2012/7/6

連歌しける教師  教育・学校・教師


 今日、7月6日は何記念日かご存知ですか?
 サラダ記念日です。
「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日
名歌です。
 俵万智の歌集「サラダ記念日」が発売されたのは1987年、もう四半世紀も前のことですが、現在の位置づけはどうなのでしょう。古典になっているのでしょうか、それとも忘れ去られてしまったのか。

万智ちゃんを先生と呼ぶ子らがいて神奈川県立橋本高校
 こちらも好きでした。

 昭和も20年代までは大学進学率も10%以下でしたので、教員も本物のエリートでした。私が教師になった50年代にはすっかりエリートの座を滑り落ちていましたが、それでもエリート時代の名残は残っていました。
 それは例えば職員文集だとか、職員研修の読み合わせだとかいったものです。文集も質の高いものでしたが、読み合わせは本当に厄介で、とても常人では手の届かない作品を扱っていたりしました(西田幾太郎「善の研究」とかですよ!)。そしてその名残のひとつは、職員旅行につきものの連歌です。

 当時はまだ「職員旅行には当然行くもの」という不文律(ないしは思い込み)があったので全員参加が基本でした。そのために借り上げバスで行くのが当たり前で、移動の時間がめちゃくちゃ長いのが普通でした。その間に「連歌帳」が回ってくるのです。不思議なことに係ではなく、誰かが自主的に真新しいノートに「連歌帳」と記して持ってきました。誰も相談しないのに、確実に存在しました。
 後は日長一日、交代で書き続けるわけですが、一方に「職員旅行中は朝から飲み続ける」という不文律もありましたので風雅な連歌とはならず、延々と続く酔っ払いの狂歌でした。

 私は連歌はともかく、号を考えるのがうまかったの号だけをもらいに来る弟子がたくさんできました。私自身はSuperT雲国斎、弟子は順番に“雲竹斎”、“雲直斎”など。けっこう人気がありました。
 ずいぶん後になって劇場映画に「クレヨンしんちゃん 雲黒斎の野望」(1995年)がかかり、そうとうに苛立ったことがあります。誰かが私のオリジナルを売りつけたに違いありません(もちろん冗談)。

 それにしても精一杯背伸びをしてエリート時代の名残を踏襲していた時代、それはそれでひとつのエポックでした。

*今日の表題「連歌しける教師」は徒然草第89段「奥山に、猫またといふものありて」の一節にある「連歌しける法師」のダジャレです。高校の教科書に必ずありましたが覚えています? 例の「助けよや、猫また、よやよや」です。懐かしいですね。


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2012/7/5

日本はどうなっていくのだろうC  教育・学校・教師


 昨日は、最近の教育改革の流れには、グローバル社会の「知」の競争に打ち勝つために国際的に通用する人材を育成する必要があり、そのために初等中等教育段階で「世界トップ」の学力と英語力を身に付けさせる、という方向があると書きました。

 しかし現実の社会で自分たちの周りを見渡して、『グローバル社会の「知」の競争』に参戦している人が何人いるのかというと、実際その数は非常に限られてきます。少なく私の家族や親せきの中にはいません。また、遠い将来を見越しても(どこかの英語圏の国の植民地にでもならない限り)、日本人全員が「世界トップ」の学力や英語力を必要とするような時代はきません。

 もちろん本旨は、全員を鍛えることでトップエリートの実力を高めようというところにあるのでしょうが、学力の底上げをすればピークが高まるというものでもないでしょう。

 日本は1億2600万人を擁する大国です。そこにはすでに1万人に一人という学力エリートが1万2600人、1万人に一人という英語名人が1万2600人もいるのです。
 これだけの人材を擁しながら、それにも関わらず外交交渉や商取引、あるいは学術競争でしばしばほぞを噛んだり煮え湯を飲まされたりするとしたら、そこには学力や英語力よりもっと大切な要素があるのです。実はそんなことはみんな分かっているのです。私たちに欠けているのは学力でも英語力でもなく、敵を完膚なきまでに叩きのめす勇猛な闘争心です。

 ユーラシアのある国では停まっている車にぶつかっても「バカヤロー!」と叫ばなければならないと言います。「なんぜこんなところに車を停めるんだ!」ということです。そこにはぶつけられた時にさえ「すみません」から話を始める日本と決定的な文化の違いがあります。

 それは国家レベルで言えば、他人の領土の領有権を主張してみせたり軍を動かしたり、国民を犠牲にしてまでも原爆を開発したりミサイルを飛ばしたり、あるいは普遍性のない正義を振りかざしてゴリ押しするような、そんな力です。個人のレベルで言えば2005年のニューオーリンズや2008年の中国四川、2010年のハイチが見せた、国民の強力な“生きる力”です。そうした観点からすれば2011年3月11日の日本人など、全くだらしがなかったことになります。

