2011/12/29

喪中につき  歴史・歳時・記念日


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喪中につき年末年始のご挨拶ご遠慮申し上げます。

10月に父が永眠いたしました。

生前故人が賜りましたご厚情を心よりお礼を申し上げます。



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2011/12/28

ブログでお付き合いして下さっている皆様へ  




 冬休みになりました。

 自分の学校の先生に語りかける「デイ・バイ・デイ」はしばらくお休みです。
 (しかしブログの方では気が向けば何かを書くかもしれません)
 例年そんなふうにしています。

 毎年年末にはブログやサイトを正月仕様に書き換えるのが楽しみでしたが、今年は喪中ですのでそれもできません。
 やはり寂しい年末ですね。

 では、では。




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2011/12/27

今年あったこと(明日から冬休み)  教育・学校・教師


1月 グルーポン・スカスカおせち、間寛平がアースマラソンから帰国、ブラジル南東部で大洪水、伊達直人が多数出現しランドセルなどを送る、新燃岳噴火、中国がGDPで日本を抜き世界第2位に、チュニジア・ジャスミン革命

2月 エジプト・ムバラク政権崩壊、大相撲八百長問題、京大カンニング事件、ニュージーランドカンタベリー地震、ソニー個人情報流出

3月 東北新幹線「はやぶさ」デビュー、九州新幹線全通、東日本大震災、長野県北部地震、福島第一原発事故、iPad2登場、坂上二郎・エリザベステーラー死去

4月 ユッケ食中毒事件、ロイヤルウェディング(ウィリアム王子結婚)、キャンディーズ・スーちゃん死去、サイババ死去、松山ケンチが小雪と結婚、栃木でクレーン車が小学生の列に突っ込む

5月 上原美優自殺、児玉清死去、ウサマ・ビンラディン暗殺。

6月 NHK教育がEテレになる、古川聡さんソユーズで宇宙へ、菅直人ニセ退陣表明、高速道路1000円終了

7月 ワールドカップ女子サッカー・なでしこジャパン優勝、中国高速鉄道で脱線事故(車両を穴に埋める)、ノルウェー連続テロ事件、アナログTV放送終了、新潟・福島豪雨、伊良部自殺、米国債デフォルト危機

8月 菅直人首相退陣、野田政権誕生、イギリス暴動拡大、静岡TV「セシウムさん」事件、島田紳助引退、松本山雅・松田直樹死亡

9月 台風12号

10月 iPhone4S登場、ウォール街デモ、タイ大洪水(バンコクで最大2mの冠水)、ギリシヤ危機、トルコ地震、スティーブ・ジョブズ死去、カダフィ大佐死去、世界人口が70億人を突破

11月 TPP問題で揺れる、天皇陛下入院、立川談志死去、大阪W選挙で維新の会圧勝

12月 玄海原発4号機再稼働、金メダリリスト内柴逮捕、北朝鮮金正日死去

 こうして並べてみて「こんなにいろいろあったっけ?」と思うのは毎年のことですが、それにしても2011年はたいへんなことがありすぎました。関係者にとっては切実だと思うのですが、京大カンニング事件やカンタベリー地震など、ずっと昔のことだった気がします。
 中国高速鉄道の事故も今年だったことは分かるのですが、今年のどのあたりで起こったことなのか、すっきりと意識にはまってきません。

 私は事象の歴史的重さを、「中学校の歴史の教科書に載るか」「高校の教科書に載るか」と言ったことを目安に考えることがあります。
 中学校の歴史の教科書に載るような事象は、それこそ50年に一度100年に一度といった大事件大事故だけで、あれほど大騒ぎをした大相撲八百長事件もタイ洪水もけっして載ることはありません。
 しかし東日本大震災と福島原発事故は載ります。ギリシヤ危機がEU崩壊に繋がれば、また金正日死去が北朝鮮崩壊に繋がれば、今年のことが教科書の題材になるかもしれません。そのくらいたいへんなことがあった年ということです。

 長く生きてきてもリアルタイムで歴史的事象に接することは滅多にありません。子どもたちにもそんなことを話して、事象に注目させておきたいですね。


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2011/12/26



 他の職種と比べたとき、教職が何に一番似ているのかというと大工さんや板前さんのような職人仕事ではないかと思っています。

 基本的には年季がものをいい、時間が経てば経つほど腕を上げていきます。10人に一人くらいは“すごい”といわれる人がいますが、10人に一人ぐらいは「やめておいた方がよかった(かな?)」といった人もいます。残りの8人は似たようなものですが、真面目に努力さえしていれば必ずいっぱしの教師になれます。

