2012/7/25

ブログでご覧の皆さま  


 今日から夏休みです。
 8月3日まで、職員は前期研修日となり、それぞれの場で研修を受けることになります。5日以降は強制ではありませんので、個々研修会に出たり年休を取ったり・・・。

 後期研修会は8月20日からで、「デイ・バイ・デイ」もそこから再開です。その間、気が向けば何か書くかもしれませんが基本的にはお休みです。

 皆さま、よい夏休みをお過ごしください。

 一学期間、ありがとうございました。







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2012/7/24

「通知票の話」〜書くときの心得  教育・学校・教師


 長い一学期ご苦労様でした。今朝はどんな気分で登校されましたか? 疲れていません?

 まだ担任を持っていた時代、終業式は常に疲労困憊の中で迎えていました。通知票のためです。もともと仕事を早く仕上げて当日を待つというタイプではなく、「フェンス際の魔術師」ならぬ「締め切り際の道化師」なのですが、とにかく通知票というのは鬼門でした。間に合わないのです。そうなると分かっているので年々手を付ける時期を早めていたのですが、それでも仕上がりは最終日です。もう少し手を入れよう、もっと細かく見てやろう、そう思っているうちに日はどんどん過ぎてしまいます。

 特に、例えば35人学級の最後の10人は苦痛です。というのは総合所見の欄は書きやすい子から書いていきますから、特徴のない子、特に輝くことも悪事もなかった子、日陰の子、つまり本当はもっとも丁寧に見てあげるべき子たちが残っているのです。

 仕方ないので「明日はこの子と、この子と、この子。3人を丁寧に見て書こう」と決心をして学校へ向かうのですが、がたがた忙しがっているうちにふっと忘れてしまいます。もうすでに所見欄を書き終わっている子が何かやらかしたりすると、書いた分にも手を入れたくなったりします。

 通知票を書く上で心がけたことの一つは、それが生涯を通じて残るものだということです。

 初めて担任を持った時は、「通知票は事実を知らせるものだ」という思いがあってあれこれ正直に書きましたが、3年もたって卒業させた後で、ある子のお母さんから「最初にもらった通知票のあの文が切なかった」といった話をされ、考え込んだことがあります。それは、
『学級長でしたが、特に見るべき仕事はしませんでした』
という文です。その子は仕事をしなかったのではありません。学級が荒れて満足に仕事ができなかったのです。

 考えてみれば個人的な指導というのは通知票を待つまでもなく、日頃からきちんとやって親にも知らせておくべきものです。通知票はそうした指導から漏れ落ちた、普通の日常を知らせてやればいいのです。
 以後、私は学校での様子を簡単にスケッチし、評価すべききことと次の学期への課題を書くようにしました。

 ただ、人物スケッチとなると40字〜50字で書けるものではありません。さらにワープロ書きを導入すると字数もたっぷり入り、かくして最終的にはひとり1200字〜1500字、プリントアウトして糊で貼り付けることになりました(これだったら気に入らなければ破って捨て、この世から抹殺することもできます)。しかしそうなると毎回原稿用紙で100枚分以上です。

 徹夜で書き続けたにもかかわらず終業式の当日の午前3時に「これは本当に間に合わないかもしれない」とおびえたこともあります。

 世の中には通知票が間に合わず、終業式当日に失踪した教諭もいます。またおなじ「書けなかった組」にもかかわらず、終業式当日、子どもの小指の先ほどの失態をあげつらって「こんないい加減なお前らに渡す通知票はない! 反省がしっかりできた者だけ渡すから、宿題をきちんとやって登校日に持って来い!」と突っぱねた先生もいました。

 一方、通知票の○を全部◎に書き換えて家族に渡した小学校3年生(これは◎と△しかない通知票を怪しんだ親によって暴かれた)も、中1の最初に「今年から通知票はなくなったんだって」と嘘をついて3年間一度も親に見せなかったという猛者も知っています。

