2011/5/31

やはり教師というものは  教育・学校・教師


 研修会ご苦労様でした。いかがでしたか。私はS小学校の研修でした。
 
 S小学校はご存じの通り21学級700人を越える大規模校です。私も久しぶりに大きな学校に入り、数の多さに酔いました。つい一年少々前には大きな学校にいたはずなのに、もう感覚を失っています。

 中でも1年生1クラス32名は圧巻で、「こんなコンマイものが30数人もいて何ができるのだろう」と思わざるを得ないのですが、これがなかなかどうしてきちんと勉強しているのです。

 私が見たのは1年生の算数なのですが、TTの先生と二人で担任が一人ひとりの机を回って解法に間違いがないか確認している間、すべての子がおとなしく待っています。もう○をもらった子もこれからの子も、多少身体は動かすものの辛抱強く待っています。

 この待ち時間、もったいないなあ(20人以下学級だったら待ち時間も少ないのに)と思いながらも、この長い時間を曲がりなりにも待ち続けることのできる1年生は大したものだとつくずく感心もしました。
しかしそれはとりもなおさず、担任の先生の勝利です。

 思い起こせば私自身が小学校1年生の時だってきちんと待っていました。しかしそこには様々な作為があって、例えば私たちは発言したりノートをとったりする時間以外はすべて両手を後ろに回し、椅子の背板を握っていなければならなかったのです。そうすると当然姿勢はよくなりますし、後ろを向いたり隣とおしゃべりしたりすることはできません。もちろん背もたれから手を外す子もいましたが、そんな子は土砂降りのごとく怒られたりゲンコツを食らったりしました。

 それを現在の先生たちは、言葉と表情だけでやって遂げるのですから本当に大したものです。昔の教師に見せてやりたいものです。

 参観日に学校に来る保護者たちは、家ではさっぱり言うことをきかない子どもたちが、そろってしっかりと授業を受けている姿に驚嘆しないのでしょうか。それを教師の教育力のお陰だと思う人はいないのでしょうか。

 教師の指導力が落ちたなどと平気で言う人たちには、小学校1年生の1時間の授業を仕切らせてみたいものです。30人の1年生はただ者ではありません。絶対に1週間以内に学級崩壊です。

 やはり教師というもの、これもただ者ではありません。


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2011/5/30

子どもは休日  




 職員研究研修会のため休日です。

 先生たちはあちこちの学校に分かれてお勉強してきます。



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2011/5/27

ある家族の物語  親子・家族


 23日月曜日の夜、横浜のホテル街で25歳の女性が殺されました。マスコミでは職業不詳といっていますが、実際は風俗関係の人です。つい3年ほど前は大学生でした。

 身長が182cmと極めて高く、学生時代はバスケットボールプレーヤーとして活躍して2007年の国体選手にも選ばれています。卒業の時には教員になりたいといっていましたがいつの間にか風俗関係に仕事を求め、その方面ではけっこう有名な人だったようです。

 父親は自衛隊員でこれも186cmの高身長、母親も170cmを越えるという高身長一家で、二人の兄弟(弟と妹)は今も大学のバスケットボールチームで活躍しています。子煩悩な父親で、三人の子どもの「追っかけ」をしているうちに自分もバスケットボールにはまり、ここ10年ほどはミニ・バスのコーチまでやるようになっていました。その方面でもとても熱心な方です。

 さて、そうは言っても市井の人々でしかないこの家族について、私がなぜこんな細々としたことを知っているのかというと、それは父親のブログを読んだからなのです(現在は実質閉鎖中)。

 私はちょっとした勘違いから被害者の名前(とても珍しい名前だったのです)をグーグル検索にかけてそのブログを拾い出しました。しかしネット上の幾多の探索者たちはもっと熱心でした。事件からいくらも経たないうちに東京の風俗店の従業員と被害者を結びつけ、おそらく家族も知らなかったその生活を炙り出してしまいます。

