2012/5/31
生徒に試される教師たち 教育・学校・教師
【第一話】
(昨日までの話とは別の、中2の女の子について)
ある日一人の女子生徒が私のところにやってきて、「先生、Aちゃんに嫌われていると思う?」と尋ねます。Aとその子は“親友”とかで、とにかく年がら年中問題を起こす困った二人でした。ただしAに嫌われているという感じもなかったので、
「いや、嫌われているとも思わないが・・・」と答えるとその子が、
「Aちゃんは先生のこと大好きなんだよ。だから嫌われてるなんて思わないで・・・」
・・・大好きなら私にもっと優しくしてくれればいいものを、しょっちゅう悪さをして怒らせ、年中対決させられています。しかしなぜそんなふうなのか、そしてなぜ“親友”がわざわざそんなことを言いに来たのか、私にはよくわかりました。
Aは私を試しているのです。多くの友だちにも親にも見放されたような子です。私がほんとうに見放さないのか不安なのです。そこで「ここまでやっても見放さない?」「こんな私でも大丈夫?」ということになるのですが、それは表面上、どんどん悪くなっているのと同じです。そんなことから“親友”も私が見放さないか、心配になってやってきたのです。
教師として頑張れば頑張るほど悪くなっていくのですから、私としてもたまったものではありません。
「もういい加減にしろ。これ以上やったら私も知らないから」と喉元まで出かかるのですが、絶対に言ってはいけない言葉と分かっているので、いつも呑み込んでいました。
しかし何と言えばよかったのか。Aの指導は最後までうまくいきませんでした。
今なら分かります。正直にこう言えばよかったのです。
「もういい加減にしろ。オレは絶対に見放さないから、これ以上悪くなるのはやめろ。自分を捨てるな」
それでよかったのです。
【第二話】
若い女性の講師がチンピラ女子と教員住宅で飲酒をするという事件がありました。もう20年以上前の話です。保護者からその話を聞いたのも“事件”からずっと後のことだったので問題にもしませんでした。しかしひとこと言っておいた方がいいと思ってその講師と話をしました。
聞くと突然数人が遊びに来て、部屋に入れるといきなり缶ビールを開け始めた。自分も勧められたが飲まなかった。何か怖くて注意できなかった、というのです。
彼女は学校中で一番難しいこの子たちと、自分は繋がっているという喜びと、この細い糸を切ってはいけないという強い思いがあったのです。ここで自分までも離れてしまったら、誰も話ができなくなる、話ができなければ指導もできない、そこで飲酒を遮ることができなくなったのです。
その話を聞いた時も、私は言葉を失いました。その感じが良く分かったからです。
しかし今なら言えます。
「けれどそれでも叱らなければならなかった、怒鳴り上げてビールを取り上げ、住宅から追い出さなければならなかった」
と。
その子たちも教師を試しに来たのです。意識するとしないとに関らず、自然に試しにかかったのです。
「この教師は、ほんとうに自分たちにとって“いい人”なのか、自分たちと対決し、自分たちを悪いことから守ろうとしてくれる人なのか」ということをです。
ですから怒鳴り上げて一瞬険悪になったとしても、大した問題ではありませんでした。それよりは悪を見過ごし、対決を回避したことこそ大問題です。ほどなく彼女は‘彼女たち’から見捨てられます。真剣に対峙してくれない教師なんていらないのです。

2012/5/30
生徒に騙された話A 教育・学校・教師
昨日は、朝帰りした女生徒の「一晩中、公園で話をしていた」という説明を真に受けてまんまとだまされた話をしました。二人は同級生の男の子の部屋に入り込んで一晩中話し込んでいたのです(それ以上のことがあったかどうかは分からない)。
なぜその嘘がばれたのかというと、事件から3か月も後になって本人たちが話しに来たからです。
「私たち、先生に話さなくてはいけないことがある」とか言って。
話を聞いて、私は3か月前のことを思い出し「ああ、この子たちを信じて良かったな」と思いました。大真面目で信じたからこそ、この子たちは三月も嘘の重荷を背負ってきたからです。
あの時「一晩中、公園で話をしていた」という証言を覆すだけの材料は全くありませんでした。もちろん信じる材料もないのですが“嘘だ”と極めつけるには何らかの強い証拠が必要です。それがない状態で父親がやったように「そんなはずはない」と叫んでも、それは単に「お前は信じられない子だ」とか「俺はお前を信用していない」というメッセージを送るだけのことです。ところが子どもの方は、実際に嘘をついているにもかかわらず、嘘つきというメッセージに傷つきます。
