2014/7/29

「一般化と特殊」〜佐世保でのこと  教育・学校・教師


 佐世保で不幸な事件が起き、マスコミはいずれもトップニュースで伝えています。

 今回の事件に際し、誰しもが10年前のいわゆる佐世保事件に思い出し、その類似性に慄然とさせられたと思います。仲の良い女の子同士の事件、刃物を使った犯罪、身体の一部の切断と―そんなところからマスコミでは「生かされなかった教訓」とか「届かなかった『命の教育』」といった扱いが目立ちます。しかし果たしてそうでしょうか。

 ある新聞には「友人の命を奪うところまで精神的に追い詰められていたのだろう」といった解説が載っていました。しかしそれは「命は尊い」と信じる者の勝手な思い込みなのかもしれないのです。特に「人を殺してみたかった」と言って実際に行ってしまう人の、冷酷とさえ言えない、乾いた無感覚の所業を思うと、“精神的に追い詰められた”とは全く異なったものを浮かべざるをえません。 
 1977年の酒鬼薔薇事件も、2004年の佐世保事件も、あるいは宮崎勤事件もすべてそうでした。そこには私たちの類推を許さない何かがあるのです。

 教育は、ある一般化された児童・生徒を前提として行われます。数学の問題で、正答にいたる道筋は無限ではありません。同様に間違い方にもパターンがあり、そこを抑えるために教科指導は行われます。ある程度予測ができるから一斉授業が可能なのです。
 しかしそれが全く通用しない子も、もしかしたらいる。
 たとえば某国の独裁者の幼少譚のように、「粘土の塊は1と1を足しても1でしかない」などと言い出す子がいたとしたら、それは個別に取り出して指導するしかない。一般化できないケースには個別の指導が必要なのです。

 心の教育や道徳では、しばしばそういうことが起こります。人権教育の授業の最中に「どうしたら人の心を深く傷つけることができるか」を学んで実践してしまう子、性教育の最中に情欲に駆られている子――それは常に一定数出現し、ゼロにはできない副産物です。これは単純に人権教育や性教育の授業時数を増やすことでは解決できません。個別の案件です。

 第2佐世保事件と呼ばれるようになるかもしれない今回のできごとに際し、佐世保市教委や長崎県教委が「さらに心の教育を」という方向に進まないよう心から願います。酒鬼薔薇聖斗は兵庫、宮崎勤は埼玉の人間です。たまたま佐世保で女の子が続けて事件を起こしたというだけで長崎県や佐世保市に何らかの問題があるわけではないのです。長崎県も佐世保市もそういう意味で傷つくことはありません。

 また「命の学習」はムダというわけではありませんが、一般化できるような児童生徒にはある飽和点があるはずです。かけざん九九も各学年配当の漢字も、すべて覚えてしまったらそれ以上の学習は必要ありません。それと同じです。

 もちろん飽和点を見極めるのは困難ですし、不安からダメにダメを押したくなるのも分らないではありませんが、授業時間も無限にあるわけではないのです。
一斉授業では済まない子には、それなりのアプローチがあるのです。


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2014/7/28

「私のスマホ事情」B〜オンライン・ストレージ  文具・道具・器具


 オンライン・ストレージは「インターネット回線でつながったUSB」と考えると大雑把なイメージができます。USBと一緒ですからエクスプローラからマイ・ドキュメントや他のリムーバブルディスクと同じようにアクセスできます。

 PCの画面上でも、たとえば「Googleドライブ」のアイコンをクリックすると出てくるのは通常のエクスプローラの画面で、左上にGoogleドライブと出るだけです。USBに投げ込むように、画像でも文書で普通に入り、取り出せます。しかしスマホで同じ操作をするわけにいきません。スマホにはマウスもなければ同時に2画面3画面を表示するということもできないからです。


