2013/10/31

「教師を使いこなす」  教育・学校・教師


 教員の仕事は一部独立採算性のような部分があって、極めて個人営業的、閉鎖性が高いものです。しかし一方校務分掌は多岐多様にわたり、いろいろな意味で他人の力を仰がなければならないものが出てきます。例えば原稿を出してもらうとかアンケートに答えてもらうといった類のものです。ところがこれがなかなか集まらない。なぜ集まらないかというと皆、忙しいからです。

 ここで大切なのは、提出物を出してくれない人が頼んだ“あなた”を軽んじているわけではないということです。“あなた”のことをいい加減に考えているから仕事を後回しにしているわけではない、しかしそれにも関わらず頼んだものが出てこないのは、その人が仕事を「重要度」や「締め切り」順に行うのではなく、「怖いもの」順に並べなおしたからです。

 いつも言っていますが、教員の仕事の特徴の一つはマルチ・タスクということです。まったく方向の異なった仕事を同時に多数持っています。例えば、明日の授業の準備をしながら保護者の相談に回答し、合間に学校行事の計画及びその下見計画を立てる。教員自己評価が迫っているので評価カードを作成しながら学級会計を整理し、PTA委員会の計画を立てながら部活の遠征計画を書く、その間に各校部活顧問と電話連絡をしあう、といった具合です。

 バランス感覚の良い人や仕事の早い人はいいのですが、私のように何かに耽りこむと融通の利かないタイプはまるでダメです。同時に者を考えること自体が苦手なのです。こういう人はすぐに切羽詰ります。締め切り切れがあちこちに出てきます。私はこういう時、「仕事に追い抜かれた」という言い方をしました。そして「仕事に追い抜かれた」人間は何をすること言うと、遅れたら容赦ない仕打ちが待っている仕事から手をつけるのです。もうそうなると自転車操業です。

 では、そんな横着者に仕事をさせるにはどうしたら良いのか――。一番簡単なのは“あなた”自身が「恐ろしい人」になることですが、しかし誰もがそうなれるわけではありません。そこでそれに代わるのが丁寧な「締め切り」の執行です。仕事に必ず締め切りをつくり、早め早めに意識させることです。特に大切なのは、その仕事が終わるまでの時間を概算し、締め切りから逆算してちょうどいいくらいの時期に催促するのです。例えば三日でできそうな仕事なら、締め切りの三日前に周知するのです。当日になって「今日、締め切りです」などと言うのは最低です。逆にずっと早めに言ったから大丈夫と思うのも愚かです。ちょうど良い時期でないとだめなのです。

 私は仕事の遅い方だったので、さまざまな人に催促されたり脅されたりしましたが、うまく間に合うのはそういう人に渡された仕事でした。もっとも適切な時期を計って適切に催促できるというのも、そのひと独自の能力ではあるわけなのですが、そういう人はいくらでもいました。

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2013/10/30

「学校へ行きたくない」  教育・学校・教師


「朝、学校へ行きたくないと思ったことがありますか」というアンケートを取ると、小学生の7割ほどが「Yes」を選択します。そこから「今や学校は子どもにとって『行きたいところ』ではなくなっている」などとマスコミは書きたてたりしますが、裏を返せば3割近くの子どもが「今まで一度も『学校へ行きたくない』と思ったことがない」のですから、とんでもなく良い数字とも言えます。また、たった一度でも「学校に行きたくない」と思ったら7割の中に含められてしまうこのアンケート、そもそもがまったくあてにならないものだという言い方もできます。

 同じ質問を教員に行えば、もちろん何十年もの間「一度も行きたくないと思ったことのない」という猛者も少なくないと思いますが、それでも3割ということはないでしょう。何しろ子どもと比べて学校にいる年数が違いますから、皆、一度くらいはそう思っているはずです。

 かく言う私も一年に一度か二年に一回くらい、学校に行くのがしんどくてかなわないときがあります。あとから考えるとたいていは体調が悪い時で、原因は心の重さではなく身体の重さだったりするのですが、その瞬間はわかりません。それでも無理して出かけると学校に着いてからは何ということもありません(ただし午後から熱が上がってきたというようなことはありました)。

