2012/12/28

お正月バージョン  歴史・歳時・記念日

 ブログのテンプレートをお正月バージョンにしました。

「デイ・バイ・デイ」は新年のあいさつとか、ほかに何かあれば別ですが、
基本的に次の登校日の1月8日までお休みです。

 一年間ありがとうございました。

 それでは皆様、よいお年を!

 クリックすると元のサイズで表示します



0

2012/12/27

二学期終業  教育・学校・教師

クリックすると元のサイズで表示します
 長かった2学期が終わります。皆様ご苦労様でした。

 この二学期は不祥事ばかり気にしていて、ということは外にばかり気持ちが行っていて、考えてみればこれでよく中で事故が起こらなかったと、今頃になって肝を冷やしている始末です。知らないところで、皆で気を配り、支えあってきたということでしょう。

 しかしそれにしても、あまりに数が多くてあちこちで謝り続けているうちに、本当は謝るべきではなかった、あるいは謝らない方がよかったことまで謝ってしまったのではないかと少々不安にもなったりします。謝るということは同じことを繰り返さないと約束することですから、うっかり子どもの心を小指の先ほども傷つけませんといった約束をしてしまわなかったか、そんなことを気にしています。人を絶対に傷つけないというのは、心的交流を一切しないということです。教育界は教育の最前線をとんでもなく近くに引き寄せてしまったのかもしれません。

 しばらく前のNHK「クローズアップ現代」で、食品会社がとんでもなく些細な問題(たとえば表示シールが少し剥げているとか、成分表の数字が1000分の1ほど違っていたとか)で全品回収する例が増えているという話をしていました。そうして回収・破棄される食品の3分の2は、健康上の問題は全くなく果たして回収が妥当だったか疑問視されるものだそうです。
 しかし食品会社としてはやらないわけにはいかない。もし問題視され、マスコミに取り上げられれば企業の存続にかかわるからです。その損害は全品回収の費用よりは大きいはずです。

 同様に、学校も今や非難されないために膨大なコストを払わなければならなくなってきました。調査書の担任の印が一つ抜けていたくらい何のことはない、とは言えません。それは調査書全体の信頼性にかかわります・・・と書きかけて、実際、本当にそうなのかとじっくり検証してこなかったことに気づきます。

一回の入試に数万単位で動く調査書の、すべての項目でミスがゼロになるためにはとんでもない労働コストがかかります。ハンコ一つのこと、高校側から「ハンコ、一つないよ」→中学「あ、ゴメン」ではなぜいけないのでしょうか(もちろんいけないのです。そんなこと口に出すのも頭に浮かべることすらも、いけないことです)。
 
 ただし、書類のミスや子どもを傷つける言葉を言った言わないは記録に残りますが、教科指導や生徒指導が甘くなったかどうかは目に見えません。
 目に見える部分の完璧を期することが、目に見えにくい部分の手を抜かせることにならないか、私はひそかに心配しています。

 さて、間もなく年も改まって「巳年」です。蛇は執念深いと言われますが恩も忘れず必ず返しに来ると言われます。また農作物に手を出さず、逆にネズミなど捕えて穀物を守ることから金運の神ともされています。俗に、家に巳年の人間が三人いると財産に困らないと言われ、白蛇は特に大切にされます。

 昨年の大震災以来、領土問題だの反日運動だの、政治経済面では少しもいいことがありません。教育界も下降線をたどる一方です。
 来年こそは運気を変え、蛇が転じて龍になるような年にしたいものです。

 それではみなさん、よいお年を。


0

2012/12/26

休職者5000人の重さ  教育・学校・教師


 昨日の朝刊に「<心の病>全国教員の休職、微減の5274人…11年度」という記事が出ていました。文科省がこの時期に病気休職者と指導力不足教員、および処分者の数を発表するのは一種の年中行事のようなもので、毎年イライラしたクリスマスになっています。

 ここで注意しなければならないのは、5274人は「休職者」であって療養休暇を取って治療に専念している教師は含まれていないということです。<心の病>のために退職した人数も入っていません。これには少し説明が必要でしょう。

