2014/2/28

「K」A  教育・学校・教師


「のび太ジャイアン症候群」は今読んでもなかなかよくかけている本です。しかし発達障害の概念のない人間には難しすぎる面がありました。のび太とジャイアンが同じ括りに入れられるというのが感覚的に把握できないのです。基本的にADHD(注意欠陥多動性障害)の本なのですが、アスペルガー症候群もしくは高機能自閉との混同があり、「どうやったら治るか」といった表現で病気扱いしてみたりと、未分化の部分がかなりありました。しかしそれにもかかわらず、私には衝撃的な新鮮さがありました。
 児童生徒の問題性を、成育歴や教育の問題としてではなく、障害の問題として扱う視点はまったくなかったからです。私はさっそくこれに飛びつきますが、当時、「のび太ジャイアン〜」ほどに素人向けに書かれた本はなく、勉強はあっという間に頓挫します。

 ある時、知り合いの特別支援学級担任と雑談をしていて、不意に思い出してKくんとADHDを重ねて話しをしました。ADHDではないにしても、それとかなり重なる部分があるように思ったからです。するとその人は、「アスペルガー症候群というのもあるよ」と言います。聞いたことのない病名でした。説明を受けましたが当時は基礎となる自閉症の知識がほとんどなく、話は半分も分かりません。ただ、困難な子どもを説明する概念が、ADHD以外にもあり、問題の核心はソチラかもしれないという可能性は感じ取ることができました。

 Kくんはその後養護教諭と相談の上、市の教育センターの相談室にかけることにしました。相談員は診断を下せませんから、検査だけを受け、その結果を持って病院に行く手順です。
 センターでの結果が出た日、相談員は何か空を仰ぐようなしぐさをしたまま、
「アスペルガーと言われるでしょう。高機能広汎性発達障害という名前かもしれません」
 空を仰いだのは“本当に重篤だ”といった印象です。

 医師による診断名は高機能自閉症でした。また違う名前です。「アスペルガー症候群」「高機能広汎性発達障害」「高機能自閉症」その前は「脳微細機能障害」、こうした用語の混乱はその後長く私を苦しめることになります。ただしそのとき対応してくれた医師と臨床心理士の話はとてもよくわかるもので、以後、私は発達障害の勉強にのめり込んでいきます。

 私は嬉しかったのです。まるで理解できなかったKくんばかりでなく、かつて分からなかったあの子もこの子も、発達障害という概念でひも解くと実によくわかるのです。結局は何もしてやれなかったあの子たち、悔しい思いをしたこの子たち、そういう子たち助けることの有力な手段、それもパーフェクトな方法が見つかった、解決は目の前だ、そういった感じでした。

 もちろんそれは誤解です。原因が分かることと解決の方法が見つかることはイコールではありません。しかし発達障害の概念が学校に入り込んで十数年、生徒指導の現場はまったく違たものになってきました。


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2014/2/27

「K」@  教育・学校・教師


 20年近く以前、小学校でKくんの担任をしていました。何とも不思議で困った子でした。
 わがままで身勝手、プライドは高いのに何もしない、そういう子です。

 知識が偏頗で妙なことに異常に詳しい。例えば私と出会ったときはモーツアルトにはまっていてその生涯について延々と話しをする。その端々に出てくる曲名とケッフェル番号はおそらく全部あっています(“おそらく”というのは私にはよく分からないから)。そんな調子だから友だちはいません。会話ができるのは私たち大人だけでした。

 絵は全く描けない。鉛筆も握らない。私がそばに行くと白い画用紙を睨み付けて「ううん、ううん」と唸って悩んでいるフリをするのですが、少し離れるとボーっと外を見ていたり人に話しかけて邪魔をしたりしています。
「このあたりに顔を描いて、ここから肩の線をおろし・・・」と薄い線で大雑把な構図を描いてやるとほんの数センチ線を伸ばすのですが、それ以上はやりません。それでも授業の最後に絵が完成しているのは、私と同じことをたくさんの子がやっていて、いつか合作のようにできあがってしまう不思議な仕掛けがあったからです。たった13人のクラスで小さなころからいつも支え合ってきました。