 カフカの「変身」は
「ある朝、グレゴール・ザムザがなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な虫に変わっているのを発見した」
で始まる衝撃的な小説です。その衝撃にびっくりしてついつい読み落としてしまいますが、グレゴールがなぜ“虫”になってしなったかは、小説のかなり早い段階で示されています。前夜、「ああ、明日は仕事に来たくないなあ」と考えたからです。

 カフカの思想の中には「人間は体制に属さないと生きていけない」という確信と恐れがありました。ですから一連の小説の中には必死に組織にしがみつき、あるいは組織に属そうとする人物が多く登場します。もちろんそれは全体主義につながる考え方で、その意味では危険な思想とも言えます。

 そのためカフカは自分の作品をすべて償却処分するよう遺言しましたが、遺志は結局実現されませんでした。おかげで、私たちはそのすぐれた作品を読むことができます。しかし彼の提示した「人間と組織の関わり」という問題が解けたわけではありません。

 私は昨夜、なんとなく体が重くて「明日はゆっくり休みたいな」と思いました。しかし幸い、今朝は虫になることなく、人間のまま目覚めることができました。
 元気に学校に行きます。


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2013/10/29

「記憶の話」  知識


 最初から言っておいた方がいいと思い、「名前や顔を覚えるのが苦手です」とことあるごとに 言ってきました。ほんとうは他にも覚えられないことは多いのですが、魚の種類を忘れても失礼に当たることはありませんが、人間の名や顔を忘れるとなるとまるで誠意がないみたいです。しかしこれは誠意の問題ではなく、能力の問題です。ほんとうに覚えられないのです。

 ただし特別な人にはこんな言い訳を予めしておくというわけにいきませんので、その場合は大変な努力・・・というか「大」のつかない「大変な努力」、つまり「変な努力」をして記憶することにします。

 例えば「太田さん」はゴリラみたいな男性なのですが、この人のイメージに赤ん坊を背負わせ、ねんねこ半纏を羽織わせて手に風車なんかを持たせます。そこでようやく一つの諺が浮かびます。「負うた(太田)子に教えられる」
稲葉さんという人がいます。この人にはバニーガールの格好をしてもらいます。全く似合いません。そして「バニーガール→因幡の白ウサギ→稲葉さん」ということになるのです。

 ウケねらいの冗談ではありません。本気でやってようやくこれが覚えられます。妙であればあるほど、関係性が薄ければ薄いほど覚えやすいのです。
・・・と、こんなバカなことをやっているのは自分だけかと思ったら、なんと先週の「ためしてガッテン〜脳若返り!魔法の呪文 記憶力で東大生に勝つ」で記憶コンテストの名人たちが同じようなことをやっていました。人名記憶の競技では、例えば「ローズ・ブラウン」という名前を覚えるのに、写真の女性の口に「茶色のバラ」を咥えさせるわけです。「茶色のバラ」というのがミソで、これがローズ・ホワイトといった普通のバラだったらかえって記憶しにくいのかもしれません。

 記憶力というのは実は二つの能力から成り立っています。ひとつは文字通り記憶する力、インプットの能力です。もうひとつはいわば再生力、アウトプットの力です。忘れてしまったことの内容を指摘され、「ああ、そうだった!」と“思い出す”のは、まさにインプットは正常で記憶は脳内に貯蔵されているにも関わらず、アウトプットが不十分で“出てこない”ことを証明しています。若いころから「オレは記憶力は抜群なんだけど再生力に難があってなあ」などと自嘲的に言っていたのですが、これはまんざら間違いではなかったようです。番組では “覚える能力”はほとんど衰えないのに対し、“思い出す力”の方は年齢とともに衰えていると言っていました。老化による記憶力の低下は、実は再生力の低下なのです。
 そうなると「あとで検索しやすいように覚えておく」ことが、結果的に記憶力を高めることになります。記憶力コンテストのアスリートたちはどうやって記憶を保持し、引き出しているのか――。実はそのやり方は世界共通なのだそうです。

 どうやるかというと、自分が一番慣れ親しんだ動き(家に帰って着替えをしてテレビの前に座るまでとか、家から会社までの道のりとか)のそちこちに、異常な形でそれらを配置してイメージをつくるのです。例えば買い物リストを覚えるのに、家の入口大きな「桃」があって入るの邪魔しており、階段には大きなカットバンが貼ってある、階段を昇りきったところにたくさんの「枕」、ピアノの上には大きな「ごはん」といった具合です。
 脳の中にある「海馬」は「場所細胞」とも呼ばれ、場所や位置に関する情報をかなり強く保持しています。その頑固な場所情報に不安定な記憶情報を結びつけるのです。

