2015/2/3

「プチ・エリートの日々」A  教育・学校・教師


 教員がエリートだった明治・大正の遺風が、私の教員になった30年ほど前には残っていたというお話をしました。それが1990年代から急速に消えていきます。一番の理由は多忙です。
 教える教科だけでも小学校で生活科・総合的な学習の時間・外国語活動、中学校で総合的な学習の時間そしてキャリア教育と、膨大な時間とエネルギーが消費されるようになったのです。過去の遺風などひとたまりもありません。しかしそうした古い文化を守ろうという意志が、教員の側に残っていなかったことも原因のひとつでした。
 もはや教職はエリートのつく職業ではない。それは社会的趨勢ですから仕方ないにしても、教師自らの意識改革として、文化人あることや高踏であることをやめてしまったことは、果たしてそれでいいのかと疑問に思ったりもします。

 私は「教師も生徒も同じ人間である」という言葉の意味が分かりません。もちろん生物学的にはそうであり、法律上そうであることも分かります。しかし子どもと同じ地平に立って、果たして指導や教育ができるのかということがずっと疑問なのです。
 教師は指導や教育の主体でもなければ担当者でもないという積極的な考え方があります。それに従って「指導」は「支援」に書き換えられ、「教育」は「学習」に転換させられました。教師は児童生徒の傍らに立つ人であり、決して上に立つものではないという見方です。けれどそれでは伝達も伝承もできないものもあります。
 それはかつての教育の中で、師から弟子へと受け継がれてきたような何ものかです。無条件で師の前にひざまずき、教えを乞う姿勢から引き継がれる何かです。

 弟子が師の前にひざまずくのは、何も師が立派な人格者だからではありません。極端に言えば師など大した人物でなくてもいいのです。
 弟子は師、個人を仰ぎ見るのではなく、その背後にある学識に尊崇の念を持つものでした。たいへんな数の先達たちが営々と築いてきた文化や英知に対して、まずこうべを垂れ、素直に従う。それは牧師が凡人であっても十字架を仰がなければならないのと同じです。単なる木彫である仏像に対して我々が深く頭を垂れ、祈るのと同じなのです。そうしないと人間の中に入ってこないものがあるからです。
 昔の人間はそうした神秘を知っていましたから師は“師である”という事実のみで尊敬するよう求められました。そして師の方でも、そうした尊崇に一部応えるべく努力をしました。高みに押し上げられている以上、その高みにふさわしい何かを持っている必要があったからです。

 しかし今や、教師は児童生徒の傍らに立つ人で、場合によっては下から押し上げる存在です。そうなるともう、その位置にふさわしい力量を持てばいいだけになります。
 縁の下の力持ちに必要なのは実質的な“力”であって、カントがどうのこうのヘーゲルがどうのこうのといった荒唐(高踏)無稽な話ではなく、文学的な素養やクラシック音楽に関する教養でもありません。文学よりは実務的な文書処理、楽しむ音楽より教育技術ということになります。

 学校から自己研鑚の場が減って行ったことには歴史的必然性がありますから、それを元に戻そうとは思いません。社会も現在のあり方を望んでいます。しかしそれでもなお、あの、教員が無暗に背伸びをして頑張っていた時代には意味があったような気がしてしかたないのです。

 単なる懐古趣味ではないように思うのですがいかがでしょう。


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