2013/11/26

「殺される子どもたち」  教育・学校・教師


 昨日のニュースに「シリア内戦、子どもの死者1万1000人超 英報告書」というのがありました(CNN.co.jp)。
 それによると、
 オックスフォード・リサーチ・グループは、シリア団体が2011年3月から13年8月までの死者を記録した名簿を調べ、「盗まれた未来」と題した報告書をまとめた。(中略)この期間に死亡した子どもは1万1420人で、さらに増える傾向にある。
爆発による死者が大半を占めたほか、多くの子どもが銃撃で死亡した。意図的な攻撃の標的となったのは10代の少年が多かった。(中略)意図的に子どもを狙ったとみられるケースは1000人を超え、乳児を含む112人が殺される前に拷問を受けていた

―とのことです。

 ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」で最も有名な章は「大審問官」と名づけられた部分です。そこでは主人公の一人、次男のイヴァンが敬虔な宗教者でもある三男のアリョーシャを呼び出し、自作の叙事詩『大審問官』を語るのですが、その前に、子どもが次々と虐待され殺される話を繰り返し、だから私は神を認めない、神のつくったこの世界を認めないと叫びます。
(ほんとうは全文引用したいのですが、子どもの虐待と虐殺の例だけで大変な量になるので、ほんの部分だけを引き写します)

 その五つになる女の子を教養ある両親がありとあらゆる拷問にかけるのだ。(略)実に寒々とした厳寒の季節に、その子を一晩じゅう便所の中へ閉じこめるのだ。それもただ、その子が夜なかに用便を教えなかったというだけの理由にすぎないのだ(略)おまえにわかるかい、まだ自分がどんな目に会わされているかも理解することができない、小っちゃな子供が、暗い寒い便所の中でいたいけな拳を固めながら、痙攣に引きむしられたような胸をたたいたり、邪気のないすなおな涙を流しながら、『神ちゃま』に助けを祈ったりするんだよ――え、アリョーシャ、おまえはこの不合理な話が説明できるかい。僕の弟で、親友で、神聖な新発意(しんぽち:新米)のおまえは、いったい何の必要があってこんな不合理が創られたものか、説明できるかい!(略)認識の世界全体をあげても、この子供が『神ちゃま』に流した涙だけの価もないではないか。僕は大人の苦悩のことは言わない。大人は禁断の木の実を食ったんだから、どうとも勝手にするがいい。みんな悪魔の餌食になってしまったってかまいはしない、僕がいうのはただ子供だけのことだ、子供だけのことだ! 

 今、シリアで起こっているのはこれと同じです。
 私くらいの年齢になると、不合理な罰や死がもたらされても何らかの天罰として合理化することができます。なんといっても長く生きてきましたから。天の節理で厳罰に値する何かをしでかしている可能性もないわけではありません。しかし子どもは違う。その年で残酷な罰や虐待や虐殺に値する罪を犯しているはずがありません。イヴァンがしつこく追及するのもその点です。

 大人たちにはそれぞれ言い分があります。しかしそうした主張の狭間で、子どもたちは意味もなく殺されているのです。


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