 通常、私たちは精神的な問題を抱えてもそう簡単には休みません。年休をとって病院に行ったり家で休んだりしながら、なんとか問題を解決しようと綱渡り的な努力をします。ほとんどの教員は年休をたっぷり残しているので、それでやり過ごせる場合も少なくありません。
 しかしそれを使い切り、なおも長期の療養が必要となると今度は最大90日間の療養休暇を取ることになります。この間の給与は保障されています。そして90日を経ても復職できない場合は、最長2年の休職期間に入ります。その状況にいる人たちが、文科省の発表で5274人いるわけです。
 休職期間中は一定の割合で給与等が出されますが、生活保障といった意味合いが強いのでそう大した額ではありません。ただし実際に勤務していないにもかかわらず支払われるものですから、支払い側から見れば負担です。両者幸せではありません。
 またこの期間中に県の復帰プログラムを受け、一種のお試し勤務を経たうえで現場復帰を果たす教員もいないわけではありません。しかしそれがうまく行かなければ退職、もしくは分限処分ということになります。
 分限処分というのは「身分保障の限界であるための処分」という意味で、この場合は教員としての仕事が果たせないので(本人にその気はなくても)お辞めいただくということになります。処分と言っても懲戒ではありませんので退職金等も出ます。そして実査に何人かの仲間が、毎年こうして退職していきます。

 話を戻しますが、「<心の病>全国教員の休職、微減の5274人…11年度」の中には今日も崖っぷちできわどい勝負を続けている人も、療養休暇で何とか復職しようとしている人も、結局辞めざるを得なかった人も入っていません。そういった苦悩の中にいる仲間たちすべてを合わせれば、その総数は5000人の2倍3倍どころではないでしょう。
 さらに言えば、苦しむのは当の教職員だけではありません。その人を支えなければならない家族、職場で穴を埋めなければならない同僚、そしてなにより、普通の状況なら普通に学んでいたはずの児童生徒が振り回されます。したがって影響を受ける人の数はさらに数十倍ということになります。その異常が、なぜ放置されているのか。

 見出しを引用した毎日新聞の記事には、次のような一節があります。
 同省(文科省)は「学級を一人で受け持ち、保護者との関係の悩みなどを同僚や上司に相談しにくい状況が依然あるのではないか」と分析。今年度中に対策を検討する。
 分かりにくい文ですが、「学級を一人で受け持っている状況」と「同僚や上司に相談しにくい状況」に原因があると言っているようです。文科省はこうした分析に従って教員を増員しようとしています(財務省は減らそうと考えています)。

 教職員が増えるのはありがたいですが、こうした分析自体は正しいものとはいえません。国やマスコミはもっと現場を見る必要がありますし、私たちも訴える必要があります。


3

2012/12/25

ハード・ディスク・エレジー  文具・道具・器具


「ある朝、グレゴール・ザムザがなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な虫に変わっているのを発見した」

 有名なカフカの「変身」の冒頭ですが、まったく違う話で、しかしショックの度合いとしてはほぼ同じようなことが、先々週の私の身に起こりました。
「変身」風に書くとこうです。
「金曜日、花金気分で気楽に家に帰ると、コンピュータが壊れているのを発見した」

 画面に、「ハードディスクの一部が壊れています」のメッセージ。以後何をやっても復旧しません。
 3年前にやはりコンピュータが何もしなくなったとき、店に持ち込んだら「こういう場合、基本的にデータは諦めてもらうことになっています」とか言われ、「いやコンピュータなんてどうでもいいからデータだけでも復旧してくれ」といったら、「1GBあたり1万円程度になります」(ってことは500GBのこのコンピュータ、復旧に500万円かァ!?)
 震え上がって持ち帰り、何かできることはないかと中を開いたら、CPUが燃えていました(!!)。ヒートシンクという、オートバイのエンジンみたいな、放熱板のついたアルミブロックが外れて落ちていたのです(そんなことってあるか?)。これでは何もしてくれないわけです。しかしそうなるとかえってハードディスクには問題のない可能性があり、そこから悪戦苦闘してなんとかデータを取り出し、新しいコンピュータに移すことができました。

 ところがその「新しいコンピュータ」(今回壊れたもの)が曲者で、安物買いが祟ったのかどうも動作がおかしい。妙なタイミングで動きが鈍くなったり、ソフトによっては正常ない動きをしてくれないものもある。リカバリするとしばらくはいいものの、またおかしくなる。だったら早く修理に出せばよいのに、毎日使うものなので面倒くさがっていてのこの始末です。

