2013/8/30

「ネット依存52万人の恐怖と希望」  教育・学校・教師


 ADHDやアスペルガー症候群といった発達障害の概念が降りてきたとき、私たちは一種の解放感に包まれたことを覚えています。
 あの理解しがたい子どもたち、これまで集積した指導法がまるで通用しない子どもたち、私たちが教師として深い自責の念をもって卒業させていった子どもたちが、実は躾けのせいでも教育のせいでもなく、また私たちの無能のせいでもなかったという安堵、そして発達障害という概念からアプローチすれば、新しい、確かな解決策が見つかるかもしれないという希望に満ちた感覚、それがあの時の解放感でした。

 夏休み中の8月1日、厚生労働省がインターネット依存に関する調査結果を発表しました。
 それによればパソコンやスマホでゲームや電子メールなどに夢中になりすぎてやめられないネット依存症の中高生は、全国に約51万8000人、割合で言うと中学生の6%、高校生が9%にあたるそうです。男女別では女子が10%、男子が6%。

 どのレベルから依存症というのか分かりませんが、実態よりやや少ないような気がします。しかしこのニュースに接して最初に感じたのは、先に書いたのと同じような安堵と希望でした。何かが変わるかもしれないという感じです。

 依存症という言葉が出てくると何が変わるのかというと、これまでの教育的アプローチが一応キャンセルされます。依存症は病気ですから治療的アプローチに替えなければならないのです。もちろんその中にはこれまでの対応と重なる部分もありますが、取り合えず一切を基本から組み替えます。

 具体的に言えば、依存症となればこれまでの「一日何時間と時間を決めて」といった指導は無意味になります。そんなふうにコントロールできるのは依存症ではないからです。アルコール中毒や麻薬中毒のように一度は全部、体から洗い流さなくてはなりません。めざすは「ネット断食道場」のような試みです。

 厚労省も来年度から、今回の調査・研究で依存症と認定された子どもを対象に、公共の宿泊施設を活用た「ネット断食」を開催してネット依存の症状や処方箋を探ると言います。

 ただし厄介なのは、ネット依存の子どもが「道場」に行ってくれるかどうかという問題です。これが麻薬中毒のような場合なら否応ありませんが、アルコール中毒やニコチン中毒のように犯罪のからまない依存症の場合は、本人がその気になってくれなければなりません。

 生活に困難があり本人にも不適応感があり、何とかしたい、依存から脱却したいと真剣に思わないと、ネット依存の問題は解決しないのです。そしておそらく、この部分に私たちの仕事があります。

 ネットやゲームに耽溺することがどういう不利益を生むのか、それがどれほど苦しいことか、そして依存症を続けることが社会的にどういう意味を持つのか、それらを辛抱強く、組織として教えられるのは日本の場合、学校を置いて他にないからです。

 今から、ゆっくりと丁寧に取り組んでいきたいと思います。



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2013/8/29

「ドアの位置」  教育・学校・教師


 このところアルバイト先などで悪ふざけをしている写真をツイッターやブログにアップして問題となる事件が続いています。最近の特徴あるものだけでも、
・ローソンで、アイスクリームケースに入る(高知県:7月15日)、
・バーガーキングで大量のパンの上に寝転(東京都8月2日)、
・丸源ラーメン、店員が冷凍ソーセージをかじった写真をアップ(8月5日)
・ステーキハウス「ブロンコビリー」で冷蔵庫に入る(東京都:8月6日)、
・ミニストップで股間にバーコードリーダーをあてた写真を撮る(東京都:8月7日)、
・ピザハットでピザ生地を顔に張り付ける(東京都:8月19日)、
・ピザーラで冷蔵庫やシンクに入る(東京都:8月25日)、
・同じ女子高生二人が西友で冷蔵庫に入ったり食品の陳列棚に上がってポーズを決めたりする(東京都:8月27日)。
(以上カッコ内は公表された日付)。

 ブロンコビリーの件では投稿されたツイッターに非難が集中。本人が応酬したところ炎上。その後アカウントを消したものの行為者は特定され、ネット上に個人情報が流失。一方「ブロンコビリー」は当該店の閉鎖を決定、アルバイト店員に損害賠償請求を行うとの報道もありました。
しかしなぜ、こんなアホなことをしたのか。