自分が嘘をついているかどうかなどということは大した問題ではありません(と子どもは考える)。しかし証拠もないのに信じてもらえないということ、そして頭ごなしにはっきり宣言されてしまうということは、ほんとうに切ないことなのです。
そして疑われた瞬間、子どもはさらに一歩、心理的に遠ざかります。
自分が嘘をついていても信じてほしかった――無償の愛とか無条件の愛とかいったものの一面はそうです――論理や理屈ではなく、無条件で信じてもらいたい、そういうものなのです。もちろん年中そうした態度で接せられてもそれはそれでたまりませんが、いきなり「お前を信じとらん」はないだろうというのです。
私があの子たちを信じたのは、そうした深謀遠慮があってのことではありません。単純に騙されただけのことです。しかしそのために子どもたちは重荷を背負うことになりました。騙した者が常に腹の中でせせら笑っているとは限りません。人は、本当は嘘などつきたくはないのです。
皆、まっとうに生きることがどんなに幸せかは、よくわかっているのです。

2012/5/29
生徒に騙された話@ 教育・学校・教師
先週テレビでやっていた推理ドラマで、万引きを疑われた生徒を引き取りに行った高校教師が、生徒の「やっていない」という言葉を信じたばかりに結局だまされる、という場面がありました。なかなかよくできた場面でした。
私もまんまと完全にだまされたことがあります。それは中学校2年生まで荒れに荒れまくったクラスを、3年生から担任したときのことです。
こういう担任は案外やりやすいもので、「前の(担任)よりはマシ」ということで、生徒も保護者も大目に見てくれるのです。もちろん年中問題を抱えていましたが、追い詰められるということはありませんでした。
さて、そんなこんなでいろいろやり続けて数ヶ月たった秋口の日曜日こと、朝6時のテレビニュースのスイッチを入れようとした瞬間に電話が鳴って、出ると常に何かやらかしてくれる女の子の父親からでした。
娘とその友だちが昨夜から帰らず、一晩中探していたところ4時過ぎに屋根伝いに自室に戻ったところを取り押さえた、というのです。早速その家に伺うと私のクラスの女の子2人と、その親が3人(夫婦一組と一人の母親)がメチャクチャ辛気臭い顔で座っていました。
事情を聞くと、
―いやな予感がして夜中に部屋をのぞくと娘がいない、これはきっと親友の家に行ったに違いないと思って連絡するとそちらもいない。そこで両家で集まって一晩中探し回った挙句、明け方家に戻ったら今まさに二階の部屋に入ろうとしているところだった、というのです。もちろんそのころにはもう一方も家に帰っていました。そこでまた全員で集まって、今、問い詰めていたところだと言うのです。
「娘たちは一晩中遠く離れたところの公園で話をしていたとかいうが、そんなはずはない。わざわざそんなところまで行く必要がない」
こういうとき、親のいる前で指導をしてもろくなことはありません。子どもには死んでも親には知られたくない、といったことがある場合もあるからです。そうなると絶対に口を割りません。そこで、
「こういうことの指導は時間もかかりますし、この子たちも寝ていません。ひとまず私に預からせてください。午後には報告できるようにします」とか言って、二人を自宅に連れ帰ったのです。
聞くと何も食べていないというので家内を急がせて食事を作らせ、客用の布団を敷いて眠らせました(このときの一宿一飯の恩義は今日に至るまで返してもらってありません)。午後2時過ぎまで昏々と寝られたのには呆れました。
そしてまた飯を食べさせ、そこから学校に移動して尋問。
ところが「公園で話をしていた」という証言を覆す材料がまったくないのです。別々に話を聞いても、公園にいたる道筋など細かなことを話させても、どこにも食い違いはありません。そこで彼女たちの話を信じることにして親たちにも来てもらい、事情を説明して引き取ってもらいました。「この子たちの言うとおりです。信じてやってください」などというお土産まで持たせて。
ところがその話のすべてはウソだったのです。
(この稿、続く)

2012/5/28
ちり紙交換はなぜ潰れたのか 知識
資源回収ご苦労様でした。
天気が良かったので紙類も濡れなくて助かりました。
この行事もPTA活動としてすっかり定着しました。バザーもいいですが、資源回収に積極的に関わることで、児童生徒が環境問題に触れ、学習の糧となればよいと思います。
しかし資源回収というものは環境問題など起こるずっと前からあるもので、紙の回収などは江戸時代から続いていたと聞きます。
現在の日本の古紙回収率は80%以上、資源回収の優等生です。