 ただし、前回と違って今回は多少気持ちに余裕がありました。というのは前回懲りたので外付けハードディスクを購入し、バックアップも取ってあったのです。そこで調子の悪いコンピュータさっさと諦め、歳末商戦の量販店に行くとそこに「大幅値引き、展示品のみ」の表示。もうこれは私を待っていたような商品です。ほとんどルンルン気分で今回も超安物買いです。しかしそこにも落とし穴・・・。

 これはあとから気づいたのですが、要するに展示品はいったん誰かが起動して、その際ユーザー名をひとつ登録したのです。「owner」という極めて妥当で平凡なものですが、私はそのことに気づかない。一方外付けハードディスクに入っている情報は、別のユーザー名で登録した古いコンピュータのバックアップです。それを「owner」に入れようとしてもうまく入っていかない。
 対処方法は簡単で、新しいコンピュータのユーザー名を古いものと同じにしてやればいいだけですが、それに気づくまでに膨大な時間が費やされてしまいました。

 そしてさらに、プリンタを接続しようとすると前回はなかった「修正ファイルの取り寄せとインストール」という手続きが必要だったり(どうしてそんなことになるのだ?)、別のソフトは普通版だと思って作業を始めたらアップグレード版で元のCDを探さなくてはいけなかったりと、四苦八苦です。
 3日ほどかかってようやく、元のコンピュータと同じように使えるまでになりました。しかしそれにしてもバックアップをとっておいて本当によかった。

 いまやハードディスクは2テラで7〜8000円程度です。500万円に比べたらタダみたいなものです。買ってつけていくといいですよ。




0

2012/12/21

瑞浪事件、終わる  教育・学校・教師


 2012年12月21日、マヤ歴による人類滅亡の日だそうです。
 これまでも人類滅亡予言は山ほどありました。古くは1051年の末法入年(仏法が廃れ暗黒の時代が来る→そこで宇治平等院を建てた)から1910年ハレーすい星の毒ガスによる地球滅亡、ノストラダムスの1999年7月。麻原彰晃さんはご丁寧に5回も滅亡年を予言して未だに生き残っています。だからたぶん、今日も明日も明後日も、全体として人類は平穏でしょう。

 さて、一昨日のインターネットニュースに、小さく「二審も賠償請求棄却=中2『いじめ』自殺訴訟―名古屋高裁」(時事通信 12月19日《水》)という記事が出ていました。これは2006年に岐阜県瑞浪市で起こった事件で、中学2年生の女の子が同じバスケットボール部の生徒からいじめられ自殺したとされるものです。

 通夜の席で、学年主任だか教務主任だかが拙速に「はい、いじめのせいです。私が確認しました」と「いじめ=自殺」を認めてしまったり、その様子を遺族がVTRに隠し撮りしていたりと、最初から穏当でない空気の漂った事件でした。

 その両親が、遺書に名前が記されていた元同級生4人と保護者らを相手に約5700万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、名古屋高裁が訴えを退けた一審岐阜地裁判決を支持し、両親側の控訴を棄却したというのです。
 裁判長は「遺書にはどのような行為でどのような精神的苦痛を受けたのか、具体的事実に関する記載がない」と指摘。学校側がいじめを認めたとする両親の主張についても「教育界では本人が身体的、精神的に苦痛を感じていればいじめと見なされるが、それが直ちに民法上の不法行為に該当するとは言えない」と述べました。極めて妥当な判決だと思います。

 ポイントは2点。
 一つ目は、自殺につながったと考えられるようないじめの事実は(ほんとうはあったのかもしれないが)、証明されていない。したがって被告に賠償させることはできない、ということ。
 ネット上では「遺書にいじめの実態を詳しく書けというのか」といった批判が多く寄せられていますが、遺書でなくても事実として認定できるものがあれば原告勝訴となる可能性もなかったわけではありません。しかし自殺に向かわせるような、という意味での事実はほとんどなかったわけです。司法の判断としては適切なものでしょう。

 もう一つは、被害を訴える側の意思を全面的に尊重する文科省の定義でいじめと判断されても、民法上の不法行為に当たらない場合がある、ということです。
 文科省の定義は、『個々の行為が「いじめ」に当たるか否かの判断は、表面的・形式的に行うことなく、いじめられた児童生徒の立場に立って行うものとする。「いじめ」とは、「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的・物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。」とする。なお、起こった場所は学校の内外を問わない』というものですから、客観的に「いじめ」かどうかといった判断は問題になりません。本人の苦痛の有無が規準です。