 お疲れ様。今日はゆっくり休んでください。


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2012/7/23

岡っ引き  教育・学校・教師


 町奉行所というのは現在の東京都庁・警察庁・警視庁・検事局・最高裁判所をひとまとめにしたようなものです。管轄は江戸市内全域です。南町奉行所・北町奉行所というので、江戸の町を南北に分けて管轄したように思われがちですがそうではありません。南北は奉行所の位置を示すだけで、実は同じ仕事を一か月ごと交互にやっていたのです。何しろ大坂夏の陣の元和偃武(げんなえんぶ)で戦争が消滅してしまうと大量の武装集団(武士)が実質的な仕事を失い、全員を事務方にしなくてはならなかったのです。一年間お城の畳の心配だけをしていればいい「御畳奉行」といったふざけた役職もたくさんつくりましたし、その仕事を何人もでワークシェアするといったこともざらでした。つまり人間があぶれていたのです。

 ただし平和な時代が来ると江戸はどんどん巨大化し、奉行所はむしろ人手不足になります。江戸時代は基本的に身分制度が硬直化していて、奉行所は南北それぞれに与力25騎(与力はそう数えるのだそうです)、同心130人と決まっていて世襲されるので江戸の人口や犯罪が増えたからと言って人数を増やすわけにはいかなかったのです。

 しかし現実問題として総勢300人ほどで100万人都市の江戸の治安を守るのは不可能で、そこで同心たちは個人的な配下を持つようになります。それが岡っ引きです。正式には江戸では「御用聞き」、関八州(今の一都六県)では「目明かし」、関西では「手先」あるいは「口問い」と言いました。「岡っ引き」は蔑称で本人はもちろん公的な場では使われない言葉でしたが、時代劇ドラマの関係でしょうか、現代ではこちらの方が使われやすくなっています。

 テレビドラマ「必殺シリーズ」の中村主水は典型的な平同心ですが、見ての通りあの程度の収入で“配下を雇う”といったことはとてもできそうにありません。そこでやったのが「地域ボスの小悪事を見逃す代わりに同心のもとで働く」という取引です。こういう形で雇われたのが「岡っ引き」なのです。

 銭形平次がその岡っ引きの代表で、地域ボスだからこそ「親分!」と呼ばれたりしています。常に小銭を持っていて悪党に投げつけるところを見ると、平次の小悪事は本当に小さかったのかもしれません。庶民からこまめに「みかじめ料」と取り立てていたのでしょう。蛇の道は蛇ですから、地域の悪事には詳しかったと思われます。

 原則として十手(じって)は持ちませんが、平次のように許された場合もあります。ただし同心の十手とは異なり、十手の後ろに房を付けることはできませんでした。
(以上、前置き)

 さて、先週大津市のいじめ問題を扱っている最中「『子ども社会』は大変な量の情報を握っている。しかしそれが大人社会に上がってくることはほとんどない」というお話をしました。基本的にはそれでいいのです。しかし大津のいじめ事件や「女子高生コンクリート詰め事件」のように人の命がかかわる場合や犯罪については、情報は上がって来なくてはなりません。いわば岡っ引きのような存在が必要なのです。
 もちろん子ども社会に密告者をつくるようなものですからそう簡単に行くものではないでしょう。

 キーワードは「友のために」です。
「子どもというのはその時の気分や勢いでとんでもないところに行ってしまうことがある。だから子どもなのだ。そんな時、もしキミが止められるなら全力で止めなさい。しかしそれがムリそうだったら、手遅れにならないうちに、できるだけ早く私に知らせなさい。キミのことは絶対に誰にも言わないから」

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2012/7/20

錯誤はどこにあったのかC  教育・学校・教師


「教師というのは恐ろしく真面目で誠実な人たちだ」ということを前提にすると、「一度、先生は注意したけれどその後は一緒になって笑っていた」という話も別の色彩を帯びてきます。私の知るところではこの時行われていた暴力は加害者が被害者にヘッドロックをかけるというものです。7月6日付の朝日新聞の記事によると、
 生徒らは昨年12月、家族に直接証言した。それによると、担任教師の名前を挙げ、いじめたとされる生徒2人が亡くなった生徒に暴力をふるっているのに、「隣にいたが止めなかった。笑ってた。『やりすぎんなよ』って」と話した。ほかの生徒も同様の証言をし、「周りにほかの教師もいた」と話す生徒もいた。
 ということになります。

