2014/12/25

「生きていくことの価値」C〜現代の家柄  親子・家族


 私には長く生きて見てみたいものがある――。
 これからどう生きて行こうかと考えているとき、突然思いついたのは息子の子育てのことです。息子が父親として自分の子をどう育てていくのか、それを見てみたいと思い始めたのです。
 私と同じ子育てをするとは思いませんが、私のやり方が基軸になるのは間違いありません。なぜなら日常的の父の姿、父親のやり方というものは、私を置いて他に見てきたはずはないからです。あんなふうにしよう、こんなふうにだけはしたくない――良いにつけ悪いにつけ、私が手本で、私のやり方を軸に、どの程度なのかを計っていくに違いありません。

 親業は自分の同性の親から学ぶ――そのことは私自身が娘や息子の子育てをしていく過程で気づいたことです。
 子どものころ、私は父ととてもうまく行っていませんでした。弟はさらに関係が悪かったのでそれに比べるとずいぶんマシで、表面上は穏やかにやっているようでしたが内心はできるだけ距離を置き、逆らわない分、関係の深まらないよう頑張っていたふうがあります。

 私は父の頑固さが嫌いでしたし、ものの考え方の古臭さが鼻につきました。頑固で古い、しかも戦前の価値観を一瞬で覆された世代にありがちな一種の弱さもあって、押し切れば倒れると分かっているのでかえって押せない、そういう面倒くささもありました。
 ですから自分が親になったらもっともの分かりの良い、柔軟性のある、そして強い父親になろうと思っていたのです。

 ところが実際に親としての人生が始まると、私はどんどん頑固になって融の利かなくなっていく自分を感じて行きます。子どもはあっという間に成長し、とりまく環境はすさまじく変化していきます。それに柔軟に対応しようとすると振り回されるだけなのです。追いついて行きません。
 そこでどうしても立ち止まり、一度決めたことは容易に変えない(変えなくて済むような決定をする)頑固さを獲得せざるを得なくなってきます。それは一面、父に似て来ることです。 
 娘はたびたび、
「なんて頑固なの!」
 と呆れましたが、それでいいと思ったのです。

 人間の性格や持っている雰囲気、ものごとを考えるときの傾向や品格、そうしたものをすべてひっくるめて人柄と言います。それと同じような意味で、それぞれの家庭には個性的な性格や雰囲気、何かを決めるときの傾向、家族としての格式や品格、そういったものがあります。それを私は“現代の家柄”と呼んで、娘にもいつも、「いい家柄の人と結婚しなさい」と言い続けてきました(たぶん、それはうまく行きました。婿は家柄のいい家庭の育ちのように見えます)。

 その“現代の家柄”は家風として代々受け継いできたものと、その代で作り上げたものの混成品です。息子は私の家でその洗礼をたっぷり受けてきたわけですが、もちろんそれでよしと思っているわけではないでしょう。
 私がいいと思ってやってきたことを息子がどう受け継ぎどう生かすか(どう否定し、どのように対抗するか)、そしてその結果、孫世代はどんな人間に育っていくか――自分のやってきたことを見極めるためには、そこまで確認する必要があります。
 なかなか見ものです。期待して楽しみにしましょう。
――と、ここで切り上げればいいのですが息子はまだ大学生。この子が父親になるまでに、まだだいぶ時間がありそうです。とりあえずそれまで人生をどうやり過ごすか、その問題は目の前に残ったままです。

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