2016/2/29

「大学ランキング、日本の凋落、韓国の死」〜自分の目で見るE  教育・学校・教師


北京大にも抜かれ…東大、アジア首位転落 京大も88位に後退(2015.10.1産経)

 それが「(THE)世界大学ランキング2015-16」で起こった事態です。長く20位前後を保ってきた東大が43位に転落し、京都大学も59位から88位に急下降したのです。産経新聞を始めとするマスメディアの落胆も大きく、
26位のシンガポール国立大(同25位)にアジア首位の座を明け渡した。42位の北京大(同48位)にも抜かれた。
 といった言い方になります(なにかとてつもなく差別的な匂いがしないわけでもありませんが)。
 さっそく内容を調べなくてはなりません。
 THE世界ランキング2014―2015(14年版)と2015−16(15年版)ではどう評価が変わったのか、東大を例に比較します。
 
          【2014版】 【2015版】
  1 教 育   81.4 → 81.4
  2 論文引用 74.7 → 60.9
  3 研 究   85.1 → 83.0
  4 国 際   32.4 → 30.3
  5 産学連携 51.2 → 50.8
    総合評価 76.1 → 71.1

 見るとわかるように明らかに成績の落ちているのは論文引用です。ここだけで14ポイント近くも落としてしまうと勝負になりません。
 実は京都大学も同じで、
「教育(70.4→70.6)」「論文引用(50.7→46.6)」「研究(68.4→69.3)」「国際(29.0→26.1)」「産学連携(73.3→79.0)」「総合(62.8→59.9)」
 と「国際」「論文引用」を除く3項目で成績を伸ばしたにもかかわらず、2項目の減点で総合評価を下げてしまいました。前にも言ったように「国際」の比率はわずか5%ですから、実質的には「論文引用」の減点が急下降の原因と断言してかまいません。
 日本の大学に何が起きたのでしょう?

 実はこれも一種の詐術なのです。2014年11月19日のニュースに「タイムズ・ハイアー・エデュケーションとエルゼビア、『世界大学ランキング』で業務提携に合意」という記事があります。それによるとこれまで「(THE)世界大学ランキング」が使用していたデーターベースをトムソン・ロイター社の「Web of Science(WoS)」からエルゼビア社の「Scopus」に変更したというのです。 
 言ってみれば「A図書館の貸し出しベスト100」から「B図書館貸し出しベスト100」に切り替えたようなものです。
 これでは評価の継続性は図れません。いわばものさし自体が変わってしまったわけですから以前と比べることは無意味なのです。

 そう思って調べなおすと「(THE)世界ランキング2015-16(15年版)」における順位の大変動というのは日本に限ったものではありませんでした。お隣りの韓国などはさらに悲惨で、14年版で100位以内にいた3大学のうち2大学が100位以下に押し出され落ち方も尋常ではなかったのです(ソウル大50位→85位、KAIST52位→148位、浦項工科大学校66位→116位)。

 これもやはりデータベース変更の被害者かと思ったのですが意外やそうでもなく、例えばソウル大の場合「教育(75.5→66.5)」「論文引用(48.7→50.0)」「研究(77.1→70.5)」「国際(30.3→30.9)」「産学連携(86.3→85.4)」「総合(64.8→60.5)」とランクダウンは「研究者による評価」の低下が原因のようなのです。

 逆に順位の跳ね上がった大学としてはライン・フリードリヒ・ヴィルヘルム大学ボン(いわゆるボン大学、ドイツ)の194位→95位などがありますが、ここも「教育32.2→45.1」「研究22.2→47.5」と「研究者による評価」の影響の大きいことが覗えます。

 今回のTHE大学ランキングの変動幅は大きく、13年版から14年版に移るときに10番以上ランクアップした大学は11しかなかったのに、15年版への移行では32もあります。ランクダウンについて10大学から27大学に増えています。さらにベスト100位圏内への入れ替えは14年版では7大学だったのが15年版では15と倍増しています。
 最も落ちたのは先ほどの韓国KAISTの96位ダウン、最も上昇したのも先に示したライン・フリードリヒ・ヴィルヘルム大学ボン(いわゆるボン大学)で101位アップ。
 総じてドイツ・オランダ・スウェーデンあたりに急上昇した大学が多いのも何か恣意的なものを感じさせます。こうなるとどこまでまじめに受け取っていいものかわかりません。


