2015/5/29

「歌謡曲考」B〜子どもの発見  教育・学校・教師


「子どもの発見」はフランスの歴史家フィリップ・アリエスの造語で、18世紀までは「子ども」は存在せず、小さな大人としか意識されなかった、それが大人になるための学習期間が延びることによって《誕生》し、発見されるに至ったというものです。
 日本でも班田収授法で6歳以上に口分田が与えられますから、その段階ですでに「小さな大人」として扱われていたことが分かります。
 ただし、今お話ししようとしている「子どもの発見」はこれとは別です。

 曲のヒットがレコードの売り上げに結びつかないことに苛立っていた日本の音楽業界に1977年、とんでもない救世主が現れます。ピンクレディです。
 ピンクレディがどのくらいすごかったかというと、これはちょっと説明が難しくなります。とにかく絶後かどうかは定かではありませんが空前であることは間違いなく、彼女たちは丸二年近く1日2〜3時間の睡眠でステージに立ったといいます。
 オリコンのヒットチャートで連続9曲1位、出荷ベースのミリオンセラー連続10曲は当時の新記録で、シングルチャートにおける通算首位獲得数(63週)は不滅の記録と言われました。
 販売ベースのミリオンセラーは昭和の全時代通じて全部で43曲しかありませんが、そのうち5曲がピンクレディなのです。昭和で2曲以上のミリオンセラーを出した歌手は他には都はるみと千昌夫の2曲ずつしかありませんから、いかにピンクレディがすごかったかが分かります。
 しかもその5曲は1977年6月から78年6月までのわずか1年間に集中しており、総売り上げは632万枚。1年間の売り上げとしてこれを越えるのは、非常に特異な売り方をするAKB48を除いてはありません。

 その人気を支えていたのは若い男性たちでした。しかしここで特異な現象が発見されます。それは子どもがレコードを購入しているという事実です。実際には保護者が金を出しているのですが、子どもにせがまれれば親たちはいくらでも金を使ってくれるという事実に、業界は驚愕するのです。
 ブロマイドも飛ぶように売れる。そこで試しに文房具や衣料品に写真をプリントしてみると瞬く間に売れてしまう。そうなるともう“何でもあり”で、自転車だろうが食器だろうが食品であろうが、あらゆるものに彼女たちの写真が載せられ社会がピンクレディで埋め尽くされていきます。もはやピンクレディは社会現象であり、“ピンクレディ旋風”と呼ばれたりもしました。そして芸能界は一気にお子さま路線を突っ走り始めます。

 タレント発掘の場面でも低年齢化が進み、かつては歌手が作曲家のもとで修業をしていたはずの15歳・16歳でもどんどんデビューしてくるようになります。9歳10歳でそろそろ本格的な準備を始めないと間に合わないほどになってくるのです。
 そして芸能界は常に「お子様」を意識しながら商売をするようになります。

 私は、そのころから芸能人が一斉に“バカ”になって行ったような気がします。小学生の購買力も当てにし、小学生にも分かるメッセージを送ろうとすると、どうしても幼稚にならざるを得ないのです。彼らがかしこければ賢いほど、“バカ”になって頑張るのです。
 これは私たちのような素人にとっては、とても危険な状況でした。

                           (この稿、次回最終)

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2015/5/28

「歌謡曲考」A〜昭和歌謡の歌舞伎化  知識


 江戸期、歌舞伎は時代の最先端にいました。時間的なラグは大きいものの、「仮名手本忠臣蔵」も「女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく)」も実際の事件に取材した再現ドラマの要素を持っています。ところが、明治に入って西洋の演劇が流入すると進歩を止め、歌舞伎は突然、様式化を始めます。もちろん新作歌舞伎という分野は残りますが、根幹は様式美を追求し芸術に高められて行くのです。
 歌舞伎に代わって演劇界の中心に座ったのが新劇です。しかしこれも今や時代の最先端を求めるのではなく、有名な戯曲を極限まで追求するというふうになっています。杉村春子「女の一生」947回、森光子の「放浪記」2017回といったのが代表です。

 芸術はしばしばそんなふうに時間軸を走る歩みを突然止めて、地下に潜るように深化を始めることがあります。昭和歌謡もそれに似ているかもしれません。もはや歌謡ショーなど私ですらウンザリですが、今も一定のファンを持ち、マドロス物や股旅物などが追求されているのです。歌詞としては昭和40年前後で完全にストップして時代性を失い、しかし繰り返し同じ題材が使われます。
 昭和30年代から40年代にかけて銀座や赤坂を主題に歌われた歌は、思えばほとんどがホステスさんの不倫の歌で、だから「愛し合いながらも別れ」たり「北の宿」に感傷旅行に出たりしなくてはなりませんでした。今も彼女たちは故意に胸を焦がしたり傷心旅行に出かけたりしています。
*ちなみに、愛人から送られてきたセーターなど家で着るはずもないと承知しながら、なおも編んで贈ろうとする女性の姿あまりにも鬼気迫る感じで、源氏物語の「六条御息所」を思い出したりしますした。男としてはかなりビビります。


