2014/1/23

「教えてくれればよかったのに@」  教育・学校・教師


 自分の小中学校時代を思い出すとき、これを知っていればいろいろ楽だったのになあと思うことがあります。いずれも学校教育の枠内のことであり、私が「分かってない」ことをはっきりと発信すれば良かったのですが、分かっていない自覚がない、つまり分かっていないことを分かっていなかったので、発信しようがなかったという面もあります。

1 絵はこんなふうに描くんだよ。
 絵は好きでした。小学校の低学年のとき「フランダースの犬」を読んで最後の場面で出てくる「ルーベンスの絵(『キリストの昇架』)」こそ最高の絵画と考え、いつかあんな絵を描きたいものだと思ったりもしました。具体的に言えば、絵筆一本で(本当は一本ではないけれど)、写真のように正確に、しかし現実には存在しない世界を鮮やかに描き切る、ということです。そこでは当然刷毛跡は残ってはいけませんし、部分の一つひとつは写真のように正確でなくてはなりません。
 そこでこの未来のルーベンスは図工や美術の時間にも神経質なほど正確な下絵を描き、たっぷり使った絵具の厚塗りで、一生懸命カラー写真のような絵をめざしたのです。ところが、学校の図工や美術の時間に評価されるのは私のような絵ではありませんでした。例えば建物の屋根など、今にも崩れそうなほどにひん曲がっていても問題はなく、塗り分けた瓦一枚一枚は本物とは似ても似つかない色で刷毛跡もたっぷりです。
 中学校では美術部にまで入って挑戦し続けたのですが全く相手にされず(まあ要するに、下手だったのでしょう)、結局この世界は諦めました。
けれど私のような子にはこんふうに言ってやればよかったのです。
「ルーベンスは17世紀の画家だよ。もちろん作品は素晴らしいけど、今はそれをはるかに越えたところで絵を描こうとしている。本物そっくりなら写真にかなわない。絵画は絵画の中で美しさを見つけ出せばいいんだ。水彩の透明感を大切にして、薄塗りで描くようにしてごらん」
 そう言ってしばらく印象派の絵を学ばせればいいのです。何といっても明治時代、日本人が西洋画に初めて接したときに最先端だったのは印象派です。日本の洋画の基礎は印象派から始まっていますから、いったんそこまで立ち帰らないと“いい絵”が理解できないのです。

2 #は全部上がるのだ。
「音楽記号の#、五線紙の最初の部分に幾つ書いてあっても大切なのは最後のものだけ。最後の#がついているところが“シ”でそこから数えて“ド”と“ラ”を探す。その曲が“ド”で終わっていたら“ド”の音名を数えて○長調、“ラ”で終わっていたらその音名を数えて○短調」
 たぶん合っているでしょう、小学校でそう教わりましたから。
 私は素直で賢い子でしたからすぐにそれを覚えました。しかしバランスの悪い頭をしていたようで『大切なのは最後のものだけ』が異常に肥大してインプットされたのです。ですから最後のひとつを除いて全部無視してしまう、みんなと楽器演奏をしていても一人だけ音が違う、そもそも自分のパートが音楽になっていない。その原因が分からず、ほんとうに困りました。分からないときは分からないのです。
 先生のせいにしてはいけませんが、この愚かなT君の過ちの形に気づいて、
「何やってんの、#のあるところは全部、半音上げるのよ」
 そう言っていただければいつまでの苦労することはなかったのに、そんなふうに思いました。

                         この稿、続く
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