2011/3/28

学校が始まったら子どもたちに話すこと  教育・学校・教師


 いよいよ今日から平成23年度そして23年度の一学期が始まります。
 風も温かくなり、まもなく桜も咲き、いつもならなんとなくウキウキしてくる時期ですが、私の23年度はそんな気持ちにはなれないでいます。

 理由は分かりますよね。先月11日起きた東北関東大震災と福島第一原子力発電所の事故のためです。

 地震と津波の被害については、いまだに何人の方が亡くなったのかもわからない状態で、食べ物や飲み物、服や毎日使うものなどがいまも避難している人に届いていない様子があります。ほんとうに気の毒です。

 また原子力発電所の事故の方は、これもなかなか解決がつかず、一体いつになったら安心して住めるのかまったく分からない様子です。こちらもたいへんです。地震と津波のために原子力発電所の機械が故障して、放射能というものが飛び出しているのです。

 皆さんは放射能というものが何なのか、何となくでも分かりますか?
それは原子力発電所の中から飛び出してきた小さな粒から出る、一種の毒なのです。

 ちょっと話が変わるみたいですが、皆さんはテレビがなぜ遠い東京の画面を出したり、携帯電話で人と人とがお話できるか知ってますか?
そうですね、電波という目に見えないものが画面や声を遠くから運んでくるからです。

 放射能もこれに似ています。同じように目に見えず、匂いもせずに、すごい速さで小さな粒から飛んできます。そして外から体の中に入る強い毒なのです。
 もちろんほんの少しなら大したことはないのですが、今度の事故のように大量の放射能が出てくる場所となると、その場で亡くなってしまったり、何年もあとになってガンという病気になって死んだりと、それはたいへんなことになるのです。

 先月の12日、福島第一原子力発電所の1号機が爆発し、続いて3号機、そして動いていなかったはずの4号機でも爆発が起こりいました。大量の放射能を吐き出す粒が空中に飛び出し、そのあとも煙はモクモクと放射能を出す粒を出し続けました。

 そこで、これ以上の被害は出してはいけないということで、何をしたか覚えていますか?

 まず自衛隊のヘリコプターで水を落としたのです。全部で4回やりました。しかしそれでは足りないというのでまず警察の放水車(水を飛び出させることのできる自動車)が水をかけに行き、次に消防庁の特別な消防車が水をかけに行き、自衛隊の放水車も水を入れに行きました。そして最後には高いビルにコンクリートを流し込む機械で水を入れるようにしたのです。これは原子力発電所の社員の人たちがやっている仕事です。

 考えてみてください。あたりには放射能を撒き散らす粒がいっぱいあるのですよ。そこへ立ち向かっていくのです。

 ある東京電力の社員は地震のあった11日にはバリ島という日本のずっと南の島に新婚旅行に行っていたのです。バリ島で結婚式もするつもりだったのです。それが福島第一原子力発電所で聞いて、新婚旅行を切り上げて福島に戻っています。この人はお父さんやお母さんに福島原子力発電所に言えば心配するというのでウソをついて福島に行きました。結婚したばかりの奥さんには正直に話しましたが、今福島に行かなければ一生後悔すると言ったら、奥さんも「行った方がいい」と言ったそうです。そんな人がたたくさんいるのです。

 事故が起きてから今日まで、800人も1000人もの人々が、福島原子力発電所に、放射能と戦うために出かけています。

 この人たちが考えていることはただひとつ、これ以上放射能を広げてはいけないということです。一日でも早く原子炉を静かにさせないと、放射能は世界中に広まってしまいます。福島第一原子力発電所を静かにさせるのは日本の義務ですし、これを止めることに日本人の名誉がかかっているのです。

 さてところで、日本人と世界の人々、日本の名誉のために自分の命をかけて戦いに行く、そんなことが皆さんにできますか?もしかしたら自分は死ぬかもしれない、けれど自分には世界を守ることができるかもしれない、そんなときに進んで自分を犠牲にして、日本や世界のために頑張れるでしょうか。

 そう考えたとき、私は自信をもって言うことができます。私は全く疑っていません。君たちも同じ立場に立てば、絶対に同じことができますし、絶対にそれをするということです。
 自分の力で日本を救える、世界を救えるとなったら、平気でどこへでも出かけるに違いありません。

