2011/12/7

そそられること  教育・学校・教師


 最近はそういうこともなくなりましたが、時間のある日曜日の昼下がり、のんびりと日向ぼっこをしながらテレビを見ていたりすると、妻がとつぜん横にすわり、「どうぞ」と言うことがありました。そうすると私は黙ったまま、妻の膝に頭を乗せます。
 これはのろけ話でも艶っぽい話でもありません。妻の目的は私の顔の毛穴に詰まった油脂なのですから。

 両手の親指のツメを立て、毛穴の両側から強く押すと油がニョキニョキと出てくるのだそうで、それがたまらなく面白いというのだそうです。「ワー、汚い」とか「ヒエー、気持ち悪い」とか言いながらキャーキャー遊んでいます。もちろん私の方は痛いきりで、何の良いこともありません(もしかしたらその「痛めつけている」こと自体も、妻は楽しんでいたのかもしれません)。もちろん言うまでもなく、私の顔が十分な油脂を排出しなくなってから、この邪悪な遊びはなくなりました。

 妻を誘惑に駆り立てるのは他人の顔の油ですが、私がそそられるのは古い校舎です。古いといっても文化的な価値あるものではなく、築20〜30年で自然に汚れた、ガムテープやセロテープの痕がいっぱいあって、壁紙の一部がはがれ、床のワックスが醜く縞模様をつくっている校舎です。10年も放っておかれたような掲示物があって、機器の説明書きが半分はがれていて、壁の一部がストーブの煙でくすんでいるような古い学校です。ほんとうに触りがいがありそうです。

 前任校も前々任校もそういう校舎で、私は毎日「お掃除バスケット」を持ち歩き、嬉々としてあちこち歩き回っていました。

 「お掃除バスケット」というのは娘が保育園のころに使っていた赤いプラスチックのかごのことで、そこに「落書き落としスプレー」「シールはがしスプレー」、雑巾にティッシュ、ガムテープに大型両面テープ、消しゴム、それと油絵用のパレットナイフ、そして「鉄の爪」と呼ばれるスクレーパーを入れておきます。

 清掃の時間などに校舎内を歩いて、汚いところを見つけると駆け寄ってそれをスプレーで溶かし、ふき取り、しつこい汚れはパレットナイフで削り、それでもダメなら「鉄の爪」でガイガイ削り落とします。
 その何と心地よいことか。

 人間相手の教員の仕事は、自分のやっていることの成果が見えにくいことがあります。特に道徳や生徒指導は、はたしてうまく行っているのかしばしば見えません。しかし校舎の汚れ落としは努力が着実に反映します。

 以前私は、掲示物を何でも作り直してラミネートする「ラーミネーター」だと言ったことがありますが、この校舎の汚れ落としと掲示物の作り直しは、私の最も好きな二つの仕事でした。


 昨日、用があってある小学校にいったところ、そこは本当に私好みの、十分に熟成した、穢い、汚れた校舎でした。本当にやりがいのありそうで、誘惑的で、私はしばし佇んでそこをきれいにする妄想にふけりこみました。

 しかしそれに比べると、改築から3年しかたっていない我が校の校舎のなんとつまらないことか。
 私の欲求不満の原因のひとつは、確実にここにあります。
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