 客観的事実はその通りでしょう。しかし主観的事実は異なっていました。証言した生徒たちにとってそれは“いじめ”であり、教師にとっては“(行き過ぎた)悪ふざけ”だったのです。
 その差はどこから生まれるかと言うと、ヘッド・ロックかけている生徒とかけられている生徒の、人間関係に関する知識理解の違いです。二人に関する情報量が証言した生徒と担任教師では決定的に違っていたのです。

 証言した生徒はすでに二人が「いじめ=いじめられる」関係であると知っていました。しかし教師のそれは相変わらず「同じ仲間同士」です。人間関係がそういうレベルに変化していることを知らなかったのです。ただしいくら仲間同士の悪ふざけでも、やられている方が「半泣き」となるとちょっと問題で、だから「やりすぎんなよ」ということになります。
 そもそも加害の子も、そうした甘い認識を見透かしているからこそ教師の目の前でプロレス技できたのです。もしかしたら本人が証言しているように、本気で“遊び”のつもりだったのかもしれません。自分は楽しいのですから。
 いずれにしろ当該の学校では日常的にそういう風景が繰り広げられていたのでしょう。その中で、本物の“いじめ”は日常の悪ふざけの中に紛れてしまいます。ちょうど26年前、富士見中学校の荒れ狂った日常の中で、「葬式ごっこ」など取るに足らない人権侵害と思えたように。

 二人の関係を、生徒は知っていたのに教師は知らなかった、そんな事があるのでしょうか。これについてあるニュース番組で卒業生と称する女の子が、インタビューに答えてこんなことを言っていました。
「生徒が知っていて先生が知らないのは、あり得ないと思うんですよ」
 インタビューアーは大きくうなづいていましたがそんなことはありません。子ども社会の情報はそう簡単には大人社会に上がってこないのです。それが子どもの世界の仁義で、昔も今も堅く守られています。あるテレビ番組のコメンテーターは「親もおかしい。子どもは絶対親にしゃべっているはずだ。なのにその時は手を打たないで、今頃問題にしている」と発言していましたが、小学生ならともかく、中学生は基本的に親にも話しません。しゃべる子がいたとしても、他人の子のためにすぐに動くような親は稀でしょう。

 平成元年に起きた「女子高生コンクリート詰め殺人事件」では、
 少女監禁の事実は仲間を通じて子どもたちの間に相当広まっており、直接合った者だけでも13人を越え、話として聞いていた者は100人を越える。それなのに誰一人、大人の世界に通牒するものはなく、少女は死んでいった。(「うちの子がなぜ!」 草思社 1990)
それが子ども社会の掟です。

 今回の事件でも、アンケートには実に多くの事例があがってきますが「どれもこれも伝聞で直接見た者は少ない」ということになっています。この件がいかに多くの子たちの口に上っていたかが分かります。しかし直接教師に訴えた例はごくわずかで、教師たちに現実的な問題として浮かび上がってきたのは、自殺のわずか一週間前でした。

 目の前の“いじめ”が悪ふざけにしか見えない、錯誤はそこにあったのです。


*いじめの情報は山ほどあるのにほとんどが伝聞である(ヘッドロックとトイレの喧嘩、体育祭の日の“いじめ”には目撃者がいます。しかしもっとも大きな問題であったはずの「自殺の練習」と「葬式ごっこ」については今のところ目撃者が出てきません)ことには理由があると思います。
 私の今の考えだと、情報のすべての発信者は“加害者本人”です。子どもは事態の重大性を理解できず、平気でベラベラと吹聴することがあります。直接の目撃者がいないのはそのためです。

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