2011/11/16

命の値段  教育・学校・教師


 例えば子どもが学校でのいじめを苦に自殺した場合、保護者は学校の設置者を相手に損害賠償を請求する訴訟を起こすことができます。その内訳はおおざっぱに言って子どもの逸失利益(生きていれば一生の間に稼ぐはずだった金額から生活費と目される金額を差し引いたもの)、遺族への慰謝料、そして弁護士費用です。

 この種の裁判で「5000万円の支払いを求めて」と新聞に出たりすると、「そんなに要求するのかよ」といった非難の声も出ますが、これはいわば「まな板」に乗った金額で、裁判ではその責任を「本人の資質40%、親が察知し対処すべき責任30%、学校の責任30%」といったふうに割り振り、(上の例だと)最終的に5000万円×0.3=1500万円の支払いを学校に命じます。これが裁判のやり方です。

「親の悲しみを思えば言い値で出せよ」といった言い方もできますが、担任やその他の教員によほど明確な落ち度や悪意がない限り、賠償金の出どころは校長の財布でも教員の財布でもありません。すべて学校の設置者(多くの場合は市町村)の金、つまり税金から賄われますから安易に応じることはできないのです。この時、被告たる市町村は住民の税金を守るために裁判を受けて立つかたちに追い込まれます。

 また、裁判を通じて学校の理念や立場、教育の理想や起こったことの真実を明らかにしようとしてもダメです。裁判で争われるのは真実ではなく、権利と義務のバランスです。言ってみれば金の奪い合いですから、時に原告をズタズタに引き裂いても責任を減らそうという試みがなされます。裁判になれば誰ひとり幸せにはなりません。

 公判のたびに提出を求められる膨大な資料は、もちろん学校が整えます。基本的に裁判になれば、結審の日まで教頭先生は日常の仕事が全くできなくなります。その分を他の職員が割り振ります。つまり訴えられただけでも学校はアウトなのです。

 学校の教員として最悪のことは子どもに自殺されることです。学校や担任に一切の過失がない場合(例えば親子喧嘩の末の自殺)であっても、これ以上に悪いことはありません。それに比べたら非行だの不勉強だのはまったく問題になりません(不登校は、魂の自殺に繋がる可能性がありますから要注意です)。

 子どものサインを見逃すなという言い方がありますが、自殺のサインを的確につかむのは至難でしょう。

 しかしやらなければ、私たちは一生後悔します。


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