2011/6/6

Mさんのこと  教育・学校・教師


 長く教員をやってくるとさまざまに思いを残す子がいます。Mさんもその一人です。

 小学校5年生で担任し2年間教えた女の子ですが、最初から非常に難しい子だという引継ぎを受けていました。

 とにかくエキセントリックで、一旦“キレル”と手の施しようがないのです。ほとんどの場合なにが契機だったのかも分かりません。突然目が据わったような感じになり、どんな呼びかけにも応えず、教室や体育館の隅にうずくまって動こうとしません。放っておけばいつか気分を変えることも分かっているのですが、だからといって何時間もほったらかしにするわけにも行きません。誰かがそばについていて、ゆっくり気持ちの変化してくるのを待っている他ありませんでした。

 よく爪を噛む子で、口の前で両手をそろえて握り、まるでトウモロコシを食べるように手を動かしてすべての爪を噛むので、指先はいつもボロボロでした。勉強は、比較的よくできる子でしたが、まずは平凡といったところです。

 最初のうちは本当に困ったのですが、それでも何ヶ月か経って対応を心得るようになると状況はどんどんよくなり、6年生になるころには「ああこれであまり心配もせずに中学校へ出せる」と思えるようになりました。私自身、自分の学級経営に満足していました。ところが2学期になると突然状況は悪くなり、元の木阿弥に戻ったかと思うと冬に差し掛かるころには誰の目にも危険で、もう学級担任の一人に任せておける状況ではなくなってしまったのです。保護者に聞くと、そのころには寝ている最中に暴れたり泣いたりして手に負えないところまで追い込まれていました。

 父親は家族想いですが仕事に忙しく、ほとんど家にいません。教育熱心な母親と非常に優秀な二人の兄、しかし本人は平凡。そんなところから私はありふれたストーリーを思い浮かべていました。しかし「家庭に問題がある」と担任が言えば反射的に身構える保護者も少なくありません。ここはひとつ外部の手を借り、外の人から言ってもらうほうがいいと考え、その子にふさわしい女性のカウンセラーを探して相談をかけました。しかし結果は驚くべきものでした。

「この子はLDです。耳から入った情報を保持できません。例えば“2・8・5”と三つの整数を覚えさせてそれを逆に言わせても、悲しいほどできません。この子の生活のすべては、LDへの対応のまずさから始まったものです」


 そう言えば算数の答え合わせのとき、この子は私のペースについて来れずによく聞き返していました。それも半分ふざけたような、半分からかったような調子で聞くのでしょっちゅう叱っていました。しかしその時どき、この子は聞き取れない自分を見破られないよう、必死に隠していたのです。LDだと知っていれば対応など楽なものです。黒板に答えを書けばいいだけだったのに、私はそうしませんでした。家庭に問題があったのではなく、私にあったのです。

 まだLDという言葉さえ耳慣れない時代のことです。しかもそれは学習の困難というだけであって、生活や行動に深刻な影響を与えるといった知識もありませんでした。その点では自分を許してやってもいいような気もしますが、取り返しのつかない2年間を送らせたことには違いありません。今もその時のことを悔やんでいます。

 このMさんと、同じ教室にいたK君、二人に出会ってその対応に失敗したこと、それが私を発達障害への勉強へ向かわせた大きな契機です。二人は私に素晴らしいものをくれました。

 しかし私は彼らに何もあげはしなかったのです。


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2011/6/3

アルコール考  教育・学校・教師


 数年前、夏休みの期間を使ってアルコールはどの程度身体に残るかという実験を行ったことがあります。花岡青洲の妻ではありませんが、自分の身体を捧げての研究です。

 結論的にいうとこの実験、条件を揃えるのがとても難しくてうまく行きませんでした。これはある程度経験的にも分かっていたことですが、毎晩同じ量を飲んでもその日の体調によって酔い方がまるで違い、したがって翌日に残る度合いもまったく異なってしまうのです。実験を正確なものにしようとすれば気温や湿度を揃え、毎日の食事も運動量も揃えるといったおよそ現実的でないことをやるか、逆に人数を増やして資料の平準化を計るしかありません。

 そんなこんなでひと夏飲み明かすという私の過酷な実験は失敗に終わったのですが、いくつか分かってきたことがあります。そのひとつは私の場合、例えば頭がボーっとしているとか身体が火照っているとかで「自分が正常ではない=二日酔いである」と認識できる場合でも、息がまったく匂わずアルコール検知器にも検知されない場合がある、ということです。もちろんそれは度合いの問題で「ああダメだ、まだ酒が残っている」と感じてやはり息が臭かったり検知器に引っかかったりということはあります。しかし出ないときがある、しかもかなりの頻度でそういうことが起こるのです。