 したがって例えば、友人グループから愛想を尽かされて仲間外れにされた場合も、本人が「いじめだ」と言えばいじめとなります。しかしそれが直ちに不法行為に当たり、損害賠償の対象になることはないということです。これも妥当な判断と言えるでしょう。

 瑞浪事件はこれで一応の終息を迎えることになります。法律上の“犯人”はいないことになります。判決を覆すだけの事実は今後も出てこないでしょう。何が起きたかは大部分が闇の中です。

 しかし“加害者”とされる女の子たちが何という名前で何処に住んでいて、どこの高校からどういう進路をたどっているかは、簡単に知ることができます。それはネット上にあるからです。そして今後いつまでも消えません。それどころか今後も逐一追加され続ける可能性があります。
 
 いじめ問題を扱うときには、一方で常に、その可能性についても考えておく必要があります。




2

2012/12/20

あのころ  教育・学校・教師


 昔、こんなコントだか漫才だかがありました。
(ある映画館のチケット売り場で)
A「高校生一枚」
B「高校生一枚」
C「中学生1枚」
・・・すると後ろについていた老人が、
「農業1枚」・・・。

 私がまだ独身だったころのことです。自分のクラスの生徒にせがまれて一緒に映画を見に行ったことがあります。子どもたちが窓口で「中学生1枚」「中学生1枚」と言っているうちに今のコントを思い出し、ちょっとしたウケ狙いで「教師1枚」と言ってみたらホントに割り引いてくれました。びっくりしました。それが窓口の人の粋な計らいだったのか、そもそもそういうものだったのかは今となってはわかりません。

 これも昔の話。以前、長期休業中の子ども向け映画のチラシを配ってもらう代わりに、市内の映画館は、無料券を数枚置いていくのが常でした。こうした映画イベントにはたいてい市教委の推薦ついているのでそんなサービスをしなくてもいいのですが、それはそれで映画館のちょっとした心遣いでした。ただし皆忙しいですから、結局使われずに終わるのが常だったように思います。

 15年ほど前、たまたま夏休み前に見たい映画がかかり、私はその券を使って息子と一緒に映画館に行くことにしました。もちろん息子の分は支払います。ところがいざ入場しようとしたら入口の人に止められてしまいました。これは夏休み中の子ども向け映画を見てもらうための券なので困るというのです。そんなことはどこにも書いてありませんし、今までだって使ってきたものです。それにそもそもいい年をした大人が、子ども向け映画など一人で見に行くはずもありません。

 しかしそんなことで争うのも大人げないので、しかたなく息子の分を払い戻して映画も見ずに帰ってきました。駐車場代だけ損をしました。映画館の方も息子の分だけ儲けを逃しました。その上で、映画は時間通りに上映されているわけですから、いわば空気に鑑賞させているようなもので、駐車場のおじさん以外は誰も得をしていません。もったいないことだと思いました。
 その後、私は二度とその映画館に行きませんでしたが、そうこうするうちにまもなく映画館は潰れてしまいました。商売が下手です。

 教師の役得といってもその程度のものです。
 1992年、埼玉県ではいわゆる“業者テスト”が問題となりました。一社独占で行われるこのテストが、学校と企業の癒着として疑われたのです。当然そこには巨大なリベートがあると確信したマスコミ各社は、社会部の腕利きを大挙して埼玉県に送り込みました。しかし取材から分かったのは、誠実な教師たちが休日返上で頑張っている真面目な姿だけです。一社独占は経年変化を調べるためだったのです。

 年が下って、今や公務員は公務から爪の先ほどの利益も得ないよう躾けられています。にもかかわらず私など迂闊で、クリスマスパー・ティーの買い物で自分のカードにポイントをつけてしまい、仕方ないので全部買い直して新たなレシートをつくってもらったことがあります。それからはしばらく、我が家は来る日も来る日もホットケーキですっかりウンザリしてしまいました。

 職業人として、後ろ暗いところが全くないというのは良いことです。どこからも後ろ指を指されない人生は素晴らしいに違いありません。
もちろんそうあるべきですが、それにしても現在の神経質なありようは、何かが間違っている気がしないでもありません。


1



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