 年季仕事ですので当然年寄りが大切にされます。齢を取るほどダメになることのない、現代では珍しい職種のひとつです。

 以前お話ししたことがあるかもしれませんが、すべての学問は「科学」と「芸術」に分類することができるという話があります。「科学」の真髄は「誰がやっても結果は同じ」で芸術の真髄は「誰にも真似ができない」です。
 困ったことに教育学はその両方に足を突っ込んでいて、誰にでも公平に「同じような学力」をつけなければならないのと同時に、「個性」を尊重する立場から「同じではない力」もつける力として要求されています。

 教員の態度もそれと呼応するように、一方で「どんな教師があつかっても同じように高い成果の得られる授業」を目指す人々がいながら、他方で「誰も真似できない優れた授業」を志向する人たちもいます。

 それはまさに大工さんや板前さんも同じで、一定水準以上の建物や料理を要求される(当たり前ですよね。住める家、普通に食べることのできる食事は、最低限の条件です)一方で、「それ以上」も望まれて、そのために日夜修練を積んでいます。
 プレハブ工法のように上質のものをいくつでも輩出できるようにする建築の動きと同時に、宮大工のような一回性の仕事に取り組む人がいます。料理のレシピを作る料理人もいれば、一子相伝、誰にも秘密を明かさない人もいます。

 技術は基本的に先輩を見ながら自分で考えて積み上げていくという点、そしてその技術も常に更新されなければならない点でも、職人と教員は似ています。

 私は教職が職人芸だという考え方をとても好んでいます。真面目に、一生懸命取り組めば、平凡な私でも60歳でも70歳でも、いつまでも力を積み上げて行けると思うからです。


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2011/12/22

カリスマ  教育・学校・教師


 30年以上前のことですが、「演劇集団 円」という劇団のお芝居を「円劇場」というところに見に行ったことがあります。当時の円劇場は小さな体育館のような殺風景な劇場で、そこに幅1・5mほどの廊下がついていました。その廊下で、芝居の始まるまでの時間、私は煙草を吸って過ごしていたのです。そこに女優の岸田今日子が通りかかりました。

 私は岸田の通行の妨げになるほど大きく占領していたわけではないのですが、煙草の煙が嫌だったのでしょう。たぶんもう少し身体を引いてくれという意味で、岸田は「ごめんなさい」と言います。その声の妖艶というか厚みというか、なんとも言えないものすごい迫力があり、私は思わず壁に張り付いて、煙がかからぬよう煙草を持った手を高く掲げて、本気で「紙のように薄くなって壁そのものになってしまいたい」と願ったものでした。

「世の中には美男美女はいくらでもいる、演技のうまいヤツだって山ほどいる、しかしオーラがなければスターにはなれない」という言い方があります。そのとき岸田今日子が発していたのは、まさにそのオーラそのもの、しかも超強力なものだったような気がします。
(岸田今日子は見るからにすごい女優さんでしたが、デビュー当時の松田聖子はまるでぱっとしない不細工なお嬢さんでした。しかし全身から電磁波を発しているようなすごさがありました。山東ルシアさんという女優さんは一流ではありませんが300m先からオーラを放ちながら歩いてきたのを見たことがあります)

 中高と同級生だったHYはものすごくモテる男で、常に数人の女子ファンを抱えていました。確かに勉強もスポーツもでき、リーダーシップもある男でしたが外見はゴリラ、私に比べて特に何かを持っているという感じではありません。この男とは現在に至るまでつき合いがありますのでたっぷり観察もしてきたわけですが、結局わかったことは、私たち男には見えない、女性だけが感じるオーラを放っているということです(かつてはフェロモンという言葉もありました)。
 どんなに見栄えの良い男でも、どんなにすばらしい人格者でも、この“女性を呼び寄せるオーラ”がないと、“モテる男”にはなれないのです(“モテる女性”も同じ)。稀に期間限定でこのオーラが発せられる、それが今流行の“モテ期”です。

 さてここにきて本題の「カリスマ教師」ですが、長年たくさんの先生たちを見てきて分かったことは、頭の良い教師もいれば技能に長けた先生もいる、努力家もいればすべてにきちんとした先生もいる、しかし「カリスマ」といってよい教師は“オーラ”を放つごく一部の人たちだけだということです。これはもって生まれたもので、他の人は絶対に真似できない。