 しかしそれならば、むしろ問題は少ないとも言えます。検知器に出なくても酔っている感じがある間は運転しなければいいのですから。困るのは逆の場合です。
私の実験から得られたもうひとつの仮説は、私とまったく逆の人、「意識はほとんど正常なのに、息が匂ったり検知器に引っかかったりする人」がたぶんいるだろうということです。あるいは私だって、体調やその他の理由によってそうなるかもしれませんが、まったくシラフだと重いながら車に乗ってしまう危険があるのです。

 以後、私がもともとアルコール検知器のような可愛い機械が好きなこともあって、飲酒の翌日は自分の体調に耳を澄ませ、アルコールチェッカーに息を吹きかけて「0.00」の表示を確認し、それから「OK! ゴー」という感じで家を出るようにしています。ところが・・・、

 先日酷い二日酔いで頭がガンガンとして身体もやたら熱く、「これってどの程度の二日酔いなんだ」と思ってチェッカーで計ると「0.00」。そんなことはないだろうと息子に息を吹きかけると、「お父さん、臭いよ」。そこでその夜、(もう飲みたくないのに=ウソ)実験のために敢えてアルコールを口にして計るとやはり「0.00」。電池を交換してみても「0.00」。なんのことはない機械が壊れていたのです。そうなるとこれまでの「OK! ゴー」は何だったのでしょう。

 後日あわてて同じ機種のアルコールチェッカーを再購入したのですが、そこには前回はなかったこんな表示がありました。

    センサー寿命について
●測定回数が500回を越えた場合、または使用開始から1年間経過した場合には正確な測定ができなくなります。


 そんな話は前はなかったはずです(インターネットで調べても、ごく少数の製品を除いて今もセンサーの寿命について説明のある検知器はありません)。
 
 クワバラ、クワバラ。



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2011/6/2

発達障害の子たちの個性  教育・学校・教師


 先週の水曜日の「ザ!世界仰天ニュース」は「変わった子と呼ばれた苦悩の32年間」という題名のものでした。

 予告を見たときに、ああこれはADHDの話だなとすぐに思ったのですが、何しろ「仰天ニュース」ですからロクな扱いはされていないだろうと思い、嫌な予感を感じながら見ました。

 案外まじめな番組でした。おそらく発達障害についてはほとんど知らない人がにわか勉強で構成したもので、それゆえの思い違い(例えば高機能自閉症はアスペルガー症候群とよく似た発達障害でといった言い方)はありましたが、素人ゆえの面白い見方もあって少し感心しました。それはADHDとアスペルガー症候群と高機能自閉症、そして手先の不器用さと知覚過敏をほぼ同じ重さであつかっていることです。

 ちょっとおさらいしますが、広く自閉症と呼ばれる障害を持つ子どもたちは三つの特徴を持っています。
@社会性の障害(目が合いにくい、他の子と遊ぼうとしない、興味のある物を見せに来ないなど)
Aコミュニケーションの障害(言葉の欠如や遅れ、オウム返し、会話が一方通行など)
B常同行動、固執行動(こだわり、儀式行動、反復行動など)」がそれです。

 単に「自閉症」と言ったときにはこの三つの特徴以外に「知的遅れ」を持っていますが、知的に問題のない子は高機能自閉症と言います。高機能というのは「普通」といった意味です。

 その高機能自閉症の中で、言葉に問題のない子たちをアスペルガー症候群と呼びます。障害の程度に軽重があって軽い場合にはほとんど気づかれない、だから厄介という面もあります。

 しかしこの高機能自閉とアスペルガーとを分けない研究者や医師もいて、それを両方併せて高機能自閉と呼ぶ場合もあれば広汎性発達障害と呼ぶ場合もあります(「広汎性発達障害」はかつて自閉圏の障害とADHDやLDなど発達上のすべての障害を含む概念でしたが、今は自閉関係に限られてきたようです)。

 重い自閉から人に気づかれないほど軽いものまでは、程度の差であってひとつながりのものですから、その全体を「自閉症スペクトラム」と言います。
と、以上が基本的な分類なのですが、実際の子どもに会うと、その“個性”の多さにはびっくりします。確かに学んできた特徴は見え隠れするのですが、全体を見るとそれぞれがあまりにも違うのでそのたびに対応を考え直さなければなりません。これではいつまでたってもケース・バイ・ケースを逃れることはできません。

