2015/7/1

「昭和の風景」F  政治・社会・文化


「文明というのは自分で行っていたこと自分が背負っていたものを、他人や機会に代わってもらうことです。したがって文明人は必然的に幼児化する」
 二十年以上前の講演会で聞いた話ですが、たしかにその通りだと思います。
 時折、「学校ではもっと躾をしっかりしてほしい」などといって逆に「それは家庭の仕事だろう」と突っ込まれる人がいたりしますが、その人は「分かっていない」のではなく、真の文明人なのです。

 洗濯機が全自動になって久しいのに、勝手に天日干しをした上に畳んでタンスに入れてくれる機械が発明されないことに、苛立つ人々です。お手伝いさんを雇う財力も気持ちもないのに、家に帰ったら出て行った時と同じように散らかっていることに激怒する人々、この人たちは何でも他人のせいにします。行政や学校が自分のために十分働いていないといつも怒っています。
 それも高度経済成長からバブル経済を経て、完全に文明化した社会で生まれ育ってきた文明人だからです。その流れは止められません。
 マスコミも世論も、自分たちの要求に十分こたえられない公務員や教員の質の低さを嘆きます。もちろん(この人たちが考える)その“不足分”を、自助努力で補おうとする人たちも少なくありません。しかし一部の人たちが「大声で叫べば何とかなる」と思っているのも事実です。昭和の時代には少なかった人々です。

 映画「ALWAYS三丁目の夕日」などを見ていると昭和30年代などはほんとうに希望に満ちた素晴らしい時代でした。多少面倒くさくもありますが人間関係は豊かで、子どもたちも自然にさまざまなことを学び、今のような子育ての苦労もありませんでした。
――と言いつつ、けれどそこに微かな疑念が現れてきたりします。
 ほんとうにそうだったのだろうか?

 現代の子どもは不器用になった――という批判があります。
「昔の子どもは肥後守(ひごのかみ)という名前の折り畳み式ナイフを使って、器用に鉛筆を削ったものだ。今の子どもたちはそういう経験を持たないから何をやっても不器用なのだ」
 しかしそういう人たちは当時の学校やPTAが肥後守をなくすためにどんなに苦労したのかを知らないのです。全国PTAは手動式鉛筆削りを順次学校に送り、なんとかナイフをなくそうと何年も頑張ったのです。学校にナイフが持ち込まれる限り、子ども同士の喧嘩でそれが振り回されることがなくならないと考えたからです。そのくらいナイフを使った校内事件が多かったのです。

 喧嘩の話ついでに、
「昔の子どもはしょっちゅう喧嘩をしていた。だからこれ以上やったら危ないと言うところがちゃんとわかっていた。けれど今の子どもたちは喧嘩の経験がないから大けがをさせたり殺すまでやってしまう」
 これも間違いです。昔の子どもはすぐに喧嘩しましたが、そのやり方は拙いものでした。「取っ組み合い」という言葉があったように、すぐに組み合ってしまうので互いに動きが取れなくなるのです。そのまま床に倒れてしまうと二人でごろごろしているだけで、いきさつを知らない人が見ると一瞬、喧嘩だと分からないような場合がいくらでもありました。
 暴力で利害の不一致を解消しようとするのが喧嘩なら、喧嘩は勝たなくてはなりません。テレビやゲームで経験を積んで一撃必殺の飛び膝蹴りなどを縦横に使う昭和後期の子どもたちは、その意味で喧嘩上手なのです。だから学校も必死でやめさせなくてはならなくなります。

 昭和はその意味で結構危険な時代でもあったのです。

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