参考「THE世界大学ランキング2013-15 比較」the20142016web.xls


                                  (この稿、続く)


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2016/2/26

「大学ランキングは美人コンテストである」b〜自分の目で見るD  教育・学校・教師


 世界大学ランキングは何をもって順番をつけているのでしょう?
クリックすると元のサイズで表示します 右は定評のある「タイムズ・ハイアー・エデュケーション(THE)世界大学ランキング」の評価指標です。

「研究者の評価」というのが二か所に出てきますが、これはアンケートのことです。自分の精通している研究分野で、教育と研究の観点でそれぞれ優れていると思う大学を複数(回答欄は10大学まで)挙げてもらうという簡単なものです。したがってそもそも有名大学かどうかが問題となります。
「論文引用」は、各大学の研究者の作成した論文がどれくらい引用されたかという指標で、コンピュータのデーターベースから分析されます。優秀な論文ほど引用が繰り返されますから各大学の研究の質を示すと考えられています。
 他の項目については説明の必要はないでしょう。

 これをTHE2014―2015の東大に当てはめると、
1 教育   81.4
2 論文引用 74.7
3 研究   85.1
4 国際   32.4
5 産学連携 51.2
  総合評価 76.1

となります。

 極端に得点の低いのが「国際」ですので、そこから「国際化を急げ」とか「東大9月入試」とかいった話になります。具体的には留学生を増やし外国人教員の比率を上げることですから当然そうなるわけですが、表を見れば分かる通り「国際」の割合などたかが5%です。どんなにがんばっても順位を大きく押し上げる要素にはなりません。

 より重要なのは「論文引用」32.5%と「教育」「研究」の中にある「研究者の評価」あわせて34.5%で、大学ランキングの上位に英語圏の大学がずらっと並ぶ理由がここにあります。
 海外の研究者が参照するのは基本的に英文の論文ですから、母国語でしか書かれない論文の数多くある国(日本・フランス・ドイツなど)は非常に不利なのです。
 また、世界中の研究者の若いころの留学先となるとやはりアメリカが一番ですからアメリカ国内の大学は注目度が違います。
「教育や研究で優れた大学を」と問われて、鳥取大学や横浜国大(いずれも601位−800位)を思い浮かべる世界の研究者は少ないのです。逆に601位以下となるとアメリカの大学の比率が極端に少なくなってしまいます。もう数が残っていないという感じです。
 そう考えると東大の23位は飛び抜けて優れた成績と言えるのかもしれません。

*ちなみに「研究者の評価」をもっと高めるためには別の方法が必要だと考える人々がいます。「自分の精通している研究分野で、教育と研究の観点でそれぞれ優れていると思う大学を複数(回答欄は10大学まで)挙げてもらう」というとき、頭に浮かべやすいのは有名大学だと私も言いました。そのためには例えば「世界大学ランキング」を発表している「タイムズ・ハイアー・エデュケーション(THE)」などの高等教育総合誌へもっと広告を出さなければいけないというのです。事実だという気がしないでもありません。

 さて、ここまで「統計の一部を出して間違った方向に誘導する」ということで政府やマスメディアを非難してきましたが、私自身が意図的にごまかした部分があります。それは昨日今日と扱った「THE世界大学ランキング」が最新版ではないということです。1年古い2015年版が扱い易かったので敢て使いました。最新版(2015―16年版)ではとんでもないことが起きて説明が複雑になってしまったからです。

 それは産経新聞の次のような記事で表されます。

【世界大学ランキング】
 北京大にも抜かれ…東大、アジア首位転落 京大も88位に後退(2015.10.1産経)
 英教育専門誌タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE)が1日発表した今年の「世界大学ランキング」で、東京大は43位(昨年23位)と大きく順位を落とし、26位のシンガポール国立大(同25位)にアジア首位の座を明け渡した。42位の北京大(同48位)にも抜かれた。


「北京大にも抜かれ」――2001年の中国新聞と同じ発想です。あたかも「シンガポール大ならまだしも北京大に抜かれるとは(情けない)」と言わんばかりの記事です。
 ところでいったい何が起こったのでしょう。