「いちいち面白がってうぜーな。しらねぇーやつが面白がって拡散とかいってリツイートしてんじゃねーよ。しらねぇーやつなのにいちいちだりーんだよ」
 これは非難された際、本人が逆ギレしてツイッター上に書いた文です。要するに内輪の話に外部が乗り込んできてヤイノヤイノ言うのが気に入らないのです。しかしSNSというのは本来そういうものです。よほど注意深く制限をかけておかない限り、“しらねぇーやつ”は常に入り込み、情報を持ち出し、ヤイノヤイノ言うもの。この子にはその感覚が全くありません。

 かつて「ドアの位置が狂いだした」という話がありました。

 その昔、玄関のドア一枚を隔てて「ウチ(家庭)」と「ソト(社会)」は隔てられていた。ところが引きこもり子にとって、「ソト(社会)」は自室のドアのすぐ前にまで迫ってきている、だから部屋の扉が開けられない。ところが一方、同じ年頃の別の子どもたちは、ドアがどこにあるのかも分からない。永遠の遠くにある。だから電車の中でも平気でモノを食べ、化粧を直す、どこまで行ってもどこへ行っても「ウチ(家庭)」。

 なるほどな、と思いました。しかしネットの中のウチとソトとは、ドアほどの厚さもない薄皮一枚で隔てられた世界です。しかも薄皮一枚の先にあるのは“全世界”です。その一枚が破られると大量のものが入り込み、大量のものが出て行ってしまう。

 繰り返し繰り返し子どもたちに教えて行かなければならないことでしょう。


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2013/8/28

「学習内容が少ないと勉強は分からなくなる」  教育・学校・教師


 研究会の席上で、久しぶりに小学校社会科の教科書を見せてもらいました。しかしそれにしても小学校の歴史、ほんとうに厄介です。
「1192年、源頼朝は征夷大将軍となって鎌倉に幕府を開きました」
 これで理解できる子が何人いるのでしょうか。
 私たちはすでに歴史をかじっているので多少は理解できますが、大人でも日本史をまったく知らない外国人だったら絶対理解できないはずです。頼朝はまだしも、征夷大将軍が何か、幕府が何か、そして「開く」ということがどういうことなのか、一切分からないからです。

 幕府というのは本来、戦陣の中心にあって大将が座り、作戦会議などが開かれるあの白い幕で囲まれた小さな空間を言います。“幕”で覆われた“府”(=中心)なので「幕府」と言います。「幕府を開く」というのは戦場に場所を確保して幕を張り、陣を展開すること、つまり「鎌倉に幕府を開いた」は「鎌倉を本陣として全国を戦場に見立て、部隊を展開した」ということになります。
 まだ何のことか分かりませんよね。

「鎌倉を本陣として全国を戦場に見立て、部隊を展開」すると何がいいかというと、何をするにもいっさい天皇の許可を受けなくてもいいということなのです。たとえば初代の征夷大将軍は坂上田村麻呂ですが、彼は東北で蝦(えみし:東の野蛮人)を服しようと(だから征夷大将軍といいます)戦っている最中、いちいち天皇の裁可を受けたりはしません。敵が攻めてきたときに京都へ遣いを送り、「敵がきました。反撃してよろしいでしょうか」「よし」では戦争にならないからです。戦場ではすべてが現場の判断に任されます。
 そこが征夷大将軍の良いところで、幕府を開く意味もそこにあります。実際に戦闘があるかどうかは別として、とにかく幕府が開かれているあいだじゅう、自由に兵(武士)を動かせるのです。

 平氏の時代は、まだそのことに気づかれていませんでした。したがって清盛は貴族の最高位である太政大臣を望み、その地位を手に入れると同時に朝廷に取り込まれそうになります。
 清盛は晩年、京都を離れ、福原(今の神戸)に遷都して上皇や法皇の影響力を振り払おうとしました。頼朝はその様子をしっかりと見ていたのでしょう、源平の戦いののち、彼は貴族の身分としてはそうとうに低い「征夷大将軍」を強く望み、その意味を十分に理解していた後白河法皇も存命中は絶対に渡そうとしませんでした。
 そして1192年、頼朝はついに念願のものを手に入れたのです。
 長々と書いてきましたがこの「長々」の方が、「1192年、源頼朝は征夷大将軍となって鎌倉に幕府を開きました」よりもはるかに分かりやすいですよね。

 前回の指導要領の改訂では少し様子が異なりましたが、昭和30年代から教科書は一貫して薄くコンパクトになり続けました。おかげで中身がさっぱり分からなくなってしまいました。ほとんど単語帳のようなものですから、いちいち調べないと意味が通らないのです。