クリックすると元のサイズで表示します スマホで「Googleドライブ」をタップすると出てくるのは右のような画面です。最も広いスペースを占めている中央には格納されているファイルやフォルダが表示されています。上部に検索窓と表示方法の変更。注目すべきは下部の三つのアイコンです。
 左が「アップロード」。ここをタップすると他のアプリケーションから写真や他のファイルが参照でき、そこから「Googleドライブ」にアップできます。
 中央が「作成」。文書やプレゼンテーションを作成してアップロードする箇所です。あとで詳しく説明します。
 右が「スキャン」。アイコンはカメラです。タップすると写真撮影になり、撮った画像がアップされます。「スキャン」が「カメラ」であるところに意味があります。スマホから情報をアップロードするというのは、基本的に画像を送ることなのです(少なくとも私はそう解釈しました)。
 はじめは分らなかったのですが、この「スキャンとは写真撮影のことだ」という発想は画期的でした。手に入ったチラシや広告、会合の開催通知や配布資料、場合によっては手書きメモさえもすべて画像の形で送ってしまえばいいのです。下手に文字データにしようと手間取って時間がなくなるより、画像で送って後で処理するほうがより簡単で確実なのです。なんといってもPCの方が処理は楽なのです。

 もちろん「Googleドライブ」にも文書やプレゼンテーションを作成してアップしてもよいのです。そのため中央の「作成」には文書作成アプリや表計算アプリ、プレゼンテーションアプリが用意されていています。これらはWordやExelに簡単に変換できる優れものアプリなのですが、そうは言ってもスマホで凝った文書や表計算を作成するのは困難です。画面は小さいしあつかいは複雑になります。本格的な作業はやはりPCで行うべきで、スマホはあくまでも補助的な手段でしかないのです。

 現在の私のGoogleドライブはスマホからは画像をアップしてPCで処理する、PCからはWordファイルやExcelファイルをアップしてスマホで参照するという使い方をしています。スマホから文書を上げることがないわけではありませんが、「Googleドライブ」には「メモ帳」の便利さはありません。「メモ帳」はなんと言っても最初の数行がリストアップされるからいいのです。

 これについて、スマホのメモ帳データやボイスレコーダの音声データをアップできればどんなに便利かと思うのですが、今のところ簡単にはできそうにないのです。将来的には変わっていくかもしれませんが現状はそうです。




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2014/7/25

「私のスマホ事情」A〜カレンダー  文具・道具・器具


 最初は「Googleカレンダー」を使いました。すぐ目についたからです。しかししばらく使ってみると私には合わないことが分かってきました。月単位の表示は簡略過ぎてよく見えませんし、日単位だと今度は詳しすぎてダメなのです。毎日分刻みで行動している(たとえば営業職のような)人であればいいと思うのですが、私のように日常に特別なことのない人間には不向きなのです。
 そこで(どういう経緯でそこにたどり着いたのかは忘れましたが)、「ジョルテ・クラウド」というカレンダーアプリをインストールしました。

 クラウドと名がつくように、カレンダー本体が株式会社ジョルテのサーバ内に入っています(たぶん)。したがってスマホからもPCからも自由に書き換えられるのです。PCで書いてスマホで確認したり、スマホで書いてPCで見たり、対象が同一のカレンダーですから同期ということを気にしなくて済みます(正確言うとクラウドとスマホ・PCの間で頻繁に同期を繰り返し、常に最新の状態に置いている)。スマホの文字入力(フリック入力というらしいのですが)にいつまでも慣れない私のような人間には、うってつけです。PC主体で書き込んでおけばいいのですから。

クリックすると元のサイズで表示します カレンダーに予定を入れる際、10分前、12時間前と時刻を設定すると、その時間に警告音を鳴らしステータスバーに内容を表示してくれます。5分単位で設定できるのでとても便利で、大切な予定を忘れずに済みます。また“場所”を書き込んでおくと地図アプリと連動してその地点を示してくれます。飲み会などで会場が不案内な場合、その地図を頼りに向かうことも少なくありません。
 電話番号を書いておけばそこをタップするだけで自動的に電話がかけられます。いざというときはそれを頼りに連絡をつけます。

 メモ帳にボイスレコーダそしてカレンダー、いずれも基本的なアプリですがこの三つを得たことで仕事も生活も実にスムースに運ぶようになりました。しかしスマートフォンを持ったことで最も便利になったのは、以前にもお話ししたGoogleドライブを手に入れたことです。オンラインストレージという言い方をするようですが、USBやハードディスクのようなストレージ(電源を切ってもデータを保持できる装置)のオンライン版、つまりクラウドの中に置いた記憶領域です。

                            (この稿、続く)



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2014/7/24

「私のスマホ事情」@〜メモ帳・ボイスレコーダ  文具・道具・器具


 事情があって自宅と実家の二重生活をしていると書きました。その際困ったのがネット環境です。実家の方に回線を入れてもいいのですが、実際の稼働時間を考えると、費用対効果が低すぎるのです。そこで考えたのがスマートフォンです。
 現在のスマホにはテザリングという機能があってコンピュータとつなげるとそのままネット接続できるのです。速度は非常に遅いのですが通常の作業に支障はありません。

