2014/3/31

「ありがとうございました」  

 本日3月31日付で退職しました。

「デイ・バイ・デイ」は基本的に校内で発行していたものですから、毎日更新という形でのアップロードはできなくなります。
 今後このブログをどうするかはまだ決めていませんが、しばらく休んで、それから考えたいと思います。古い記事を検索でヒットさせてくださる方もおられますので、閉鎖することはしません。

 ブログ上では7年半。長いことありがとうございました。


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2014/3/31

「最終回」   教育・学校・教師


 「200万円の資金と一部屋をご用意ください。塾経営で月々60万円の収入」
 三十数年前、私が勤めていたフランチャイズの塾経営会社のキャッチコピーです。そんなチラシをあちこちで配りました。ウソとは言い切れません。
 資金の一部を使って一部屋(8畳)に机を4台入れます。他に黒板や教具一式、看板、生徒募集のチラシ配布(2回)。4台の机には12脚の椅子が置けますので1教室は12名です。小学校3年生から中学校3年生まで7クラス。それで最大84名。当時の月謝は小学生2教科8000円、中学生3教科16000円でしたから総収入は96万円ほど。そこから会社に入れる講師料・教材費・フランチャイズ料が35万円ほど。だから月々60万円の収入なのです。しかしここには書かれていない現実があります。
「小学校3年生は12人なんて来ない」

 ゼロならまだしも一人でも来ると講師を確保しなくてはならなくなり、会社に納入する35万円はほとんど減らない。しかし総収入はまったく伸びない。かくして60万円の収入どころか、毎月赤字の教室が続出するのです。
 しかも会社は最初の200万円欲しさに、それと知らず応募してきた顧客は隣り同士でも塾に作り上げてしまおうとする。さすがに同じ名前ではバレるので、名前を変えて開設。おかげで塾の名前が3種類。それに合わせて会社名も3種類、さらにそれに合わせて会社も3フロアー借りて社長が3つの階を行ったり来たり・・・。

 組織が腐れば人間の腐ってしまい、パートに来た人妻と出奔する者、会社の金を使い込む者、最後は“専務”まで会社を食い物にしていることが分かり、さすがに私もやっていけなくなりました。私がいたのは営業部門ではなく、教材をつくり講師を回し、時には自らも教えに行く教務の部門でしたが不正に力を貸し続けるのは限界があったのです。

 仕事を辞め、田舎に戻り、教師になりました。1983年のことです。以下の話は再三してきたものなので覚えている方も多いと思いますが、その4月1日を生涯忘れまいと思い、今も忘れずにいます。
 当時のことなので歓迎会の夜は二次会・三次会・四次会と果てしなく飲み続けるのですが、その間先生たちはずっと子どもと教育の話をしているのです。世間が狭いといえばそれまでですが、何と純粋な人たちなのだろうと本当に驚きました。世の男たちがそろそろ性的な話に花を咲かせようという時刻に、「アイツをどうするか」「授業をどうするか」と話しているのです。汚れた世界で何年も生きてきた私には夢のような話でした。
 そのような人たちと一緒に生きられるのは本当に幸せだし、長じてこの人たちの上に立つことになったら絶対にこの人たちを守る仕事をしよう。
 その夜、誓ったことは今も私の胸にあります。

 しかしあの頃に比べると、学校はずっと難しいものになっています。社会から要求されるものはとんでもなく大きくなり、それを学校は唯々諾々と受け入れてしまいます。社会から守ろうとする私の背後で、学校がボロボロ崩れていくのです。
 優秀で大量に仕事を抱える先生たちがどんどん消えていく。病気で倒れ、不祥事に身を持ち崩します。これだけ仕事をしながら社会的評価は下がる一方で、給与も年金も減らされていきます。
 私は何とかしなければならないと思いながら、その術を知りません。このまま学校を去るのは痛恨ですが、今はそうするしかありません。

 学校を出れば発言の場は極端に減ることは知っています。しかし何とか活路を見いだし、学校の窮状と子どもの未来を訴えていきたいと考えています。学校が窮すれば、その被害は教職員ばかりでなく児童生徒も蒙らなければならないからです。

