2012/9/11

運動会のこと  教育・学校・教師


 わずかな期間だというのによくあれほどの運動会を仕上げたものだとホトホト感心しました。そこで、
 教師というのはすごいものだ。あれだけの行事を仕上げながら決して自分を出すことをしない。子どもを鍛え、育て、作品を仕上げてもそれだけでは満足せず、「自分がした」という事実を丁寧に消して結局子どもだけの手柄にしてしまう・・・という話をしようとしました。そしてそれから少し気になって昨年の運動会明けのデイ・バイ・デイを調べたら、まったく同じことを書いていました。

 そこで今度は、
 運動会というのは日本を除くと、韓国・北朝鮮、台湾と中国の東北部、つまりかつて日本の支配下にあった場所でしか行われていない。植民地時代の残滓というより、良いものは政治や主義主張を越えて残るものだ・・・という話をしようと思ったら、こっちは一昨年の同じ日に記録があります。毎日何かを書くという生活をもう7年以上続けていますのでそろそろ“成長”というものがなくなっています。同じところをグルグル回っています。

 少し話が変わるみたいですが、私が卒業した小学校では当時、掃除の時間が一日3回もありました。全校朝掃除と給食後の掃除、そして引き続き行われる外掃除の時間です。外掃除と言っても実際にやるのは園芸で、それぞれのクラスに割り当てられた(けっこう大きな)花壇の世話をするのです。

 農業には大きな教育効果がある、その力を利用しない手はないと誰かが考えたのでしょう。学校としては大きな試みでした。しかし如何せん農業は夏だけのもので、やがていつの間にかそれは縮小されて行きました。

 またその学校では動物飼育も盛んで、学校にはウサギやキジ、ニワトリやヤギまでいました。中でも記憶に残っているのは隣のクラスが飼育していたブタで、ある日みんなでお別れ会をしていたと思ったら、何かの業者に引き取られて行きました(そのあとどうなったか。みんな薄々知っていましたが誰も口にしませんでした)。

 動物飼育も今は昔ほど盛んでなくなっています。その教育効果は保障されていますがとにかく時間と手間がかかるのです。コストがかかり過ぎるといってもいいでしょう。

 近代教育だけでもすでに150年になろうとしています。その間、園芸も飼育も、書道も武道もと様々なものが試され、あるものは残り別のものは消えました。運動会はその“残ったもの”のひとつです。

 忙しい忙しいと言いながら、それにもかかわらず教員たちが運動会の縮小を言いださない(逆に大掛かりにしたりする)のにはそれなりの理由があります。
 運動会のもつ教育効果を強く信じているのです。


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2012/9/10






 本日は、運動会のための振替休業です。





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2012/9/8



 自分自身が子どもの頃の一番の思い出は、最上級生の花形種目「6年男子マラソン」で、一位になりたくて3年も早朝マラソンを頑張ってきたのに、本番は13位だったことです。おまけに足を傷めてしまい、あとの種目も散々でした。

 そもそも運動はそんなに得意な方ではなかったので、私が一位を狙っているなんて誰も思わなかったでしょう。その意味では13位はむしろとても良い成績でした。しかし私自身は惨めだったのです。

 運動会に寄せる思いは様々です。その子がどんな思いや願いをもってそこにいるのか、ちょっと気にかけてあげましょう。
 今日一日を子どもたちはどんなふうに過ごすのでしょう。そしてどんな思い出を残すのでしょう。

 さて、

  赤勝て! 白勝て!
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2012/9/7

“スマホ”を手に入れた  文具・道具・器具


 実家で仕事をすることが増えたため、妻が使っていた古いノートパソコンを移動したのはいいのですがネット環境がない。いったんは光回線を入れようかと思ったのですが聞くとスマートフォンの一部にはテザリングという機能がついていて、USBケーブルでパソコンと接続するとルーターとして使えるとのこと。全体の経費もこちらの方が安くつくのでさして欲しい気持ちもなかったのですが、思い切って”スマホ“に切り替えました。ガラケーの時代にも常に無料機で対応してきた私としては、極めつけの勇断です。

 それで無事インターネットには接続できた(本当はむちゃくちゃ大変だった。旧式ノートパソコンでOSがWindowsXPだったので、接続手順が特殊なのです)のですが、さて、それ以外の機能、つまり本来の携帯電話として働きはどうか・・・。