 しかしそれにしても昔のレコードは高かった。
 昭和歌謡ののちグループサウンズが流行し、フォークソングブームが来て、ニューミュージックの時代が来てもおいそれと買えるものではなく、たとえば私のアパートの二階の大学生は、ステレオセット(と当時は言いました)を買ったはいいがレコードは一枚しか買えず。朝から晩まで何回も何回も、一か月も二か月も、ひたすらカーペンターズの「ナウ・アンド・ゼン」をかけるので、おかげで私はすっかりカーペンターズが嫌いになったほどです。
 音楽はテレビの歌謡番組で見るか、ラジオからカセット・テープにダウンロード(とは言わず、当時はエア・チェックと言った)したものを聞く時代でした。カセットテープという小型のメディアはとんでもなく発達し、FMラジオから録音すると、そこそこいい音で音楽が聴けたのです。高価なレコード・CDにあえて手を出すほどのことはなかったのです。

 したがってレコード・CDの売り上げは必ずしも曲の人気を反映するものではありませんでした。もっぱらそれはベストテン番組やリクエスト番組によってはかられるものであって、だから当時は「歌謡・ベストテン」だの「ヒット・バラエティ」だのの音楽番組が全盛だったのです。
 ところが70年代後半、ここに音楽史上稀有なとんでもない巨星が出現します。音楽業界を引いては芸能界を一変させたという意味では、プレスリーやビートルズを上回る存在、それがピンク・レディです。

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2015/5/27

「歌謡曲考」@  知識


 88歳の母が歌番組を見る関係で、私もしばしば歌謡曲を聞くことがあります。しかしこの世界、昭和生まれの私にもよくわからないところがあります。
 つい先日聞いた曲は、
『遠い異国の酒場で一人、男がグラスを傾けている
 すがりつく女を振り捨ててきたが、今はその娘が愛おしい』
といった歌詞だったのですが、これがさっぱり分からない。好きでもない女性を置いてくるなら分かりますが“愛おしい”ような女性を振り捨ててきたのはなぜか? なぜ外国にいるのか、なぜひとりなのか?
「おまえ、スパイか?」
 というような話です。
 昭和の歌謡曲には常にこうした分からなさがつきまといます。

「愛しながら別れて・・・」は歌謡曲の常道ですが、なぜ愛し合う二人が別れなければならないのか、詳しい説明のある曲はほとんどありません。さらに分からないのは昭和30年前後に流行した「マドロス物」と呼ばれる分野です。

「マドロス」自体がすでに死語ですから調べなおさなくてはならないのですが、「水夫」「船員」「船乗り」を表すオランダ語だそうです。ただし歌謡曲の世界で、「船乗り」ではなく「マドロス」というときは暗黙の裡に「外国航路の」」しかも多くは「貨物船の船員」にかなり絞られてきます。大型客船の乗客係ではダメなのです。
 一般には「まだ庶民にとって外国旅行が夢だった時代、マドロスはひとつのあこがれの職業だった」みたいな説明がされますが、どうでしょう。私などのように山国育ちだととてもではありませんが「あこがれ」というわけにはいきません。もしかしたら都会の子どもたちにとっては憧れだったのかもしれませんが、子どものあこがれをレコードにしても、大した儲けにはならないはずです。
 と、ここまで書いてきてはたと気づくことがあります。マドロス物の歌謡曲が売れるとき、誰がレコードを買い、あるいはラジオや有線放送にリクエストしてくれるかということです。

 昭和30年代、レコードは非常に高い買い物でした。大卒の初任給が2万円ほどの時代にLPレコード(アルバム)は2000円もしたのです。現代に置き換えるとCDアルバムが1枚2万円という勘定になります。
 そんな高価なものを買える人は限られています。
 最先端の音楽に興味のある人でお金持ち、そして日常的に音楽のある生活をしている人。しかもある程度人数が揃わなくてはなりません。そう考えていくと、思い当たるのはバーやクラブ(今のクラブとは違う)のホステスさんです。この人たちならそこそこの小金持ちですし多くは若い。しかも店内には常に音楽が流れていて客はしばしばリクエストをしたりする。