 私は基本的に、国際的な舞台で丁々発止のやりとりができるようになるには、これまでの日本人の生き方や考え方を根本的に変えていくしかないと思っています。子どもたちが「他人に迷惑をかけてはいけません」と教えられて育つ国から、「他人に勝ちなさい」「頂点に上りなさい」と教えられる国への転換です。よりうまくやりぬき、他人を出し抜いたり騙したりすることも優れた能力と称賛される国への転換です。かつての小沢一郎さんの言葉を借りれば「日本を、当たり前の普通の国にする」のです。

 もちろん教育再生会議も懇話会もそんなことは言っておらず、
 教育は国家百年の大計です。知・徳・体のバランスのとれた教育環境が整備され、健やかな子供が育まれることは国民の願いです。特に、最近の社会状況に鑑み、学校教育における徳育の充実が不可欠です。
と、むしろ道徳の重要性を説いています。これは二律背反でしょう。

 国際社会で勝ち抜く力をもった人間の育成と道徳性、それをバランスよく行うことは不可能でしょう。あとは私たちの心がけ次第です。


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2012/7/4

日本はどうなっていくのだろうB  教育・学校・教師

 
 今日、7月4日はアメリカ独立記念日です(1776年)。合衆国では「独立記念日(Independence Day)」と呼ばれるのが一般的ですが、単に「7月4日」("Fourth of July")と言うことも多いのだそうです。

 ところでこのindependence、「独立」以外に「(精神的)自立」の意味に使われることも多いのですが、日本語の「自立」とは少しニュアンスの異なったところがあります。それは一匹狼の印象がつきまとうことです。そういえば「スター・ウォーズ」のアナキン・スカイウォーカーはもちろん「ハリー・ポッター」シリーズの三人の主人公もしばしば仲間に相談せずに勝手な行動をとってしまいます。基本的に他人と調和を保ったまま何かをすることが苦手、ないしは嫌いなのです。一方、日本的な「自立」には一匹狼の匂いなどまるでありません。日本の「自立した大人」は他人の援助をうまく引き出せなくてはならないのです。

 そうした微妙な、しかし決定的な違いは、さまざまな局面で現れます。

 私は先月6月6日の「デイ・バイ・デイ」に「どうやらPISAの言う“学力”には『敵を打ちのめすための知識・技術』という意味があるらしい」と書きました。その文脈で言うと“生涯教育”も『戦(いくさ)のための再教育』『武器の再調達』といった様相を帯びてきます。PISAが生涯教育の重要性を説くときにイメージしているものはまさにそういうものです。日本のように「老後の楽しみ」「第二の人生の過ごし方」といったのんきな話ではありません。
 さて、そういう“学力”違いを意識したうえで、果たして私たちは“学力向上”に取り組んできたのか。

 実は、この「“学力”は『敵を打ちのめすための知識・技術』」という考え方は政府のレベルでは共有されていました。例えば「総がかりで教育再生を(最終報告)」(平成20年1月31日 教育再生会議)の序文には、こんな表現があります。
「知」の大競争がグローバルに進む時代にあって、今、直ちに教育を抜本的に改革しなければ、日本はこの厳しい国際競争から取り残される恐れがあります。
 つまり「知」の大競争に打ち勝つために教育改革を行うのだと明記されているのです。

 さらに「これまでの審議のまとめ−第一次報告−」(平成20年5月26日 教育再生懇談会)では、
 国際的に通用する人材や次代を担う科学技術人材の育成のためには、初等中等教育段階において、世界トップの学力と英会話力を身に付けさせることや、小学校における理科の指導体制など理数教育の充実が重要。
 すなわち人材育成のために「全員に」世界トップの学力と英会話力を身に付けさせるというのです。「世界のトップ・クラス」ではなく、「世界トップ」です。

「一将功なりて万骨枯る」みたいにならなければいいと思うのですが、それは今回の中心課題ではありません。(この稿、続きます)


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2012/7/3

日本はどうなっていくのだろうA  教育・学校・教師


 私が物事を考える基礎にしていることの一つは、「人間は弱い」ということです。日本人は非常に高潔な民族ですがそれでもほかの人々と同様に、“弱い”のです。環境保護とか温暖化防止とか、世界平和とか人権擁護だとか、そうした高邁な思想のためにいくらでも努力しますが、だからと言って命まで投げ出す人はそうはいません。東日本大震災のような不幸に際してたくさんの寄付を行いボランティアにも出かけますが、私財を投げ打つ人も職を捨てて駆けつける人もそうは多くはいないのです。