 実は「スマホは人気」「スマホはいい」という思い込みがあったのでこちらの方はまったく考えていなかったのですが、いざ始めてみるとこれがなかなかうまくいかない。
 まず本体がでかすぎる。老眼の目にはこちらの方がいいに決まっていると選択した大型液晶画面の“スマホ”は、片手で操作ができない。全くできないわけではないのですが、「さ行」のキーの横がディレートキーで「さ行」をいじっている最中に右手の親指の腹がそこを触ってしまい、せっかく打ち込んだ文字がたちどころに消えって行ったりしてしまうのです。
 そこでやむなく左手で本体を持って右手で打つようにするのですが、実際に始めてみるといかに今まで左手が空いていることが便利だったのか、よくわかります。例えばペーパーベースの住所録を押さえて、番号を確認しながら入力するといった、そんな簡単なこともできないのです。

 本体が大きく液晶画面がむき出しなので、ズボンのお尻のポケットに入れておくということができません。座った拍子に画面を割ってしまいそうなのです。

 さらに言えば表面に保護シートを張ったためか(あるいは私の購入した機械自体の欠陥かも知れませんが)タッチパネルの反応がイマイチで、押したつもりがうまく反映しないことがあります。ひらがなで脱字したまま変換するととんでもない文章になったりします。

 もうひとつ。電池の消耗が激しい。ガラケー時代と同じ感覚で使っているとあっという間に残量計が50%を切ってしまいます。

 さらに言えばメール一本送り出すにも、@スイッチを入れる、Aロックを解除する、Bメーラーを選択する、C新規作成を押す、C「アドレスを入力する」を押す、D「アドレス帳を引用する」を押す、E送信相手を選択して押す、とあて先を入力するまでに6ステップも必要なのです。全体としてひと手間もふた手間も多い感じです。

 そして最後に、送信ボタンを押すとヤバイと思っても途中でやめることができない。

 もしかしたら使い慣れてくるうちにもっと簡便な方法も見つかるかもしれませんが、現状報告としては「極めて不便」なのです(そういえば最近の新聞で、女子高生たちも「スマホに換えたらメールを打つ回数が減った」とか言っている記事を読みました)。

 私が言いたいのは「“スマホ”はそんなにいいものじゃない」ということです。しかしそれ以上に声を大にして言いたいのは、「『“スマホ”はそんなにいいものじゃない』という情報は今までどこにもなかったじゃないか!」ということです。
 しかし考えてみると「“スマホ”はすごくいい」という情報もそれほどあったわけではないのです。

 みんなが横並びで走っているときは、よほど注意が必要だということです。


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2012/9/6

捨印  知識


「教員は常識がない」とか「学校の常識は社会の非常識」などと言われるとたいていの教師は(社会経験がないので)一歩引きます。
 しかし考えてみれば教師が世間の常識を知ったらこんなアホな献身的な仕事はできませんから、世間知らずでけっこうなのです。とりあえず年がら年中持ち帰り仕事をしているサラリーマンといったら教員くらいなものです。企業はほとんどがチームプレーですから、持ち帰りの仕事は少ないのです。また年休を取らないのが美徳なのも教員らしいもので、大企業であればあるほど休暇を消化しないのは悪徳です。

 ですから世間ずれしていないことをそんなに恥じる必要はないのですが、しかし無知のために損をするのはやはりもったいない。何が必要で何が不必要なのかもわかりませんが、一応、契約とか大きな物品の購入とかで「不思議だな」と思うことは調べておいた方がいいのかもしれません。

 昔の教員は多忙のために、その“聞く”ということすらできなかったのですが(とりあえず誰に聞けば分かりそうなのかを調べ、聞くことを整理し、その“誰か”に会いに行かなければならないのですから)、今はインターネットという便利なものがあります。中にはものの3分で分かることもあります。


 さてその上で、前からずっと気になっていたものに「捨印」があります。様々な書類交換の場面で、「ではこことここに印をお願いします。あ、それから欄外のここに『捨印』を押していただいて・・・」とか言われてポンポコポンポコ押していたのですが、あれは何なのでしょう?
 なんとなく「この印は本物です」といった証明のように思っていたのですが。下の署名の横に押してある印が本物かどうかなんて、同じ印を押したところで証明したことにはなりません。
 そこで調べてみると・・・

