2014/12/26

「良いお年を」  政治・社会・文化


「国民アンケートクイズ リアル日本人」という番組で、年賀状を書く理由についてアンケートをとり、その結果を回答者が当てるという場面がありました。
選択肢は「A.近況を知らせたい」「B.関係を深めたい」「C.しかたなく」「D.出していない」です。
 2グループの回答者の一方はC・D・A・Bの順で、もう一方はC・B・D・A順で多いと予想しました。しかし答えはA・C・B・D。両者とも一つも合っていません。
 回答者の中にまめに年賀状を書く人が一人もいなかったのが敗因のひとつでしょう。「年賀のあいさつはSNSやメールで済ます」「来た賀状には返事をする」、その程度の人たちです。
 この番組には3人のコメンテータがいてアンケート結果の分析をするのですが、そのコメントにも感心しませんでした。
「今の若者は意外と古いものに憧れている」
「電子データではなく一年に一度ぐらいは紙できちんと挨拶をしたい気持ちがある(表彰が電子データで行われたらありがたみがなくなるのと同じです)」
しかしそうではないでしょう。人々はやはり近況を伝え、近況を知りたいのです。

 30年も前にお世話になった先生、勤めを始めた当初めんどうを見てくれた会社の先輩、青春を一緒に過ごしたかつての仲間たち、自分が育てた部下、すっかり疎遠になってしまった遠縁の親戚、そういう人たちが気になり、私はこんなふうに生きていますと知らせたいのです。

 しかしそれがなぜ年賀状でなければならないのか、SNSやメールでいけないのはなぜか――そこには年賀状のもつたいへん便利な機能があります。
答えは簡単です。年賀状には「一度やり取りしたら、来年まで連絡しなくていい」という暗黙のルールがあるのです。近況を知りたい、報せたい、しかし今さら深い関係を持つつもりはない、そういうときに非常に便利なのです。
(これがSNSやメール、あるいは電話だったりすると改めて何かが始まってしまいます。年賀状以外の手紙やはがきも「さあ何かを始めましょう」といった雰囲気を醸し出してしまいます。ですから年賀状ほど安全ではないのです)

 私は今年、大幅に枚数を減らして半分以下にしましたが、それでも100枚近くになります。その100枚は、私の半生そのものです。


 ついでに、
 これもテレビ番組からの話題ですが、若い夫婦の妻側が、年末年始に夫の実家に里帰りをするのが辛い、どうやったら回避できるか、といった話をしていました。何やかやと理由をつけたり工夫をしたりして、結局いかずに済ませる方法を編み出したり我慢したりなのですが、それでいいのでしょうか。
 道義的な問題ではありません。盆暮れに行かないとしたらいつ行くのか、ということです。

 もちろん10年でも20年でも、一生、親が死んでも行かないという覚悟があればいいのですが、そうもいかないでしょう。状況は変わりますし気持ちも変化します。親が介護を必要とするようになっても放っておけるのか、自分が破産しても頼らずにやって行けるのか、ということになると誰も将来を確信することはできません。いずれ何らかの関係を持たなければならないとしたら、今のうちから関係をつなげておく必要があります。いざというとき敷居が高すぎるようでは不便です。
 盆暮れ合わせて2回、5日程度を、夫の里で過ごす程度のことは我慢しなければなりません。逆に言えば5日でいいのです。そのとき義理を果たせば後の360日を自由に過ごせます。ところがそうではなく、盆暮れに里帰りをしないとなると残りの360日が帰省の候補に上がってきてしまいます。しつこく電話がかかってきたりもします。そんなの面倒くさくてかなわないでしょう。

 世の中には(おそらく特に日本には)、ちょっと面倒だけどやっておけば大きな問題を回避できる、そういういくつもの仕組みがあります。
 結婚式の披露宴もそうです。葬儀や一周忌・三回忌といった回忌もそうです。面倒ですが親戚や友人を招いて一気にやってしまうと結局は楽なのです。それをやらずに後で一軒一軒回って挨拶したり、バラバラにやってくる来客にいちいち対応したりするのは面倒くさくてかないません。

 年賀状は昨日までに出せば、日本全国どこでも元旦に届けられたそうです(だから私は出しました。初めてのことです)。今からでも遅くはありません。せめて面倒くさい相手の分だけでも、早めに書いて早めに出しましょう。