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2016/2/25

「大学ランキングは美人コンテストである」a〜自分の目で見るC  教育・学校・教師


 資料の一部だけを提示して全体を見せない――TIMSS1999を使って「日本の中学生の学力は東アジアで最下位」というのはそういう詐術です。このやり口は「世界大学ランキング」でもしばしば用いられました。

クリックすると元のサイズで表示します 例えば定評のある「タイムズ・ハイアー・エデュケーション(THE)」の世界大学ランキングが発表されると、テレビは右のようなフリップボードを出して、
「世界大学ランキング、東大は23位、京大59位と、まだまだ世界との間に大きな差のあることがうかがわれます」
などと言ったりします。

 わが国の最難関、日本のトップエリートの集まる東京大学が23位というのにはやはり傷つきます。双璧の京大が59位となるとさらにがっかりです。6位から22位までにはどんな大学が入っているのでしょう?
 有名なところで言えばソルボンヌ大学、ボン大学、ベルリン大学なんかもレベルが高そうです。各国首都にある大学を考えれば、モスクワ大学、ローマ大学、マドリード大学、アメリカではイェール大学、マサチューセッツ工科大が出ていませんし、シカゴ大学も聞いたことがあります。ワシントン大学はどうだろう?
 ちょっとひねって考えれば、人口比で北京大学、受験大国(と言うより受験強国)の韓国ソウル大学なども東大より難しいのかもしれません。人口と言えばインドのデリーも気になります。
 ということで答えを見ますと、

【THE世界大学ランキング(2014-2015)ベスト30】

1 カリフォルニア工科大学
2 ハーバード大学
3 オックスフォード大学
4 スタンフォード大学
5 ケンブリッジ大学
6 マサチューセッツ工科大学
7 プリンストン大学
8 カリフォルニア大学バークレー校
9 インペリアル・カレッジ・ロンドン
9 イェール大学
11 シカゴ大学
12 カリフォルニア大学ロサンゼルス校
13 チューリッヒ工科大学
14 コロンビア大学
15 ジョン・ホプキンス大学
16 ペンシルバニア大学
17 ミシガン大学
18 デューク大学
19 コーネル大学
20 トロント大学
21 ノースウェスタン大学
22 ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン
23 東京大学
24 カーネギーメロン大学
25 シンガポール国立大学
26 ワシントン大学
27 ジョージア工科大学
28 テキサス大学オースティン校
29 イリノイ大学アーバナ
29 ルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘン
29 ウィスコンシン大学マディソン校

 驚くべきことに30位以内の大学はアメリカが22、イギリスが4、カナダ・シンガポール・スイス・ドイツそして日本がそれぞれ1なのです(29位が3大学あるために合計は31になる)。
 見方を変えるとベスト30の中に英語以外で講義の行われる大学は三つしかないことになります(スイス・ドイツ・日本)。しかもチューリッヒ工科大は修士以上の指導は英語で行われますから、東大は英語圏以外の、母国語で学べる大学としてはトップということになるのです。

 ここまでくると世界大学ランキングというもの自体が眉唾になってきます。
 いったい何を基準にしているのでしょう?

 実は世界大学ランキングのほとんどは「大学の魅力ランキング」なのです。
 私たちは国内の大学入試難易度ランキングになれていますから、ついつい「東大より頭のいい人が行っている世界の難関大学はどこなのだろう」と思いがちですが入試の難易は全く関係ありません。入学してくる学生の質とはまったく無関係で、「大学がどれほど優れていて魅力的か」という大学運営の評価なのです。
 それはまるで、一生懸命勉強して東京大学に入り、東大内部でも主席を取っていざ世界ランキングに参加しようとしたら美人コンテストだった、そういう感じの間抜けな話です。

 しかしともあれ、長い間この世界大学ランキングの6位付近から東大までの大学名は出さないことになっていました。政府もマスコミもそのように対応してきました。出せば「日本の大学のレベルは低い」という印象がなくなってしまうからです。

                                     (この稿、続く)