 一度試してみたいとは思いませんか? 番組ではお年寄りが次々と高得点をあげていました。



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2013/10/28

「さまよい人の話」  知識


 日が落ちて真っ暗な道を走っていると、西の空に大きく輝く星が見えました。宵の明星、金星です。夕暮れになると真っ先に見える星で、太陽と月を除くと全天で一番明るい星にあたります。

 太陽系の惑星の中でも、地球よりも内側(太陽側)にあるものを内惑星と呼んで火星や木星などの外惑星と区別します。何が違うかというと、地球からの「見た目」が違うのです。地球から見ると内惑星は太陽とセットで、いつもそばにいます。ですからいかにも太陽の衛星と言う感じがします。ところが外惑星は動きが複雑で、太陽との関係が感覚的に分かりません。

 昼間、南の方角を見ても金星は太陽の明るさに飲まれて見えません。ただし太陽の左側(太陽の後ろ)にあるとき、金星は日没とともに姿を見せます。陽の光が見えなくなって、初めてその姿を現すのです。ただし翌朝、金星を見ることはできません。太陽の方が先に上がって来てしまうからです。
 逆に、金星が太陽の右側(進行方向)にある場合、金星は太陽よりも先に沈んでしまいますからこれも見えません。しかし翌朝、太陽よりも先に上ってきますから日の出までの少しの間、東の空に煌々と輝いて見えます。これが“明けの明星”です。そして日の出とともに陽の光に飲まれて見えなくなってしまいます。

 では、同じ内惑星である水星はどうかというと、これもまったく同じ動きをしていて、“宵の水星”も“明けの水星”は存在するらしいのです。けれど金星よりさらに太陽に近い場所にありますし、小さな星ですから目のよい人が意識して探さないかぎり見つからないみたいです。ちなみに私は見たことがありません。

 中学校の理科の時間に勉強したように、夜、決まった時刻に空を見上げると、すべての星々はほぼ同じ位置にあります。「ほぼ同じ」ですか角度にして毎日1度ほどずつずれていて、3ヶ月(90日)でほぼ90度、半年で180度移動してしまいます。つまり半年後、まったく異なった星座が天を覆い尽くしているわけです。春になってサソリ座が見えるようになるとオリオン座が見えなくなってしまうのはそのためで、夏の間、オリオンは太陽の方角にあって陽の光に隠され、見えなくなっているのです。

 ほとんどの星はそんなふうに規則正しい動きをしています。しかし七つの天体だけが説明のつかない不思議な動きをします。月と太陽と五つの惑星です。

 中国ではこの五つの星を、規則に従わない「惑う星」(=惑星)と呼んで占星学上の特別の地位を与えています。「陰陽五行説」は確実にここからきています。そして万物の元素と考えられた五行(木火土金水=もっかどこんすい)の名を、この星に与えました。

 西洋でも五つの惑う星に注目され、「さまよい人(=プラネッツ)」と呼んで神の名を与えました。マーキュリー(水星)、ビーナス(金星)、マーズ(火星)、ジュピター(木星)、サターン(土星)がそれです。

 天文学が進んで7番目から9番目までの惑星が発見されたとき、西洋の天文学者は迷わず神々の名を重ねました(「ウラヌス」「ネプチューン」「プルート」)。しかしアジアは困りました。陰陽五行の五つを使い果たしてしまったからです。
 しかたがないので西洋の言い方を参考に、ウラヌスは天の神だから「天王星」、ネプチューンは海の神だから「海王星」、プルートは冥府の神だから「冥王星」と言い換えました(しかし一番最後に発見された冥王星は、2006年、定義の見直しによって「惑星」の中からはずされています)。

