2015/10/30

「いじめもどきの話」〜マイ・レジューム  教育・学校・教師


 文科省がいじめの実態調査をやり直したところ3万件も増えてしまったというニュースがありました(10月28日)。

 以前だと「学校の隠ぺい体質」だの「隠されたいじめ」だのといった大げさなタイトルの記事となるところが、案外落ち着いているので驚いています。
 文科大臣も「再調査の結果いじめの掘り起こしが進んだ」といった趣旨のコメントを残しています。やり直しに際して「解決済みのものも含めて報告するように」という追加条件があったことを報道したNHKをはじめ、増えた理由を隠ぺい以外に求めようという動きがあったのも事実です。なにしろいじめ調査のやり直しというのはこれまでも大きな事件があるたびに行われ、そのつど報告件数の激増という現象が起きていますから仕組みがわかってきたこともあるのかもしれません。
 要するにインフレ報告なのです。
 普段の状況だと「この程度なら報告しなくてもいいかな」といったものも今回はすべて数字にしてしまったのです。

 例えば、小学校2年生のA君がB君に殴られた、原因は一週間前に逆にA君がB君を殴るという事件があり、B君は一度は許したものの今週になって突然思い出して許せなくなった、そして殴ったというものです。今回の事件が前と違うのは、B君はいったん許したのにA君は許さなかったということです。一度ちゃんと謝ったのになぜ殴られなければならないのか、A君の保護者も「息子は少し叩いただけなのにB君に正拳で突かれた、これはもう単純な暴力というのではなく“いじめ”だ」と息巻いている――そんな状況です。

 思い出して殴ったB君が悪いのは明らかだとしても、これは変種のケンカであって“いじめ”ではないだろう――それが前回の学校の判断でしたが、改めて報告せよと言われれば何となく報告しておいた方が安全な気がしてきます。なにしろ文科省の定義によれば「いじめ」は「いじめられた児童生徒の立場に立って行うものとする」とされているのですから、今回はA君親子の意思を尊重しておいた方がいいだろう――そういうことになります。

 X・Y・Zの女の子、仲良し三人組がいました。ある日そのうちの二人こんな会話を始めます。
「Xちゃん嫌だよね、最近やたらと威張るし私たちのことをこき使う」
「そうだよね。Yちゃんもそう思っていた? 私なんかずっと前からそうなの」
 すると翌日から三人の関係はぎくしゃくし始め、Xちゃんはグループから弾かれる形になります。Xちゃんは二人から無視されたと切ながり、事態を知った保護者からは「仲間外しはいじめだ」と学校に指導が求められます。
 学校は指導の手を入れ三人は仲直りしますが、しかしいったんギクシャクした関係は修復されず、Xちゃんは再び遠ざけられます。今度は保護者も本気で抗議の声を上げます。
 この事件はいじめと言えるでしょうか? YちゃんとZちゃんは反省して、仲間外しを止め、仲よく遊ぶべきでしょうか? 一度でも友だち関係を結んだら、自然解消でない限り未来永劫、続けなければならないものなのでしょうか?

 これが3人のグループではなく、10人の集団だったらどうでしょう? 10人の仲間から一人だけ遠ざけられるとかなり辛いものがあります。だとしたら「5人以上のグループが仲間を遠ざける場合は2人以上を同時に行わなければならない」ということになるのでしょうか?

 いじめのグレーゾーンにはかなり厄介な問題がゴロゴロしています。それを丁寧に解析しないと、私たちのやっていることは全体主義的にならざるを得なくなってしまいます。
「何人も同級生を無視してはいけない。相手を威嚇するような強い言葉も、身体の接触を伴う激しい運動も、友人の行いを強く指摘するような言動も慎むべきである。お互いの心の中に深入りせず、仕事をする者もしない者も、人を傷つける者もそうでない者も平等に扱われるべきである。すべてクラスの平和のために」

                                      (この稿、続く)
3

2015/10/29

「いじめの軛(くびき)」2〜マイ・レジューム  教育・学校・教師


 いじめ問題に関するさまざまな考察を見てきて、いつも不思議の思うことが三つあります。
 ひとつは昨日も書いた「なぜ時間的経過の中でとらえないか」ということ。
 いじめの様態は時期によって変化します。
 第二は、「なぜいじめの様態を分類しないのか」ということ。
 前述のことに関わりますが、一口にいじめと言っても様々な形があります。
 第三は「なぜ加害者を考察しないのか」ということ。
 いじめの原因を「加害者のストレス解消」と言ってしまえばそれで終わってしまいます。そして多くの場合それで終わりになっています。しかしストレス発散型のジャイアンのような子はそうは大勢いませんし、そうした子が友だちを死ぬところまで追い詰めるというのも考えにくいことです。さらにまた、私は昨日「人はいつまでもいじめの加害者・傍観者でいられるはずがないと思っていた」と書きましたがその気持ちは今も同じです。しかしそれにもかかわらず継続的に、執拗な暴力や精神的圧力が加えられるとすると、そこには何らかの理由がなくてはなりません。それを考える必要があります。