 182cmという身長や珍しい名前、さらに国体出場経験といったキーワードを繋げていくと、すべてがあっという間に結びついてしまうのです。父親も不用意に子どもの本名を載せていましたし、事件の翌日には「娘が殺されました」などと書き込むのでひとたまりもありません。さらにたちの悪いネットユーザーは自分たちが掘り出した事実を父親のブログに書き込んで辛い現実を突きつけます。


 私がこの件を通じて感じていることは二つです。

 ひとつは言うまでもなくネットの恐ろしさです。個人情報は本名も身長も具体的な行動も、何ひとつ出してはいけないということです。ツイッターに「○○駅なう」と書いただけでも個人の足取りを探られる可能性があります。

 もうひとつは子どもの心の闇といったものについてです。
 バスケであれほど輝いていた子がどういう経路をたどって風俗店に流れ着いたのか、バスケ以外の華やかさや軽さとは全く無縁に過ごしていたはずの子が一気にその世界に流れ込むのに何があったのか、ということです。

 父親のブログからは、そうした娘の葛藤はほとんど見えてきませんし、親子の間に深刻な問題があったようにも見えません。あるのはただ、バスケ、バスケ、バスケです。
 娘はどんな思いで日々を暮らしていたのか。

 ブログの記述から見る父親は異常なほど子煩悩で教育熱心な人です。職務にも忠実である上に信念に基づく生き方のできる人でもあります。大学に進んだ娘のためにアパートを借りて一緒に暮らしたり、すべての試合に顔を出して真剣に応援したりと、ほとんど理想的ともいえる父親で親子関係もどこにも問題がないように見えます。しかしそれにも関わらず、実際には娘の何も分かっていなかったのです。

 私も子煩悩ですし子どもとはよく話をします。その生活の細々とした事実は知りませんが大枠としては把握しているつもりです。その意味では被害者の父親と同じです。そうした私の子が、同じように私のまったく知らない生活や顔を持っているとしたら。

 それこそ「そんなことまで考えていたら何もできん」というような話ですが、こころの片隅には置いておかねばならないことなのかもしれません。


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2011/5/26

歯の衛生週間がもうすぐです  教育・学校・教師


「人生をもう一度やり直すとしたら」という命題に対してあれこれ考えたことがあります。ただし結論的に言うと自分の人生の不備をあちこちいじりすぎると、結局自分の経てきた人生とはまったく違ったものになってしまい、その結果私が経験しなかった不運や不幸も呼び込むことになりかねなません。したがってやり直しても微修正くらいがせいぜいです。ただしこれだけは絶対に不幸に繋がらないから、ぜひともやり直したいと思っていることがひとつあります。それは歯のメンテナンスです。とにかく私以上の世代は“歯”でとても苦労しているからです。

 私の両親はほぼ完璧な戦中派です。この人たちの幼少期はほとんど甘いものを口にせず硬いものばかりを食べていました。したがってろくに歯磨きもしなかったのに虫歯に悩むことはなかったのです。その歯磨き習慣のなさは豊かになった戦後にまで持ち越され、その結果当然、家族全員歯磨きはいい加減、そして歯科医にお世話になりっぱなしです。“虫歯”は頭痛や腹痛と違って治っても元に戻るわけではありませんから、最期は悲惨な状況で中高年を迎える、それが私たちの人生の終末です。

 この世代は、それゆえに自分の子どもたちの歯磨きはけっこう熱心だったともいえます。私も息子にはけっこうなお金をかけて歯の矯正をしましたが、それとて容貌の問題ではなく、なんと言っても乱杭歯では歯磨きがいい加減になりがちだからです。お陰で高校生の息子には一本の虫歯もありません。

 教員としても私は口腔衛生には特に熱心で、さまざまに考えては手を打ってきました。その一端は昨年お話しましたが、家庭でも歯磨きを続けさせる方法となると子どもに動機付けをするしか方法がありません。なんと言っても「その気」になってもらわないと無理なのですから。

 子どもが小さなうちは「虫歯になるとお医者さんに行ってものすご〜く痛い治療しなければいけないんだよ」などと脅したりしましたが、考えてみると痛みなんて実際に経験しなければ分かりませんし「ものすご〜く痛い治療」をしなければならない状況といったら絶望的に進行した虫歯の場合だけです。これでは動機づけとして弱すぎます。

