2011/6/30

オバタリアンと宰相不幸社会  言葉


 かつて「オバタリアン」という言葉が一世を風靡したことがあります。元は堀田かつひこが連載していた4コマ漫画(1988―1998)なのですが、言葉は原作を越えて広がりました。

 オバタリアンは相手次第で知ったかぶりと知らんぷりを交互に連発する‥。オバタリアンはどんな先生であれ先生という人種には必ず擦り寄る‥。オバタリアンはいつも不利になると市民の権利を乱用する‥。オバタリアンは夜中に洗濯機をまわす‥。オバタリアンは3人でタクシーに乗るときも一人が助手席に乗って後ろを向いて喋る‥。オバタリアンはどんな粗品でもすぐに手を出したがる‥。

 オバタリアンというのは当時の醜く厚かましいい中年女性のカリカチュアであり、堀田かつひこに提示されると「ああ、うんうん、言われてみると確かにそういう人、いる、いる」と言いたくなるような存在でした。堀田は世のありふれた風景の中からこうした女性を紡ぎだしてきたのです。私たちの周りにたくさんいたのに、私たちがついぞ気づかなかった人たちです。

 では1990年代に現れたこのオバタリアンたちは、何が今までとは違っていたのか。
――これについては非常にはっきりした事実があります。

 その第一は、たぐい稀なき行動力です。彼女たちは思いついたこと(特に自分にとって都合のよいこと、得になること)は瞬間的にためらわず行うことができます。バーゲンで他人が手にしているものを横取りすることなどへっちゃらです。

 第2の特徴は、オバタリアンがやって初めて、それが私たち日本人の暗黙の了解であったことが明らかになるようなことを、山ほどやらかすということです。

 例えば、ジャンケンをしてこちらが勝ったら相手は必ず引いてくれるというのは、考えてみれば極めて日本的なやり口です。世界には「ジャンケンで、負けたところからが勝負だ」と思っているような人はたくさんいます。しかしオバタリアンが出てくるまでは、私たちはそのことに気づきませんでした。
 オバタリアンはそうした私たちの迂闊さをピンポイントで明らかにします。「ああ、恥知らずになればそんなこともできるんだ」という新鮮な驚きです。

 三番目は、オバタリアンは真に民主主義の申し子だということです。彼女たちは権利を振り回すことに、何のためらいもありません。

「たぐい稀なき行動力」
「全く意識できないほど当たり前になっている常識を、軽く覆すことのできるユニークさ」
「民主主義の申し子―自分の権利しか目に入らない」

 私が菅直人という人を見ていて急にオバタリアンを思い出したのは、そうした共通性によるものです。

 それにしてもああいう人が国のトップにいることは、教育上、非常に悲しい状況です。いくらもしないうちに世間智に長けた児童生徒はこう言うに違いないからです。

「だって、菅さんだって同じことやってるじゃん」




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2011/6/29

天才親の世界  教育・学校・教師


 以前、といっても私が前の仕事に就いていたころの話ですから30年近くも前のことですが、通勤に使っていたバスの中で、面白い風景を見ました。4〜5歳くらいの男の子とお母さんがなぞなぞ遊びをしているのです。まず母親が息子に訊きます。
「海の中にいて『ま』が三つつくものはな〜んだ」

 何度もやった子とのあるナゾナゾらしく、息子はすぐに「サンマ!」と答えます。それに対してお母さんのいった言葉がすごかったのです。
「あたり! じゃあ今度は今の問題を、お母さんに出して」

 何のことはない、この母親は息子と日本語の練習をしているのです。自分の出した問題を、正確になぞれるように訓練しています。どうしてそんなやり方を思いついたのでしょう。

 もうひとつ。
 まだ土曜日の半日授業があったころのことです。
 当時私が勤めていた中学校のクラスに、小柄でとても可愛い男の子がいました。小さいのにかなり自立的な1年生です。
 ある月曜日、その子の日記を読んでいたら、家庭欄に母親がこんなことを書いていたのです。