 歌は、小さな口しか開きませんでしたが、それでも歌っていました・・・と思ったら、最初から最後まで口パクでした。歌唱のテストで初めて気づいたのです。

 意地悪な性格で、授業中、信じられないほど臭いオナラをしては嫌がられていました。皆が悲鳴を上げて窓や扉を開けに走ると、「イッヒッヒッ」と笑って喜んでいます。余談ですが、世の中に本当に「イッヒッヒッ」と笑う人間がいることを知ったのはこれが初めてで、日本のマンガ家の観察眼はすごいものだとつくづく感心させられたものでした。
 委員会の仕事などは一切しません。ですから同じ係になると友だちはたいへんでした。けれどそれを非難するとすぐに逆切れするので、言いたいことも言えません。

 モーツァルトの次にはまったのはアメリカ軍の特殊部隊、「グリーンベレー」でした。何かそのころ、グリーンベレーをテーマにしたマンガがあったようです。私との会話もアメリカ軍の銃器に関するもので一色になりました。親にせがんで買ってもらった緑のベレー帽を被って登校してきます。しかし気の毒なことに、この子は運動がまるでダメなのです。ダメと言っても尋常ではありません。

 跳び箱の踏切位置が分からない。踏切板のはるか手前でジャンプしようとしたり、そのまま跳び箱にぶつかったりしてしまう。歩数を合わせ、数を数えさせてようやくジャンプの位置を固定させても、今度は手をつく位置が分からない。必ず跳び箱にまたがってしまいます。
 極めつけはサッカーで、横から流れてくるボールを走って行って蹴るだけなのですが、これが絶対にできない。私などは年ですから“あの辺りまで走って蹴ろう”と思っても足がついて行かない、そういうことはあります。それはいいのです。認知に運動能力がついて行かないだけですから。しかしKくんは流れてくるボールのはるか向こうまで走っていってしまうのです。ボールと出会う位置まで早く来過ぎたなら、止まって待っていればいいものをそれが分からない。
自分が走り抜けたうしろをボールが流れていく、それはとてもみじめな姿でした。それで彼は、ほんもののグリーンベレーに志願することを諦めます。

 Kくんは困っていました。しかし私も困っていました。卒業まで、あと半年もなかったからです。
 そんなころ「のび太ジャイアン症候群」という本が出ます。
                              (この稿、続く)



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2014/2/26

「耳垢の科学」  知識


 どうでもいいことですが、これまでの人生の中で、耳かきを3本ほど折ってきています。と言っても何のことかわからないかもしれませんが、耳掃除をしている最中にあまりにも力を入れ過ぎて、その圧力に耐え切れず竹の軸が折れたのです。
 その話をすると、少しこの世界に詳しい人は、「冗談じゃない、そんなに強く掻いたらとんでもない病気になるぞ」と言い、実際そうらしいのですが、そこまで強くやらないときが済まないのです。何しろ趣味ですから。
 ではいつごろからそんなことを趣味にするようになったのかというと、たぶん学生の頃、信じられないくらい大きな耳垢を掘り出してからのことではないかと思うのです。快感でしたから――。ただしそれ以来一度として、同じような垢を掘り出したことはありません。とにかく暇に任せて耳を掻いているのでたまる時間がないのです。

 新婚のころ、妻の耳垢を掘ってやろうとしたことがあります。甘い雰囲気というより、長いこと大きな耳垢を掘り出していなくて、ストレスがたまっていたところに「おお! 手ごろな耳があるじゃないか」と思いついたというのが本音です。
「私、耳なんて掘ったことがない」という妻の言葉は、ほとんど天の声でした。きっととんでもなく大きなものが入っているに違いありません。ところが、覗いてみた耳の中に入っていたのは、巨大な耳掻ではなく縁にびったり貼りついた、松脂のようなものです。
「なんだ、こりゃ」
「私、アメ耳なの」

 耳垢がカサカサの固まりにならず、アメのようにねっとりしているのをアメ耳というのだそうです。何か気持ち悪くなりました。
 しかし不要なものがそこにあれば取り除かない理由はありません。そこで嫌がる妻を押さえつけ、ホジホジしているうちに妻が本気で怒りだし、痛みを訴えるようになったのでやめたのですが、翌日病院に行くとりっぱな外耳炎だと診断されて帰ってきました。アメ耳は掘ってはいけなかったのです。耳の内部は皮膚が生成されるに従って内から外に移動する性質があり、アメ耳の人は放っておいても出口まで出てきて、そこで自然乾燥してどこかに飛んで行ってしまうらしいのです。