 では他に虫歯になることで困ることはないのでしょうか? もちろんいくらでもあります。

@ものがおいしく食べられない(入れ歯のおばあちゃんに聞いて見て下さい)。
A十分咀嚼できないので胃に負担がかかり結局病気になる。
B治療にものすごくお金がかかる。
このあたりまではさほど説得力はありません。しかし次はどうでしょう?
Cギャハハと笑ったら口の中が銀歯だらけって、イヤでしょ? 芸能人にそんな人いないよ。時代劇にも出られない。
 この「芸能人に銀歯はいない」というのはけっこう子どもの心を動かします。そして一番迫力があるのは、
D虫歯が進むとどうしても左右どちらかの歯で噛み続けるようになるから、「顔が歪むよ」。
 「顔が歪むよ」と、顔が歪んだ私が言うのですから小学校5年生以上くらいの女の子だと「キャー」と叫んで嫌悪と恐怖をあからさまに表現します。そして最後に、
E膿がたっぷり溜まった口から吐き出される息って、ものすご〜く臭いんだ。「初めて〜のチュウ」・・・「オエッ!」なんてイヤでしょ?
 それでたいていの子は歯磨き頑張ろうという気になります(その場限りにしても)。要するに問題はイメージ作りです。



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2011/5/25

なんとも不思議な経済の話  知識

〜日本は金持ちだがさっぱり豊かではない


 昨日のニュースに「2010年末の日本の対外純資産残高が前年末比5・5%減の251兆4950億円で、2年ぶりに縮小した」というのがありました。これだけ読むと何となく「日本の長期低落傾向」みたいな感じに見えますが、まったく違います。

 対外純資産というのは、日本政府や企業・個人が海外に持つ資産から外国の政府や企業・個人が日本に持つ資産を差し引いた金額(簡単に言うと日本が外国に貸してる金から、日本が外国から借りている金を差し引いたもの)のことです。

 これがマイナスだと債務国(借金国)、プラスだと債権国(金貸し国)ということになるのですが、日本は2009年までの19年間ずっと世界第一位の債権国だったのです。特に09年度は金額的にも過去最高となり、10年度はそれと比べると5・5%減ですがそれでも09年度に次ぐ第二位の記録で、これでおそらく20年連続の「世界第一位の債権国」を維持しただろう、というのがこの記事の内容なのです。

 ところで1981年度から2010年度まで、実に29年間ものあいだ日本の貿易は黒字のままです。貿易収支の多くはドルで行われますから、ドルがどんどん貯まります。そのドルを使って債券やら株やらを買いまくると20年連続の「世界第一位の債権国」、それが道筋です。

 しかし何かピンと来ませんよね。
 その「ピンと来ない」理由は、なんと言っても「そんなに儲かって金を貸しまくっているのに、私たちはさっぱり豊かな感じがしないじゃないか」という実感があるからです。

 政府は借金まみれ、景気はさっぱり浮上してこない、失業率はどんどん上がり非正規雇用も増えっぱなし、おまけに地震・津波・原発事故のトリプルパンチで日本はもうダメじゃないかと不安になっているときに、もう四半世紀以上も儲かりっぱなしです、20年も世界一位の金貸し国を続けていますと言われてもピンと来ないのは当たり前です。

 そのからくりは為替相場にあります。簡単にいうと29年間も儲け続けたドルを、円に替えて日本国内で使えばみんなが豊かな気分になれるのにそれができない、ほとんどできない。そんな巨額のドルを円に換えてしまうとどんどん円高が進んでしまい、貿易がやりにくくなると同時に対外純資産もガンガン目減りして行ってしまうからです。

 実際「2010年末の日本の対外純資産残高」(一番初めに掲げた話です)はドル換算だと初めて3兆ドルを越えて過去最高(3兆850億ドル)を記録したというのに、その間に円が10円も高くなってしまったために円換算では「前年末比5・5%減の251兆4950億円で、2年ぶりに縮小した」ということになってしまうのです。

 今のところ日本にとって「ドル」というのはかなり厄介な通貨で、いくら儲けても日本を豊かにしないし、さっぱり使えない金です(債券も株も持っているだけで何の生活の足しにもなりません)。

