2011/9/30

「特殊」教育用語についてA〜そのままのキミでいい  教育・学校・教師


 不登校への指導の過程で「子どもには『そのままのキミでいい。死にたいくらい嫌なところへは行かなくてもいい』そう言ってくれる人がいることが大切だ」とか「変わらなくてもいい。今のままのキミで十分に愛されているんだと伝えてあげなければいけない」といった言い方が出てきます。

 しかし教員には(そしてたぶん大方の親にも)、これはとても分かりにくい言い回しです。だって「そのままのキミでいい」なら教育など必要なくなってしまうからです。教員にとっては、それこそ自己否定に繋がりかねません。

 親から見れば、何とか学校にいって欲しいと願う気持ちを踏みにじり、毎日期待させ、毎日裏切り、膨大な時間の浪費と気苦労をかける“キミ”が、「そのままでいい」とはとても思えないのです。愛していないわけではないのですが、その状況で「愛している」と伝えるのはとても困難です。
私はずっとこの言葉の意味をつかみかねていました。

 愛情と能力をリンクさせるなという点は分かります。「頭のいいあなたが好き」「よい子で世間から誉められるオマエなら愛している」では子どもがかないません。

 もちろん実際、私たちはしばしば保護者からそうしたメッセージが強烈に送られているのを見ていますし、私たちにしても子どもが「先生は良い子ばかり可愛がる」と言ったらそういうメッセージを嗅ぎ取られている(誤解にしても)と見て間違いはないでしょう。
 しかしそういったメッセージを発している時間はさほど長いものではなく、普通の生活の普通の時間の中では、愛と能力をリンクさせていないはずです・・・と、そんなことをつらつら考えているうちにふと思い出したことがあります。それは初任のクラスが崩壊状態にまで荒れたとき、先輩の教師からいただいたひとつのアドバイスです。

「クラスを荒らしている一番悪いヤツをまず決め、その子の机を毎日磨け。『オマエが大事』『オマエが好きだ』『オマエのおかげで仕事ができる』そう言いながら丁寧に磨け」

というものです。

 打つ手が完全になくなり困り果てていた時期でしたので、私はほんとうにそれをしました。一週間ということはなかったと思います。二週間だったか一ヶ月だったか記憶にないのですが、とにかく毎日、放課後になるとそれをして帰りました。
 それで何が変わったか。

 それでその子が愛せるようになったわけではありません。しかし少なくとも憎しみは消え、“迷惑だ”と思う気持ちは薄れました。そういう効果はありました。そしてそれはたぶん、その後の指導に大いに影響したはずです。

 不登校だったり学級を荒らしたりしているときの子どもは、当然「自分は親(教師)から憎まれている」「嫌われているに決まっている」、そんなふうに思っています。しかしそれはそうではないのだ、行為と存在は違うのだ、たしかに悩ましく苦しくたいへんだが、それで嫌うことも疎ましく思うこともないのだ―それを伝えるのは容易ではありません。

 そのためにはおそらく口先の言葉ではなく、自分自身の愛情のオーラを高めるしかありません。ちょっとした目の表情とか口元の緩みとかそういったものの集積です。

 今同じことが起こったら、私はもう一度机を磨こうと思います。磨きながら呟く言葉にもう一工夫すれば、もっともっと強い愛情のオーラを発することができるようになると、今の私は思います。




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2011/9/29

縄文時代のガラパゴス  政治・社会


「ガラケー」という言葉をご存知ですか? 
「ガラパゴス・ケータイ」−日本で極度に進化した携帯電話で、性能としては外国を圧倒しているにも関わらずまったく世界に出て行かない(売れない)携帯電話をそう呼んで揶揄するのだそうです。
 日本のやることは万事そうで、高性能(高価格)の製品を次々と売り出すものの国内市場の制圧に励んでいる間に国際規格から外れるものが少なくありません。地上デジタル放送はもちろん、電子マネー、カーナビ、さらには大学教育や医療サービスなどの分野でも、ガラパゴス化の懸念が高まっていると言われています。
 白物家電でも「冷蔵庫なんて冷えればいい」という国がたくさんある中で、高性能な冷蔵庫を追求しても商売になりません。しかし商売という観点からすればそうなのですが、この異常な高性能追求というのはそんなに馬鹿にしていいものなのかと私は思っています。


クリックすると元のサイズで表示します 縄文時代の遺跡から、貝でつくったブレスレットが多数出てきます。貝輪(かいわ)といいます。大ぶりの二枚貝の片方を中心から丁寧に削ってリング状にするものです。
 アカガイ・サルボウガイ・ベンケイガイ・タマキガイといった貝が使われるのですが、その中のオオツタノハガイという貝はなんと屋久島やトカラ列島、八丈島以南でしか採集されない貝です。つまりこの時代すでに日本にはブランドというものが存在し、オオツタノハガイの貝輪がいいとなると人々は命の危険を冒して遠い南の島まで貝を採りに行ったのです。
 八丈島以南を原産地とするオオツタノハガイでつくられた貝輪は、北は岩手県から南は愛知県まで31もの遺跡から出土されています。

