなところに顔を出すともうそこは学校批判の嵐で、主催の“専門家”は、「ゆっくり休ませてココロのエネルギーの溜まるのを待つ、すると子どもは必ず力強く社会に巣立っていきます」とか平気で話している。
 世の中にはそんな子もいるかもしれませんが、不登校の子の大半は悠長に見ていられるような子ではありません。

 第一、人間は鉄腕アトムのようにエネルギーを注入して動くようなものなのか? もちろん比喩でしょうが比喩にしても理解できない。ゆっくり休んだ夏休み春休み明け、子どもたちは“力強く”学校に飛び立っていくのでしょうか?  私など気が重くて重くてしょうがない、こんなことなら長期休業なんかいらないと思うくらい学校へ向かうエネルギーは湧いてこない。それなのに子どもは休めば休むほど学校に行きたがるというのはとても承服できるようなものではありませんでした。

 またさらに、心理学や精神衛生の書籍を見てもよくわからないことばかりです。例えば“超”がつくくらいの偉大な心理学者の本を紐解くとこんなことが書いてあります。
「子どもの好きと思うことをやらせてやる、そこから個性は開花してくるのだ」
「あまりにもわれわれ大人が既成の知識を体系を注入することに熱心になりすぎて、子どもが個々にもっている個性を壊すことになっていないか」
「子どもは創造過程そのものだ。大人が子供に対する期待をもち、むやみな干渉を行わないかぎり創造過程が進行する」

 私が担任している子どもたちに好きなことをやらせて干渉しなければとんでもないことになってしまいます。それは火を見るより明らかなことです。
 さらに極めつけは、
「私は子どもを育てる、というときに「植物」をイメージする、太陽の熱と土があれば、植物はゆっくりと成長していく」
 もうここまでくると冗談としか思えません。
クリックすると元のサイズで表示します 引用は河合隼雄の「子どもと学校」からのもの、日本の心理学界に燦然と輝く巨星、河合隼雄です。
 そんな重鎮がこういったふざけたことを言っている、日本の研究者は何をやっているのか!

 怒りに任せた私が何をやったのかというと、勢いに任せてそこから大学院に行ってしまうのです。もちろん簡単なことではありませんでした。
 校長の推薦を受けて教育委員会を通し、試験を受けた上で1年間だけ専修で研究に打ち込む、普通の院生と違って2年目は学校勤務をしながら夜間に指導を受けて修士論文を仕上げます。
 学費140万円ほどは自弁。大学院のある都市への転居が条件です(と、後で知った)ので新築三年目の家を空き家にし、家族4人で引越しです。妻を転勤させることには抵抗はありませんでしたが、小学校1年生の娘や保育園に慣れ始めたばかりの息子は気の毒でした。

 それだけの無理をして、しかし張り切って始めた大学院生の1日目、最初の講義で先生に志願動機を聞かれた私は、上に書いたような心理学界への不審を述べます。すると若い助教授はこう言ったのです。
「私たちの世界では河合隼雄は単なる評論家ということになっています。昔は立派な研究者でしたが今は評論家です。データに基づいて発言するのが研究者、何の根拠もないのに語る人は評論家と言います」

 重大な決意を抱えて始まった大学院生としての生活は、最初の数十秒で目的を達してしまいました。



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