「内容が少なければ少ないほど覚えやすい」というのが嘘だという典型的な話です。


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2013/8/27

「監督の裁量」〜大迫ハンパない  教育・学校・教師

 すこし古い話ですが、先月25日に行われたサッカー・東アジアカップの日本対オーストラリア戦では鹿島アントラーズの大迫勇也選手が2得点を挙げ、日本代表が3−2で勝利しました。私はサッカーファンではないのでその世界のことはよく分からないのですが、大迫勇也の名前にはある思い出があります。彼の名は「大迫ハンパない」という言葉とともに記憶に残っているのです。今回の東アジアカップでも、試合中に大迫をたたえる書き込みとともにツイッター上を駆け巡った言葉です。

 調べるとそれは2009年の第87回全国高等学校サッカー選手権大会の時のことです。大迫勇也を擁する鹿児島城西に敗れた、滝川第二高校のロッカールームにテレビカメラが入ると、そこには泣きじゃくる選手たちの姿がありました。中でもひときわ大声で泣いていたのが主将の中西で、そのとき口をついて出たのが「大迫ハンパない」です。

 ユーチューブに残っているので改めて見ると、こんなふうに言っています。

「大迫ハンパないって、もう」「アイツ、ハンパないって」「後ろ向きのボール、めっちゃトラップするもん」「そんなん、できひんやん、普通」
 この場面は現在では、「高校サッカーファンのあいだでは『清々しい敗者を映した名場面』として語り継がれ、大迫がプロとなった現在でも広く知られているのである」ということになりますが、リアルタイムで見た人にはちょっと違ったニュアンスで記憶に残ったはずです。
 
 それはユーチューブでも最後の方に一部分残っていますが、「大迫、ハンパない」の後で、ロッカールームにひょっこり現れた監督の姿によってです。監督は着替えながらこんなふうに言います。
「あれは凄かった」「俺、握手してもらったぞ」

 映像はそこで終わりです。しかし続きは私の記憶の中にあります。監督は続けてこんなふうに言ったのです(もしかしたら正確ではないかもしれませんが)。
「さすがにサインをくれとは、よう言わんかったがなあ」
 その瞬間、ロッカールームに蔓延していたある“憑き物”が、ハラリと落ちる感じがしました。選手たちが呆れ、心の中で愛情をもって呟いた「先生、何しとるんじゃ、オレらが泣いてる時に」という声が聞こえたようにも思いました。
 監督はさらに、「さあ、早よう着替えて。次の試合、応援に行くぞ」
 そう言ってロッカールームから出て行きます。残った選手たちは今泣いていたことがウソのようなニコニコ顔でそれぞれ着替えをはじめます。それが私の覚えているあの日の番組の一部始終です。

 これは誰にでもできる芸当ではないでしょう。選手との間に深い信頼がなければ、監督は単なる「敵のエースと握手してきた裏切り者」です。さらにこの瞬間、選手に与えるべきものが何なのか、直感的に理解できなければ余計なこともします。
 私ならさしずめ、慰め、たたえ、その無念を煽った上でついでに教訓を垂れたりして、何とも間延びした無意味な時間を生み出してしまったに違いありません。
 しかしせっかく全国大会まで来たのです。より多くの試合を見て、高いレベルの技術を盗んで帰る方がよほど得です。泣いている場合ではありません。

 やはり高校で生徒を全国大会まで連れて来れるような人は、何かを持っているものです。
 センスは真似できません。うらやましいことです。


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2013/8/26

「あのクラスの話」B  教育・学校・教師


 10年前の教え子の、同級会の話をしてきました。

 涙1斗、流して別れた子たちでしたが、あとから考えると本当にそのとき別れて良かったと思います。飛び抜けて優秀な子たちでしたので、それ以上に教えることは私には残っていなかったからです。
 また、代わりに担任した教員が、若く、創造的なスーパーティーチャーで、私の教えられなかったことをたくさん経験させてくれました。
 授業はもちろんですが音楽指導に長け、音楽会の歌や演奏はとんでもなく素晴らしいものでした。ビデオカメラを使った映画づくりも堪能で、何本もの映像作品を残したようです。そして夏休みに行った学校での「お泊り会」は、子どもたちの心に生涯の思い出として深く刻まれました。子どもたちはほんとうに幸せでした。
 しかし、
「あれが最後でしたね」
 同級会の最中、思い出話に一段落ついたところで、後任の教師はそう言います。
「この子たちといろいろやったのが最後で、次のクラスからはそうしたことが一切できなくなりました。今もやっていません」

