2012/2/3

けれど学校はいいところだ  教育・学校・教師


 南極のブリザードの中で“おしくらまんじゅう”のように身を寄せ合い、じっと立ちつくす数百頭のペンギン、という映像を見たことがあります。ただひたすら動かずに耐えているように見えますが、実は非常にゆっくりと位置を換え、一番寒い外側に同じペンギンが来ないように交替で動いているのだそうです。

 一昨日の夜のニュースで、それとそっくりな光景を映し出していました。ただしそれは十数人の小学生たち。そろいの黄色の雨ガッパで吹雪の中を登校しているのですが、途中とんでもない暴風雪に襲われて立ち尽くし、全員で丸くなって外に背をむけ、じっとしているのです。それはまるっきり“南極の黄色のペンギン”といった感じでかわいそうでした。さらによく見ると、全員で一本のロープを握っています。風に飛ばされて迷子にならないように、たぶんそういった配慮なのでしょう。

 しかし学校って、そうまでして来なければならないところなのでしょうか。

 そんなふうに問いかけながら、私の心の中には「やはり、そうまでして来るべきところなのだ」という想いがあります。そう簡単に見捨てていい場所ではないと思うのです。(もちろん現実問題として「台風並みの暴風雪なら危険だから登校させるべきでない」という意見があれば、すぐに従ってもいいのです。まったくその通りなのですから)

 学校には子どもが“よき人生”を送るために必要なすべてのものが揃っています。学校にはどんな無理をしても来るだけの価値があるのです。

 かつて日本人との結婚を期に、中国に残してきた子を呼び寄せた中国人のお母さんとお話をしたことがあります。わが子を日本の学校に入れることに関して「とにかく日本の学校には何でもある。給食も遠足も運動会もある。私はそれを全部やらせたい」とウキウキ語っていました(ただし日本に来たその娘は中国では相当な学習エリートで、日本のやり方なんかさっぱり好きではないという感じでしたが)。

 子どもたちは学校の価値についてあまりにも無知です。家にいてテレビを見たり遊んでいたりしている方がよほどいいと思っています。しかしテレビを見たり遊んでいたりの生活はいつか破綻します。なぜなら人間の人生は“他人の役に立ってこそナンボ”だからです。消費だけの人生は必ず行き詰まるのです。

 子どもに対して、人生そういうものじゃないよ、学校にはこんなすばらしい価値があるのだ、学習はこんなに優れた意味があるのだということ、それぞれの年齢に合わせていつも伝えて行きたいと思います。

*今日は節分。元気良く豆まきをしましょう。鬼は〜外ッ!




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