3

2016/2/24

「学力報道のイカサマ」〜自分の目で見るB  教育・学校・教師


 2001年1月8日に中国新聞が書いた。
「昨年末、国際教育到達度評価学会が公表した『国際数学・理科教育調査』では、日本の中学生の数学は東アジアの参加国で最下位。数学と理科が好きな生徒の比率は参加三十七カ国・地域のビリから二番目という情けなさ」
について書いています。

 国際教育到達度評価学会(IAE)の調査は1995年から4年ごとに行われていますが、記事が参照したと思われる国際数学・理科教育調査(TIMSSと略される)の1999年版で調べてみると、調査に参加している「東アジアの国」は韓国と日本だけです。広く「アジアの東の方の国や地域」と幅を広げても五つの国および地域(シンガポール・韓国・台湾・香港・日本)にすぎません。ただし記事のとおり、日本の成績(中学校2年生数学)は五つの国・地域の中で最下位。記事の趣旨からすると実に情けない結果、と言いうるのかもしれません。

 では参加37か国の中、日本は全体の何番目くらいに位置するのでしょうか?
 20位くらい? それとも30位以下?
 1位はフィンランド? イギリス? ドイツ? 

 答えは「参加37か国中、日本は5位」です。東アジアでも「5位」、世界でも「5位」、この年のTIMSSのトップ5は“アジア東部”が独占していたわけです(この傾向は今日までずっと続いています)。

クリックすると元のサイズで表示します だったら中国新聞は「日本の中学生の数学は東アジアの参加国で最下位」と書かずに「日本の中学生の数学は世界第5位(37か国中)の成績」と高くぶち上げてもよかったはずです。それなのに敢えて前者を選んだ――。
 そこにあったのが「日本の子どもたちの学力は低い」という錯覚を起こさせようとするイカサマなのか、それとも「シンガポール・韓国・台湾に負けるなんて」といったアジア蔑視なのか・・・いずれにしろろくなものでないことは確かでしょう。


 この記事の前後、2001年ごろ始まった「学力問題」は学校にとって大きな衝撃でした。
 つい数年前まで、河合隼雄の「子どもと学校」に見られるように、私たちは「教えすぎる」「詰め込みすぎる」「受験競争に子ど駆り立てている」と蛇蝎のごとく憎まれていたのです。
 それはまったくお門違いで、私たちは学力偏重でも詰め込みでもなく、ましてや受験競争に教師が主導して子どもを追い込んでいたわけでもなく、目の前の不勉強な生徒の、学習指導や生徒指導に努力していただけなのです。しかしマスコミも社会も、学校を勉強と校則で子どもをがんじがらめにして楽しむサディストの集まりのようにしか思っていいませんでした。そうした目から見ると、不登校も青少年非行も「子どもの締め付けに熱中する学校」に対するアンチテーゼとしか見えませんでした。

「ゆとり教育」はそうした学校の在り方を根本から変えようとする試みでした。子どもにゆとりを与えた上でしかも国際社会に通用する人材を育てる、そういう「夢の教育」です。
 もちろん私たちはそれを信じませんでしたし、授業時数を減らしてなおかつ優秀な人間が育つなどとてもイメージできるものではありませんでした。到底むりだと思ったのですがしかし“政策”です。その苦い薬は飲まざるを得ないものでした。

 短い時間で効率よく学習を進める方法を考えたり「総合的な学習の時間」という全く未知なものに取り組まされたり、時間もエネルギーも大量に投入して今ようやく準備が整いかけたその2001年(「ゆとり教育」を象徴する完全学校五日制が始まったのが2002年、「総合的な学習の時間」が完全実施されたのも2002年)、せっかく準備した「ゆとり教育」もまだ始まらないというのに、あれほど詰め込み教育を批判していたはずのマスコミが一斉に、
「ところで学力は大丈夫なの?」
「競争なしでどうやって学力を高めるの?」
「数学や英語、きちんと教えているの?」
「学力、落ちてんじゃない?」
と言い出したのです。

 とんでもなく危険な梯子を無理やり昇らされて、やっとたどり着いたと思ったら外され、「なんで屋根の上にいるの? お前らバカか?」と言われているようなものでした。

                              (この稿、続く)