 根は軽薄な私ですが軽薄と思われることには抵抗があり、それまでまったくスマホについて考えていませんでした(年寄りのスマホが軽薄かどうかについては議論の余地があると思いますが)。また、そもそも携帯電話や端末に対する抵抗感があって、素直になれなかったのです。なぜ抵抗感があるのかというと、とにかくこの小さな機械に24時間縛られているからです。
 いつも手元にないと不安、家や学校に置き忘れたときは何が何でも取りに行かなければならない、そういった極度に束縛されている自分が―許せないというほどではありませんが嫌なのです。しかしこの「いつも手元にないと不安」という神経症的な感覚は、別の方角から見るととても便利な面があります。それは「いつも手元にある」ということです。

 私は子どものころから無類の調べ屋で、しかも記憶力に劣る忘れん坊でした。ですからせっかく調べたり考えたりしたことが手元に残らない。特に民間に勤める友人からは「オマエはなぜ手帳を持たんのだ」と呆れられましたが、持たないのではなく持ってくるのを忘れてしまうのです。けれどケータイなら忘れない―私はこのことに早く気付くべきでした。

 いわゆるガラケーの時代には気づかなかったのですが、スマホに移行していつでもアプリケーションの一覧が見られるようになると、この小さな機械の使い方が次第に分かってきます。
 まず利用し始めたのが「メモ帳」です。記録した日時が自動的に付与されますから手書きのノートよりさらに便利です。書いた文の最初の部分が一覧に表示されますからメモの内容を一目で確認できる点も便利です。ただし文字入力は手書きに比べてはるかに遅いので、その点でイライラさせられることは少なくありません。
 何度かイライラしているうちに、ふと気付いたのは「ボイスレコーダ」です。「メモ帳」とは違って文字入力にイラつくことはありません。これで「メモ」はずっとしやすくなりました。しかしこちらは一覧に日時が出るだけで「何を入れたか」は表示されません。したがって賞味期間は短く、できるだけ早く開封して文字に置き換えないとあとの検索が大変です。

 「デイ・バイ・デイ」を書いていたころ、私はよくこれを利用しました。長い長い退勤路で、ふと思いついたアイデアを吹き込んでおくのです。そうしないと家に着くころには頭の中が空っぽということが良くあったからです。
 
 メモがきちんと取れるようになると次はカレンダーです。

                            (この稿、続く)

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2014/7/23

「ではどうするか」〜上に政策あれば下に対策あり  教育・学校・教師


 新しいシステムは、専用USBで暗号化された情報を持ち出すことのできるものでした。もちろん校長の許可は受けなければなりません。ただしそうして持ち出した情報はUSBから個人用コンピュータには移動できないのです。家ではUSB内部だけでデータを書き換え、それをまた学校へ持って行くだけです。良くできたシステムです。これで市当局は情報を囲い込むことができますが、私たちがつくった文書を私たちの手元に置くことはできないという状況は変わりません。これでは困るのです。私たちは同じ文書を次の学校でも使う可能性があるからです。

 中国に、「上に政策あれば下に対策あり」という諺があるそうです。いかにも中国らしい言い方です。そしてそれはしばしば、世界中に当てはまります。

 私がまず考えたのは学校からも家庭からも自由にアクセスできる専用サーバを生み出すことです。ハードに関する知識が全くありませんので、専用コンピュータを構築することはできません。そこで「レンタル・サーバ」をインターネット検索にかけるのですが、当時、この言葉で拾えたのはすべてサイト用のものでした。つまりホームページをつくる際にデータを置くスペースです。

 もちろんコンピュータ・サーバですのでwordやexelの文書も保管できるのですが、これを送ったり引き出したりするためにはFTPという専用ソフトが必要で、それを学校のコンピュータにダウンロードするのはいかにも気が引けました。いやそもそもアプリケーションのダウンロードには市の許可が必要で、不用意に申請すれば余計なことを聞かれるのがオチです。

 現在ですとgoogleドライブのような優れたレンタル・サーバがあってマイ・ドキュメントと同じような感覚で情報を保管できるのですが、それとてアプリケーションのダウンロードが必要な点は同じで学校にはなじみません。そして最後にたどり着いたのが、最も原始的なやり方、メールによる情報の転送です。