“いじめ”を考察すに先立って、まず二つの可能性を排除しなくはなりません。ひとつは恐喝を伴う場合、もう一つは私が“いじめもどき”と呼ぶような過剰な被害者意識が生み出す幻想です。

 前者について興味深い事例は1999年に名古屋で起こった「名古屋中学生5000万円恐喝事件」です。これは5000万円という通常では考えられない金額を、中学生が中学生から脅し取ったとして社会の耳目を集めましたが、その5年前、同じ愛知県で起こった「愛知県西尾市中学生いじめ自殺事件」の方は同じく金品を脅し立ったにも関わらず「いじめ」事件のままです。
 名古屋では被害者は死ななかったのに西尾では自殺したから前者が「恐喝」で後者が「いじめ」ということにはならないでしょう。自殺は「いじめ」の成立要件ではありません。それでは金額が問題なのであって、前者は5000万円なので「恐喝」、後者は110万円なので「いじめ」、そういう分類になるのでしょうか。それもおかしな話です。要するに意識の上で「5000万円」と「いじめ」がどうにもしっくり結びつかず、だから「恐喝事件」になったと、その程度のことなのでしょう。
「1000万円以上は恐喝」といった分類も意味ありませんから、金額にかかわらずいじめとするか、恐喝と考えるかのどちらかです。そしていうまでもなく、金の多寡にかかわりなく「脅して金品」手に入れるのは「恐喝」になたります。

 善悪は別として、「恐喝」は分かりやすい概念です。脅したり暴力を振ったりすれば労せずして金品が手に入るのですから、加害者にとってはとてもオイシイ話なのです。金を出し渋ったらさらにエスカレートさせればいいだけのことです。奪われるのしたがって要求額は上昇し被害者の懐は払底していきますから、暴力がエスカレートするのも当然です。
 名古屋の場合は無尽蔵に資金を提供してくれる祖母がいたからいいようなものの、西尾の被害者は金の工面ができなくなりついには親の財布に手を出すようになります。親にも教師にも相談できなかったのはそのためです。すでに裏切っている人に対して「助けて」とは言えません。
 西尾の事件は今日に至るまで代表的な「いじめ自殺事件」として繰り返し話題になりますが、図式的に言えば、亡くなった子が“いじめ”の被害にあっていたのはせいぜいが中学校1年生の半ばまで、あとはずっと恐喝の被害にあっていた――そう考えると事態は非常にすっきりしてくるはずです。
 実際、事件にかかわった生徒のうち4人は愛知県警によって恐喝容疑で書類送検、うち3人を初等少年院、1人を教護院に送致という処分になりました。これも合理的な判断と言えます。

                                   (この稿、続く)

4

2015/10/28

「いじめの軛(くびき)」1〜マイ・レジューム  教育・学校・教師


 今はどこでどのような暮らしをしているのかわかりませんが、私はいつも彼女に深く首をたれ、深い感謝と謝罪の表す心づもりで生きてきました。死ぬまで私が背負っていかなければならない負債です。
 よくぞ死なないでくれた、よくぞ耐えてくれたと、感謝ともに感嘆せざるをえません。それほど彼女の受けたいじめはひどいものでした。

 一方それとは矛盾するようですが、いじめに加担した子どもたち、傍観者の位置に立たされた生徒たちに対しても、私は詫びなければならないと思っています。
 人はいつまでもいじめの加害者・傍観者でいられるはずがないと思っていたのですが、この経験を通して、実際にはそうでないことを知りました。子どもたちには時には罪悪感に苛まれながら、時に心の中で泣き、心の中で手を合わせながらも、いじめを続けなければならない人間関係や状況があるのです。すべては人間関係と状況の制約を受けているのです。

 彼女の受けたいじめは残虐なものでした。
 一例を挙げれば、その子を交え、女の子十人ほどで「カゴメ、カゴメ」をやるのです。中央にしゃがむ子は順次交代するのですが、その子が中心になるときだけ歌いながら輪を縮めて皆で蹴ります。他の子が中心にいるときはそうはなりません。順番が回ってきた時の彼女の恐怖は、想像するだに恐ろしいものです。そして蹴っている側にも、死ぬほどの恐怖と戦っている子がいたのです。
 もちろん私はその場で見ていたわけではありません。すべてはずいぶん後になって聞いたことですが、本当に申し訳ないことをしました。