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2016/2/23

「こと教育に関して『欧米では』ときたら、それは真似してはいけないことだ」〜自分の目で見るA  教育・学校・教師


 私は素直な性質で大人になってかなりの年まで「新聞や雑誌、書籍・テレビといった公器を使っていい加減なことやウソを言う人はいない」と思い込んでいましたので、日本心理学界の重鎮(だった)河合隼雄ですらいい加減だと知ってからはむしろいちいち疑ってかかるようになりました。本に何が書いてあってもテレビで誰が発言しても、それらはすべてウソなのかもしれあないのです。けれど同時に、そう思いながら勉強するのもシンドイ。何を学んでも無駄かもしれないと思うと学習意欲など沸いて来ません。
 そしてやがて、私は一条の光を見出します。松居和という人の書いた「子育てのゆくえ」という書籍の中にこんな一節があったのです。

(私は)家庭の問題に関して『欧米では』ときたら、まず反射的に『それは真似してはいけないこと』と考えるような癖がついている

 これは鮮やかな視点です。当時はテレビでも雑誌でも、「だから日本人はダメなんですよ」とか「そんなことをやっているのは日本だけです」とか、「欧米に比べると20年は遅れています」とか言っていれば評論家として成り立った時代ですから、「欧米の方が間違っている」という視点はものすごく新鮮だったのです。そしてその新鮮な視点からみるとそれまで理解できなかったことは、むしろ見事なくら明らかになってきます。
 さらに私は、松居和の「家庭の問題に関して」を、「教育に関して」と枠を広げても、「国民生活に関して」といったところまでもっていっても、かなりやっていけることに気づきます。
 そして日本の教育や日本人の生活を悪しざまにいう言説があると、反射的に「それは間違っているに違いない」と思い、調べるようになったのです。

 例えば2001年1月8日、中国新聞は「新世紀の課題 学力低下 基礎・基本の反復を」という見出しで次のような記事を掲げました(他紙も同じような記事があったはずですが、私の手元に残っているのがたまたま中国新聞です)。

 大学、産業界、あるいは教育現場に子供たちの「学力低下」を心配する声が高まってきた。初閣議で、森喜朗首相は来る国会を教育改革国会にしたいと教育関連法案の成立へ意欲を示したが、学力低下問題への対応を避けては通れない。
 昨年末、国際教育到達度評価学会(JEA*)が公表した「国際数学・理科教育調査」では、日本の中学生の数学は東アジアの参加国で最下位。数学と理科が好きな生徒の比率は参加三十七カ国・地域のビリから二番目という情けなさ。
(後略)
*国際教育到達度評価学会の略称はIEAが正しい

 反射的に戦闘モードに入った私の頭はまず「いくら何でもアジア最下位はないだろう」と考えます。アジアには識字率も十分でない国はいくらでもあります。
しかしそれから「いくらなんでも公器『中国新聞』、そこまで大きな過ちはしないだろう」と考え直し、記事を読み直すと“アジアで最下位”ではなく、“東アジアの参加国で最下位”なのです。
“東アジアの国”となると中国・北朝鮮・韓国・日本の4か国に限定されます。しかし北朝鮮の学力が日本より高いということもなさそうですし、広大な面積と人口をもつ中国も農村部まで含めれば平均値はそこまで高くない気もします。やはりここはきちんと調べてみなくてはなりません。

                                 (この稿、続く)

3

2016/2/22

「ココロの森の専門家」〜自分の目で見る  教育・学校・教師


 以前、中学校の免許しか持っていない私がどうしても小学生のことを知りたくて、通信教育で小学校免許を取って異動したというお話をしました。中学校に進学してくる子どもたちの95%は満足だったり我慢できる範囲にあるのに、残りの5%がどうしても分からない、なぜこんなに教育されていない幼い子たちが進学してくるのか実際に見てきたかったのです。
 最初は不慣れということもあって中学生に近い5・6年生の担任でしたが、そこから大抜擢されて小学校一年生の担任まで降ろさせてもらいそして分かったのです。
「一年生では遅すぎる」