(ちなみに、現在の私は事情があって自宅と実家の二重生活をしており、それぞれの場所で作成する文書はすべてgoogleドライブに保管してあります。これだと同期を全く意識せず、ファイルを管理することができます。無料で使える容量は最大15ギガバイトですか個人の使用としてはまったく不自由しません。スマートフォンからもアクセスでき、非常に重宝しています)
 
 私は最初、自宅のメール・アドレスから学校の個人アドレス(自分用)に添付ファイル付きのメールを送っていました。市のメールアドレスを使うことで、情報漏えいの際は市に半分は責任を負ってもらおうと思ったのです。ところがある時、学校のコンピュータからWebメール(YhoomailやHotmail、Gmailなど)にアクセスできることを知ったのです。これは驚きでした。他の自治体でwebメールへの接続ができないことを知っていたので試してみることもしていなかったのです。そしてその状況は私にとって至福のものでした。なぜなら自分のWebメールアドレスに送ったメールは、私自身が削除しない限り永遠に残るからです。

 私の個人アドレスからから私自身のwebメールアドレスにファイル付きメールを送る、あるいは学校の専用アドレスから私自身のメールアドレスにファイル付きメールを送る、いずれの場合もweb上に私のファイルが残る、それは私が期せずして専用サーバを手に入れたのと同じなのです。かくして私は、自由にデータを送り、保管することができるようになりました。  

 勤務時間内では仕事が終わらない、教員生活を続ける限りずっと持ちまわすデータがある、そうした状況がなくならない限り、教員はさまざまな方法を探してはなんとか情報を確保しようとし続けます。そのことを前提としないシステムは、教師に多くの困難を強いながら、しかも定着しないはずです。



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2014/7/22

「暗黒のクラウド」B   教育・学校・教師


 今日のクラウドコンピューティングと異なるのは、「一度入れた情報は二度と引き出せない」というどうしようもない閉鎖性です。生涯A市の教員として過ごすならまだしも、転勤で別の市町村に異動すると多くの資産が使えなくなる、そんなことが我慢できるはずがありません。
 そこで全くその通りの言い方で言うと意外な答えが返ってきました。

「先生には知的所有権という概念が全くない。例えば私が水道局の職員として勤務の時間内に書いた図面は、市の所有物であって自分のものではない。退職後それを自由に使いまわすのは市の所有物を売り渡すのと同じだ」
「そんなバカなことはない。だとしたら今日、このA市で作り上げた社会科資料は次の学校で使えないし、以前に別の市町村で作成した道徳教材は、それがどんなに優れていてもこのA市では使ってはいけないことになる、そんなことがあるはずがない」
「しかしそれが常識でしょう。ある電機会社からヘッドハンティングされた技術者が、次の会社で同じ技術を遣ったらそれは重大な企業犯罪だ。世の中そうなっているのです」
 その例があまりにもトンチンカンな感じなので私は黙りました。確かにそれはその通りなのです、しかし何かが違う。学校は企業ではないし、そんな常識を当てはめたら私たちは仕事ができない。そうである以上、私たちには私たちの主張すべき論理があるはずだ――そう思いながら、しかしアイデアもうかばず、そのただ黙っていただけです。

 今ならわかります。
 一番簡単な反論は、私たちは市町村の職員ではないということです。給与は県から支払われ、いわば市町村にレンタルされている派遣職員です。だから百歩譲って私の生み出した知的財産が私の私有物ではなく公共財だとしても、それは県に属するもであって市のサーバーに取り込んで離さないのは財産の横取りです。そう言えばよかったのです。また、私はしませんでしたがもっと勉強すれば有効な反論はさらにあったはずです。

 しかしその後、私はこの問題についてさらに勉強することもせっかく思いついたアイデアを利用することもありませんでした。ほどなくA市を離れ、その暗黒のクラウドの行く末を見ずに終わったからです。

 次に赴任したB市にはそのような計画はありませんでした。逆に、A市の動向を見てああなってはいけないということで、市教委をはじめ各学校一丸となって情報紛失を避けるというふうがありました。そしてそれからしばらくして3番目の市に移った時、その市にはすでに同様のシステムが導入されていたのでした。A市の計画よりはずっとおだやかなものでしたが、USBなどを介して仕事を持ち帰ることができないという意味では同じでした。


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