 黒曜石は日本国内で約70ヶ所の産地が知られていますが、特定の場所のものだけが愛用された形跡があります。例えば信州和田峠産の黒曜石は半径150kmの範囲に渡って供給されており、伊豆七島神津島産の黒曜石は後期旧石器時代(紀元前2万年)の南関東の遺跡で発見されたりもしています。

 そこには「良いものは良い」とあとには引かない頑固さがあります。

 考えてみれば江戸270年間は文化のガラパゴス化を極端に推し進めた時代です。芸能も芸術も、海外の影響をほとんど受けずに高度化しました。その結果がヨーロッパにおけるジャポニズム(日本趣味または日本心酔)です。

 今日、世界的な広がりを見せているアニメ・マンガなどのサブカルチャーや日本料理、外国には絶対まねのできない鉄道の運行システムや接客技術、一人分ずつ包装されるオシボリや割箸・シャワー式トイレなどに見られる衛生への異常な執着・・・こうしてみると日本国内はガラパゴス文化ばかりです。海外に媚びず、海外市場に合わせなかったからこそ、日本にしか存在しないものをつくりだすのに成功しています。

 携帯電話や地上デジタルで負けたからといって、高性能の追求をやめる理由にはなりません。新幹線技術が高すぎて売れないならTGVや中国高速鉄道に任せておけばいのです。日本には世界中だれも持っていないリニア・モーターカーがあるのです。一刻も早くこれを完成させて、リニアで勝負すればいのです。



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2011/9/28

一字も晒さない  文具・道具・器具


 自筆の文字を誰にも見られたくないという強い欲望があります。本当に嫌なのです。ですから教員としては最も早くワープロ専用機を買った一人でした。
クリックすると元のサイズで表示します「SHARP 書院 WD−A100」という機械で、画面が40字×5行しか表示できず、レイアウトは頭の中の仮想空間といった代物でした。

 その後のワープロ専用機の進化はすさまじく、わずか2〜3年後には画面も40字×22行で、さほどストレスなく普通に使えるものに成長しました。ちょうどそのころ、先日お話したリソグラフが学校にも導入され、ワープロで打ったものがそのまま印刷できる環境が整ったのです。

 かつてガリ版で原紙をカリカリと切り、情けない自分の字を見ながら印刷をしていた時代に比べると、まるで天国でした。社会科の資料など活字だというだけで信頼性が高まった感じがしました。

 ただし県へ提出する書類などはすべて手書きが基本でしたので、私の自筆の文字はまだ世間に流出する危険性がありました。さしあたって高校に出す調査書です。そこで私はそれもワープロで打てるようレイアウトしました。おそらくワープロで調査書を書いた、県内でももっとも早い教員のひとりだったはずです。そのくらい自分の文字を晒すのは嫌だったのです。

 さて、そうは言っても次から次へとやって来る書類やらアンケートやらを見ていると、どうしたって自筆で署名やら回答やらを書かざるを得ない場面があります。しかし一度「自筆隠し」の味をしめた私としては、いまさら下手な文字を晒すわけにはいきません。

 そこで「手書きが必要な書類は全部つくりなおす」という暴挙に出始めました。ほんとに全部つくり直して、そこに自分の文章を入れるのです。それで相当な量の書類をつくりました。

 そんなとき役に立ったのがOCR(Optical Character Reader)と呼ばれるソフトです。スキャナーから文書を読み取って、それをワープロソフトに乗せるのです。クリックすると元のサイズで表示します私は「読んde!!ココ」(Amazonで13903円)を使っていますが、そこそこ使い勝手の良いソフトで新聞や雑誌の記事を読み取ってワープロ文書にすると便利だったりします。

 しかし「一定の書式の中に自分で文字を打ち込む」ということだけを考えれば、もっと便利なソフトがあります。「すごピタ」というソフトなのですが何しろ4万9800円もするので手が出なかったのです。クリックすると元のサイズで表示しますところが最近、同種のソフトでもっと安いものがあるのに気づきました。「すごい位置合わせPRO3」というソフトで、Amazonで7309円です。

 やり方としてはスキャナーで書類を読み取り、コンピュータの画面に画像として表示される書類の上に、テキストボックスを置いてそこに文字を打ち込んでいくのです。印刷は元の用紙をプリンタに入れて文字だけを印字する場合と、白紙を入れて画像ごと印刷してしまう場合とどちらも選択できます(特別な用紙でない限り、後者のやり方の方がずっと楽です)。