 寒さが増すにつれて星の美しく見える季節になりました。もう一度天文を勉強しなおして、夜空の美しい星を眺めるのもいいのかもしれません。

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2013/10/25

「文化祭」  教育・学校・教師


 あいにくの雨ですが・・・

 現代社会のハイテク化を「文明開化だ!」と言ったらそうとう違和感があるのであって、「文明」も「文化」も「モダン」も、元は新しさを強調する言葉だったはずなのに、もうそれ自体が古い印象です。
「文化祭」も、この言葉がつくられた当時はきっと今で言う「NTF(ニュー・テクノロジー・フェスティバル)」みたいな感じだったのかもしれません。
 そう思ってみると「文化祭」、そこには昔の学生の意気込みが感じられるような気がします。学生ばかりではありません。そこには、ともにあった教師の息遣いも聞こえてきます。

 かつて松居和という人は著書「子育てのゆくえ」の中で、いわゆる「お受験」の合格発表の場で泣く親子について、
 わたしは子どものことで親が涙を流すということに素直に感動する。たとえそれが親のエゴであっても、実際に塾でならうことが無意味であっても、そんなことは関係ない。親が子どもとともに一喜一憂することがあり、涙を流すことがあることに大きな意義を感じるのだ。
 と書きました。

 それは教職員と児童生徒の間も同じで、何かの目標に向かって子弟が手を携え、努力を続け、成功の暁には手を取り合って泣き、喜ぶという場面には、無条件に感動させるものがあります。
 小学校の運動会の組体操、中学生の部活動や高校受験、卒業式・・・学校教育の中には、そうした感動はいたるところにあります。
 文化祭もそのひとつです。

 今日まで積み上げてきた思いや努力、歴史をつくろうとする意志。
 今日こそ、子どもたちと先生方の底力、見せてもらいましょう。

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2013/10/24

「金の卵を探す」  教育・学校・教師


 少し古い話になりますが、10月14日体育の日、NHKの9時のニュースで面白いものをやっていました。「核心:埋もれた“金の卵”を探せ」という特集です。それによると福岡県は10年前から「タレント発掘事業」というのを行っており、優秀なスポーツ選手を掘り出そうとしているのだそうです。

 まず県内の小学校5年生から中学校3年生までにおよそ20種の運動能力テストを行わせ、瞬発力や持久力反射神経など測定します。そして成績の上位の子どもを選抜、その子たちに個人種目からチーム種目まで最大28種の競技を経験させ、才能を見極めるというのです。
 番組の中で紹介された高校3年生の末本佳那という選手は、このテストで射撃の才能を発掘された人です。

 もともとはバスケットボールが専門でバスケ大好き少女だったのですが、とてもではありませんが国際試合を目指せるような選手ではなかったようです。それが「タレント発掘事業」で才能を見出された射撃よって、今年1月、オーストラリアで開かれた国際大会ではみごと銅メダルに輝いたのです。
 今では「東京オリンピックで競技している自分や表彰台に立っている自分は想像できる」と言うほど自信にあふれた末元さんですが、実は、
「小さいころから集中力はない子だったので、“じっとしていられない子”とお母さんも言っていて…」
 と言うように、スポーツテストがなければ自らの才能にまったく気がつかなかった人なのです。
「でも、射撃のときは集中しているなと。(適性は)自分では絶対分からなかったから、すごい自分でもびっくり」

 例えば北島康介が水泳をやらず、体操競技に進んでいたらどうなっていたか・・・。
 もちろん答えは不明です。「北島ほどのアスリートなら体操でも金メダルを連発していたろう」というのも説得力がありますし、「いや、そこそこの選手にはなっただろうが、金メダル連発というわけには行かないだろう」、それも説得力があります。しかし「選択を誤ったばかりに凡人のまま終わった無数の『金の卵』は、絶対にあったはずだ」ということはほぼ確実なことのように思われます。

 何もスポーツに限ったことではありません。私たちの前には無数のタレントを持った子供たちが大勢いるはずです。また、福岡県の「タレント発掘事業」も手を学術・文芸に伸ばすものではありません。だとしたら誰かがそれを発掘しなければならないのですが、今のところ日本国内でそれができるのは親と学校教師ぐらいしかいません。
 もちろん人は能力のみで人生を決めるものではなく、能力はなくともやりたいことのある子も少なくありません。最後の選択は自分がすればいいことです。私たちのできることは、その子の前にできるだけ多くの可能性のカードを広げてやることだけです。しかしそれも並大抵のことではなさそうです。

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