2015/12/25

「ありがとうございました」  


 このブログは在職中の癖で学校の日程に合わせていますので、今年の更新は(基本的に)本日が最後となります。一年間ありがとうございました。

 本年もいろいろありましたが、そうした様子を私は、二十数年来年賀状にして知人に報告することにしています。来年の年賀状には次のように書きました。


クリックすると元のサイズで表示します

 本年もお世話になりました。来年もまたよろしくお願いします。
 それでは、
 よいお年を!

2

2015/12/24

「親心の話」A  親子・家族


 子どもが優秀だったら心配しないというのは一面の真実で、考えてみると十数年前の私もそうですし、半世紀近く以前の私の親もそうだったに違いありません。

 子が期待のタレントとしてすでにデビューしているとか、2020年の期待の星だとか、あるいは単純に学業成績が天才的に優れているとかだったら何の問題もありません。
 子どもが全国中学生選抜将棋選手権大会の覇者だとか、全国中学校相撲選手権大会のチャンピオンだったりした場合、高校へ行けというのはむしろ愚かです。すぐに奨励会(プロ棋士の養成機関)や角界に入れるべきでしょう。
 親として子が心配なのは、ひとえにその子が“普通”だったからです。少しぐらいお勉強ができたくらいでは安心して世の中に送り出すわけにはいきません。お勉強ができなければなおさらです。何の取り柄もない子どもに「高卒」の学歴すらつけてやらずに世に送り出すのは、親として耐えがたい恐怖なのです。
 しかしそれを言葉で表現すると、
「せめて高校はだけは出ておけ、できれば有名進学校から有名大学へ」
とまるきり平凡な言い方になってしまいます。これでは子どもの反発を受けても仕方ありません。

(話を元に戻して夫婦同伴の忘年会の「ホント、まるっきり結婚する気がなくて困っちゃう」から)
 愚痴の言い合いの中から、一人の母親が、
「もうこうなったらデキ婚でも何でもいいから早くしてって気持ちになっちゃう!」
 そこで私は言います。
「デキ婚なんて最高じゃないか!」

「子どもが結婚しない」の次の悩みは「なかなか赤ちゃんができない」です。私の姪は晩婚のせいもあってか子宝に恵まれるまでに大変な苦労をしました。その姿を見ていると「デキ婚」こそ親のふたつの悩みを、一挙に解決する妙法にしか見えなくなります。
 それに「赤ちゃんができたから結婚しなければならない」というのは、それはそれで現代の道徳とも言えます。彼の国では赤ん坊ができたら男は女を捨てるのが普通です。それに比べたらどれくらい立派なことかわかりません。そもそも現代日本にあって、「デキ婚」などまったく珍しくもないのです。
 
 子が百点満点の配偶者を得るなどめったにないことです。百点満点の結婚をするということもありません(相当な相手を連れてきても気に入らないのが普通ですから)。だとしたら何を諦めるかというのがテーマになります。
 つまるところ、相手が許容範囲にいるなら、ほかのことはたいてい諦められます。足らぬところはそこから婿育て・嫁育て・夫婦育てをすればいいだけのことですから。

「迷ってはいけない。この人だと思ったらすぐに結婚しなさい。後悔なんてあとでしかできないのだから。
 大学を出てすぐに23歳で結婚して3年で嫌になって別れても26歳。心の傷が癒されるまで3年待って29歳。そこから結婚レースに再エントリーしても、まだスタートラインにはたっぷり仲間が残っているよ」
 そう言って高校生の娘を唆していたのは私です。

 忘年会の席で、
「目指せ“デキ婚”! 煽れ、結婚!」
 何度目かの“乾杯”をしながらそう叫んだのも、あながち酔っぱらっていたからではありません。
1

2015/12/22

「親心の話」@  親子・家族


 先週の土曜日は古くからの友だちとの忘年会でした。
 どのくらい古いかというと、そのうちの一人は中学校1年生の時の同級生ですから、かれこれ半世紀もの仲になります。それに気づいて宴席で紹介し自慢したところ、隅の席にいた二人が笑って、「俺たち60年」とか言い出しました。実家が100mしか離れていない幼稚園の同級生だからです。のちに高校で同じクラスになるのですが、よくもまあ続いたものです。

 半世紀の間、私たちが何を話していたのかと言うと、実にくだらないことばかりでした。くだらない話しかしてこないから、無難に続いてきたとも言えます。
 先週の忘年会は夫婦同伴でしたから自然、話は適齢期を迎えた子どもたちのことになります。
「ホント、まるっきり結婚する気がなくて困っちゃう」
「いったいどういうつもりか分からない」
 それは30年ほど前の自分たちが親にかぶされていたのと同じ言葉で、当時は全く理解できないものでした。「子どもが結婚しないと親が“困る”」というのがわからなかったのです。結婚しなくたって何の迷惑もかけていないじゃないか――。けれど今ならわかります。

