2015/9/16

「いのちのこと」B〜長い長い日々  親子・家族


 翌朝は驚くほど早い時刻にシーナから電話が来ます。
――朝の診察を終えたがまだまだらしい。病室が暑いのと赤ん坊の泣き声で一晩中眠れなかった、帰ってもいいというので家で休みたい、そういう話でした。半日足らずで戻ってくるわけです。

 家に戻ってトロトロと半日過ごし、午後の三時ごろ、シーナはまた陣痛に近いものを感じ始めます。もう一度支度をしなおしてさあ出かけようという段になり、何かを感じたようで「もう15分だけ待ってみる」
 そしてまた痛みの大波は去ってしまいます。あとには重く深い、継続的な痛みが残るだけです。シーナはまたしても取り逃がしてしまったのです。

 困ったのはエージュです。
 今日明日中に生まれるとはっきりしていれば明日の月曜日も休んでもらわなくてはなりません。けれどそれでも生まれなかったら続けて何日休まなければならないか分からなくなります。
 私はエージュに自分自身と同じように、生まれたばかりの子を抱かせてやりたかったので、ぜひとも残ってもらいたいと思いましたが、夫婦でさんざん迷って話し合った結果、いったん戻った方がいいということになりました。
 夕暮れの道を駅まで並んで歩くうしろ姿は、チャプリンのモダン・タイムスみたいで微笑ましいものでした。
「そうだな」
と私は考え直します。
「道はまだまだずっと先まで続いてる。焦ることはない」

 その夜の9時過ぎ、シーナは歩くのもつらいほどの陣痛に襲われます。5歩あるいては休み、また5歩あるくといった体です。今度こそ本物です。
「ホラ、思った通りじゃないか、やはり帰さなければ良かった――」
 けれど私の間違いでした。そこから出産までなんと41時間もかかってしまったのです。

 シーナのような状態を微弱陣痛といいます。陣痛はほぼ5分おきにくるのですが子宮口が十分に開いておらず出産に至らないケースです。始まったかと思ったらいったん納まってしまうような場合もあれば、決定的な強さにならずに延々と続くような場合もあります。シーナの場合は土日とかけて前者のようであり、その後は持続的な後者のような痛みが続いたのです。

 翌朝、見舞いに行くとシーナは分娩室の隣の待機室で、ぐったりと椅子に座り込んでいました。
「まだまだだって、子宮口は5センチくらいしか開いていないって」
 私が知りたいのはそんなことではなくいつ生まれるかということです。しかしそれは誰にも分からないことだと看護師にたしなめられてしまいます。
 とにかく早くい産まなくちゃと焦る気持ちがさらに長引かせているのかもしれない――そんな話も出たそうで、シーナは腹を据えてつきあうことにしたというのですが、それでも5分おきの痛みと付き合うのはつらそうでした。

 夕方ふたたび会いに行くとシーナの目はほとんどうつろでした。けれどまだまだ時間のかかりそうなことは、男であり素人でもある私にもわかります。見舞っている間にも数分おきに陣痛らしいものはやってくるのですが、シーナの我慢強さを差し引いても、出産の痛みはこんなものじゃないだろうという気がするのです。そしてその痛みと睡眠不足は、確実にシーナの体力を奪っていきます。

 火曜日朝、シーナはさらにぐったりとして言います。
「お父さん、私、疲れた」
 これには参りました。それがほんとうに実感を表す表現だと感じたからです。

                                      (この稿、続く)

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