 私の家族に誰もいなかったので気づかなかったのですが、アメ耳(湿性耳垢)の人は案外多く、日本人の16%もあまりにもあたるそうです。またこれには人種的な有意差があって、中国人や韓国人は4-7%が湿性、白人の90%以上、黒人の99.5%はみな湿性なのです。したがって欧米には耳かきという道具がなく、どうしても気になる人は綿棒にオイルなどをつけて溶かしながら除去するといいます。

 日本国内でも地域によって差があり、北海道や沖縄に湿性が多く、東北や南九州、北関東も比較的多いとされています。これはもともと湿性耳垢の多い縄文人の社会に、乾性耳垢の弥生人が中央深く入り込んだためと考えられています。北海道や沖縄には弥生人の影響が少なかったのです。初めに挙げたように中国人・韓国人に湿性耳垢がきわめて少ないことを考えると、とても理解しやすい事実のように思いました。

 湿性耳垢の人は体臭の強い傾向があるという説があります。 アメ耳の本体はアポクリン腺からの分泌液で、この分泌液はしばしばワキガの原因になるからです。しかしアポクリン腺分泌液にも匂いの強いものとそうでないものがあり、一概に湿性耳垢は体臭が強いとは言えないようです。

 また耳垢は弱酸性で殺菌作用や外耳道皮膚の保護、虫が入るのを防ぐといった働きがあるそうで、私のようにむやみに掘るのは、やはりよくないことのようです。


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2014/2/25

「文化の伝承」  芸術・音楽


 ソチ・オリンピックの開会式の冒頭で、主人公の少女がアルファベットを唱えながらロシアの事物・人物を紹介する場面がありました。たぶんロシア語とフランス語、英語で表記されていたと思うのですが、説明がなかったので半分も分かりませんでした。しかしチャイコフスキーやカンディンスキー、トルストイやチェーホフ、シャガールにプーシキン、ドストエフスキーやエイゼンシュタインの名がありました。いずれも懐かしい名前です。しかし裏返せば「こんな古い人しかいないの?」という、そんな感じがしないでもありません。

 これが日本だったらどうでしょう。紫式部から始めてもいいのですが、新しいところからも川端康成、安倍公房、三島由紀夫、大江健三郎、村上春樹など、世界的な作家はいくらでもいます。画家とか音楽家とかはよく分かりませんが、藤田嗣治とか佐伯祐三、草間彌生、武満徹、小澤征爾、五嶋みどりと、分からないなりにかなりの名前が挙げられます。

 ちなみにウィキペディアで調べるとロシアの音楽家は上記以外に、ラフマニノフ、プロコフィエフ、ショスタコーヴィッチが、文学だとゴーゴリとゴーリキー、ザミャーチンとソルジェニーツィンが挙げられていました。
 悪くはありませんが、あの偉大な“母なるロシア”の子どもにしては、あまりにも数が少なすぎます。特にここ数十年は大きな収穫がなく、ソルジェニーツィンはつい最近の人だと言ってももう89歳の高齢でした。

 ちなみにもう一つ、日本の文化に大きな影響を与えた大国である中国にいたっては、「中国文学」で検索をかけても出てくるのは老子・孟子・孔子、司馬遷に陶淵明、杜甫・李白、ぐっと近代になって魯迅・郭沫若。私は不案内なのですが高行健(ガオ・シンジェン)というノーベル賞作家がおられるようですが、彼とてフランスで活躍する中国人です。

 世界を見渡せばイギリス文学もフランス文学も古代のギリシャ文学もすべて偉大でしたが、日本への影響という点では中国とロシアが群を抜いています。とにかく日本人はこの二つの国が好きだったのです。しかし両国に、脈々と受け継がれてきた文化というようなものは、もう存在しません。
 中国の文化は文化大革命によって完膚なきまでにつぶされてしまいましたし、ロシアのここ100年あまりの優れたものはそのほとんどが政府に抵抗したり政府の手を逃れた人々によって支えられています。文化を順調に伝承するというのは、意外と難しいのです。

 日本の文化のひとつの特徴は、その多様性と広がりです。バレエが興隆しても日本舞踊が絶えることはありません。スズキ・メドッドと津軽三味線が同時に人々を引き寄せます。能・狂言を観た翌日AKBやももクロのコンサートに行くことに、何の違和感もありません。クール・ジャパンの中身は、アニメにマンガ、Jポップに盆栽・寿司・忍者と、とにかく盛りだくさんです。

 しかしそんな文化の伝承を断ち切ることもほんとうに簡単なのだと、隣りの二つの大国を見ていると分かります。



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