 これは半分は親の表現不足です。残りの半分は子の想像力不足で、そのために起ったすれ違いと言えます。ほんとうは親は自分の心の中のものをしっかりと見据え、もっと適切な言葉を探すべきだったのです。それができない親なら、子の方で一所懸命考えるべきでした。しかしそれもできなかった――。

 親のほんとうの気持ちは、子どもに結婚する気配がないのでとても“心配だ”ということです。そう言えばよかったのです。さらに丁寧に言えばこんなふうになります。

 お前がもし「嵐」の櫻井翔君だったりゴルフの松山君だったり、体操の内村君だったら俺は言わない。お前がもし綾瀬はるかだったり浅田真央だったり高梨沙羅だったらやはり言わない。あるいは遠いアフリカの奥地で働く看護師だったりアラブの砂漠地帯で灌漑事業に精出す技術者だったり、1日20時間を科学のために尽くす学者だったり人権派の弁護士だったりしてもやはり言わない。
 そういう人たちには個人の幸福を犠牲にしても果たすべき仕事があるし、この世に残せるものがある。しかし申し訳ないがお前は“普通の人”だ。やりがいのある仕事をしているかもしれないが、それはお前以外の人にもできること。お前はこの先、数十年働いてなにがしかの業績を残すかもしれないが、それも遠からず消えてしまうか忘れ去られてしまう、そういうものだ。
 俺もそうだったし世の中の大部分の人間はそういう生き方をしている。
 そうした人間の一人として、俺はお前の将来に「平凡に結婚して子どもを設け、その成長を喜びとして生きる」以上の幸福な姿を浮かべることができないのだ。
 俺たちの人生からお前たちを消してしまったらほとんど何も残らないように、家族を持たないお前の将来が何もないようで恐ろしい。
 真面目に考えての決断ならいいが、ただ時を過ごして平凡な幸せをみすみす逃してしまいそうなお前を見ているとほんとうにやりきれなくなる。胸が苦しくなるのだ。それが“困る”の正確な意味だ」

                              (この稿、明後日に続く)
3

2015/12/21

「安藤昇・昭和は遠く・・・」  政治・社会


 土曜日の新聞の片隅に小さな死亡記事が出ていました。

安藤 昇氏(あんどう・のぼる=俳優)
 16日午後、肺炎のため東京都内の病院で死去、89歳。東京都出身。葬儀・告別式は近親者で行う。後日、お別れの会を開く予定。
 戦後、ぐれん隊「安藤阻」を結成。俳優に転身し、東映やくざ映画で活躍した。自らの体験を基にした「血と綻(おきて)」をはじめ、「現代やくざ 人斬り与太」「総長の首」など多数の作品に出演した。
 著書に「激動」「やくざと抗争」など。

 これだけでは何のことかわかりません。
 俳優としても作家としても歴史に名を残すような人ではないと思うのですが、しかしこの人、昭和の暗黒史には暗然と記される人です。

 子どものころから犯罪傾向が強く、15歳で感化院、18歳で少年院に入ったあと予科練に入隊して特攻隊に志願。終戦後はいったん大学に進学し(中退)、その後会社を興してしばらくは不動産業や各種興業を生業としていたものの、やがて賭博などに手を染め暴力団へと成長させていきます(警察の分類では暴力団ではなく「愚連隊」ということになるそうですが)。
 安藤組と呼ばれるこの組織は安藤自身に言わせると東大以外のすべての有名大学の学生・卒業生がそろっていたされるほどのエリート集団で(このテの組織としては)、背広の着用、刺青・指詰めの禁止など独特のスマートさで一時は2000人もの構成員を集めたと言います。
 そうした闇組織の安藤組が世間の耳目を集めたのは1958年の「横井秀樹襲撃事件」のためです。

 これは社長子飼いの取り立て屋として働いていた安藤が、横井の横柄な態度に激怒して手下を派遣し、銃弾を撃ち込んだというものです。これによって安藤は実刑となり、6年余りの服役ののち出所して組を解散、自叙伝「血と掟」が映画化された際に主演し、以後ヤクザ映画の常連となっていくのです。
 安藤昇の来歴としてはこれだけなのですが、彼が差配した襲撃事件の被害者である横井秀樹と言う人物、これが曲者です。