 発達障害の子の様態が非常に多様である理由の第一は、個々の障害を単独で持つ子はむしろ少なく、「ザ!世界仰天ニュース」で取りあげられた女性がそうであるようにADHDとアスペルガー、さらにLDなどを重ね持つ子がたくさんいることによります。重複の度合いよって“個性”らしきものが生まれてきます。したがって私たちは、一人の子の中に何がどの程度あるのか知る必要があります。

 理由の二番目は、不登校や暴力といった、本来は発達障害の特徴ではないものを重ね持っている子がたくさんいるからでもあります。これは本来の障害に必要なケアを十分受けられなかったため、そこから生じる二次障害なのだと説明されます。二次障害が消えると本来の障害が見えてきます。私はそんな例をいくつか見てきました。

 そして今回、「ザ!世界仰天ニュース」を見ながらふと考えたのは、「『手先の不器用さ』や『知覚過敏』が本来の障害と重なる度合い」が、“個性”を生み出しているのではないかということです。

 これは単なるアイデアです。しかし「手先の不器用さ」や「知覚過敏」が、日々の生活をどれほど困難にしているかを想像することはそれほど難しいことではありません。私たちはそこにも十分なケアをしていかなければならないはずです。


 発達障害を持つ子たちは本当に苦しい人生を強いられています。一人ひとりに接すると、とてもではありませんが可愛いとは言えない人もたくさんいます。しかしあの人たちは本当にたいへんなのです。

 
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2011/6/1

福島原発事故から学ぶこと  教育・学校・教師


 東京電力本店の指示にもかかわらず原子炉への海水注入をやめなかったということで、福島第一原発の吉田所長が英雄あつかいされています。権力に屈した本店が過ちを犯そうとしたとき、決然と正しい道を貫いたのですから英雄扱いも理解できないわけではありません。しかしこうした事実は別のことも示唆します。

 それは政府―東電本店―福島第一原発の間の指示系統、そしてその逆流である報告系統がズタズタだということです。

 それは事故から2カ月以上たった今でも、次々と新事実が出てくることでも分かります。政府も東電本店もあれこれ理由をつけて弁明しますが、要するに本店も知らないことが山ほどあるのです。第一原発は必要に応じて情報を出したり抑えたりしますし、東電本店も(最近はたぶんしていませんが)情報を選択します。政府も政策として情報を操作するのですから何もかもグチャグチャで、本当のことをつかんでいる人がだれもいません。たぶんそれが事実というところでしょう。

 なぜそんなことになったかというと、正しい情報を上げても現場にいいことが何もないからです。

 例えば3月の時点では「廃炉につながる海水注入をためらう東電を菅首相が一喝し、水蒸気爆発の危険から原子炉を救った」というのが定説で、菅首相の唯一の得点でした(官邸はこの定説を一度も否定したことはありません)。しかし実際には現場が常識に従って真水がなくなったところで海水に切り替えただけで、それを妨害しようとしたのが官邸だった(と思っていた)のですから素直になれるはずがありません。

 その後本店は福島第一原発から従業員全員を引き上げようとして菅首相を怒らせます。そのときも現場はまだやれることがたくさんあると思っていましたから寝耳に水です。自分たちの誇りとやる気に傷がつけられたと感じてもやむを得ません。

 12日に本店が一時的にしろ海水注入をやめようと考えたのは、海水の試験注入を知らなかった菅首相が「そんな話は、オレは聞いていない」と激怒し、その後何の指示も与えなかったために震え上がった東電社員が、本店に連絡して「しばらく様子を見た方がいい」と進言したことによります。菅首相が「海水注入の中止を指示したことはない」というのは事実ですが、他の指示もしないというのは明らかに事態の停止を意味しますから東電社員としては中止を考えざるを得なかったのでしょう。

 こうして見てくると福島第一原発の事故処理のごたごたはすべて、コミュニケーション・ギャップによるものだということが分かってきます。

 菅直人という人はもともとが他人の意見を聞かない人です。その上しばしば激情しますから周辺の人は何も言えなくなります。

 東京電力は本来営利企業ですから、本店としては損得抜きでものを考えることはできません。しかし現場の人の大部分は技術者ですから科学的に正しいことにしか興味がありません。そこにギャップが生じます。

 福島原発事故は不幸なことですが、そこから私たちが学ぶべきこともたくさんあります。



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