 実は卒業式の夜に、私は市村先生とこの話をしたのです。「先生が警察官や自衛隊員で、福島第一原子力発電所に行けといわれたら行きますか」ってね。すると市村先生はたちどころに「行きますね」と答えました。
 私だってもちろん行きます。警察官でも自衛隊員でも消防士でもなくても、自分にやれることがあって日本を救えるのなら、どこにだって行きます。

 今、兵庫県で開かれているセンバツ高校野球の選手宣誓で、創志学園高校の野山主将はこんなふうにいいました。

「人は、仲間に支えられることで大きな困難を乗り越えることができると信じています。私たちに今できること。それはこの大会を精いっぱい元気を出して戦うことです。がんばろう!日本。生かされている命に感謝し、全身全霊で正々堂々とプレーすることを誓います」


 君たちはまだ子どもで、今は日本や世界を救うなどといった大きな仕事のできるときではありません。しかし一生懸命勉強し、力をつけ、必ず世の中の役に立つ人間になってほしいと思うのです。君たちはそれをやる勇気と意志を持っています。しかし今はその意志を生かす知識や力がないのです。その知識と力を手に入れてほしいのです。役に立つ人間になってもらわなくては困るのです。

 がんばろう、日本。
 今はまさに日本の実力が試されている時です。

 がんばろう日本。
 世界を変えるのは君たちなのです。





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2011/3/19

お願いします。  


 春休みになりました。
 「デイ・バイ・デイ」は基本的にお休みになります。

 時期が時期だけに、何か書きたいことが出てくるかもしれませんが、
 予定としては、4月1日が次回の更新です。

 いつも可愛がっていただき、とても感謝しています。



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2011/3/18

私たちには希望がある  教育・学校・教師


 今日は東北太平洋沖地震とその被害に関する話をします。

 この大地震はマグニチュード9・0という巨大なパワーをもった地震で、皆さんも聞いたことのあると思う阪神・淡路大震災の1000倍にも当たるといわれています。これは日本の歴史上最大のもので、世界的にも4番目の大きさのものです。

 さて、この地震はまず東北地方の(地図を示しながら)このあたりで起こって、その40秒後にこのあたり海の底で海底が大きく動き、すぐに続けてこの部分で地震が起こるという三つの地震が立て続けにおこったものだと考えられています。三つ合わせて5分近くも続きました。

 ただし日本という国は毎年100回以上も地震の起こる超地震国なので、ビルはもちろん、普通の家もかなり頑丈にできているので、その揺れ自体では大きな被害は出なかったはずなのです。
 この私たちに学校も3年前にきれいに直されましたが、それも古くて汚かったからというのではなく、巨大地震にも耐えられる校舎にしようという工事でした。

 さてその世界最大級の地震にも関わらず、ほとんどの家は潰れも壊れもしなかったのですが、君たちも見たとおり、そのあとで襲ってきた津波は尋常なものではありませんでした。

 津波というから大きな波かと思っていると違うのですね。海自体が盛り上がって堤防を越え、どんどん町の中に入ってきてしまうのです。船を流し自動車を流し、そして水や流れてきた船や車の力で家を倒し、その家が次の家をさらに破壊し、場所によってはビルの4階近くまでの高さになってすべてを流してしまうのです。そんな津波が5回も6回も、最後は津波を調べる機械まで壊してしまったのでいったい何回来たのかも分からないほど繰り返し町を壊し、人々をさらってしまったのです。あんな激しい水の中では、巻き込まれたら人間はとても生きてはいけません。

 今日、3月16日の段階で、亡くなった方は3373名、行方不明が7558名と言われています。合わせて1万人を超えているのです。

 一口に3373名と言われてもよく分かりませんよね。でもその一人ひとりには名前があって生活があるのです。

 思い浮かべてください。
 例えば私にはTという名前があって、家族がいて、この学校の先生であって、そして長く生きてきてさまざまな思い出やいろいろな経験がある、その私が死ぬのです。そしてこの3373名、という数字で表されるのです。

 思い浮かべてください。想像力の問題ですよ。この3373名のうちの一人が、自分の家族の誰かであるということを。自分の大切な家族がその中にいる、そんなふうに考えてみましょう。
 その大切な人たちが一人ずつ集まって3373名という数になるのです。
 この3373名の全員が、みんな大切な命を持っていて、それを失ったのです。