 戦時中、海軍に取り入って財を成した横井は、戦後の重大な買収事件にことごとく顔を出します。しかも安藤昇の名前が出て来るように、横井の買収劇には暴力団や愚連隊、総会屋といった裏家業を専門とする人々がかなり関わって、キナ臭い匂いがプンプンとするのです。
 特に泥沼化したのが白木屋デパートの買収事件で、「横井秀樹襲撃事件」はその混乱の中から生まれた事件でした。またのちに問題となる富士屋ホテル事件では小佐野賢治・児玉誉士夫という、後年ロッキード事件で世間に名を馳せる大物たちを向こうに回し、株の奪い合いの大立ち回りを演じたりしています。

 ただしそれらは1964年までの事件で、子どもだった私には理解できないことでした。横井秀樹の名を知るのは、ずっとのちの「ホテルニュージャパン火災事件」(1982年)からです。

 死者33名を出したこの火災は、朝のニュースでまだ煙の上がるホテル前からの実況中継があったり、火焔の吹き出る窓の間の壁に貼りつく男性の姿が記録されていたりしてかなり衝撃的なものでしたが、ホテルのオーナーとしてインタビューに答えた横井社長の横柄な態度はさらに衝撃的でした。反省の態度がまるでみられない。自分こそ被害者と言う感じなのです。

 火災がそこまで大きくなった原因として経費節約のための著しい防火設備の不足、従業員の不足、防災教育をはじめとする従業員教育の不足などが指摘され始めると、社会の批判は一気に横井へと向かっていきました(結局、横井はその後「業務上過失致死罪」によって金庫3年の実刑に服することになります)。
 私はそれを契機として横井秀樹について調べ、そこから安藤昇にたどり着いたのです。

 教師として近現代史を教える際に横井秀樹のような人物について扱うことはありません。しかし明治に遡れば渋沢栄一・五代友厚・後藤新平、大正昭和に至って五島慶太・竹中錬一・小佐野賢司・瀬島龍三といった人々が政治を裏舞台で暗躍していたことも事実です。そうしたことも意識しないと、近現代史は見えてこないと考えていました。
 最後の政商と呼ばれた瀬島さんが亡くなって8年。安藤昇はそれに比べるとずっと小さな存在ですが、その死はやはり「昭和は遠くなりにけり」の感を引き起こします。

 ちなみに横井秀樹の全盛期、その長男は映画若大将シリーズの有名女優、星由里子さんと結婚しています。その際のウェディングケーキの高さ、8-7mは長く芸能界の最高記録でした。結局この結婚はわずか80日で終わりますが、遠野なぎこさんが立て続けに更新するまで、芸能界で長く最短記録を誇っていたと思います。



3

2015/12/18

「エコヒイキは難しい」  教育・学校・教師


 ウサギを三羽も飼っています。別に好きだからではありません。
 一羽は娘が独身時代、寂しいから買って欲しいと言われて与えたものですが、マンションを替わったら飼えなくなって私の元に来ました(もしかしたら今は夫となった男と付き合い始めたことも関係あるのかもしれません)。

 名前がカフェというそのウサギを、妻が職場である学校に連れて行ったところ子どもにいじられてすっかりノイローゼになり、食事を摂らなくなってしまいました。幸い獣医にかかって一命は取り留めたものの困ったのは妻です。イベントの途中で主役のウサギがいなくなってしまったからです。
 せめて丈夫なウサギをレンタルしてくれるところはないかとペットショップに相談したらそちらも渡りに船、 “クリスマスに売れ残ったウサギがそのまま半年もこちらにいるので、ゲージをつけてタダでいいから持って行ってくれないか”という話になったようです。しかも二羽。オスとメスの兄妹です。
 ミルク(色の白っぽい兄)とココア(色の濃い妹)と名づけて、以来、我が家にいることになりました。

 ウサギは大声で鳴いたりしませんし散歩の必要もありません(というか真っ直ぐ歩かないのでできない)。年中からだを舐めていて清潔ですから匂うということもない。フンは無臭で尿は甘ったるい匂いがしますがトイレシートに浸み込むとほとんど気になりません。体が小さいのでエサ代もさほどかかりません。ペットとしてはいいこと尽くめみたいですが、欠点もあって、頭が悪いのかしつけが悪いのか、なつくという感じがまったくないのです。猫のように人間を意識して敢て懐かない、気位が高い、というのではなく、とにかく分かっていないのです。

 しかしそれでも三羽いると三様の個性があり、年長のカフェは赤ん坊のときから娘に育てられたためおとなしく、私が近づくと鼻をなぜてもらおうと顔を近づけてきたりします。ミルクとココアは尻をこちらに向けたままです。
 トイレの交換などで扉を開くとカフェとミルクは同じですがココアだけは違います。この凶暴なおてんば娘はぱっと反転してこちらを向き、体を低くして攻撃態勢をとります。そしてウーウーとうなるのです。いつもそうです。なぜそうなのか分かりません。

