2015/2/10

「親としてすべきこと」A〜娘のこと   親子・家族


 最初に生まれた女の子は幸いなことにとても健康でした。放っておいたら一冬、靴下も履かず風邪もひかずに過ごしてしまい、そのことは私をとても幸せにしました。
 この子はハイハイで保育園に入れ、小学校に上がるまでの5年間を一日も休まず通い続けました。なにしろ行く必要のない保育園や幼稚園で皆勤するわけですから親だって大変です。病気にしないように注意するとともに、毎日きちんと準備しなくてはなりません。両親ともに教員でしたから夏休みや冬休みはそろって家にいたりするわけで、そのことも娘にバレないようしなくてはなりません。旅行や実家への帰省も、わざわざ土日やお盆休みやることになります。他の日だったらもっとずっと空いているのにも関わらず、です。

 妻は私のやり方に懐疑的で、「休ませないことに何の価値があるの」と言ったりしましたが私はこだわり続けました。
 どうせ私たちの子どもです。きらめくような才能や美貌をもって生まれ育つわけもありません。そんな遺伝子は夫婦どちらにもないからです。だとしたらひとつくらい、何かの勲章を持たせて社会に飛び立たせてやりたい――私の場合、それが皆勤賞なのです。私自身が中学校3年間を休まず通ったことが大きな自信となったように、小中高と12年間を皆勤すれば、どんな困難も堪え切れる、そんな思いがありました。
 もっともこの子の場合は休ませたくなるような危機もほとんどなかったので、私のこだわりについて夫婦で真剣に相談することもなく、時を過ごしてきました。

 もちろんほんとうに大変だったのは娘本人で、ちょっとお腹が痛い、頭が痛いといったときも「休んで様子を見る」という選択肢がありません。「大丈夫」「きっと治るよ」と、根拠のない励ましで押し出されてしまい、仕方なく学校に歩いて行きました。そして辛い一日を過ごして、何とか帰ってくるのです。
 特に小学校3年生のとき、38度の熱を押して登校させたことは後々まで覚えていて、ずいぶんと恨まれました。もちろんただ突っぱねて登校させたのではなく、たまたま休みだった私が学校まで送り届け、校門の近くで待機して1時間後には回収していたのですから親の仕事をまった放棄していたわけでもありません。
 そんなふうに数年間を皆勤してしまうと、本人も“学校を休む”可能性を感じなくなってしまい、我が家から“欠席”自体がなくなってしまいました。中学校での3年間は思春期らしい様々な困難もありましたが、家族の誰一人、“休む”ことに思い至らなかったのです。

 そんなふうに、保育園から数えて14年間皆勤を続け、娘は高校生になりました。
「高校も3年間皆勤したら、ご褒美に新車、買ってくれる?」と娘は聞きます。皆勤することでものをねだったのはそれが初めてです。
 田舎ですから就職するにしても地元の大学に進むにしても、車は必要です。どうせ買うことになるので私も気軽に答えます。
「ダメだったら中古車な」
 そんなふうに言いながら、この子はどんな車に乗りたがるのだろうとぼんやり想像したりもしました。

 高校2年生の秋、その子から突然電話が入ります。
 当時、私は自宅から50kmほど離れた山奥の町の、小さな小学校の副校長としてに単身赴任していました。下の男の子が中学に入ったばかりで、家族に対する不安がないわけではありません。しかし妻としっかり者の娘の二人で、なんとか切り盛りしてくれるだろうとそんなふうに思っていました。そんなおり、勤務時間内に電話をよこすことのなかった娘から連絡があったのです。
 私はちょうど、夜に予定されていたPTA役員会の準備をしていました。少し不安に思って出ると、思いつめた声がポツンと言います。
「お父さん、私、学校に行けない。校舎に入れない」

 私はとりあえず日本語としての理解が行き届かない感じで、ぼんやり立ち尽くしていました。

                                        (この稿、続く)


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