 これでほぼパーフェクトです。私の自筆文字は署名くらいしか出て行きようがなくなっています(自分の名前くらいきちんと練習しよう)。

 あとは黒板の文字だけなのですが、これが何とかなるころには、私はとっくに退職していることでしょうね。




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2011/9/27

越後屋、おぬしもワルよのう  教育・学校・教師


 ちょっとした用があって2年生の教室に入ったら、その前の時間の社会科の板書がそのまま残っていました。テーマは田沼時代と寛政の改革です。1時間の授業でこの二つをあつかうのはいかにもたいへんで、覚えなければならない歴史用語だけでも10以上あります。歴史用語ですから理解して覚えなければ意味がありません。

 しかしこれはけっして中野先生の罪ではありません。実際にそのペースでやっていかなければ間に合わないのです。社会科の内容は何年も前からオーバーフローで、「とにかく分からなくても分かったことにして頭に詰め込んで」いくことになっています。

 例えば(黒板の中にあったのですが)
「田沼意次は株仲間を奨励しその代わり税を取ろうとしたが、商人との関わりが増える中でワイロが横行し政府の信用は失墜した」
 この意味、分かります? いちおう生徒も分かるみたいですが、「株仲間を奨励するとワイロが横行する」という因果関係は一切説明されません。説明していると授業が終わらないからです。
 ただしここでは説明してみましょう(授業ではありませんから)。

 株仲間というのは基本的には私的カルテルです。独占的な同業者組合で“株”と呼ばれる権利を持っています。
 例えば酒類販売の株仲間があってその株数が5だとすると、地域ではその5人しか酒の販売ができません。こうなると価格協定でも販路割り当てでも何でもアリです。また、それを政府が公認するというのは6人目の種類販売業者が出てきた場合、これを取り締まってくれるということです。代官はいわばカルテル(株仲間)の守護神なのです。

 さてここで株を持たない米問屋の越後屋が、余剰の資金を使って自分も酒類販売に乗り出しそうと考えます。とにかく合法カルテルは儲かります。しかしそこには越えるべきハードルが二つあって、ひとつには“株数は5”と決まっているから、誰かが手放すか死んでくれない限り株は浮いてこない、そして仮に浮いてきたとしても、それが自分の手に落ちるとは限らないということです。

 そこで越後屋は代官に近づき、接待とワイロで篭絡にかかります。ただし代官は言います。「だがいくらワシがその気になっても、“株”が浮いてこなくては話にならんではないかのう越後屋、グワッハッハ」

 そのころ、夜の江戸の街でひとつの事件が起きています。酒販売の株仲間の一人、近江屋が辻斬りに襲われるのです。
「近江屋だな」と確認した侍が刀を抜いた瞬間に手代が腰を抜かし、そのとき落とした提灯が赤々と燃え上がって白壁に辻斬りの場面をシルエットで映し出します。そのあと手代は「ヒエーッ」とか言って脱兎のごとく現場を走り去ります。

 やがて、越後屋の接待を受けている代官のところにもその知らせが届きます。
「どうかされましたか」と越後屋。
「ウム、今夜近江屋が辻斬りに殺されたそうだ」。
 すると越後屋はすかさず黙って菓子箱を差し出し、代官はそれをゆっくりと持ち上げると重さを計って・・・
「越後屋、おぬしもワルよのう、グワッハッハ」
と、こうなるのです。

 映画の一場面をビデオに撮ってそれを教室で見せ、数人の生徒に役を振って辻斬りだの接待の場面だのを何組か演じさせ・・・そんなことをすれば生きた知識として確実に身につくのに、私たちはしません。だってそんなことをしていたらあっという間に1時間は終わってしまうからです。

 印旛沼・手賀沼開拓だって長崎貿易の奨励だって全部面白いのです。
 長崎貿易で奨励された俵物(これも教科書に出てきます)、煎海鼠(いりなまこ)・干鮑(ほしあわび)・干貝柱(ほしかいばしら)の乾物三品なのですが何でこんなものが莫大な利益を生み出したのか、それもやっておけば楽しいに決まっているのですができません。社会科は最初から詰め込むようにできているのではないかと思うのはこういうときです。


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2011/9/26

選択肢のないことの強み  教育・学校・教師


 先月号の雑誌「文芸春秋」に岩手・宮城・福島の三県でたった二つだけ、死者・行方不明者が実質的にゼロの自治体があるという記事が出ていました。
 ひとつは岩手県普代(ふだい)村、もう一つは同県洋野(ひろの)村です(実際は普代村で船を見に行った人が一名亡くなっていますが)。しかしその原因は真反対です。