 またそれとは別に44万人の人たちが今も避難民として寒い中を必死に生きています。
 これも想像してみましょう。自分のこととして考えるのです。

 逃げるときに着ていた服一枚を今も着て、何日もお腹をすかせ、お風呂も入れないのです。想像してみてください、その中の多くの人たちは、地震と津波によって家族を失いあるいは家族と連絡が取れず、友達も行方不明になって、ずっと一人ぼっちなのです。その人はどんな気持ちでそこに座っているのでしょう。


 さて、そうしたことを考えた上で、私たちに何ができるか考えてみます。もちろん今日明日何かをしようというのではありません。まだボランティアも入れない段階ですからやれることは本当にわずかしかありません。

 ただ私たちには希望があります。夢があります。

 例えばインターネット上では中国の人の話としてこんなことが載っています。これは今回の地震に東京であった人です。
 「数百人が広場に避難していたが、その間、誰もタバコを吸うものはいなかった。毛布やお湯、ビスケットが与えられ、男性は女性を助けている。3時間後、人々は解散したが、地面にはゴミ一つ落ちていなかった。一つものだ」

 あるいは日本にいるベトナムの方の話。
「怒鳴り合いもけんかもない」「本当に強い国だけがこうした対応ができる」
「防災訓練を受けていても怖いはずなのに、誰もパニックに陥る人はいない。自分の仕事に集中し、連絡を取り合っていた」
「われわれが学ぶべき多くのことが分かった」


 あまた別の留学生は、
「教師が子どもたちを誘導する姿など、行政当局者から民間人までの素早い対応ぶりに驚いた」
といいます。さらに
「こうした強さゆえに、日本人は世界で最も厳しい条件の国土で生き抜き、米国に並ぶ経済レベルを達成できたのだ」
とたたえる声も伝えられています。

そしてロシア新聞にはこんな記事が載りました。
「日本には最も困難な試練に立ち向かうことを可能にする『人間の連帯』が今も存在している」
「重要なのは、ほかの国ならこうした状況下で簡単に起こり得る混乱や暴力、略奪などの報道がいまだに一件もないことだ」。

 震災当日の11日、公共交通が止まってサラリーマンが帰宅の足を奪われた東京でも
「人々は互いに助け合っていた。レストランや商店はペットボトル入りの飲料水を無料で提供し、トイレを開放した」

 私たちには「他人を守る」という強い力があります。
 「ルールを守る」という力もあります。我慢強く何かに耐えるという力もあります。
 お互いに手を繋ぎあい、みんなでこの困難を切り抜けようという強い気持ちがあります。

 今はできることはほとんどありません。しかし祈ることはできます。一人でも多くの人がこの災害から救い出されることを、そして一人でも多くの人が家族や友だちと再び合えることを、そしてこのたいへんな困難から再び立ち上がり、私たちの日本が誇り高い国として蘇ることを祈りましょう。

                        (16日、生徒に語った話)


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2011/3/17



 東北関東大震災の被災の方々のことを考えると、卒業式を浮かれた気分で行うことは絶対にできないと、そんな気持ちになります。

 昨日、中学校卒業式の練習の際、白木先生が「卒業式ができない子たちがいる」というお話をされていました。体育館が避難所になっているためです。
 しかしそれどころか学校がなくなってしまって卒業式ができないところも、そもそも児童生徒の実数さえつかめずにいる学校もたくさんあるはずです。

 私は今日の卒業式を、復興の戦士を「学び」に出すための式のように、行おうと考えています。




    祝 卒業式!



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2011/3/16



 福島第一原子力発電所で原子炉のコントロールがうまく行かず、事態が次第に悪くなっていく様子に、とてもがっかりしています。世界最高水準の日本の技術者が鮮やかに問題を解決して、その優秀さを世界に見せ付けると信じていたからです。

 一方、津波被害の方も病院の屋上でいつまでも取り残されている人たちがいるなど、こちらも少しも事態が動いていないように見えて苛立ちます(実際には14日までに自衛隊だけでも16000人近くも救助していますからそれなりに動いているはずですが、全体が大きすぎるので遅々として進まないように見えるのでしょう)。
 救援物資がバンバン被災地に届くようになるには、あと何日待たなければならないのでしょうか。