 いまやこれほどのあからさまないじめの姿を見ることはありません。学校が指導したからです。そのぶん“いじめ”は深く沈潜し「現代のいじめはより陰湿になった」と言われます。しかしだからといって「より悪く」なったのではないのです。いじめの規模は昔よりずっと縮小され、扱いやすくなったとも言えます。個人指導がしやすくなり、心の深いところまではいることができます。しかしその分、見えにくくなったのも事実で、教師の知らないところで起こる事件については指導の手が入らないこともあります。
 全体として問題の厄介さは、内容こそ変化しても難しさは変わりないといったところでしょう。

 いじめに関してはこれまでも様々な方面から多角的な検討が行われてきました。しかし今日に至っても事件が後を絶たないのは、そうした検討や考察が現実を反映していないからなのかもしれません。
 文科省の定義はその典型で、
『個々の行為が「いじめ」に当たるか否かの判断は、表面的・形式的に行うことなく、いじめられた児童生徒の立場に立って行うものとする。「いじめ」とは、「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的・物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。」とする。なお、起こった場所は学校の内外を問わない』
    (平成18年度『児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査』)
「いじめ」に当たるか否かの判断は、(略)いじめられた児童生徒の立場に立って行うものとする」というのは要するに客観ではなく、“被害を訴える者の主観”から判断せよということで、これは著しく世論やマスコミに配慮した定義です。しかし客観性を問わないというのは、問題を恐ろしく単純化させ、解決を困難にする一本道です。この定義に従っている限り、強圧で抑え込むこと以外に方法はなくなります。

 まこれまでの“いじめ問題”の考察が有効でないもう一つに理由は、常に事象が静的に見られてきたということです。“いじめ”は人間関係の中から生まれますからそこに至るプロセスや状況の変化があるはずです。それをどこかの一面(ふつうは最終局面)でのみ切り取って考察するのですから、事態がわからなくなるはずです。

 私は一人の女生徒を犠牲にする形でその変化の様相を見てきました。そういうことを含めて、だから言えることがあります。

                                 (この稿、続く)

3

2015/10/27

「何が悪かったのか」2〜マイ・レジューム  教育・学校・教師


 初めて中学校の教員となり、いきなり担任を持って何もわからないまま様々なことを決めていく、様々なことが決まっていく。その間の私は分からないことだらけでした。
 分からないのであれば他の先生に聞けばいいのに、しかし私はそれを聞かない。自尊心の問題もありましたが、むしろほかの先生方があまりに忙しそうで遠慮があったのと、実を言えば何を聞いたらいいのかそれすらわからないことが多かったからです。聞き始めれば一から十まで全部教えてもらわなくてはならなくなる、それはあまりにも迷惑だとも思ったのです。
 この点に関しては、今思い出しても当時の自分に多少同情してもいいような気がしています。私がもっと若く素直に聞いて回ることのできる年頃だったとしても、果たしていきなりの担任をうまくやり過ごせたかどうかは疑問だからです。

 私はまた、都会の学校の荒れた様子に慣れすぎていました。マスコミも連日、荒んだ学校の様子を知らせています。ですから自分のクラスが少しぐらい崩れて来ていてもほとんど気にならなかったのです。今から考えれば警告とSOSは山ほど発信されていたのに、「現代の中学校はそういうものだ」と嵩をくくっていたのです。

 しかし田舎ではそうではありません。特に私の初任校は超が付くほどの大規模校で、それだけに非常に堅牢な仕組みをつくって学校をまとめていたのです。崩れていたのはほんのわずかのクラス、しかも1年生の1学期早々に崩れ始めるようなのは私のところくらいなものでした。それにも気づかない――。

 教室掃除のやり直しは私自身がしなければならないようになりました。学級通信は毎日出すようにしました。授業では私語がやまず、常に最高の授業をしなければ聞いてくれないので指導案は毎日書くようにしました。朝の会での話には特に心を砕きました。
 名札がついていない、靴のかかとを踏みつけている、壁に悪戯書きがされている――学年会や職員会に出される多くの生徒指導的事案が、ことごとく私のクラスに当てはまっていました。それへの対応にいちいち手間取りました。
 やらなければならないことが等比級数的に増えていき、寝不足が続くと判断を誤ってまたすべきことが多くなる――最初の1年間はそうした泥沼にひたすら足を取られた年月でした。