 一年間お世話になりました。



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2014/12/25

「生きていくことの価値」C〜現代の家柄  親子・家族


 私には長く生きて見てみたいものがある――。
 これからどう生きて行こうかと考えているとき、突然思いついたのは息子の子育てのことです。息子が父親として自分の子をどう育てていくのか、それを見てみたいと思い始めたのです。
 私と同じ子育てをするとは思いませんが、私のやり方が基軸になるのは間違いありません。なぜなら日常的の父の姿、父親のやり方というものは、私を置いて他に見てきたはずはないからです。あんなふうにしよう、こんなふうにだけはしたくない――良いにつけ悪いにつけ、私が手本で、私のやり方を軸に、どの程度なのかを計っていくに違いありません。

 親業は自分の同性の親から学ぶ――そのことは私自身が娘や息子の子育てをしていく過程で気づいたことです。
 子どものころ、私は父ととてもうまく行っていませんでした。弟はさらに関係が悪かったのでそれに比べるとずいぶんマシで、表面上は穏やかにやっているようでしたが内心はできるだけ距離を置き、逆らわない分、関係の深まらないよう頑張っていたふうがあります。

 私は父の頑固さが嫌いでしたし、ものの考え方の古臭さが鼻につきました。頑固で古い、しかも戦前の価値観を一瞬で覆された世代にありがちな一種の弱さもあって、押し切れば倒れると分かっているのでかえって押せない、そういう面倒くささもありました。
 ですから自分が親になったらもっともの分かりの良い、柔軟性のある、そして強い父親になろうと思っていたのです。

 ところが実際に親としての人生が始まると、私はどんどん頑固になって融の利かなくなっていく自分を感じて行きます。子どもはあっという間に成長し、とりまく環境はすさまじく変化していきます。それに柔軟に対応しようとすると振り回されるだけなのです。追いついて行きません。
 そこでどうしても立ち止まり、一度決めたことは容易に変えない(変えなくて済むような決定をする)頑固さを獲得せざるを得なくなってきます。それは一面、父に似て来ることです。 
 娘はたびたび、
「なんて頑固なの!」
 と呆れましたが、それでいいと思ったのです。

 人間の性格や持っている雰囲気、ものごとを考えるときの傾向や品格、そうしたものをすべてひっくるめて人柄と言います。それと同じような意味で、それぞれの家庭には個性的な性格や雰囲気、何かを決めるときの傾向、家族としての格式や品格、そういったものがあります。それを私は“現代の家柄”と呼んで、娘にもいつも、「いい家柄の人と結婚しなさい」と言い続けてきました(たぶん、それはうまく行きました。婿は家柄のいい家庭の育ちのように見えます)。

 その“現代の家柄”は家風として代々受け継いできたものと、その代で作り上げたものの混成品です。息子は私の家でその洗礼をたっぷり受けてきたわけですが、もちろんそれでよしと思っているわけではないでしょう。
 私がいいと思ってやってきたことを息子がどう受け継ぎどう生かすか(どう否定し、どのように対抗するか)、そしてその結果、孫世代はどんな人間に育っていくか――自分のやってきたことを見極めるためには、そこまで確認する必要があります。
 なかなか見ものです。期待して楽しみにしましょう。
――と、ここで切り上げればいいのですが息子はまだ大学生。この子が父親になるまでに、まだだいぶ時間がありそうです。とりあえずそれまで人生をどうやり過ごすか、その問題は目の前に残ったままです。

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2014/12/24

「生きていくことの価値」B  教育・学校・教師


 クリスマス 幼子なき家(や)の 焼き魚

 平穏と言えば平穏ですが、なんだかんだ言いながら大騒ぎしたクリスマス・イブも懐かしいものです。

 さて、
 5年ほど前、昔、お世話になった校長先生のご葬儀でのことです。弔辞の一番が若く美しいお孫さんで、涙ながらに「おじいちゃん」「おじいちゃん」と語りかける口調には心動かされるものがありました。けれど私は別のところで心に思うことがありました。初対面のお嬢さんなのですが心当たりがあったのです。

 話はさらに20年ほど遡ります。退職されたばかり時、その校長先生を囲んで一緒に飲む機会がありました。その席で座がほどけてゆったりとした頃、校長先生と相対で飲んでいるとこんなことをおっしゃったのです。
「なあTさん。オレは40年近く、ただひたすらに教師をやってきて他に何もない。退職になって“ああこれで何もかも終わりだ、生きていく張りもない”そう思ったら――人生はうまくできているもんだね。ちょうどそのころ孫が生まれるんだ。それで“もう一度生きなおしてみよう、この子の成長を見届けて行こう”、そんな気持ちになるのだ」