 やはりそれよりもさらに下って子どもを見る必要があります。けれど40代もだいぶ過ぎて幼稚園教諭の免許を取るのも大変ですし、実際幼稚園への異動も考えにくい状況でしたので、とりあえず独学で児童心理学だの発達心理学だの、小さな子どもに関わる勉強をし始めたのです。そしてさらに分からなくなります。

 少しわき道に逸れますが、それまでも私は心の専門家と意見の合わないことが多かったのです。例えばそのころ不登校が喫緊の問題となっていて、私もクラスに登校しぶりの子を抱えていたのですが、その子を間において精神科医と合わない、私の方は登校を促したいのですが医者は、
「そうまでして学校に通わせることにどういう意味があるのですか?」などと聞いてくる。
 公立学校の教員ですので学校を否定されると瞬間的に戦闘モードに入ります。
“今の日本、学校にしがみついていればいつか埒が明くが、学校を見捨ててしまったらどこにも行くところがないじゃないか”
 そう思って話をするのですがまったく受け付けない。

 さらにうっかり「不登校の親の会」みたいなところに顔を出すともうそこは学校批判の嵐で、主催の“専門家”は、「ゆっくり休ませてココロのエネルギーの溜まるのを待つ、すると子どもは必ず力強く社会に巣立っていきます」とか平気で話している。
 世の中にはそんな子もいるかもしれませんが、不登校の子の大半は悠長に見ていられるような子ではありません。

 第一、人間は鉄腕アトムのようにエネルギーを注入して動くようなものなのか? もちろん比喩でしょうが比喩にしても理解できない。ゆっくり休んだ夏休み春休み明け、子どもたちは“力強く”学校に飛び立っていくのでしょうか?  私など気が重くて重くてしょうがない、こんなことなら長期休業なんかいらないと思うくらい学校へ向かうエネルギーは湧いてこない。それなのに子どもは休めば休むほど学校に行きたがるというのはとても承服できるようなものではありませんでした。

 またさらに、心理学や精神衛生の書籍を見てもよくわからないことばかりです。例えば“超”がつくくらいの偉大な心理学者の本を紐解くとこんなことが書いてあります。
「子どもの好きと思うことをやらせてやる、そこから個性は開花してくるのだ」
「あまりにもわれわれ大人が既成の知識を体系を注入することに熱心になりすぎて、子どもが個々にもっている個性を壊すことになっていないか」
「子どもは創造過程そのものだ。大人が子供に対する期待をもち、むやみな干渉を行わないかぎり創造過程が進行する」

 私が担任している子どもたちに好きなことをやらせて干渉しなければとんでもないことになってしまいます。それは火を見るより明らかなことです。
 さらに極めつけは、
「私は子どもを育てる、というときに「植物」をイメージする、太陽の熱と土があれば、植物はゆっくりと成長していく」
 もうここまでくると冗談としか思えません。
クリックすると元のサイズで表示します 引用は河合隼雄の「子どもと学校」からのもの、日本の心理学界に燦然と輝く巨星、河合隼雄です。
 そんな重鎮がこういったふざけたことを言っている、日本の研究者は何をやっているのか!

 怒りに任せた私が何をやったのかというと、勢いに任せてそこから大学院に行ってしまうのです。もちろん簡単なことではありませんでした。
 校長の推薦を受けて教育委員会を通し、試験を受けた上で1年間だけ専修で研究に打ち込む、普通の院生と違って2年目は学校勤務をしながら夜間に指導を受けて修士論文を仕上げます。
 学費140万円ほどは自弁。大学院のある都市への転居が条件です(と、後で知った)ので新築三年目の家を空き家にし、家族4人で引越しです。妻を転勤させることには抵抗はありませんでしたが、小学校1年生の娘や保育園に慣れ始めたばかりの息子は気の毒でした。

 それだけの無理をして、しかし張り切って始めた大学院生の1日目、最初の講義で先生に志願動機を聞かれた私は、上に書いたような心理学界への不審を述べます。すると若い助教授はこう言ったのです。
「私たちの世界では河合隼雄は単なる評論家ということになっています。昔は立派な研究者でしたが今は評論家です。データに基づいて発言するのが研究者、何の根拠もないのに語る人は評論家と言います」

 重大な決意を抱えて始まった大学院生としての生活は、最初の数十秒で目的を達してしまいました。



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