 昨日は朝、私が起きた時にはすでに、ココアのゲージ内はたいへんなことになっていました。トイレがひっくり返され、フンが散乱し、シートはびりびりに引きちぎられてたのです。クリックすると元のサイズで表示しますおまけにちぎれたシートを口にくわえ、ひどい目つきでこちらを見ています。
 以前にも同じようなことがありましたが、今回は何か異常です。しっかりと言い聞かせてシートを替えてあげたのですが2時間としないうちに同じことを繰り返して暴れます。

 しかたがないのでココアだけ外に出し、畑の隅にリードで括り付けてしばらく遊ばせました。ちょうど仕事もあって小一時間、屋外にいなければならなかったのです。
 ココアは精一杯走り回って野草を食べ、しばらくじっとしたり穴を掘ったりして遊んでいました。

 勤務の時間が近づいたのでココアをゲージに戻します。すると様子を見ていたカフェとミルクが、
「ボクは?」「ボクは?」
という感じでゲージの檻に前脚をかけてガンガンひっかきます。
「ごめんね」
と私は言います。
「時間がないんだよ。もうすぐ出なくてはならないから」
 それでも二羽は諦めず、
「ボクは?」「ボクは?」
と訴えます。

 図らずも昔のこと、困った子どもをクールダウンさせるために少し譲歩したら他の子に同じ待遇を求められた、そんな経験を思い出しました。
 ココアのように暴れたら利益が得られたという様子を見せられたら、(ウサギも人も)素直でいられるはずがありません。
 エコヒイキは難しいものです。




2

2015/12/17

「乗り越えること」  教育・学校・教師


 フィギュアスケートのグランプリ・ファイナルで男子史上初の3連覇を達成した羽生結弦くんのすごさについては改めて言うまでもありませんが、彼の演技に関して同じGPファイナル女子で2位に入った宮原知子さんが「(羽生選手の演技を見て)限界はないのだと分かった。次も自己ベストを更新したい」といった話をしていました。
 これは重要な観点で、ついこの間まで合計300点はすべてのスケーターの共通の目標だったのに今は羽生弓弦のはるか背後にあるのです。あれほど遠かった300点越えがにわかに現実帯びて、今後これを軽々と越える選手が続々と出て来るはずです。

 陸上競技で言えば男子100mの10秒の壁は7年間、マラソンの2時間8分の壁、6分の壁はそれぞれ15年、10年破られることはありませんでした。ところがいったん突破されると一気に大量のアスリートたちが突入していきます。男子100mなど同じ年に3人で4回も9秒9を出しました。

 第二次世界大戦末期、日本に原子爆弾を落とすことが決定したとき、さまざまな面から反対する人たちがいました。原爆の破壊力に怯えた科学者とか親日の外交官とかいった人々です。しかしそれとはまったく別の理由で反対した人たちがいました。
「原子爆弾を投下すると、この世にそれが存在することが明らかになってしまう。原子爆弾が製造可能であるという事実はソ連をはじめとする諸外国の研究機関を勇気づけ、遠からず開発に成功してしまうだろう」
 一理ある話で実際その通りになりました。

 そうしたことは個人の中も起こります。たとえば中学生の走り高跳びで130cmをどうしても跳べなかった子が、一度成功すると次からはほぼ確実に跳べたり、逆上がりのできなかった小学生が一度でもできると次は必ずできるとかいったことです。赤ん坊の寝返りや直立歩行も同じで、まず最初の1回できることが大切です。
 
 1〜2年前の強盗事件で、年配の女性が、
「夜、暗い部屋で『ババア、金を出せ』と言われたので孫かと思って渡してしまった」
 といったのがありました。まるで笑い話みたいで、どういう家族関係を持っていたのかと首を傾げたものです。しかしどのような人間関係であれ、「ババア」と呼ぶことが許された(と孫が感じた)ときから、それまでとまったく違ったものに変質したはずです。
 逆に言うと最初の瞬間に、しっかりと対処しておくべきでした。

 教室も同じです。
「先公うるせえ!」とか(教師に向かって)「ふざけるな!」といった言葉が吐かれたら、0.5秒以内に反応してたたき潰さなくてはなりません。
 子どもは常に自己を乗り越え自分を更新していくものです。しかし乗り越えてはいけないハードルがあり、引きずり下ろさなければならない壁があります。子どもが「普通の自分」を乗り越えて、「教師に盾突くすごいやつ」になりそうだったら、とりあえず圧殺します(そのあと丁寧に指導しましょう)。
 先ほどとは逆で、「まず1回」をさせてはいけないのです。


7



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