 逆算すると、ちょうどその時に生まれたお孫さんが、弔辞の人なのです。
《ああ、この子だったのだな》
 そう心に呟いて、葬儀の後であの時の話を教えてやろうと思ったのですが、あいにく遺影を運んで奥の方に行ってしまい、私も急いで帰る用があったので話さずじまいで終わらせてしまいました。伝えておけば、さらにあの子の励みになったのかもしれないと、今でも少し後悔しています。

 孫は生きる価値を保証するか。
 先の校長先生の場合はそうでしたが、それが万人向けかどうかは分かりません。孫は特別だ、という人もいますが、それも果たして正しいかどうか。
 孫の行く末を見るためにもう一度生きなおそうとおっしゃった校長先生はずっと中学校畑を歩いてきた人で、小さな子と触れ合うのは久しぶりなのです。そういう人が赤ん坊の魔力に触れればひとたまりもありません。校長先生ばかりでなく、普通の人の大部分は自分の子が赤ちゃんだった時以来、小さな子に触れる機会はほとんどないはずです。
 私は小学校にも長く在籍しましたし、赤ん坊にしょっちゅう触れている人間です。小さな子どもには慣れています。そういう人たちでも自分の孫は特別に可愛く感じるのか――。
 試しに知り合いの保育士さんに聞いてみたら粋な答えが返ってきました。
「遠くの孫より、近くのネコ」
 赤ん坊の魔力に十分抵抗力があり、ネコを何匹も飼っておられる方です。
 孫が生まれたらもちろん可愛いでしょう。しかしおそらく特別に可愛いというわけでもないはずです。したがって私のようなタイプは、その子の成長を糧に人生を生きていくというわけにも行かないでしょう。
 私の場合だと「遠くの孫より、近くのウサギ」です(ウサギはネコみたいになつきませんから、ネコほど可愛くはないのですが)。

――とそこまで考えたとき、まったく異なるひらめきがありました。
 そうだ私には長く生きて見てみたいものがある。
                                  (この稿、続く)
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2014/12/22

「生きていくことの価値」A  


 10年前から10年後(つまり今日)を考えてきました。
 私は、半分は教員として、もう半分は自分の子の父親として生きてきましたから10年後、その双方をほぼ同時に失うことに大きな不安があったのです。

 読書も音楽も、観劇や美術館巡りも好きですが、それだけで生きていけるほど好きな訳ではありません。釣りもスキーもキャンプもやりますが、アウトドアはそもそも性分に合うものではなく、子どもとやりたいばかりに大人になってから始めたものです。試しに釣りやスキーに出かけても、つまらないわけではないのですが何度もまた来ようという気にもなれません。
 社会貢献やボランティアに深い思いがあるわけでなく、人付き合いも嫌ではありませんが好んでする方でもありません。

 教師仲間を見回すと美術科の先生たちの中には意気軒昂な人たちが多く見えます。彼らは暇を見ては作品作りに励んでいた人たちです。これからは好きなだけ作品作りができると張り切っています。
 実家が農家といった人たちも家が手ぐすねを引いて待っていましたから活躍の場があります。農繁期には否応なく手伝いをさせられていた人たちですから多少の心得もあります。
 個人的に、釣りやら木彫やらバラづくりといった趣味を持っていた人も困りません。しかし私のようなタイプはまったく“困る”のです。そしてたぶん、「私のようなタイプ」の方が圧倒的に多いはずです。

 日本人男性の平均寿命は79.64歳ですが、それまでに仲間の半数が死ぬわけではありません。平均点80点のテストを考えればわかるのですが、一人でも0点を取れば平均点がグンと引き下げられます。平均80点のテストで0点は考えにくいところですが40点、50点はざらですから、そうした生徒の引き下げ圧力を考えると相当数の生徒が80点以上を取らないと80点にはならないのです。しかも最高は100点と天井がありますから80点から100点までの間にかなり密集していることになります。

 平均年齢も同じで、男性である私たちが79.64歳になったとき、一緒に60歳になった仲間のおよそ60%が生き残っています。その60%のうちのさらに数%は100歳以上まで生き続けるわけですから、本気で考えないと定年退職以降の年月は途方もなく長くなってしまいます。

 もちろん何かを成し遂げようと思えばあまりにも短い時間です。しかしなにもしないで過ごすにはあまりにも長い時間です。

 さてそれをどう生きて行けばいいのか。――若いうちに見つけておかなかった罪が問われます。

                               (この稿、続く)
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