2013/11/19

「永遠の0(ゼロ)」A  政治・社会


 私は戦争の話を読んだり考えたりするときいつも思うことがある、というお話しをしました。それは、「戦後の日本は、戦没者に報いるだけの国をつくったか」という問題です。そして今の日本はかなり良くやっている、ご先祖様に恥ずかしくない国になった、そう私は思っているとも申し上げました。
 それには理由があります。とにかく日本という国は私の生きている間にどんどん美しく清潔な国になってきたからです。少なくとも表面的にはそうです。例えば―

 私は容赦のない禁煙運動には批判的です。しかし現実に、夜の繁華街の道端にタバコの吸殻を見ることは本当に少なくなりました。健康問題とは関係ありませんがこれは間違いなく良いことです。昔は道路のあちこちに投げ捨てられた吸殻が雨に流されて道路の端にびっしりと張りつき、醜い帯をつくっていたものです。それがほとんど見られません。街はどこを見ても美しい状態を保っています。

「痰壷(たんつぼ)」というものを知っていますか? ホーローの円筒容器でフタの部分が漏斗状にへこんでいて、中に丸い穴が開いています。そこに痰を吐き捨てるのです。病院はもちろん駅や公共の施設には必ず置いてありました。不思議なことにそれを使って痰を吐き捨てている人の姿にはまったく記憶がないのですが、子どもだった私が用途を知っている以上、痰吐きの様子はきっと見ていたに違いありません。その“痰壷”が世の中からまったく消えてしまいました。路上で 痰を吐こうという人がいなくなったからです。
 
 今の若い人は「田舎の香水」という言葉もご存じないでしょう。これは野壷から漂う糞尿の匂いのことです。田舎では必ず漂っていましたからそんな言い方で揶揄し自嘲したのです。
 ついでに野壷の意味も説明しておきます。これは畑の隅に大きな穴を掘りそこに人糞を入れて溜めておくものです。糞尿は発酵してよりよい肥料になるので必ず寝かせます。いわば熟成を待つのです。ところがそんなふうに放置しておくとやがて表面に薄い皮膜ができ、その上に舞ってきた土やほこりが降り積もり、やがて種も運ばれて雑草が生え始めます。何しろ最高級の肥料の上に育つ草花なので素晴らしく成長する――私が何の話をしているか分かりますか? 完璧な落とし穴の話をしているのです。こんもりとした草花が糞尿の上に浮かんでいるなど、誰も思いません。したがってよく子どもが落ちました。

 人糞を肥料に使うことについては悪臭以外に重要な問題ありました。それは寄生虫です。人間の体内から便と一緒に排出された寄生虫卵は、畑に糞尿が撒かれることによって拡散し、農作物に付着して別の人間の口に入るのです。当時、学校で検便をすると必ず数人から寄生虫が見つかり、彼らは(私も)そのつど薬を飲んだものです。その薬は飲むとしばらく視野が黄色く染まるので、よく覚えています。日本人はやがて寄生虫で全滅するかもしれないと本気で言われた時代です。学校の家庭科の、調理の第一時は、「キャベツを洗剤で洗う方法」でした。

 今やそんな農村の悪臭も飲むと視野が黄色くなる薬も、キャベツを中性洗剤で洗うこともなくなりました。農村はすがすがしい空気で満ちみち、私たちは安心して生野菜を口にできます。
 今の日本ほど生活で安全な国はないのです。

 そう言えば「神田川」というヒット曲がありました。しかし歌詞に魅かれて神田川を見に行った田舎者は、みんながっかりしたはずです。当時の神田川は悪臭に満ちた淀んだ川で、魚も住めなかったのです。窓の下に神田川の流れる“三畳一間の小さな下宿”からは、絶望しか見えなかったはずです。
                               (この稿、続く)

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