 普代村の方は高さ15・5mの防潮堤に守られたうえに、川を300mも溯ったところにやはり15・5mの水門を立ててあったのです。なぜ15・5mかというと明治の津波が15・2m、昭和の大津波が11・5mだったからです。
 防潮堤の方はともかく入江の奥深く300mのところにつくる水門には反対も多かったそうですが、当時の村長が「二度繰り返されたことを三度起こしてはいけない」ということで強硬につくってしまったのだそうです。

 実際に訪れた津波は21・5mで予測を6mも越えてしまいましたが、減衰効果は大きく、住宅地までは届きませんでした。ちなみに水門が耐えられる計画水位は21・61mなのでぎりぎり助かった計算になります。震災後、村の人々は元村長に感謝して墓参りに訪れたといいます。

 洋野村の事情はこれと異なっています。こちらの方は防潮堤そのものがなかった、だから津波警報が出るたびに必ず全員が高台へ逃げてきたのです。今回もこうして全員が助かっています。

 両者の共通点は何か?
 それは選択肢がない(もしくは選択する必要がなかった)ということです。

 それで思い出したのがなでしこジャパンです。その精神性については以前にお話しましたが、戦術的にはやはり「選択肢のない」ことが強みだったといいます。
 フィジカルに優れるアメリカやドイツの選手の場合、例えば前線の良いところでパスを受けた場合、いくつかの選択肢が生まれます。そのままドリブルで強行突破するか、逆サイドに大きく蹴り出して仲間の到達を待つか、細かくパスを繋ぐかといった選択です。
 ところがなでしこにはそれがない。足が速く体の大きな外国人選手を相手にするのに、細かいパスを繋ぐという戦術以外まったく通用しないというのです。したがって迷いがない。決断が圧倒的に早くなるというのです。
 良く分かる話です。

 通常、私たちは選択肢が多ければ多いほど有利だと考えがちですが、これらの例はそれが真実ではないことを示しています。特に瞬時の判断を求められる場面には選択肢は少ないほど有利なのです。

 釜石の「津波てんでんこ」も考えてみれば問答無用の四角四面です。逆に石巻の大川小学校は避難場所を裏山と橋とで迷っているうちに無駄に時間を過ごしてしまいました。
 結果論ですが、避難場所は橋でも良かったのです。そこからなら津波が溯って来るのが見えたはずだからです。

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2011/9/22

秋分の日  歴史・歳時・記念日


 明日、23日は秋分の日でお休みです。春分の日も秋分の日も休日なのに、夏至や冬至がお休みでないのはなぜか、これは当然疑問になってよさそうなのにこれまで一人の児童生徒にも尋ねられたことはありません。とにかく休めればいいのだからということなのでしょう。私自身も子どものころは気にしませんでした。

で、改めて秋分の日は何かというと、祝日法にはこう書いてあります。
第二条  「国民の祝日」を次のように定める。
秋分の日 祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ。
 つまり、何かよく分からないけれどお墓参りをするために休日になったらしいのです。ちなみに、春分の日はどうかというと、
春分の日 自然をたたえ、生物をいつくしむ。
とありますから、趣旨は違っているみたいです。

 ただしこれは祝日法のうえで異なっているだけで、元をただせば「春のお彼岸」「秋のお彼岸」と同じものです。そこで彼岸が問題になります。

 仏教では煩悩を脱した悟りの境地を彼岸といい煩悩に溢れた現世=此岸(しがん)と対置させます。仏教徒して亡くなった人は「仏様(ほとけさま)」と呼ばれ、形式上はお釈迦様と同じように悟りを開いた人(仏陀・仏)ですから、これも彼岸の住人です。つまり私たちの祖先は(悪人でない限り)彼岸にいることになります。

 では場所としての彼岸はどこにあるのかというと、これははっきりとしていて遥か西の方角にあるのです。西方浄土と言いますから。

 太陽が真東から昇り真西に沈む春分日と秋分日に、彼岸を、そして彼岸に去った人を、想うようになったのはそのためです。まことに理にかなった話です。
 秋分日は計算によって求められますので、9月22日の年と23日の年があります。

 ところで、「秋分の日は昼の時間と夜の時間が等しくなる日」というのは間違いだ、という人がいます。これは事実であって、太陽と地球の関係からすると昼夜同じ時間になるはずですが、実際にはそうなりません。

 ひとつは大気の屈折のためです。太陽は実際に地平線の延長上に現れる前に、大気の屈折によって私たちの目に見えます。また実際に地平線の下に入ってもしばらく、屈折のために見え続けます。

 第二は「日の出」「日の入り」の定義によって昼の時間は伸びます。太陽が一瞬でも顔を出せば日の出、地平線から完全に消えた瞬間が日の入りですから太陽一個分、昼間は長く計算されます。その他いくつかの事情によって、秋分・春分の日の“昼間”は“夜”に比べて11分ほど長くなっているのだそうです。

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