 反原発は正義ですが、その正義のために自分の会社がつぶれてもいいと思う人も多くありません。テレビ局も、再稼働には絶対反対ですが電力需要のピークになる午後の時間帯の放送を止めてまでも節電に協力しようとはしません(オイルショックの時はやったのに)。新聞も夕刊の発行を諦めて午後の輪転機を動かさないということをしません。
 福井県おおい町を初めとする原発立地の人々が、「安全に配慮しながら」と言いながらも再稼働に前向きなことも責められません。何しろ生活がかかっているのですから。皆「できる限り」での協力なのですが、それでいいのです。“人間は弱い”のですから、特別の勇者しかできないことを求めてはいけないのです。

 私について言うと、まだ就職していない子どもが二人もいますので、電力不足や電気料金の値上げ、企業の海外逃避などによって日本の産業の競争力が弱まり、超氷河期と言われるような就職難が再び訪れるのではないかと恐れています。私の教え子が(本校の子どもたちが)、将来職もなく流浪の民となることを考えると、心穏やかではありません。

 一朝大規模な原発事故となればたくさんの人が死ぬかもしれませんが、就職ができなくて死ぬ若者だって2011年には4年前の2.5倍、91人もいたのです。わが身ばかりが可愛い小市民と言われてもかまいませんが、不確かな原発事故より確実な就職難の方が怖いのです。企業が倒産するとなれば、すでに就職した昔の教え子の命だって心配になります。

 私は原発推進派ではないつもりですが、反原発の人々、特に政治家やマスメディアが原発のない未来にどういう日本を思い描いているのか、そこが見えてこない限り唯々諾々と脱原発という正義の波に乗ることはできません。ほんとうにこの国はそういう方向に進んでしまうのか、かなりまじめに心配しています。

 さて、日本の教育はこの先どうなっていくのだろうと、その話をしようと思っていたのにまたうまくいきません。明日こそきちんとその話をしたいと思います。

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2012/7/2

日本はどうなっていくのだろう@    教育・学校・教師


 大飯原発3・4号機が再稼働を始めました。その是非については良く分からないのですが、この再稼働問題の渦中で出てきた「トイレのないマンション」という考え方に少し違和感があります。

「トイレのないマンション」というのは原子力発電をすれば当然放射性廃棄物が出ることが分かっていながら、その廃棄物の完全処理の道筋がつかないまま稼働を始めてしまったという原子力行政について言ったものです。発電所から出た“核のゴミ”は、100万年たっても放射線を出すことをやめないのだそうです。その安全な処理の仕方が分からない。
 しかしそれを言うなら火力発電だって水力発電だって皆同じではないかと思うのです。

 火力発電所から吐き出される温室効果ガスについて、私たちはそれをなくす方策を持っていません。排気ガスを減らすことはできても、二酸化炭素を炭素と酸素に分離して放出する効果的な方法を持っていないのです。

 水力発電はクリーンな発電ですが、全国に400基ほどある発電用のダムの最終的処分について、何かが計画され工程が決まっているわけではありません。黒部ダムにしても150年ほどたつとダム湖全量が土砂で埋められ、ダム本体のコンクリートの耐用年数も終わります。その時その巨大な土砂とコンクリートの塊をどうしたらよいのか、何も考えないままダムはつくられ続けてきました。将来の日本人にとって、あれは大きな負担になります。
 さらについでに言えば、原子力発電所が想定を上回る津波に破壊されたように、ダムだって想定を上回る地震によって破壊されかねません。その時の被害は、少なくとも死傷者については福島第一原発の事故を上回るはずです(そんなことを言い始めると東京スカイツリーだって想定外の地震で倒壊する可能性はあり、もし営業時間中に倒れれば死者は万単位となるはずです)。

 結局のところ、私たちは自分たちの現在の繁栄のために未来を食いつぶしてきたにすぎません。しかし困ったことにそういう欺瞞を、私たちは“わかっちゃいるのに、やめられない”(スーダラ節)のです。

 大飯原発再稼働に対してあれほど強く反対していた大阪も京都も、節電目標16%と大停電の可能性におびえて結局容認してしまいました。それは無理ありません。
 節電も今年1年限りと分かっていれば皆我慢してくれますが、これから何年先もこのままだと決まれば、企業も人も一斉に関西から逃げ出します。私たちは便利な電気のない生活に戻ることはできないのです。前首相の菅さんのように「200〜300年前は柴刈でエネルギーを確保していたじゃないか」と言うのはあまりにも無責任です。

 さて、実は日本の教育はこの先どうなっていくのだろうと、そういうことを考えようとしていたのですが、前振りを考えているうちにそれだけで字数が尽きてしまいました。明日はもう少し効率よく、ものを考えていきたいと思います。

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