2015/3/26

「トイレの物語」〜イタリア奇行J  政治・社会・文化


 若いころから海外旅行にはほとんど関心が向きませんでした。それにはいくつかの理由があってその一つは飛行機です。怖いのではなく、数時間もタバコが吸えないという状況に耐えられる気がしなかったのです。
 そのころの私は一日1箱半の愛煙家でタバコの離せない人間でした。どのくらい酷い中毒だったかというと、映画一本を見終えることができないレベルなのです。観始めて1時間もすると頭がぼーっとしてきて筋が追えなくなる、仕方がないのでロビーに出て一服、座席に戻ってまた続きを、といった感じになります。
 後にそれが原因で大病をすることになるのですが、それまでも生活のいたるところで支障をきたしていたのです。それでもやめられなかった。
 愛煙家でも海外旅行が好きだとか、行かざるを得ないという人はたくさんいるはずです。煙草のために飛行機に乗れない私は、10時間、12時間といった長旅に耐えられるんだったらなぜそのまま禁煙してしまわないのかとよくそんなことを考えたものです。

 その後、病気をしたおかげで煙草の呪縛からは逃れることができました。しかし問題はそれだけではありません。私には日常を厳しく制約しているもう一つの宿痾があったのです。それはトイレが極めて近いという問題です。
 いったん行きたいと思うとほとんど15分おきに行かざるを得なくなったり、100km程度の高速度道路で2回も3回もサービスエリアに寄ったりと、ほんとうに大変なのです。行っても実際にはほとんど出ず、心理的な問題だったと思うこともあれば、そのつど十分な量が出て、このままだと脱水を越えてミイラになるのではないか本気で思ったりするほどのときもあります。この点に関しては自分の感覚も信用なりません。

 そんな私ですので街の公衆トイレにはとても詳しい。徒歩だったらここ、自家用車だったら駐車場のあるそこ、通勤路のここをやり過ごしてしまったらあそこまで我慢と、頭の中はトイレ地図でいっぱいです。
 知らない場所では必ずトイレ・チェック。レストランやカフェに入ればとりあえず予防使用といつも気にかけています。日本国内ですらそうですから、未知の外国となるとどうなるか分かりません。
 そこで旅行中水分は極力控え、大好きなコーヒーもウィスキーも自粛。特に寒かった最初の二日間は自粛、自粛、自粛。しかし暑さのぶり返した4日目にフォロロマーノの丘を散策し、屋台の軽食を買ってペットボトル1本の水を飲んだあたりから怪しくなってきました。カピトリーニ美術館入館時に使用、そして出るときに予防使用・・・しておけばよかったのを忘れ、パンテオンを見学してナヴォーナ広場に出たあたりから本格的に怪しくなってきました。
 そのあと入ったS・M・ソプラミネルヴァ教会にトイレはなく、ジャズ教会に行ったらここにもなく、仕方ないので教会内で絵葉書を売っていたおじさんに、「トイレに行きたいんだけどどこにある?」と尋ねると、何かをペラペラっと言ったあと、
「BAR」「BAR」と繰り返します。
 BARは工具のバールとは発音が逆で、「バー」と平坦に発音してから巻き舌にし「ル」と音を下げます。要するに昼は喫茶またはレストランで夜はお酒を出すお店のことです。しかしトイレのためにわざわざお店に入るのももったいないし、そこで口にしたもののためにあとで同じ苦労をするのもいやです。
 アキュラに「ちょっとヤバそう」と言っても他人の感情に疎い息子はどこ吹く風といった感じ。そこでそのままトレヴィの泉を目指して歩き始めました。そして泉の近くまで来ていよいよアウトです。見るとすぐ横に「BAR」。もう迷っている暇はないのでそのまま入店。椅子に座ることもなくトイレへ直行です。カプチーノをゆっくり飲んで出るときにまた予防使用。
 しかしそれにしても、街には物売りもいれば似顔絵かきもパフォーマンスの人もいるのにこうした人たちはどうしているのでしょう。行きたくなるたびにコーヒーを飲んでいたら悪循環です。
 私の場合は案の定、泉を見て帰路につき、長時間バスを待っても来ないので諦め、歩き始めたとき――疲れていたしホテルまでまだ距離もあったと、さまざまに理由はありましたが、思い出しました――カプチーノを飲んでしまったことによるトイレの不安もあって満員の地下鉄に乗ってしまったのです。

 ところでローマのトイレ、帰ってきてからネットで調べるとやはり出ています。
「イタリアのトイレ事情」

 汝自身(の弱点)を知れ! やはり事前学習は大切です。


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