 客層は、基本的には社長さんだの部長さんだのということになりますが、時に、不似合いなほど若い連中が入って来ます。それが船乗りたちです。
 なにしろ一年のほとんどを船上で暮らすこの人たちは、高収入なのに使う時が少ない。そこで短い上陸期間には派手に金を使う、恋も芽生えるということになるのではないかと想像するのです。
 
 はじめに上げたスパイもどきの歌もこうした時代の名残りでつくられたもので、彼は外国航路の船乗りなのでまともな結婚生活はできないと決心して女性と別れてきた、けれどやはり恋しいという歌なのです。

 だれがレコードを買いリクエストしてくれるのか、そう思って見てみると、昭和歌謡史もなかなか面白いものがあります。

                              (この稿、続く)
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2015/5/26

「寄り添う」B  教育・学校・教師


 できることは、息子さんの進む道をゆっくりと曲げていくことです。それしかありません。それが1度でも右に曲がったら心の中で大喜びに喜び(顔に出してはいけませんよ)、次の1度を目指します。次の1度ができたらまた次の1度を、とそんなことを30回繰り返せば30度の変化です。そうなるともう少なくとも“悪徳の街”に入る危険性はなくなります。

 すでに手遅れの面もあるので“最高の街”にたどり着くことはありません。ありませんが、ずっと歩いて行くと新しい街が見えてきます。それはあなたの望む“最高の街”ではありませんが“悪徳の街”よりずっと良いところです。たくさんの人がそこで暮らしています。というより普通の人はその街の住人なのです。平凡で月並みですが、そこでは最低限の幸福が保障されています。その街で、人々はつつましやかな生活を送っています。いくつもあるそんな街を、 “幸福の街”と名づけましょう。今、目指すことのできるのはそういう街です。それで十分でしょ?

 そのためにお母さん、あなたは息子さん一緒に歩かなくてはなりません。一緒に歩きながらたくさん話をして息子さんの気持ちを”悪徳の町“から逸らさなくてはならないのです。息子さんが話に夢中になっても、あなたは冷静でいなくてはなりません。本来の目的は気を逸らすことではなく、“幸福の街”への道を歩ませることですから、息子さんの左に立ち、話に夢中な振りをしながら肩を寄せ、ゆっくりゆっくり、気づかれないように右の方に押していくのです。
 繰り返し申し上げますが、真意を悟られてはなりません。何といってもあなたのお子さんは素直さを失っていすから、意図がばれると逆らいかねないのです。母親の思うとおりに生きるなんてまっぴらだと思っている子を、思い通りにしようと言うのですからハンパな事業ではありません。じっくり密やかに事を進めましょう。

 話の内容は何でもいいのです。テレビの話でもゲームの話でも友だちのことでも。そして話すなかで、少しずつ、正しい生き方、正しい人生の送り方について話していくのです。それが”肩を押す”ということです。

 そのためにも、会話のできる親子関係を大切にしなくてはなりません。そうした関係を守るためにはたいていのことも我慢できます。
 “悪徳の街”の友だちに呼び出されたら、黙って送り出すしかありません。反対したって行く時は行きますし、それで親子関係が崩れたら元も子もありません。“友だち”が訪ねてきたら、抵抗せずに受け入れましょう。“悪徳の街”を肯定していると思われてもいけませんから歓待する必要もないのですが、そこでひと悶着起こしてお子さんといがみ合うのは、結局は損です。

 時間はかかります。しかし道はそれしかありません。
それが「お子さんに寄り添って、一緒に考えましょう」ということの、具体的な意味なのです。


                             (この稿、終了)
2

2015/5/25

「寄り添う」A  教育・学校・教師


 だから以前にも申し上げた通り、すでに手遅れの面があるのです。今から問題を180度変化させることはできません。できるかもしれませんが、できないと思ってことを始めないと喜ぶべき小さな変化を見逃してしまいます。今はその“喜ぶべき小さな変化”を大切にして重ねていくしかないのです。例えばこんな場面を想像してください。

 あなたの息子さんは砂漠の真ん中を歩いています。彼は歩くのを止めません。なぜかと言うと遠い地平線の先に街が見えるからです。そこに向かって歩いているのです。
 食料も水も体力も十分にありますから途中で死んでしまうとか道に迷う心配はないのですが、けれど別の問題があります。それは彼が目指しているのが“悪徳の街”だということです。お母さんは知っていますが、彼にはそれが分からないということです。
“悪徳の街”は最悪の場所です。ありとあらゆる悪がはびこり、普通の意味では幸せに暮らすことはできません。親としては絶対に行かせたくない場所、そこに向かって息子さんは嬉々として歩いているのです。
 一方、もう一度息子さんの地点に戻って、そこから右の方を見るとそこには別の町が見えます。これは“最高の街”です。人々は自分の才能を全開に開花させ、幸福に暮らしています。望むものは何でも手に入り、苦労というものがほとんどない街です。