ところで20〜30年前まで「毎度おなじみのちり紙交換車でございます。古新聞、古雑誌、ぼろ切れ、ダンボールなどがございましたら・・・」とか言って町をぐるぐると回っていたあのトラック、どこへ行ってしまったのでしょう。同じ時期に町を回っていた「たけや〜、さおだけ〜」のさおだけ屋は潰れない(詳しくは「さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 身近な疑問からはじめる会計学」光文社新書)のに、ちり紙交換はなぜか潰れてしまったようです。
ちり紙交換自体は歴史ある職業です。ところが70年代に入ってからとんでもない参入者がありました。行政です。
オイルショック以来の節約ムードの中で、1973年、当時の通産省は全国に古紙回収のモデル都市を指定しました。それを機に国中の自治体・地区・学校・老人会などが資源回収を始めるのです。
行政は回収した資源の代わりに奨励金(報奨金)を税金から出しましたので、地区や学校にとってはけっこうな収入になったのです。
しかしちり紙交換屋さんの方はたまりません。
この方たちはガソリン代を使った上に自腹でトイレットペーパーを買ってそれで古紙を集めていたのに、自治体は無料のボランティアで集めてしまうのです。しかも必要経費(奨励金)は税金から出しますから少しも懐が痛まない。これでは勝負になりません。しばらくはがんばりましたが、1990年代に古紙の相場が崩れると、このちり紙交換はもう成り立たなくなります。
かくして古紙の回収は行政とその指定業者に独占されることになります。
さてこの一連のできごとの結果、損をしたのはちり紙交換屋さんです。それは確実です。
集めた新聞紙でトイレットペーパーをもらっていた私たちも、ただで持って行かれるという点では損をした口かもしれません。しかしそれは環境問題に協力しているという満足感と相殺しましょう(あれ? ちり紙交換屋さんが持って行った新聞紙はリサイクルと関係ない?)。
地区や学校や老人会は収入ができたので儲けた口ですが、その収入はもとを質すと税金ですから納税者は損をしたことになるかもしれません。
買い取り業者の中には得をした人も損をした人もいます。指定業者になった人は得をしましたがなれなかった業者は損をしました。しかしそれはこの制度そのものとは関係ありません。
実はこのできごとの背後には、目に見えない最大の受益者がいます。それは製紙会社です。
90年代になるまで、製紙会社は古紙の価格変動に苦しんでいました。しかしこの「行政の作り上げた古紙回収システム」のおかげで安値で安定を確保できたのです。そうなると73年の通産省の指定というのも、かなり怪しくなってきます。
なお、では今でも行政は大量の税金を使ってこのシステムを維持しているのかというと、そうでもありません。2000年代に入ると有効な古紙回収システムを持たない中国からの需要が高まり、古紙市場は急激に値上がりしたからです。
行政は細かく奨励金を調整していますが、もしかしたら売値の一部をピンはねしているのかもしれません。しかし個人の懐に入っているわけではなさそうですから、それはそれで悪いことではありません。
みんながいいことをしているつもりでいる背後で、誰かが儲けているというお話でした。

2012/5/25
神戸事件のこと 教育・学校・教師
今日5月25日はいわゆる「神戸連続児童殺傷事件(あるいは「酒鬼薔薇聖斗事件」)」で、被害者児童が行方不明になった日です。その二日後の27日、被害者の頭部が中学校の校門前にさらされました(1997年)。
これに先立つ3か月前より、神戸市須磨区では立て続けに2件の少女殺傷事件が起きています。それを含めた3件をまとめて神戸連続児童殺傷事件と言いますが、この事件は様々な教訓を私に残しました。
一つは、「凶悪な事件はそうは簡単に起こらない」ということです。
同一地区で半年の間に起きた三つの事件を、「手口が違う」という理由で別個のものと考える報道がほとんどでしたが、実際には同一犯人でした。考えてみれば当たり前です。子どもを対象とした(親族以外の)殺人事件など、めったにないのです。その「めったに起こらないこと」が立て続けに起こったとすれば、それは同じ人間の仕業だと考えるのが普通でしょう。しかし当時、そうはなりませんでした。
二つ目は「目撃情報のいい加減さ」ということです。
この事件では「いつ被害者の頭部が校門前に置かれたか」というのが大きなテーマでした。様々な目撃情報によって、第一発見者が通りかかる数分前まではなかったのでごく短時間の間に置かれたと推定されましたが、実際にはかなり早い時間から置かれていました。「私が通りかかった時にはなかった」と証言した人々は、あったものを見ていなかっただけなのです。しかしそんな重大なものに気づかなかったということを自分自身認めたくなかったので「なかった」という言い方になったのでしょう。無意識が記憶をゆがめ、発言にバイアスがかかります。目撃情報というものはそういうものです。私たちの目は、驚くほど“事実”を見ていません。