 この時期の経験から学んだことに一つは、こういうことです。
 指示は必ず通さなければならない。担任が指示して達成されない経験をたくさん積むと、生徒は「教師が行ってもきかなくていい」ということを学んでしまうからです。家庭で親の言うことを聞かない子が生まれるのもまったく同じ経験からです。
 そうしたことにならないために、指示はまず数を減らさなくてはなりません。何十項目という指示を全部覚えていられる生徒はいません。何十項目という指示をきちんと覚えている教師も多くはありませんから、それが達成されているかの確認もいい加減になります。すると、漏れが出て来る。

 指示は内容的にも精査されえなければなりません。生徒の常識的なの努力によって達成可能なものでなくてはならないのです。まじめに取り組んでも、努力しても達成できないとなると、やはり生徒は「先生に言われてもしなくてもいい」ことを学んでしまいます。頑張ってもできないのですから最初からやらない方がマシなのです。
 適切な量と内容の指示が行われ、生徒が達成できたらひたすら誉める。「ここまで教えて支援したのだからバカでもできるだろう」と思われるようなことでも誉める。なぜなら「馬鹿でもできそうなこと」でもできたら偉いのですから。
しかしそうした一切は、のちになって学んだことです。

 初任の学校で私はむしろ「してはいけないこと」のすべてを持続的に続け、クラスは荒れ放題に荒れ、そしてついには深刻ないじめ問題を引き起こしてしまうのです。

                                 (この稿、続く)


3

2015/10/26

「何が悪かったのか」1〜マイ・レジューム  教育・学校・教師


 ゴールデン・ウィークが明けるとクラスは荒廃の一途をたどりはじめます。
 担任として出した指示が通らない、必要な生徒の活動が滞る、教室の具体的風景が明らかにすさんでくる――何が悪かったのか。
 一言でいえば全部悪かったのですが、そう言ってしまったのでは何の糧にもなりませんから少しお話しします。

 その第一は、私が学校の基礎となるもの、学級運営の構造、教育の意義といったものの一切をわかっていなかったことです。
 児童生徒の視点から学校を見ることはあっても、それまで教師の視点から見ることなど全くありませんでした。それでも、副担任を1年2年とやっていれば次第にその骨格は見えたはずです。しかし私はいきなり担任を持って43名の生徒を統括することになったのです。

 4月当初、学級として取り組むべきことは山ほどあります。クラスの班分けすること日直当番を決めること、朝の会でのプログラムを決めること、司会の指導をすること、給食当番を決めること、清掃分担を決め清掃の仕方を確認すること、校則について確認し曲がりなりにも学校生活が始められること、年度初めの行事(新入生歓迎式・生徒総会・学年集会・遠足など)の準備をすること等々。
 それらにはすべて目標があり、理解していなければならないことがあり、項目ごとの軽重があり、急がなければならないことと後回しにできることがあります。そのいちいちに私は知識がなく後れを取るのです。

 その結果、生徒が恥をかきます。清掃のやり方がわからずボケーっとしていて怒られる、集会にクラスごと遅刻する、身支度が1クラスだけ違っている・・・後から考えればすべて私の責任ですからそのつど平謝りに謝ればいいものを、舐められてはいけないと高飛車に出る。30歳の初任ですから、下手に出るわけにはいかなかったのです。

 生徒からはものすごい量の質問が浴びせられます。
「理科室や家庭科室に行くときは並んでいくのですか」
「給食は給食着を着て食べるのですか」
「カーテンを開けてもいいですか」「閉めてもいいですか」
「清掃はどこから雑巾をかけたらいいのですか」
「掃除の終了は音楽の始まりですか、チャイムが鳴ったときですか」
 そんなことは私も知らない。お前たちこそ小学校でやってきたことだろう、そのくらいのことは自分で考えられないのか――。

 後から考えれば生徒たちは知らなかったわけではありません。百も承知でした。承知の上で訊くのは、「中学校はどうなっているの?」「このクラスはどうするの?」と新しいルールを求めていたのです。今ならそれが分かります。しかし当時の私は、生徒のその主体性のなさに苛ついていました。
「そんなことは自分たちで考えなさい」
 それは私のクラスにはルールはいらないというのと同じです。自分勝手に進めていいというお墨付きを与えてしまったのです。

 給食当番がうまくいかないから罰を設けた方がいいという生徒の提案もはねのけました。その結果クラスの給食は惨憺たるものとなりました。掃除道具の分担も子どもたちに任せました。そのために雑巾がけの子はいつまでも「雑巾」でした。
 私は生徒全員の自由を望みました。しかしみんなを自由にしたら誰も自由でなくなってしまったのです。
                               (この稿、続く)

3

2015/10/24

「更新しました」  教育・学校・教師



    「キース・アウト」(2015.10.23
1



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