 思い出せば息子さんが生まれたころ、あるいは幼少の頃、あなたは息子さんと一緒に“最高の街”に向かおうとしていたのです。遠くに見えるその街を指し示して「あの街に行くのよ、あの街を目指して歩いて行きなさい」と息子さんに教えたはずです。
 彼は明るくウキウキとその道を歩み始めました。そのはずでした。ところがどこで道を間違ってしまったのでしょう、気がつくと息子さんは“悪徳の街”に続く道をまっすぐに歩いていたのです。目を離したつもりはなかったのです。けれどいつかそうなってしまった――。
 それに気づいたあなたは、息子さんを怒ったり叱ったりしながら右を指さして言いました。
「あなたの行く先はあっちでしょ! なぜこんなところを歩いているの。こっちの道は悪い道よ。あっちに行きなさい! あっちを目指しなさい!」
とね。
 ところが息子さんは頑として言うことを聞かない。小さな子どものころと同じように、目をキラキラと輝かせながら“悪徳の街”へと続く道を歩き続けているのです。

 さて、こんな状況で何をどうしたらいいのでしょう? 何ができると思います?
 出発地点に戻って最初からやり直すことは不可能です。だって赤ちゃんには戻れませんから。
 今から彼の進む道を捻じ曲げて、“最高の街”に向けさせるというのはどうでしょう?
 それも不可能です。だってそんなことは今までもやってきたのですから。怒ったり叱ったり怒鳴ったり、アメをやったり大げさに誉めたり――その結果の現在なのですから。
 ほんとうにどうしたら良いのでしょう?

                               (この稿、続く)
2

2015/5/22

「寄り添う」@  言葉


 若い頃は、自分ができるかどうかは別として、世の中、努力さえすればなんでも可能だと思っていました。ところが年齢を重ねるにしたがって、次第にそうではないことが分かってきました。
 どんなに努力をしたところで私が100mを9秒9で走ることはないし、関取になって横綱まで昇進することはない。そんなことはもちろん分かっていましたが同じように、どんなに努力しても東大に合格することはなかったしプロのミュージシャンとして活躍することもなかった、ある時期からそんなふうに思えるようになってきたのです(「大人になるまでそんなことも分からなかったのか」と非難されれば甘んじて受けます)。

 東大に受かるような人はやはり頭がいい、少なくとも受験向きの頭脳とそれを支える持続力や集中力があります。ミュージシャンとして大成するような人はやはり何かを持っている、曲を聞いていると「オイ! 次の音はそこかい!?」と驚くような展開をしたり「ここでその言葉が浮かぶの?」とびっくりするような歌詞が続いたりします。一流の女優さんに街で会ったりすると、いかに鈍感な私でもいわゆる“オーラ”を感じたりします。彼らは最初から違うのです。
 しかし、だからといって彼らが必ずしも幸せとは限りませんから、今は羨ましいとも素晴らしいとも思いません。私は自分の人生にかなり満足しています。

“人には生まれながら持っているものがある”
 その意味で私は運命論者でもあります。私たちの前にはそれぞれ道筋があって、人間はその制約からは逃れられない、そう感じています。
 名前は分かりませんが“神様”も信じていて、大枠において信賞必罰は果たされると思っています。今、ずるいこと汚いことによって大いなる幸せを感じている人にも、必ず天網はかかりその人を捕えるという信仰です。
 しかし私の信じる“運命”はまったくガチガチの一本道ではなく、私の信じる“神様”もまったく融通の利かない存在というわけではありません。
 印象で言えば、運命の道筋は目の前に15度くらいの角度で開けた扇形の道筋で、「真ん中を歩け」という強い力は働くものの、努力次第で、たとえば左の縁(ふち)を歩くことも可能です。
 左の縁を歩き続けるとまた目の前に15度の道が開けますからまた左に寄って行く、すると結局、最初に見えた“左”よりも、ずっと深い“左”に切り込んで行ったことになります。そんなふうにゆっくりと時間をかけ、運命と折り合いをつけながら進んで行けば最初に見えた道筋とはかなり違う生き方ができる、そんなふうに思うのです。

 運命の道をいきなり直角に曲がろうとしても無理です。少し無茶をすれば曲がれたようにも見えますが、運命の道の両側は透明なゼリー状の物質でできているのです。受け入れると見せてやんわり押し出してしまいます。
 この道を切り開く方法はただひとつ、時間をたっぷりかけ、ゆっくりゆっくり押し返し続けることだけなのです。私はこのことを「運命に寄り添って生きる」と呼んでいます。
                                (この稿、続く)
2



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