 長い間、ありがとうございました。

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2014/3/19

「春休み」  教育・学校・教師




 春休みになりました。
 
 授業のある日は毎日更新している「デイ・バイ・デイ」ですが、しばらくお休みします。

 次回の更新は登校日の3月31日です。

 (もしかして、気が向いたらその前に更新するかもしれませんが)

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2014/3/18

「卒業」   教育・学校・教師


 一年間、ご苦労様でした。そしておめでとうございます。
例年のこととはいえやはり卒業式は特別の日、何となく華やぎ、同時に引き締まった気持ちになります。特に初めての担任学級を卒業させるお二人の先生には、格別の感慨がおありでしょう。

 先日、あるテレビ番組で94歳の元教師の「初任のときの教え子に会いたい」という願いをひ孫がかなえようとする企画がありました。ひ孫の女性はテレビ局の協力もあって、代用教員として18歳で担任した元児童16人を探し出すことに成功します。そして番組は、学校に資料を見に行くという設定で呼び出された元教師が、サプライズで元教え子と再会する場面を映し出します。教え子と言ってももう86歳、72年ぶりの再会です。
ところがサプライズは、元教師よりも見ている私たちの側にありました。なんともうすっかり年寄りになった教え子たちの中に、元教師は次々と子ども時代を見出すのです。
「あ、言わないで。・・・分かった、○○ちゃんでしょ。学校の坂道を降りたところの右手の家の」
「ああ、○○さんね。お姉さんがいた」
 もちろん個人的な能力の問題もありますが、やはり初めての児童は特別なのです。

 ところで、教え子の方はどうなのでしょう。子どもにとって担任が初めてかどうかなんて関係ないようにも思っていたのですが、もしかしたらそうではないのかもしれません。なにしろ注ぎ込む教師のエネルギーがハンパではありませんし、不慣れでチグハグなところも何となく記憶を補強しそうです。86歳の教え子たちが皆思い出を持っていて、72年を経てお詫びやお礼やらを語っている姿がとても印象でした。

 今では歌われなくなりましたが、私は「仰げば尊し」の歌詞が好きです。中でも好きな部分は1番から3番まで共通する最後の一節です。それを今、心の中で高らかに歌って、今日は子どもたちを送り出したいと思います。

「今こそ別れめ いざさらば♪」


*「め」は意志・決意を表す古語の助動詞「む」の已然形。したがって「今こそ別れめ」は「さあ、今こそ別れよう」の意味です。
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2014/3/17

「徂徠訓」   教育・学校・教師


「デイ・バイ・デイ」も今日で860号(*注:現在の学校に赴任してからの通算)。毎日こんなふうに書くようになってから9年目ですので、総計で1900回余りになります。(ブログ上は7年半1678回)

 その間、三つの学校を渡り歩きましたが、歳時などで同じ内容を扱うことはあっても、全文をコピペということは一度もなく、今日まで来ていています。同じことを書かないよう努力してきましたが、特にこの一年は話題に事欠き、苦労することが多かったように思います。

 理由は三つあります。
 ひとつは加齢による能力の衰え――日常の中から何かを紡ぎだすということが下手になっています。
 ふたつ目は不勉強。特にこの一年はろくな読書をしていません。ネットで文章を読むことが多くなっています。
 しかし何と言っても三つ目、同じ学校に4年もいると引き出しの中は空っぽになりつつあるということです。持っているものはもうほとんど出し尽くしてしまい、もう出すものがありません――と思っていたのですが、実は意外なところに穴がありました。当然しゃべっているはずだと思っていたことの中に、まだ話していない大事なことがあったのです。そのひとつが「徂徠訓」です。調べたら6年前に扱っただけで、この学校に来てからは一度も紹介してありません。先輩から教わった中で、もっとも大切なことのひとつだというのに。