 学力向上が至上命題となると、遊びめいたことはなかなか企画できません。今で言うアカウンタビリティの問題です。そうした活動に何の意味がある? と問われるとうまく説明できないのです。
 もちろん私たちには確信があります。子どもたちが集団で楽しんで活動するとき、そこには一種の連帯感や共生意識が生まれ、ひいては学力や道徳性の上で決定的に有利であること、それは正確で隙のない数時間の授業よりはるかに価値が高いということを。

 たとえば中学校や高校では「受験は団体競技である」という言い方をします。苦しい受験勉強をひとりで乗り切るのは困難なのです。夜、勉強をしているときも、“同じ時間、同じ仲間のアイツも頑張っている”“自分が合格すれば一緒に喜んでくれる連中がいる”、そうした意識が困難を容易に乗り越えさせます。“苦しいのはオレだけじゃない”と言っても、実際の個人が思い浮かぶのとそうでないのとでは、まったく違ってきます。

 仲間意識の強いクラスが試験でも好成績を上げる事実を、私たちはたくさん見てきました。しかしそれを数値で示すことはできません。得点は比較できても、仲間意識を数値化することは難しいし、それがクラスの活動によってつくられたかどうかを数値で確認することはできません。したがってそうした活動は自然と少なくなってしまいます。

 かくして学校はそうとうにつまらないところになってしまった。彼のような優秀な教師が辣腕を振るうことなく、規格通りの授業をする場所になってしまった。

 何とも悲惨なことです。


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2013/8/23

「あのクラスの話」A―蓬生麻中、不扶而直―  教育・学校・教師


蓬生麻中不扶而直(蓬を麻中に生ずれば、扶(たす)けずして直し)〈荀子〉

 教育の世界にいれば誰でも一度は聞いた言葉でしょう。
 蓬(よもぎ)というものは、ふつう土にへばりついて生えているものだが、そんな蓬でも上へ上へとまっすぐに伸びる麻の中に生えると自ずとまっすぐ育つものだ。人間も同じで、環境を選びよい交友関係に恵まれれば、それに感化されて自然と立派に育つ、という意味です。

 荀子は続けて、
「君子は必ず土地を選んで居を定め、すぐれた人物とだけ交わる。ためにならないものを遠ざけ、正しいものに近づくためである」
 そう言っているそうです。ただし「蓬生麻中不扶而直」、学校教育の中では「だからクラス(学校)全体がしっかりしていることが大切だ」という文脈で使われます。普通の人たちは「土地を選んで居を定め、すぐれた人物とだけ交わる」という訳には行きませんから、周囲全体を育てるしかないのです。

 昨日は10年前に私が担任していたクラスについて話しました。4・5年生と担任しましたが、「中学生の女の子と保育園の男の子がいるみたいね」と言われたそのクラスの男子たちは、結局、最後まで「地面にへばりつく蓬」のままでした。少なくとも私がそばにいた間はそうです。

 その後、6年生を経て中学・高校と進学し、風の便り聞くと女の子たちは相変わらず成績・品行ともに優秀で続々と有名進学校に進んだものの、男の子たちはあまりパっとしない様子がうかがえました。まあそんなものだろうとその当時はタカをくくっていました。
 ところが今回、会って話してみると大学進学の方は男の子も驚くほどの好成績を上げているのです。現役合格は難しかったらしく浪人した子も多いのですが、現浪合わせて相当努力したらしく、進学した大学名は女子と並べても遜色のないような陣容なのです。

 また彼らと話してみると、その中身のしっかりしていることにはさらに驚かされます。小学生のころは最もヤンチャな一人であったS君などは、来年からドイツに留学して金融の勉強を深めるとか言って私を驚かせます。その仲間のK君は、そもそも高校の段階で親の職業を継ぐ決心をして大学を選択し、卒業後はそのまま親のところに残るか外部で修行するといった、非常に現実的な問題で悩んでいます(こう書きながら、私は自分驚きが十分に表現できていないことにガッカリしています。やはり小学校のときの、「まるで保育園児みたいな」彼らを知っていないと、今のあの子たちのすごさは分かってもらえないのでしょう)。
 
「蓬生麻中不扶而直」
 あのころ、麻のようにまっすぐに伸びる女の子たちの中にあって、まるで保育園児のようにヤンチャなヨモギたちはまだ十分に伸びていなかったのです。しかし数年のタイムラグを置いて、やはり麻の勢いに影響され、ヨモギたちはまっすぐに成長してきた―私にはそんなふうに思えるのです。

 昨日と同じ言葉で締めます。思いは同じだからです。
「低学年教育、恐るべし」
                                  (この稿、続く)



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