 何かうまくできているのかできていないのか、よく分からない話ですよね、経済って。



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2011/5/24

買ってはいけない  教育・学校・教師


 いまから28年前、トランプや花札をつくっていたはずの任天堂が「ファミリーコンピュータ」というとんでもないものを発売しました(1983年)。とりわけすごかったのが「ファミリーコンピュータ」というネーミングそのもので、当時の親たちはそれを「家庭用コンピュータ」と思い込み、「これからの時代はこういうものも“勉強させておいたほうがいい”」と勘違いをして買い与えてしまったのです。まさか朝から晩まで子どもを釘付けにしてやまない恐ろしいゲーム機とは、誰も思っていなかったのです。

 しばらくしてその悪魔性は世間に知れるところになりましたが、子どもとの「勝って―買わない戦争」に疲れた親たちは、「必ず勉強するから」とか「時間を守ってやるから」とかいった空手形と引き換えにこの悪魔の機械を次々と買い与えてしまいました。「必ず勉強する」とか「時間を守ってやる」とかは将来の話です。そんな不確実なものと引き換えに、確実に手元にある金を払って買ってやったのは愚かなことでした。不確実なもののために金を使うことを普通はギャンブルと言います。

 しかしもっと愚かだったのは「勝って―買わない戦争」の終戦が平和の始まりではなかったことです。ファミコンを買い与えた直後から今度は「ソフト買ってくれ戦争」「いい加減にやめろ戦争」「早く寝ろ戦争」「外遊びをしろ戦争」と同時多発戦争に一気に追い込まれることになります。こんなことなら「買って―買わない戦争」をいつまでも続けているほうがよほど楽だった、そう思ったときは後の祭りでした。

 ところで人間の記憶力というのものかくも弱いものでしょうか? それともそもそも反省の気持ちがないのでしょうか。

 小学校高学年になって今度は「ケータイ買って―買わない戦争」が始まったとき、そこでふんばればよいものを「必ず勉強するから」とか「時間を守ってやるから」とかいった空手形と引き換えにこの悪魔の機械を次々と買い与えてしまいました(この文はさっきも書いた)。

「ケータイ買って―買わない戦争」を回避して代わりに、「出会い系サイト制限戦争」「アダルトサイト制限戦争」「個人情報流すな戦争」「学校への持ち込み禁止戦争」「メールいい加減にやめろ戦争」etc.etc.を、しかも高額の通信費の支払いながら続けるという愚かな道を選択してしまったのです。

 そして中学生になると今度はコンピュータです。
 
 ところで人間の記憶力というのものかくも弱いものでしょうか? それともそもそも反省の気持ちがないのでしょうか(これもさっき書いた)。

 中学生がコンピュータを欲しがるのはワードやエクセルを習いたいためではありません。オンラインゲームという無限のソフトを片端手に入れたいがためなのです。なのに(心の隅でそのことを知っていながら)、みたび「買って―買わない戦争」が支えきれないばかりに「これからの時代、コンピュータくらいできなければいけないかもしれない」と自分に言い訳をして買い与えてしまう。しかも不勉強な子の親に限って買ってしまう。よりによって不登校傾向のある子どもの親が、この、最高の「引きこもりグッズ」を買い与えてしまうのです(その上で「なぜこの子は学校に行きたがらないのでしょう」と訊かれても、私は知らん)。

「インターネットやメールをやらせる以上は親子で約束をつくり……」と言います。もちろんそれは大切なことですが、その前にまず約束を守れる子ども育てておかなければなりません。しかしそんなこと、そうはうまくいかないでしょう。子どもは誘惑の前に、簡単に約束を反故にしてしまうからです(だから子どもなのです)。

 保護者からゲームやケータイの購入について相談があったら言ってあげることはひとつです。
「とにかく『買って―買わない戦争』で踏ん張りなさい。そのほうがよほど平和です。そして買わずに頑張り続ける限り、いつか子どもの方が諦めます。諦めずに万引きするような子は、買ってやったときにソフトを万引きします」
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