 それとまた、津波には相当敏感なはずの東北地方の人々が、ああもやすやすと飲み込まれていったことも納得ができません。津波警報のたびに「海岸には絶対に近づかないでください」というアナウンスが聞こえていたはずなのに、VTRを見ると平気で人が歩いていたりします。

 朝日新聞に次のような記事がありました(滝先生が憮然とした表情で教えてくれました)。

涙の母「熱かったね」

変わり果てた小さな姿をがれきの間で見つけ、母親たちの悲痛な声が響いた。(中略)
「あいりっー。あいりっー」
 佐藤美香さん(36)は、長女愛梨さん(6)の着ていた服を、黒こげの園バスの中で見つけ、泣き叫んだ。
 愛梨ちゃんは11日の地震直後、幼稚園バスで帰宅途中に行方が分からなくなっていた。美香さんは14日午前、家族と共に捜しに向かった。(中略)
 子どもたちは抱き合っているように見えた。「みんなで一緒にいたんだね。怖かったね。熱かったね」。美香さんたちは遺体を何度もさすって語りかけた。
 二人の通っていた幼稚園は丘の中腹にあり、地震や津波の大きな被害を免れた。
 だが、園バスは地震の後、丘を下りた。園長は美香さんたちに「運転手は、子どもたちを母親のもとに早く返そうと思ったようだ」と話したという。運転手は助けを求めて園に戻った後、行方が分からなくなっているという。(略)


 滝先生は「これは結局、教育と行政による業務上過失致死じゃないですか」と怒っておられるのです。大きな地震のあとに低い土地に向かっていく、それがいかに危険かという教育や周知が足りなかったのだ、ということです。

 あの日、私たちのところは震度3でした。その状況で私もチラッと子どもを帰していいものか迷いました。しかしここでの震度3はその後に大きな問題の予想できる数字ではありません。これが震度5以上でしたら絶対に帰さなかったと思います。途中で土砂崩れに会ったり、土砂崩れによる天然ダムの形成でスクールバスが水没することだって考えられますから。

 その意味では子どもたちの帰宅を中止または阻止しなかった園長にこそ問題があるはずです。しかしそれも含めて、現場で何が起こりどういう間違った判断が下されたかのかといった検証は、改めて行われるべきでしょう。

 現場に家を持ちその家を失った民放の記者によると、町ではつい先月も大規模な津波避難訓練が行われたばかりだと言います。それなのになぜ「全員が逃げる」ということは起こらなかったのでしょう。

 人間というものには、かなり厄介なところがあります。


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2011/3/15

がんばろう日本  教育・学校・教師


クリックすると元のサイズで表示します 17年前の阪神淡路大震災のとき、当時のオリックス・ブルーウェーブスが肩に「がんばろうKOBE」のロゴをつけて戦ったことがあります。イチローが打率0.385、210本安打を成し遂げた翌年のことで、そのロゴに込められた思いをくみ取ると涙が出そうになるほど素晴らしく、かっこう良かったことを覚えています。

クリックすると元のサイズで表示します  右の写真は13日のイギリス紙、インディペンデント・オン・サンデーの1面出た記事です。これを見たとき、先ほどの「がんばろうKOBE」を思い出しました。

 昨日は東京電力が輪番停電を計画したところ、需要が極端に減って供給の枠の中にとどまったため、計画のごくごく一部を実施しただけで済みました。企業や個人が一斉に節電に協力したからだと言われています。
 11日の日は東京都内に帰宅難民と呼ばれる人が相当数出て、しかし皆、黙々と家路につきました。ある人は徒歩で、別の人たちはバスやタクシーを数時間も待ちながら、多いな不満を言う人も、騒乱を起こす人もいませんでした。

 まだボランティアの入れる時期ではないので、日本中の国民が募金で協力しようとしてはじめています。また一部ではボランティア登録も始まっています。

 今も東北地方太平洋岸ではたくさんの自衛隊員、警察官、公務員、教員たちが人々を助けるのに全力を尽くしています。
 福島原発では750人もの人々が命をかけて戦っています。

 そして現地では45万人もの避難民が寒さや空腹や恐怖と闘いながら現状に耐えています。

 非常に不幸な災害ですが、私はもう一度日本がひとつになるための重大な契機にもなるかもしれないと感じています。



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