「捨印」とは、契約書の記入ミス簡易に処理するため、予め欄外に押捺する印こと。契約書を取り交わした後で誤字や脱字を見つけた場合、その都度契約者のもとを訪れて訂正印をもらうのは面倒なので予めもらっておく訂正印。処理するときは捨印の上に「2字削除、2字追加」などと書く。ただし場合によっては訂正権を丸ごと相手に与えてしまったような行為で、危険なことこの上ない。
 とのことです。

 日本は高度な信用社会ですので大手の銀行や企業まで疑い始めたらきりがありませんが、借用証書や委任状、保証人に関する書類などはよほど特別な事情や高度の信頼関係のない限り押さない方が良いみたいです。捨印のあるなしで契約書の有効性が左右されることはないそうです。

 しかしこの「捨印」、教員である私は知りませんでしたが、果たして世間の人が皆知っている常識なのでしょうか?
 常識のない教員の私には良く分からないところです。


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2012/9/5

教科のUの字説  教育・学校・教師


 中学校の9教科、国語・社会・数学・理科・英語・音楽・美術・体育・技術家庭、この中で一番重要な科目は何かというとまず確実に国語です。
 私たち日本人は日本語でものを考え日本語で情報の受発信をしていますからこれがないと始まりません。英米の人は英語、ドイツの人はドイツ語、フランス人はフランス語、それぞれの母国語の豊かさがその人の思考と情緒の豊かさです。

 二番目に大切なのは技術家庭科。何しろ衣食住に関る教科ですからこれさえできれば最低限の生活は保障されます。

 三番目は社会科です。社会科はつまるところ「公民」を学ぶ教科です。「歴史」と「地理」はより良く「公民」を学ぶための基礎です。そのため中学校1・2年生で並行して「地理」「歴史」を学び、3年生「公民」を学んで上から蓋をします。これを二本線で上に持ち上げて蓋をする形から“π型”と呼んだりします。
 その「公民」はつまるところ政治と経済の学習です。前者「政治」はひとことで言ってしまえば「社会的に生きていくための学習」、後者「経済」は「より豊かに生きるため(つまり金儲け)の学習」と言えます。

 四番目は保健体育。本当はもっと上位に挙げたい気もするのですが人間が社会的な生き物である以上、社会科の後塵を拝することになります。
 以上四教科が生きていく上でどうしても必要な教科、いわば必需品です。
 五番目には数学を挙げます。その前提となる算数はやはりできないと生活そのものに支障をきたします。なので五番です。
 六番目は美術。高級な美術は必要ないのですが図や絵が書けないとうまく伝えられない、つまりコミュニケーションの十分できない場合があります。

 あとの三教科の差はあまりないのですが、理科・音楽・英語の順にしましょう。何といっても日本国内にいる限り英語はなくてもそうは困りません。理科は分野によっては生活に役立つ場合がありますから音楽より上位に置きます。

クリックすると元のサイズで表示します この順に従って教科を左右、左右と並べていくと右のようになります。見てすぐに分かるようにこれは国・社・数・理・英・・・をUの字に並べたのと同じになるのです。これを私は“教科のUの字説”と呼んでいます(勝手な思い込み)。
 つまり国・社・数・理・英・・・は、生きていく上で必要性の高いものから低いものへ、そして再び高いものへと並べてあるのです。

 ただし別の言い方もできます。
 世の中の必需品以外のすべての製品は高級品か嗜好品です。したがってこの並びは必需品→高級品(嗜好品)→必需品だとも言えます。考えて見れば国語や技術家庭科ができてもあまり「格好いい」という感じはしませんが、英語や音楽、理科や美術が“でき”たりすると、相当に「格好いい」のは間違いありません。

「やっぱ音楽だよな」
 先日の音楽集会を見て思ったことはそういうことです。音楽なんて生きていく上で決して必要欠くべからざるものではありません。しかし人々を一体感を与え人々を癒すのにこれだけの働きをするものは他には見当たりません。

 1989年11月9日、ベルリンの壁崩壊の一報が入ると、その時開かれていた西ドイツ議会では議員たちが一斉に立ち上がって国歌を斉唱したといいます。2004年の新潟県中越地震では平原綾香の「ジュピター」が復興のテーマ曲となって人々が歌い続けました。音楽にはそうした力があるのです。



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