「先週の土曜日は体調が悪くて(部活のための)お弁当を作って上げられませんでした。しかたなくお金を渡して、コンビニでお弁当を買うように言って出したのですが、家に帰ってから何か不機嫌です。聞くとあんなお弁当を持ってきたのはボクひとりだったと。ああやっぱり・・・」

 そこまで読んで、「ああやっぱり、無理をしてでも作って上げればよかった」と続くと思ったらそうではなく、続きはこうだったのです。

「ああやっぱり、男の子でもお弁当の作り方を教えておけばよかった」

 これがセンスです。
 天才親たちはこうしたとき、反射的に子どもに力に力のつく方向でものを考えます。


 ところがセンスのない欠ける親たちは呆れるほど「やってはいけない」ことを平気でやります。

 たとえば怠学傾向で学校に行きたくない子に、登校の約束と引き換えにコンピュータを買い与える親―コンピュータ与えネット接続させると、これは世界最強の「引きこもりグッズ」です。まるで学校に行かなくてもいいと言っているようなものです。

 そもそも「登校し続ける」はまだ達成されていない未来の成果なのに、コンピュータを買い与えネット接続させるのは確実な支出です。

 手に入るかどうか分からないもののために大金を使うことを普通は「ギャンブル」と言います。わが子を使ってギャンブルなどしていいはずがありません。

 この「不登校傾向の子にコンピュータを与える」という愚策は、びっくりするほど多くの家庭で繰り返されます。前もって教えておいても、ほぼ確実に起こります。結局、つまるところ親も才能の問題なのかもしれないと思うのは、そういう時です。


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2011/6/28

いじめの指導をどうするか  教育・学校・教師


 一昨日は県南大会女子ソフトテニスの部の競技役員として、一日忙しく働いていました。土曜日の試合で本校の全チームが負けてしまったので応援する選手もなく、せっかくの日曜日を潰して一日中働かされるのはたまりません。と、そんなふうに不貞腐れていたところに、S中学のユニフォームを着た女子がさっと近づいてきて「SuperT先生、覚えていますか? H小でお世話になったIです」と声をかけます。

 忘れてなんかいません。その学年では一番手をかけた子でしたから。

 Iは気の強い仕切り屋の女の子で、6年生のクラスでは1年半以上に渡り、女子の12人ほどを従えて好きにクラスを操作していた子です。その前のクラスでも、そのまた前のクラスでも、怖い女子として一目も二目も置かれていました。

 ところが6年生2学期、秋も深まったころ、12人の手下たちが一気に反逆を企ててIを浮かせ、反抗に出たのです。中には小学校1年のときからの手下という子もいて、6年間の恨みを一気に晴らそうとするのですから復讐も熾烈です(とは言っても現代のことですから特に手を出すわけでもなく、呼び出しては過去の不行跡をいつまでも問い詰める、といったふうでした)。

 大きな学校でしたので長い間そうした様子は見えなかったのですが、ついに校内を追い回すようになって私たちの目にも明らかになりました。

 もちろん担任は早くから気づいて手を入れていたのですが、なかなかうまく行かない。12人を一括して指導すればみんな燃え上がっている、個別に話せば(なんといても12人ですから)時間がかかって仕方ない。せっかく一人を納得させても5人目と話をするころには元に戻っているといった具合です。

 そこで私たちが取った行動は、担任を除く学年職員の二人、教頭、生徒指導係、特別支援コーディネーター、養護教諭の6人で一気に面接をすることでした。これだと児童ひとりにつき20分間話を聞いても1時間の授業時間で済みます。担任はもう何回も話していますから、改めて話しても仕方ないだろうというのが私たちの見立てでした。

 子どもたちと話す内容も統一しておきました。
 まず子どもたちの言い分を十分に聞いてから、
@このままだと遠からずIは学校に来れなくなる。
Aそのとき学校の何人かはお前たちがIを追い回していたことを思い出して、そこに原因があるはずだと思うに違いない。
Bやがて噂は広まるが、お前たちはその一軒一軒を回って説明することはできない。説明して納得してもらえるかどうかは分からない。
Cもちろん今日までのことを考えるとお前たちの気持ちは十分わかるし、Iに反省してもらわなければならないことは多い。
DIの指導は私たちが必ずやる。だから今はこらえて静かにしていなさい」