 なぜそんなふうに自信もって言えるかというと、私がカリスマ教師の授業記録を取ったことがあるからなのです。その中で発見しました。

 人柄が良くない私ですので、授業記録はいったん逐語録でテープを起こします。「あー」とか「うー」とかも全部書くのです(こんなの渡されたら嫌ですよね)。それを整理した最終記録とともに本人に渡すが喜びなのです(記録を整理する自分自身へのご褒美)。その結果分かったことは「カリスマ教師の発言や発問は、普通の教師のそれとまったく違いがない」ということです。何か特別なことを言ったりやったりしているのではない。それにもかかわらず、子どもたちは活発に発言し、議論を重ねて行きます。授業自体に何の変哲もないので、研究会では「○○先生の日ごろの指導が偲ばれます」というしかないような授業です。

 どんなに優秀でも“オーラ”のない先生は必ず授業で苦労しています。“オーラ”を持つ教師はろくに苦労もせずに“すばらしい授業”を仕上げてしまいますから、往々にして指導案づくりは下手です。「こんな指導案で授業ができるか」と言いたくなるようなものを平気で書いてきます。彼らにはそれでうまく行かない理由がまったく分からないのです。

 ですから私は、そんなカリスマたちが少しも羨ましくありません(やや負け惜しみ)。


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2011/12/21

普通であることのすごさA  教育・学校・教師


 世間の学校に対する大きな誤解のひとつは、「学校教育は子ども相手の楽な仕事だ」というものです。自分の子どもの難しさは痛いほど分かっているのに、学校の子どもは楽だという思い込みがあります。

 そこから、例えば学力問題のような場合、「子どもはきちんとやれるのに学力が低下するのは、教師の質が低下したからに違いない」といった方向でものが考えられます。しかし再三申し上げていますが、教員の質は上がりこそすれ低下するはずはないのです。

 平成不況以来、教職試験は就職試験の中で最も難しい試験のひとつでした。倍率だけを考えても私が教員になった時代の比ではありません。現在の待遇や勤務条件を考えると、これ以上望めないほど難しい試験が続きましたから、限界まで優秀な先生が集まってきているはずです(実際に20代〜30代にはとんでもなく優秀な先生がいくらでもいます)。
 またそれとは別に、ここ十数年の教育改革は(その内容こそ空虚で無意味であったにも関わらず)、私たちの恐怖と意識を刺激し、大量の研修の義務や機会を与えました。昔に比べると受けるべき研修の量が飛躍的に伸びたのです。

 これで教員の質が下がるとしたら問題は個々の教員にあるのではなく、教員選考の方法や研修内容にとんでもない錯誤があるということです。私はクビをかけて言いますが、現在の教員は私の新卒時代に比べると、すべての年齢階層で飛躍的に伸びています。そうであるにもかかわらず、全体として学校教育がうまく行っていないように見えるのはなぜでしょう。


 今度は、この数十年の間に衰えたもの、あるいは失ったものを見てみます。そんなものはいくらでもあります。

 昔は子どもがきちんと授業を受けるさまざまな仕組みがありました。(私は賛成しませんが)抑止力としての体罰がありました。学校に対する保護者の絶対的帰依がありました。無着成恭の『山びこ学校』を読むと、とにかく家内労働が厳しくて学校に行って勉強をすることが何より幸せといった過酷な状況がありました。

 しかし現在はそれらがすべてなくなり、その中で教師は自分たちの言葉だけで児童生徒を動かさなければならなくなりました。さらに生活科や総合的な学習、小学校英語といった昔の教師がやらなかったさまざまな追加教育に翻弄されています。

 その中で、毎日毎日授業内容や指導の手順を考え、“普通の授業を普通にできる”ことは、本当に大変なのです。それがすべてで、とてもではないがそれ以上を目指せる状況ではない、というのが“普通”の教員の普通の実感です。偉大な授業は偉大なカリスマにしかできません(だからカリスマなのです)。


 火の鳥NIPPON(全日本女子バレーボールチーム)は先日のワールドカップを4位で終えました。1960年代の東洋の魔女(ニチボー貝塚チーム)は世界選手権を含め258連勝というとてつもない成績を残しています。しかしだからと言って、現在の火の鳥NIPPONは全盛期の東洋の魔女に勝てないと言う人はいないでしょう。100試合すれば100試合とも火の鳥NIPPONが勝ちます。

 バレーボール選手同様に、教員の資質は「絶対的」には飛躍的に伸びました。しかし社会状況や学校の状況変化によって、「相対的」には低下したのです。この相対的低下に対して、教員の側だけをいくらいじっていても課題が克服できないことは、火を見るより明らかです。


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