第三の点は「マスコミのいい加減さ」
報道は最後まで「ゴミ袋を持った身長170センチ前後の筋肉質で短髪の男」を追っていました。「捜査本部によると」といった表現がついたので私たちもそんな犯人像を思い浮かべていましたが、実際はまったく違った犯人でした。警察がワザと偽情報を流したとも考えられますが、いくらなんでもこれだけ違った犯人像となると警察の仕業とは考えにくいでしょう。警察とメディアとの信頼関係にかかわります。
また車両に関しても「黒いセダン」や「白い車」「スクーター」などかなりの目撃情報が出ましたが、どれもこれも無関係でした。
様々な“専門家”“識者”が大量の発言をしましたが、そのほとんどは完全な的外れでした。マスコミで発言する人にはいい加減な人がいる、ということは知っていましたが、ここまで不真面目な世界だと思い知ったのはこの時が最初です。
最後に、「校長の資質」というのが、この事件から思い知らされたことの一つです。
被害者の通う小学校の女性校長と、犯人の通う中学校の男性校長の力量の差は歴然としていました。
犯人が逮捕されたあと、不用意に「事件が解決しましたが、どう思われました?」と質問した記者に対し、「何が終わったのですか? ジュン君は帰ってこないじゃないですか」と真顔で問い返す女性校長は、真から誠実で子ども思いの人です。それに対して中学校の男性校長は脇が甘く、中途半端な発言でマスコミを敵に回したばかりに叩かれ続け、1年近くも経った卒業式の夜に風俗へ通う姿が写真に取られ再就職の口も失います。ほんとうは気持ちの良い好々爺なのです。しかし危機管理という点ではまったく無能でした。
事件に際して最低3人の代表者がメディアの前に立ち、深々と頭を下げるという謝罪の仕方がパターン化したのは、このころからだったように思います。

2012/5/24
東京スカイツリー 知識
東京スカイツリーが開業しました。私はあまり興味がなかったのですが、「文芸春秋」の今月号を読んでいたら面白い記事が出ていたので、簡単に紹介します。

この「塔本体の上に全体の四分の一ほどの金属部分」というとすぐに思い出されるのが寺院の五重の塔です。普通は下から見上げるので分かりませんが、塔の上の相輪と呼ばれる金属部分もほぼ全体の四分の一です。
東京スカイツリーと五重塔の類似点はそれだけではありません。両方とも中央に“心柱”を立ててありながら、ともに塔の重さを心柱にかけていないという点でも同じです。つまり建物は心柱と事実上切り離されており、切り離されているからこそ地震や大風の際に異なる振動で動いて、全体を倒壊から守ってくれるのです。実際、寺院の五重塔は雷火災でいくつも焼失しているのに、地震で倒れたものはほとんどありません。
ただし建設の手順は両者ではかなり異なっていて、(おそらく)五重塔が心柱を立てた上でその周りに建物を積み上げていったのに対し、スカイツリーは鉄パイプの本体がある程度できたところから、その中心部でコンクリート製の心柱(直径8mの筒状)を積み上げ始めたのです。
本体が300mほどに達した時から、ツリーの中心部でゲイン塔を組み立てます。本体とゲイン塔の組み立ての二つを同時に行うことで、工期を大幅に縮めることができるのです。そして本体が上に伸びるとその分だけゲイン塔を引き上げ、ゲイン塔が上がった分だけその下の空いたスペースで心柱を積み上げます。そういった作業が繰り返し行われるわけです。
高さが450mほどになったところで、網目状の本体の建設は終わります、したがってそれからは外観上、塔の頂上からゲイン塔が少しずつ伸びていく感じになります。そのゲイン塔の下では、あいかわらず心柱が丁寧に積み上げられていました。
日本のような地震国の、しかも東京のような限られた土地しかないところに世界一のテレビ塔を立てるのですから、作業は本当に大変だったようです。
例えば、スカイツリーの大部分を構成する鋼管は通常の鉄の1・6倍の堅さがあるのだそうですが、それを傷一つ入れずにパイプ状に仕上げられるのは日本国内でもごく限られた職人さんだけです。しかも納期に必要な本数をすべて間に合わせなければなりません。
鋼管は精密部品ではありませんから通常は百分の一までの狂いは許されます。しかしスカイツリーでは千分の一までの精度を求められました。つまり1mにつき1mmまでの狂いなら可ということです。それを4万トン分も用意しなくてはなりません。
事実ゲイン塔を釣り上げ塔の最上部に設置したところ、その場合の狂いは6cmまで許されていたのにもかかわらず実際には2cmずれただけだったのです。2階建ての建物に換算すると、0・2mmの狂いしかなかった計算になります。
まさに日本の技術の粋が結集した芸術品だったわけです。