 そのあと、私たちは実際にIへの指導を深めました。そして十日ほど置いてから手打ち式をしたわけですが、それで仲良くなったわけでもありません。もちろん元の鞘に収まってもいけない話です。ただ、熱に浮かされたようにIを問い詰めた集団は、十分に冷やされて次へのステップを踏み始めました。そしてめでたく卒業していったわけです。

 この件から私が得た教訓は次のようなものです。

「いじめ問題(と不登校)はじっくり腰を据えて時間をかけて取り組む課題ではない。それはできるだけ早い段階で大量の人員とエネルギーをつぎ込み、一気に解決しなければならない問題で、それに失敗すると必ず長引く」

 テニスコートでのIは実に生き生きとプレーし、ついに県大会への切符をつかみました。
 あのときあんなふうに指導してほんとうに良かったと心から思いました。ただし・・・全部の日程が終わったあと、S中の生徒が本部前にあいさつに来たのですが、部長のIの態度はまったく昔のまま、横柄で高慢な態度で部員を仕切っていました。やれやれ。

 しかしそれでも、Iは不登校になることなく、中学校に通い続けたわけですから、よしとしましょう。


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2011/6/27

天からの・・・  教育・学校・教師



 たまたま職員室におられた中野先生と榊原先生に「レディ・ガガの顔、分かりますか」と尋ねたら「あんな感じでやっているのがレディ・ガガというだけで、顔はわかりません」とのことでした。それで少し安心しました。見るたびに別人のように見える(というか同じ人には見えない)のも、年齢のせいかもしれないと密かに恐れていたからです。若い先生でも分からないならそれでいいでしょう。

 さて話を日本の芸能界に移しますが、私の若い頃は顔さえ可愛ければ誰でも歌手になれるという酷い時代で、天地真理さんだとか(伝説の)浅田美代子さんたちがキラキラと輝きながら音のはずれた歌を歌っていました。しかしそれに比べると時代は本当に変わりました。いまや芸能界も裾野が広くなり、相当に実力がないとデビューすらできないありさまです。

 元おニャン子クラブの国生さゆりさんも「『モーニング娘。』が出てきたときにはそのクオリティの高さにびっくりした。それに比べたら私たちは酷かった」とおっしゃっていましたが、AKB48はさらにその上を行くはずです。

 それにつれて売り方も進化し、俗に『AKB商法』と呼ばれる「一人に何枚ものCDを買わせる」やりくちも、今や全開です。昔も似たような売り方はありましたが、ここまでえげつないことはありませんでした。総合プロデューサーの秋元康さんも、もっとウブでした。

 秋元康の奥さんはおニャン子クラブにいた高井麻巳子という人です。人気絶頂の21歳のとき、32歳の秋元に見初められて結婚します。その結婚の申し込みの日、初めて顔を合わせた高井のお父さんが秋元にこう言うのです。

「子どもは天からの授かりものと言われているが、私は天からの預かりものだと思ってこの子を育ててきました。いつか誰かにお返しする日が来ると。あなただったのですね。あなたをずっとお待ちしていました」

 いい話だと思いました。私にも娘がいますから、婚約者が現れたらこの台詞をそのまま使おうと思っています(ただしそれにふさわしい男であることが条件)。

 3・11以来、私はこの話を児童生徒にも置き換えて思うようになりました。今までも児童生徒を「お預かり」している気持ちはありましたが、それは保護者からのお預かりものであってもそれ以上のものではありませんでした。しかしあの子たちも何かの使命をもってこの地上にやってきたはずです。その本来の使命を遂げさせてやることが、私に与えられた『本来の使命』かもしれないのです。

 この国や世界や、時代に役立つ子どもを育て、行くべきところにお返ししたいのです。



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