「徂徠訓」は江戸中期の儒学者荻生徂徠が書き残した、人の上に立つ者の心得といった内容の一文です。それは学級経営をする上で、いつも心の隅に置いておいたものです。

「徂徠訓」

一、人の長所を始めより知らんと求むべからず。人を用いて長所のあらわるものなり
  (人の長所を始めから知ろうとしてはいけない。人を用いて始めて長所は現れるものである)
二、人は長所のみ取らば即ち可なり。短所を知るを要せず
  (人は長所のみをとればよい。短所を知る必要はない)
三、己が好みに合う者のみを用いる勿れ
  (自分の好みに合う者だけを用いてはいけない)
四、少過を咎むる必要なし。ただ事を大切になさば可なり
  (小さい過ちをとがめる必要はない。ただ仕事を丁寧にしてくれればよいのだ)
五、用いる上は、その事を十分に委むべし
  (人を用いる上は、仕事を十分に相手に委せよ)
六、上にある者、下の者と才知を争うべからず
  (上にある者は、下の者に才智をひけらかしてはならない。ましてや勝とうとしてはならない)
七、人材は必ず一癖あるものなり。器材なるが故なり。癖を捨てるべからず
  (人材は必ず一癖あるものである。逸材であるがゆえにそうなのだから、癖を捨ててはいけない)
八、かくして、よく用うれば事に適し、時に応ずるほどの人物は必ずこれあり
  (このようにして丁寧に用いれば、その仕事に適し時代にふさわしい人物は必ず現れるものである)


 私は特に一番と五番、七番が好きです。
 子どもの長所を探そうとしてのダメなのです。良く教えて、動かす中からそれは見えてきます(一番)。
 そして十分に教え、練習させ、あとは腹をくくって任せるしかない。責任は教師が取ればいい(五番)。
 逸材というのはひと癖もふた癖もある。それを嫌ってその人の偏りを直そうとしてはいけません(七番)。
 
 うまくいかない場合も多かったのですが、それでも常に心に納めていた言葉です。



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2014/3/14

「キミたちに」   教育・学校・教師


 卒業学年の文集に寄稿を頼まれ、先日それを渡しました。
 学年の文集なので他の先生方の目に触れにくいものです。ですからこちらにも写しておこうと思います。せっかく書いたものですから。



「キミたちに」 
 
 キミたちに話すべきことはすべて話してしまったような気がする。しかし最後にもう一度、ひとつだけ話すとしたら、それは「人のために生きよ」ということだ。
 まだ若く夢も希望も野心もあるキミたちに向かって、自分のためではなく他人のために生きろと言ってもピンと来ないかもしれない。しかし結局、自分ひとりのために生きる人生はむなしいものだ。

 例えば、「結局は自分が困るのだよ。だから今から我慢して勉強しないさい」と言われてもさっぱり響かないのは、結局それが自分のためでしかないからだ。こうした言い方に対して、「困るのが自分だけならかまわないじゃん」と憎まれ口をきく人がいるが、それはまったく正しい。困るのが自分ひとりなら自分で責任を取ればいいだけのことだ。ところが今やっている勉強が、他人のためならそうはいかないだろう。
 自分が怠ければ大勢の人が苦しむ、逆に自分が頑張れば大勢の人が救われる、そうした状況なら、私たちはいくらでも我慢できるしいくらでも頑張れる。それが人間の生き方だ。

 この場合の「ひと」というのは「人類」とか「日本国民」とか、あるいは「○〇市民」とか、そういった大きな枠でなくてもいい。自分がつくる建物を使う人とか、自分が売った商品を使う人とか、自分が対応する患者さんとか、教師だったら教え子だとか、そういう人のために日々を過ごす。家族のために過ごす、配偶者を守るために過ごす、そして自分の子どもを守り、より良い人間に育てるために生きる、そうした生き方こそ生きるに値する人生だ。

 繰り返すが、「自分ひとりのために生きてはいけない」というのではない。誰かのために生きない生き方はやがて行き詰るということだ。人はいつか必ず、誰かのために生きたくなる。だから早めに手をつけておいた方がいいよと、そういうことなのだ。

 がんばれ。期待している。



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