2011/6/9

校則はくだらなければくだらないほどいい  教育・学校・教師


 学校に限らず、すべての組織には規則やしきたりや暗黙のルールがあります。私たちはそのいちいちを確認してから組織に属するのではなく、また組織に属したあとも詳しく検証したりすることはありません。ですから例えば、生徒に校則の一部を突き出されて「なんでこんなくだらない校則があるのよ」と聞かれたとき、とっさに返す言葉に困ったりすることも少なくありません。しかしその時さっと正解を返せたら、あとはずいぶんやりやすくなるはずです。

さて、
校則が存在するのは、大きく三つの理由からきています。

1 学校の秩序を守るため
「遅刻をしてはいけません」とか、「授業中は静かにしましょう」といった類のものがそれにあたります。

2 危険回避のため
「ベランダに寄り掛かるな」「右側通行をしなさい」「廊下は走らない」などがこれです。これについては説明の必要はないでしょう。

3 平等・公平を守るため
 特に義務教育の場合、原則的にすべての子どもが来なければなりません。そうである以上学校はどんな子でも気持ちよく学校に来られるための条件整備をしておかなければならないのです。

 と、ここまでは、普通の説明です。しかし実はもうひとつ、表に出ない理由があります。それは「サイン発生装置・安全装置としての校則」というものです。

「服装の乱れは心の乱れ」という言葉は管理教育の最たるものといった言い方でずいぶん叩かれました。服装や髪形が乱れれば心が乱れるというものではない、というのです。しかしそれは文の読み違いでこの言葉は本来、「心が乱れると服装に表れるから心してみていなさい」という教師や親たちへの警鐘なのです。
 別の言い方をすれば「子どものサインを見落とすな」に属する言葉なのです。学校や家庭での生活に満足して前向きに日々を送っている子は、あえて校則や指導に挑戦したりしない、そのことを私たちは経験的に知っていますが、そこから生まれた言葉なのです。

 もしかしたらその子は「勉強が分からなくなってきたよー」「身が入らないよー」と叫んでいるのかもしれません。あるいは「学校内で『その他大勢』になるのはイヤなんだよー」とか「目立っていたいよー」「このままだと非行に走っちゃうよー」とか言っているのかもしれません。さらにあるいは「ボクを見ていて、じっと見ていて、ボクだけを大事にしていて」と叫んでいるのかもしれません。それが服装や髪型や態度に出るのです。そうしたサインを見逃すことさえなければ、経験を積んだ熱心な教師なら必ずなんらかの対応をし、解決を図ります。

 しかしそれで問題が終わるというわけではありません(私たちが教えているのは「金八先生」の教え子のように「言えば分かる」素直な子どもばかりではないのです)。普通はそこから「スカート丈を縮めるな」「腰パンをやめろ」「髪を染めるな」「ビアスの穴を開けるな」といった形式的指導の泥沼戦争が始まります。しかしそのくだらなさにも意味はあります。

 そうした「くだらない」ステージで戦っている限り、児童生徒は次ぎのステージ上がらないからです。

 私たちの指導は必ずしも成功するとは限りません。しかし腰パン・ピアスで指導に失敗してもせいぜいのところ生徒のパンツが世間にさらされ、耳に穴が開く程度です。しかし「夜中に男のアパートに行くな」「朝帰りはやめろ」といったレベルで指導に成功しないと、場合によってはその子の人生そのものが狂ってしまいます。

「校則はくだらなければくだらない方がいい」というのはそういう意味です。



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